聖剣の導き

 爆風に耐えながら盈は立ち上がる。

「ちっきしょ!」

 絶命したくなる誘惑を気合だけで振り払いながら、シノギの身体を背負って運ぶ。

 ここで二人ともども死んだら、炎の番人としても炎の主人としてだって認められなくなる。このふたつの矜持だけは死んでも持ち続けたい。

 そのときはじめて気づいた。盈は炎のために人生を捧げてきたのだと。

 まったく無責任なものだ、刀剣を扱って人を殺すだけの人間は。

 その刀剣を作るために、どれだけこの熱い炎を制し生命を削ってきたことか、まるでわかっていない。

 そんなことがわからない奴は一度この炎を食らってみろってんだ、と盈は心の中で叫ぶ。どれだけ刀剣に炎を感じるか、そしてどれだけ相手の生命に炎を感じるかわかるはずだ。

 少なくともシノギにはわかったはずだ。もはや刀剣だけを作って満足するような人間ではない。もしまだそんな甘い考えを持っているのであれば、溶鉄の中に飛び込んで死んでしまえ。

 盈は必死で外へ出ようとする。

 だが行けども行けども、続くのは炎ばかり。視界は立ち上る炎の壁ばかり。厚い炎の壁ばかりが屹立と行く手の障害となる。盈は歯を食いしばりながら、熱傷に熱傷を重ねてくる炎にただひたすらに耐える。

 爆風が揺らす風の勢いの名残を頼りに、盈はひたすら進む。風が通る場所は出口に通じているはず。

 これだけの火炎と熱線を浴びて、無事でいられるのが訳わからない。

 だが盈はそんなことを考えている余裕はなかった。

 考えている余裕があったら、動け、動け。それはもうひとつの盈が頭の中にいるかのようだった。

 自分が自分に命令して動くような人間は本気ではない。本当に気持ちがあるならば、苦境に際したとき、頭の中で自分の別人格が鞭打ってくるものだ。それは根性論というよりは、自然の摂理だ。

 人は皆、生きたいと思うのではない。死に瀕した自分に生きろと言われるのだ。

 目の前に二人の人影が現れた。何かしら見覚えのある影である。炎の熱と光で、その影は揺らいで形が安定しないが、確かにその影を盈は知っている。

「盈」

 聞き馴染みのある声。盈は気づく。

 あのときの獄卒の二人?

 いや、違う。根本的なことを忘れている。こんなときにその核心に至らないのは、理解が足りないというよりも、心が貧しい証拠で。

 あのとき夢を見たのは奇跡だった。その夢がここにつながるまでの糸口だったのかもしれない。

 誰の力によるものなのかは知らないが、あのとき夢を見せてくれてありがとう。盈は感謝の念で震える。

「じいちゃん……、父ちゃん……」

 あのとき言ったことは本当だったのだ。

 あのとき言ったようにやはり二人は地獄に行ったのだ。

 夢の中でのほんのひとときだった。けれど、あの少ない時間で会えたことは、長い生涯で絶対に忘れない。

 盈はこれ以上言葉にならず、一回だけ頭を縦に振って、人影を見つめた。

「達者でな」

 そう言うと人影は手を振り、二本のロウソクを吹き消したように、ふっと消えた。

 名残惜しい心で、足が止まりそうになっていることに気づく。悲しみとか懐かしさに足を取られるとか、そんな場合ではない。

 決して炎の熱のせいではなく、盈は心が熱くなった。

「もう二度と会えないだろうな、ごめん俺は地獄には行かない。それがみんなの意思だろ?」

 死んで地獄に行くわけにはいかない。

 ましてここで死ぬわけにはいかなかった。

 やりたいことよりもやらなきゃいけないことがたくさんあったから。

 村人のこと、玉鋼作りを後世伝えること、それを見守ること、そして剣術の精神を継ぐこと。

 数え切れないぐらい、数え切れないぐらい。

「死んでたまるかクソっ」

 進むにつれて、炎の層が心なしか変わってきた。

 さっきから分厚い炎の壁ばかりを抜けてきたが、その壁の厚みが徐々に羽薄くなってきている。出口は近かった。

「死ぬな、死ぬな」

 それは果たして、盈とシノギのどちらに向けられた言葉だろう。いや、両方かもしれない。

 焼けただれた足で、盈は動くことも苦行になってきた。

 けれど、炎を超えて、盈は進む。

 猛る炎の、最後の壁を通り抜けて、盈は倒れた。

 あったのは赤黒く染まる空の下。

 けれどここは極楽以上に天国を感じる、普通の地獄の風景だった。

「心頭滅却……」

 おじいさまがいつぞどこぞで言っていた言葉を思い出して盈は、いま自分が安堵する場所にいるということに一呼吸する。

 シノギは大丈夫だろうか。

 背中に乗ったシノギの無事を確かめたかったが、うまく身体が動かない。

 ただじっとしているだけで痛みと痺れが走る。

 意識が遠のきそうになる。

 いけない、こんなところで目を閉じるわけには。

 そう盈が思うが、身体が利かなくて、目蓋を閉じる欲求と摂理に、あらがえなかった。

 シノギ……。

 ――そこまでだ!

 突如、誰かの声で反射的に目が開いたのが幸いした。

 そこにいたのは、金色の髪よりも一際輝くムシャ。

 彼女が握り締めていたのは、御佩刀教が崇める聖剣様。

「聖剣様……」

 ――汝、死の底から助け出してくれたこと、まこと感謝の極み。

 聖剣様の力だろうか、きっと断末魔の叫びをあげた後に訪れる安らぎとはこういうものなのだろう。

 だが盈は死んではいなかった。ゆっくりとその場に立ち上がれた。

 焼け焦げたシノギの身体も徐々にその傷がみるみるうちに癒えていく。

 聖剣とムシャに相対して、盈は二人を見る。

「盈」

 ムシャは笑顔になっていた。まるで新しい自分になったかのように。いや、違う。自分自身を取り戻したか、というほうが正確を記す様子だった。

「思い出した、私は……」

 ムシャはゆっくりと口を開く。そして、

の名前は、聖剣レーヴァテイン」

 聖剣とムシャが、同時にそう名乗った。

 その剣の名を盈は知らない。けれど、ムシャは生まれ変わった顔を確かにしていた。

「帰ろう。二人とも」

「ああ」

 ムシャが聖剣を掲げると、そこに鉄扉が現れた。冥界と現世界をつなぐ扉である。

「説明はあとで聞こう、とりあえずここから出るぞ」

「うん、盈」

 扉が軋む音を立てて開き、盈たち四人は地獄から去った。

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