別れの言葉

「……さて、セイラよ……」


 夜が更け、窓の星空も更にその輝きを増し始めた頃、ディーノはセイラに優しく、そして寂しい気持ちを若干滲ませながら語りかけた。それを聞いたセイラもまた、同じ感情を込めた表情を見せながらそっと頷いた。

 本当は、もっともっと尊敬するディーノ・サウリア『大神官』との時間を過ごしたかった。もう少しで命尽きるであろう彼と最期まで語り合い、その遺志の全てを受け継ぎたかった。しかし、それはセイラ・アウス・シュテルベンが抱える『世界を滅ぼす』という使命、そしてディーノ自身の思いが決して許す事ではない、というのを、彼女は把握していた。だからこそ、そろそろ行くべき時間ではないのか、と促した彼の言葉を素直に受け入れる事ができたのかもしれない。

 ゆっくりと頷いた後、彼女はゆっくりと立ち上がった。その美しく育った裸体を純白のビキニアーマーのみで覆うその肉体、その美貌、そしてその心を、ディーノはその目に焼き付けるようにじっと見つめていた。勿論、その視線には一切の卑猥さも破廉恥さもなく、ただ手塩に育て上げ、凛々しく美しい姿となった1人の女性をその心に留めておくかのような優しさが溢れていた。


「ディーノ様……私は貴方に出会えて本当に幸せでした」

「ワシもじゃよ、セイラ。最期に立派に育ったお主と会えて、ワシは幸せもんじゃ……」


 これもきっと女神エクスティア様のお陰だ、と手を合わせて感謝の意思を示す偉大なる老人に、女神の意志を背負う覚悟を決めた美女は温和な笑みを見せた。この国が滅んでも、彼の名前は未来永劫語り継がれる事になるであろう、と思いを馳せながら。

 そして、改めて彼がセイラのほうに目線を向けた時だった。彼の表情が、真剣なものへと変わったのは。


「……セイラ、今からワシが述べる言葉が、お主にかける最後の想いじゃ」


 心して聞くが良い、と語る口調も、それまでの愉快かつ軽やかに語る爺から一変し、かつて大神官を務め上げた者にふさわしい威厳あるものへと変わっていた。それを聞き、背筋を伸ばしたセイラは、その言葉を1つも聞き漏らさないようにする決意とともに、心の中に嬉しさににた感情が沸き立っていた。普段は優しいお爺様であった彼も、いざ真面目な話になると背筋が伸び、一寸たりとも集中を切らす事が出来ないほど真剣な表情や態度を見せてくれる。あの時の、彼女がずっと憧れ続けた『大神官様』から御言葉を聞く事が出来る――その想いが、彼女の心に高揚感を生み出していたのである。


 やがて、決意したかのような頷きを経て、ディーノ・サウリアは告げた。


「……セイラ・アウス・シュテルベンよ。コンチネンタル聖王国を滅ぼせ」


 女神エクスティア様の御心に従い、徹底的に葬り去れ。

 容赦する事無く、塵一つ残らず滅ぼし尽くせ。

 逆らう者は、容赦なく斬り捨てよ。

 後悔を残さず、徹底的に全てを消し去れ。

 


「……承知いたしました……」


 女神エクスティア本人からその役割を告げられた時から、セイラの心は女神に付き従える嬉しさと共に、全てを滅ぼし尽くす覚悟が芽生えていた。だが、同じくらいに尊敬する存在からもう一度その言葉を心に突き付けられた彼女は、改めて覚悟を決める事となった。決して後悔する事がないように、女神の意志に逆らう者が1人も残らないように、徹底的に全てを自分自身――女神の意志を受け継ぐ者で覆いつくす、という決意を、彼女はディーノの枕元に膝まづき、頭を下げる事で示した。


 そんな彼女を見つめるディーノの表情は、次第に見慣れた優しい笑顔へと戻っていった。


「おぬしの活躍を傍で見る事が出来ないのは心残りじゃが、存分に、徹底的にやってくれると信じておるぞ」

「ありがとうございます……ディーノ様、どうか見守って頂ければ……」 

「ふふ、勿論じゃとも」


 凛々しく美しく育ち、女神に認められるまでの存在になったセイラの活躍を、自分はいつでも、いつまでも応援し続ける――ディーノは少し悪戯げに、しかし優しい口調で、最後のエールを送った。その時の彼の笑顔と、それに返したセイラの自信に満ちた笑顔は、互いにとって決して忘れられないものとなった。


 そして、別れの一礼をしたセイラが自分の体を『光の粒子』に変え、辺境に佇むこの家を後にしようとした、その時だった。言い残したことがある、とディーノが彼女を呼び止めたのである。思い出、要件、そして決意など、重要な事は全て語り尽くしたはずなのに、と一瞬不思議そうな表情を見せたセイラに対し、彼は閉ざされた部屋の扉を指さしながら頼み事を語った。もう1人――自分自身を長年見守り続けてくれた女性神官のロコにも、是非挨拶をしていって欲しい、と。


「ロコ様ですか……」

「そうじゃ。ふふ、先程までの会話も、全て聞いておるはずじゃからのぉ」


 そう述べた瞬間、ディーノの言葉が正しかった事を示すかのように扉が開いた。そこには、セイラよりもずっと年上、質素な衣装を着こんだ1人の女性が、唖然とした表情で立っていた。そして彼女――ディーノと共に辺境の地へ追放された過去を持つ女性神官のロコは、慌てたように頭を下げて必死に謝り始めた。当然だろう、尊敬する大神官と自分自身にとっても大切な存在が語り合った内容を部屋の外から盗み聞きしてしまうという、あまりにもはしたなく無礼で、真面目な彼女自身にとって到底許しがたい行動をとってしまったのだから。


「申し訳ございません、ディーノ様、セイラ!私は……私はなんて事を……」


 だが、ディーノは怒るどころか、顔を青ざめる彼女にそっと笑いかけながら、全く気にしていない旨を告げた。自分たちの会話を傍で聞いてくれたお陰で、話の内容を共有する事が出来た事に感謝する、とまで断言したのである。勿論、セイラの方も彼女の盗み聞きを全く気にしていなかった。彼女もまた、女神エクスティアからの脱出の誘いを受けた、善良なる民の1人なのだから。


「むしろこちらこそ、おふたりの時間を割いてしまって申し訳ありません……」

「そ、そんな……そんな事……」

「ふふ、ロコ様、大丈夫ですわ……」

「セイラちゃん……」


 自分と同様、久しぶりに顔を合わせた2人の様子を見守っていたディーノは、そっと視線でセイラに合図をした。彼女へも、自分自身が抱き続けていた想い、そして使命をを伝えるように、と。それを受け取ったセイラは、純白のビキニアーマーに包まれたその体をディーノの心に焼き付けるかのように彼の頭の傍に立ち、長い間お世話になったことへの感謝を示すかのように深く一礼をした。


 やがて、扉は閉じられた。


「……ふぅ……」


 セイラが放つ仄かな光も、ずっと部屋を照らし続けていた灯も消え、星空の光だけがこの部屋に注ぎ込んでいた。

 そんな空間に佇むベッドの上で、ディーノは大きな息を吐いた。その瞳からは、セイラの前で見せる事なく、ずっと我慢し続けていた『涙』が零れ続けていた。だが、それは自分の死を知った怖さや悲しさなどは一切なく、離れた場所にいても自分自身をずっと想い続け、気づけば自分の手が届かない程立派な存在となった大切な存在と、もう一度語り合うことが出来た嬉しさに満ち溢れていた。

 長い間密かに、誰にも言わず心の中に閉じ込めていた彼の願い――セイラともう一度会いたい、という想いは見事に実現した。後は、ロコと共に幸せな最期の日々を過ごす事。それが叶えば、最早後悔など一切ない。そう感じながら、彼はそっと瞳を閉じた。心も体も、今までよりも暖かい気持ちに包まれながら……。

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