聖王国脱出作戦

 あの夜、コンチネンタル聖王国の各地で、一部の国民が同じ内容の『夢』を見ると言う奇妙な現象が起きた。眠りに落ち、再度目覚めた直後、自分自身が穏やかな光に包まれた不思議だが厳かな空間にいることに気づき、そこから『女神エクスティア』と名乗る存在――いや、女神エクスティアの代弁者として彼らの前に降臨した純白のビキニアーマーのみに身を付けた元・聖女候補のセイラ・アウス・シュテルベンから、このような啓示をされると言うものである。

 コンチネンタル聖王国はもう間もなく滅びに包まれる。その前に、急いで逃げ出して欲しい、と。


 ある者はこのまま村に居続けると隣村からの襲撃に遭い、残された食料が根こそぎ奪われるという未来を教えられ、ある者は自分自身の雇い主がいかに迫りくる滅びに対して無頓着か、という醜態を見せられた。そして一部の者たちは、女神エクスティア本人の手で『エクス教』――彼女を祀り、その名を借りて人々を過ちから救い導くという自分自身が就く役割をいかに彼らの上司たる協会幹部が無視し、横暴の限りを尽くしているのか、女神の名の下で教えるセイラの言葉の下で知らされる事となった。


 女神自身の導きにすぐに従う者もいれば、すぐには選択しきれないと悩みに悩み続けた者たちもいたが、最終的にほとんどの人々は自分の意思でコンチネンタル聖王国から逃げ出す決心を固めた。女神エクスティアの命とあれば、と言う事で即答する者もいれば、家族と安心して生きる世界を見つけるため、大事な家畜を守るため、あのような酷い存在がいる国にはいられない、など、その理由はさまざまであったが、全員とも共通したのは『セイラ』――純白のビキニアーマーを纏った、幾多もの罪を被せられた挙句事実上の死刑、国外追放に等しい処分を科せられた女性から放たれた言葉を、『女神』の代弁とはいえ信じた事であった。


 次の朝、目が覚めた彼らは、女神が示した『避難所』へ一瞬で行ける抜け穴――『ポータル』が彼らのそばで開いているのを見て、あれが単なる『夢』ではなく、女神自身が彼らに教えた真実である事を思い知らされることとなった。そして、領主や貴族、一部の王族関係者よりも先に、女神の言葉を受け取った農民や町民、エクス教徒たちが先にその場所へ向かったのである。

 そして、彼らを導くリーダーの使命を託されたアヴィスが領主らとともにその場所へ赴いた時には、『避難所』には既に女神から選ばれし住民やエクス教徒たちが揃っていた。まさにそれは、彼女が受け取った女神からの啓示そのものの光景だった。やがて、基から声が大きい宰相が更に『拡声器』を使って声を最大限に高め、彼らを一旦静まり返らせた後、深呼吸を経てアヴィスは『拡声器』を手に取り、国民たちに語り始めた。初めて顔を見るものもいるかもしれないが、自分はこの国の『王妃』だと。



「皆様がどれだけ苦難の道を歩まれたか、どれほど辛い目に遭ったか、私は女神様からの啓示があるまで把握しきれていませんでした。皆様を、そしてこの国を守り切ることができず、本当に申し訳ない……!」


 女神にこのような選択肢を選ばせてしまったことも含め、アヴィスは国民に向けて頭を下げた。だが、彼女に返ってきたのは罵声ではなく、国民たちからの励ましや感謝の言葉であった。


「アヴィス様はオレたちのために頑張っていたって女神さまが言ってた!」

「国王のヤローが遊んでる間、アヴィス様は一所懸命頑張ってたって!!」

「アヴィス様は何も悪くないですよー!」

「オラたちのために尽くしてくれて、本当にありがとうございますだ!」


 国民の苦悩をアヴィスが把握しきれなかったのと同じように、ほとんどの国民も王宮から出られず大量の仕事を押し付けられていたアヴィスが、その状況の中でも人々のため、国のために尽くし続けていた事を、女神の言葉を受けるまで知ることはなかった。もし教えられなければ、王妃であった彼女まで恨みそうな感情を抱く者もいる程だったからである。だが、彼女本人の謝罪を聞いた今、若干のわだかまりはあれど彼女を責める気分になる者はいなかった。陰で懸命に奮戦し続けていた彼女の努力が、女神の手を借りて報われた瞬間でもあった。


 彼女の名を呼ぶ人々の声の波につい涙が出そうになった彼女であったが、まだそれには早すぎる事は承知済みだった。これからが正念場、女神に代わって皆を導く者として、どっしり構えないといけないからである。そして、感謝の言葉を並べる皆にお礼を述べたあと、アヴィスは言葉を続けた。


「女神エクスティア様の啓示の通り、間もなく私たちはこの国を脱出し、見果てぬ新天地へと向かいます。どのような苦難が待ち受けているか、私たちも一切予想がつきません。ですが、この私、アヴィス・コンチネンタルはここに宣言します」


 必ず全員無事に新天地へ向かい、皆が幸せに生きることができる新たな『国』を皆で共に築く。それが、私の使命であり、皆とともに分かち合う目標だ――それは、女神からの伝言ではなくアヴィス自身の思いであった。勿論、その言葉自体への反論は沸かなかったが、それとは別の懸念の言葉が、その人々を治めていた領主の口を借りてアヴィスの元に届いた。確かに自分たちはこうやって国から脱出できるかもしれないが、家畜や作物など、生きていく大事な糧となるもの、自分たちの宝物を置いていく形になってしまって、本当に大丈夫なのか、と。

 あの『夢』の中で同じ心配をした人々に対し、女神はそれらの心配はない、安心して欲しい、と何度も優しく、そして強く説得した。『脱出』する時はその身1つで大丈夫、それ以外の必要なものは後から届けられる――確かに女神はそう言った。それでも、長年作物を大事に育て、家畜に愛情をこめてきた彼らにとっては、彼らと離れ離れになったり見捨てるような形になってしまう事が不安でたまらなかったのだ。その言葉を受け、再度アヴィスは『拡声器』を手に取り、心配がまだ残る彼らをやさしく諭した。


「大丈夫です。女神エクスティア様は、私たちを見捨てたりはしません。『心配はいらない』、女神さまは確かにそうおっしゃられたのですよね?」


 自分たちはこれまで女神の加護を信じ、その元で暮らしてきた。今度は女神自身から授けられた言葉を、信じる番だ――その言葉を聞き、心配の顔色をのぞかせていた人々も、それも一理あるという納得の表情へと少しづつ変わり始めた。そんな彼らを見ている中で、アヴィスも改めて女神エクスティアへの感謝の思いを心で唱えた。これだけ多くの人々に信頼されている女神様のような人を目指したい――王宮での暮らし、無数に押し付けられる仕事、そして次第に深刻化していく国王との不仲という中ですり減り、失われていった彼女の本当の想いが蘇っていった。


 だが、その想いに浸る時間はそこまで残されていなかった。『夢』の中で記されていたコンチネンタル聖王国からの脱出の時間が、ついに訪れたからだ。

 あの時、女神はアヴィスをはじめとする国民に対し、この場所から国の外へと『脱出』する方法を、まるで暗号のような言葉と共に簡潔に伝えていた。空を舞う巨大な『鳥』に乗り、新天地を目指せ――それが、女神エクスティアから託された方法だった。そして、ふと空を見た者たちは、一斉に驚きの声を上げ始めた。それは宰相やその一家、領主、看守長、そしてアヴィスを始めとする面々もまた同様だった。空の彼方から、陽の光を覆い隠すような巨大な『鳥』のような影が、こちらに向かってくるのが見えたからである。


「あれは……!」

「あれが、女神さまが言っていた……!」

「私たちを新たな場所へと連れて行ってくれる……!」


 『飛行機』――女神はあの『鳥』のような巨大な物体をそう呼んでいた。その特徴的な名前は、この場所にいる多くの者たちの心にもしっかり刻まれていた。

 そして、邪気を払いのけるような風と共に、『飛行機』は彼らの上空に到着した。人々が集う巨大な空間を覆い隠す程の巨大な胴体、そこから延びる同じく巨大な翼――まさにその姿は空を舞う巨大な『鳥』そのものだった。子供たちは目を丸くしてその巨体に興奮し、大人たちは逆に常識をはるかに超えた、明らかに山よりも巨大な物体が空を飛んでいる事そのものに唖然としていた。女神に選ばれた善良なエクス教徒の面々の中には祈りを捧げ始める者まで現れていた。しかし、彼らは不思議とその威圧感あふれる巨大な構造物に対して恐怖の感情は沸き起らなかった。まさに女神エクスティアが起こした『奇跡』、彼女が皆に夢の中で告げた出来事が、自分たちの目の前で起きていたからである。


 そして、手を握り静かに女神エクスティアへの感謝の言葉を心で捧げた後、アヴィスは朗々とした声で告げた。


「さあ、皆様、『飛行機』に乗り込みましょう!」


 近くにいる皆を治める立場の者たちやエクス教徒の面々には、人々の案内をお願いしたい――アヴィスからの指示が飛ぶ中、『飛行機』への搭乗は迅速に行われた。空を覆う巨大な構造物の胴体から放たれた幾つかの不思議な光の中に入るだけでその体は宙に浮かび上がり、空に待機する『飛行機』の内部へと取り込まれていったのだ。そして、恐る恐る当たりの様子を見まわした人々は、更に女神の奇跡に驚く事となった。


「えっ……!?」

「す、すげえ……!!」

「や、山も川もある……!!」


 巨大な『飛行機』の機内には、それをも凌ぐ広大な空間がどこまでも広がっていたのだ。しかも、その中にはコンチネンタル聖王国で彼らが何度も見慣れた、そしてずっと続いていた苦しみの中で常に臨み続けた景色――緑に包まれた山、穏やかに流れる川、そして青く澄んだ空という温暖かつ豊かな実りに包まれた空間が彼らを待っていたのである。勿論、その中には人々がしばしの宿とする『建物』も立ち並んでいた。そして、多くの人々の懸念材料であった作物や家畜をはじめとする宝物についても、敬愛する女神様がしっかり考えていたことを彼らは知る事となった。『実り』が失われた大地の上でずっと元気がなく痩せ細っていた事が信じられないほどに健康的な姿を取り戻した、彼らの大事な生きる糧であり最愛の友である家畜たちが、元気な声で鳴きながら彼らを待っていたのである。


「おぉ……わしの……わしらの大事な面々じゃ……!」

「あなた、ちゃんと蓄えていた作物もちゃんとありますわ!」


 更に、広大な畑には彼らが長いことずっと見ていなかった豊かな『実り』に満ち溢れていた。そこには、住民たちが食べ飽きるほど食べてもまだまだ余りそうなほどの大量の作物が待っていたのである。そして、農民以外の面々――鍜治場の職人、様々なものを売る商人、そして善良な貴族たちにも、聖王国へ置きっぱなしにしてしまった大事な宝物の数々と共に、彼らが普通の暮らしを過ごせるのに十分すぎる程の設備が授けられていた。

 苦しみ続けていた人々への救いのような奇跡の数々に、人々は興奮しながらも改めて女神エクスティアへの感謝を新たにした。そして同時に、彼らのリーダーたるアヴィスが告げた言葉を思い返し、決意を新たにした。女神は自分たちが新天地を目指せる事を信じた上でこのような至れり尽くせりの奇跡を用意してくれた。今度は自分たちが、女神エクスティア様へと『恩返し』をする番。争いを起こさず、全員揃って新天地を目指してみせる、と。


『全員とも乗ったようだな!』


 そんな彼らの耳に聞こえてきたのは、最後に搭乗した宰相や看守長、そしてアヴィスといった、新天地を目指す旅、そして新天地での暮らしを始める中で人々を導く立場になる者たちの声だった。どうやら私たちの声は任意で『飛行機』の全体に届くような形になっているらしい、と宰相の声で説明があった後、アヴィスの声が人々の下に響き始めた。


『それでは皆様、出発しましょう!』


 新たなる国――ネオ・コンチネンタル聖王国を目指して。



 その言葉と共に、『飛行機』は一陣の風と共にコンチネンタル聖王国から飛び去った。そのあまりにも静かな『船出』は、アヴィスが口に出さなければいつ出発したのか誰も分からない程であった。そして、その巨大な外見が1つの小さな点になり、やがて青く澄み切った空の彼方へ消え去った後、残されたのは先程まで大量の人々で溢れかえっていたとは思えないほど、一切人の気配が残されていない異様な光景が広がる海沿いの港町であった。そして、同じような景色が、コンチネンタル聖王国のあちこちに現れたのだった


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「ふう……ようやく聖王国から逃れることができましたね……」

「国王たちは大変な騒ぎになっているでしょう」

「左様でございますとも……」

 

 短いようで長い、女神からの啓示と共に怒涛の如く行われた『コンチネンタル聖王国』からの脱出がひとまず完了し、宰相や看守長を始めとした、女神や人々を大事に思い続けていた者たちも一息つく事が出来た。彼らは『飛行機』の中でも前方に近い箇所、王宮の豪華な内装が再現されている場所でゆっくりと疲れを癒し、久しぶりとなる平穏な時間を満喫し始めていた。

 自分たちがいなくなった事で、長年にわたり自分たちを虐げていた国王をはじめとする面々はきっと大わらわになっているだろう、少しだけ可哀想だが、これも女神エクスティアの思し召し、自分たちにはどうしようもできない――そんな会話をしている中、それを中断させることを謝りつつ声をかけてきたのは、『コンチネンタル聖王国王妃』として最後の仕事を務める決意を固めたアヴィス・コンチネンタルだった。


「どうしましたか、王……いえ、アヴィス様」

「ふふ、まだどちらでも構いませんよ……。少し、『飛行機』にいる皆様に伝えたい事が……」

「ほう、それは一体?」

 

 セイラ・アウス・シュテルベンの事だ――その言葉を受けて、宰相たちの顔は一様に真剣な表情となった。


 あの時、ヒュマス国王の手によって大量の仕事を押し付けられた挙句、大事な儀式への参加も拒否された彼女は、無実の存在であるセイラが裁かれ、追放されるのを黙って見ている事しか出来なかった。彼女を陥れた一因には、事実上見て見ぬふりと同じ状態になってしまった自分も含まれている。全ては遅いかもしれないが、せめて『王妃』――あの国を治める権力の一端を握っていたものの最後の務めとして、この場所だけでもセイラが無実であった事を自分の口から人々に伝えたい、と彼女は皆に語った。

 ただ、人々が自身の唐突な言葉を聞いて不安にならないだろうか――そう本音を語ったアヴィスに対し、宰相は一同を代表して彼女を励ました。皆の元に現れた女神エクスティアは、その『セイラ』と同じ姿かたちをしていた。にもかかわらず、自分自身を含む皆はその言葉をすべて受け入れる決意を固めていた。その真摯な思いに満ちた言葉には決して嘘偽りがない事が、不思議と理解できたからである。


「ここにいる皆は分かっていますよ。女神様がその姿をお借りするほどの逸材である『セイラ』殿は、決して悪人ではない、と」


 何せ、女神エクスティア様のお墨付きですから――その言葉には、女神に加えてアヴィス自身を信じる想いが込められていた。

 そして、自分の意見に賛同してくれた皆にお礼を言ったアヴィスは、『王妃』として最後の役割――無実の罪で追放されたセイラ・アウス・シュテルベンへ赦しを与えるための準備を始めた。もしかしたら、あの不思議な『夢』の中で自分たちに王国の未来、そしてこの奇跡を与えてくれたのは女神様ではなく、女神さまの意思と共に舞い降りた、セイラ・アウス・シュテルベンその人だったのかもしれない。いや、きっと間違いなくそうだろう。彼女こそ、自分たちを正しい方向へ導いてくれる『真の聖女』そのものだ、という思いを心に秘めながら……。



『皆様……アヴィス・コンチネンタルです。突然皆様に声をかけるかたちになってしまいますが、どうしても伝えておかなければならない事があります。セイラ・アウス・シュテルベン、コンチネンタル聖王国の「聖女候補」についてです……』

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