9.その感情の名は




 ──B組の担任の予告通り、その後も二回ほど脅かし役の教員が現れた。

 一人は純日本風女ユーレイ、もう一人はサイコピエロ風のコスプレだった。こいつら、完全に楽しんでいやがるな。


 俺の手を握ったチェルシーは、その度に教員どもの思うツボなリアクションを取り、サイコピエロの時なんかは危うく幻術魔法を使いかけたので必死に制止した。今となっては、いっそ何かしらの魔法の餌食にしてやってもよかったのでは、とも思う。



 ……で。

 ちょうど池を半周したあたりから、コスプレ教員どもはパタリと現れなくなり。



「……………」



 俺とチェルシーが、ただただ手を繋いで歩いている……という状況が続いていた。


 チェルシーはまだ怯えているようだが……俺は、脅かし役が途絶えてからの方が緊張していた。

 何故なら、繋いだ手の感触をありありと意識し始めてしまったからである。



 くそ……教員どもの悪ノリに翻弄されるチェルシーがあまりにも不憫で、少しでも気持ちが落ち着くならと手を繋いでみたが……

 これ、どれくらいの力加減で握るのが正解なんだ?!

 つーか俺の手汗ばんでない?! キモくない?!

 歩く速度は速すぎないか?! 逆に遅すぎないか?!

 あああもう、考え出したら止まらない!

 だって、こんな……


 ……こんな、細くて小さくて、少し力を入れたら壊れてしまいそうなくらいに繊細で……自分のとは明らかに違う、"女"の手。

 どう扱えばいいのか、わかるはずがない。



 彼女の方をちらっと見る。

 と……恐怖心が和らいできたのか、彼女はにこっと笑って、



「ふふ。こうしていると、咲真さんに手を引かれて展望台に行った時のことを思い出しますね」



 なんてことを言うので、俺は「へっ?!」と素っ頓狂な声を上げてしまう。



「そ、そうか……?」

「はい。少し強引に、有無を言わさない雰囲気で、繋いだ手をぐいぐい引っ張って電車の中に連れ込まれて……どこへ連れて行かれるのかと、ドキドキしました」



 って、それだけ聞くとかなり危ないヤツだな、俺。



「それは悪かった。あの時は、とにかくチェルシーに自由になってほしかったというか、世界を見てほしかったというか……その、無我夢中で。ごめんな」

「いいえ、謝らないでください。普段の優しい咲真さんも素敵ですが……ああいうちょっと強引な咲真さんも、とても素敵です」



 と、チェルシーは繋いでいるのと反対の手で、自分の頬に手を当て、



「そんなお話を昨夜、芽縷さんと薄華さんにしたところ、わたくしは"エム"なのだと言われました。咲真さん、"エム"とは一体、何なのでしょうか?」

「ぶふっ! ……すまないが、それは俺に聞かないでくれるか?」

「しかし、二人には『咲真さんに聞け』と言われてしまいました。咲真さんがそのテのお話にお詳しいと」



 あいつらぁああアッ!! 純粋なチェルシー使って何俺を困らせようとしてんだ!!



「はは……チェルシーはほんと、あの二人と仲良いよな」



 それとなく話を逸らすために言うと、チェルシーは嬉しそうに頷く。



「はい! 昨夜も消灯後にこっそりおしゃべりをしたりして……とっても仲良くしていただいています。思い切ってこちらの世界に来て本当によかったです。それも全て、『こっちの世界では等身大でいて良い』と言ってくださった咲真さんのおかげですよ」



 ふわっと、浮かべた柔和な笑みに、俺は思わず少し見惚れてから、



「……いや、チェルシー自身の力だろう。カラオケで初めて四人顔を合わせた時、『友だちになろう』ってチェルシーが歩み寄ったから……正直、すごいと思ったよ。両親の仇である魔王の生まれ変わりと、その子孫に対して、そんな風に言えるだなんて……」

「いいえ。"だからこそ"、ですよ」



 俺の言葉を遮るように……彼女が言う。



「……咲真さん。昨日、山の中で出会ったあの蝶々……あんな風に、人間による環境破壊や乱獲でその数を減らした生き物が、この世界にもたくさんいるのですよね?」



 突然転換した話題に、俺は驚きつつも「あぁ」と答える。



「わたくしのいる世界にも、人間の身勝手で数を減らした生物が多くいます。そして、それらを保全しようとする動きもある。ですがそれすらも、結局は人間の都合なのだと、ある時気がついてしまったのです。見た目が美しく、人間に害のないものは護る。しかしそうではなく、人間にとって有害であると判断されたものは駆逐する……こちらの世界でも、同じですよね?」



 その質問に、俺は喉が詰まるような感覚に陥り、何も言えなくなる。

 彼女が続ける。



「……皆、等しく尊い命なのに。人間はまるで神のように、その存在を取捨選択する。それは、ヴィルルガルムも同じです。魔王だって、一個の生命体。その生を全うするため、邪魔な人間を排除しようとしているだけ。していることは、我々となんら変わりない。もちろん……お父さまやお母さまの命を奪ったことは決して許せない。けれど、魔王を殺し続ける王家一族の在り方にも……わたくしは心の奥底で、疑問を抱いていたのです」



 そして彼女は、繋いだ手にぎゅっと力を込める。



「だから、わたくしは嬉しかったのです。魔王が、薄華さんという人間に生まれ変わって、しかも芽縷さんという子孫を残すまでにその生を紡いでいることが。やっと、やっと……互いに傷つけ合う運命から解放される。そんな未来が待っているということに、たまらなく嬉しくなって……傷つけ合った過去を取り戻すくらいに仲良くなれたらと、そんな風に思ったのです」



 そこまで言って、チェルシーは「はっ!」と我に返ったように口元を押さえ、



「す、すみません! 偉そうにペラペラと……喋りすぎました」



 と、申し訳なさそうに言った。

 それに俺は、首を横に振って、



「いいや、話してくれてありがとう。実はずっと、引っかかっていたんだ。チェルシーの気持ちを確認せずに、煉獄寺や芽縷と対面させてしまって……仲良くしているようだけど、本当はチェルシーに辛い思いをさせているんじゃないか、って。チェルシーはほんと、すごいよ。そこまで考えていただなんて……尊敬する」



 そう、心の底から思っていることを伝えた。

 すると彼女は、ぽっと頬を染めて、



「そ、そんな……わたくしなんて、全然だめだめで……」

「どこがダメなんだよ。チェルシーと仲良くなれて、煉獄寺も芽縷もきっと喜んでいるぞ? 今日あいつらといろいろ話して、あらためてそう思った」



 しかし、フォローのつもりで言ったその言葉に……チェルシーは何故だか俯き加減になり、



「……実はわたくし、最近なんだか少し、変なのです」



 これまでと打って変わって、暗い声で話し始める。



「薄華さんのことも芽縷さんのことも、大好きです。本当に大切なお友だちです。なのに……」



 きゅっ、と、彼女は胸の辺りを強く押さえて。



「……昨日、富士山を見ながら仲良く話す咲真さんと芽縷さんを見た時……そして今日、ベンチに座る咲真さんと薄華さんを見た時……心がちくりと、痛んだのです。悲しいような、寂しいような、黒くてもやもやした感情が生まれて……何故か、あの瞬間……」



 そして、足を止め、俺の顔を見上げ、



「……わたくしだって、もっともっと咲真さんに近づきたいと……そんな風に思ってしまったのです。今、こうして咲真さんを独り占めできていることも、すごく嬉しくて……おかしいですよね。芽縷さんと薄華さんのことが大好きなはずなのに、こんな気持ちになるなんて。……咲真さん。これは、この気持ちは、一体何なのでしょうか?」



 手を繋いだまま、切なげな表情で、そう問いかけられる。


 ……前も言ったが、俺は難聴系鈍感主人公ではない。どちらかと言えば、他人の機微には聡い方だ。

 だから……

 今、チェルシーが語った感情の名も、本当はわかっている。わかった上で、俺は……

『俺なんかが』という照れ臭さと、認めてしまった先がどうなるのかという戸惑いから、彼女の瞳を見つめたまま、何も言えなくなる。



「………咲真さん」



 繋いだ手が、少し震えている。

 どうする? はぐらかすか? しかし、こんな……

 混じり気のない純粋な瞳を前に嘘を吐くのは、なんだかとても罪なような気がして……


 ドクン、ドクンと、心臓の音だけが耳に煩く響く。

 ああもう。この瞳に、俺は何と答えればいい……?



 ……永遠にも感じられたその時間は………唐突に、終わりを告げた。

 何故なら。



 ──ガサガサッ!!



 と音を立て、近くの茂みから人影が飛び出してきたのだ。


 っしゃあああ来た! 脅かし役の先生!! そうだよ今出ないでいつ出るんだってタイミングだよ!! ナイスティーチャー!!!


 などと、俺は最低だと自覚しつつも、この状況から逃げられることに心底安堵しながら、そちらに懐中電灯を向ける。

 しかし……



「……あれ?」



 飛び出して来たその人物は、おばけやユーレイのコスプレではなく……

 頭にはキャップ帽、夜だというのに黒いサングラス、口にはマスクをつけ……


 ……ギラリと光るナイフを手に持った、おっさんだった。


 ………って?!



「き……きゃぁあっ!」



 ナイフに気づいたチェルシーが悲鳴を上げ、俺は咄嗟に彼女を庇うようにして前に立ち塞がる。

 これは……うちの学生たちを狙った、不審者か?

 声は発さないが、マスクの下の呼吸は荒く、興奮状態にあるようだ。



「さ、咲真さん……」

「……俺が引きつけるから、その隙にチェルシーは逃げろ」



 後ろで声を震わすチェルシーに、俺は囁くように言う。



「来た道を戻って、後ろから来る生徒を止めつつ先生を呼ぶんだ……わかったな」



 俺の言葉に、チェルシーが「でも……」と戸惑いを見せる……と!



「ぅおおおおお!」



 こちらの動きを警戒したのか、おっさんがナイフを振りかざし迫ってくる! まずい!!

 俺は咄嗟に姿勢を低くし、ナイフを振り上げるおっさんの懐に体当たりした。そのまま無我夢中でしがみつく。

 おっさんにとっては予想外の抵抗だったのか、反動でナイフを手から落とした。

 足元に転がる、銀色の切っ先……これを拾われたら、おしまいだ。



「チェルシー! 早く逃げろ!!」



 俺を振り払おうと暴れるおっさんに、必死に抱きつきながら叫ぶ。

 その身体は思ったよりも華奢で、力も強くはなかった。

 このまま、チェルシーさえ逃せれば……!


 ……だが、待てど暮らせどチェルシーが動く気配はない。

 押さえ込みながらチェルシーを見ると……彼女はおっさんを見つめ、ぽかんとしていた。



「何してんだチェルシー!早く、今のうちに!!」

「で、でも咲真さん、それ……」



 チェルシーは、険しい表情でおっさんを指さし……




「…………葉軸田はじきだ先生です」

「………………は?」




 思いがけない指摘に、俺は抱きついているおっさんの顔を見る。


 俺を引き剥がそうと抵抗したためか、帽子とサングラスが外れ、マスクも顎までズレており……

 そこから覗く顔は、普段の丸眼鏡をかけてはいないが……間違いなく、担任の葉軸田節子女史であった。



「……せ、先生……? こんなカッコで、一体何を……」



 頭に疑問符を浮かべながら、掠れた声で尋ねると……先生はわなわなと震え出し、



「……てんめ……さっきから胸、触りすぎだろうがぁぁぁああっ!!」

「えええええええ?!」



 そのままぐるんと背負い投げされ……

 ぼっちゃーんと、見事に、俺は池に投げ落とされたのだった……

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