6.だが断る!!!!




「ちょっ?! っと待て!! 何してんすか?!」



 ドレスの肩紐をスルスル脱いでゆくチェルシーさんに、俺は声を荒らげる。

 しかし彼女は、赤く染めた顔で俺を見返し、



「で、ですから、子作りに励もうと……」

「い、今から?!」

「だって! ……またいつ復活するかわからないヴィルルガルムに備えるため、一刻も早く子をもうけなくては……!」



 そう言って、チェルシーさんは意を決したように、脱いだドレスを床へ落とす。

 現れたのは……想像以上にグラマラスな身体だった。


 コルセット状の下着に押し込められた胸の膨らみが、窮屈そうに深い谷間を作り出している。

 キュッとくびれたウエストから伸びる、艶めかしいカーブを描いた安産型の尻がたまらない。


 うーん、これはたしかに丈夫な子を産みそうで……じゃねぇ!!


 思わず釘付けになってしまったが、そうしている間にもチェルシーさんはこちらへにじり寄ってくる。

 頬を上気させ、潤んだ瞳で「咲真さん……」と名前を呼んでくるので、



「あ、あの! こういうことはもっと、お互いのことをよく知ってから……!!」



 なんて、どこかで聞いたようなセリフを吐きつつ後退りをすると……

 最初に座っていたベッドに足を引っかけ、仰向けに倒れ込んでしまった。いやほんと、わざとじゃないから!


 慌てて起き上がろうとするも……時既に遅し。

 チェルシーさんは俺の上に覆い被さるようにして、四つん這いになってベッドへ上がってくる。



 あらためて近くで見ると、なんて可愛い顔していやがるんだ。長い睫毛に縁取られた緑色の瞳が、まるで宝石のようだ。

 まだ幼さの残る、あどけない顔立ち。そのくせ、重力に負けて今にも零れ落ちそうになっている豊満な胸が暴力的なまでに煽ってくるのだから……もうわけがわからない。天使と悪魔が共存した、恐ろしい身体である。


 そんな彼女の、艶やかな唇が動く。



「……わたくしなんかがお相手で申し訳ありませんが………頑張ります」



 恥ずかしそうに呟いてから……彼女は、俺の下腹部にぺたんと腰を下ろした。

 その、柔らかくて温かい生々しい感触に、俺は「ヒッ」と悲鳴を上げる。


 金糸のような髪を垂らし、チェルシーさんが俺のシャツのボタンに手をかけ始める。

 ふわりと漂う、甘い香り。

 狂おしい程の衝動が、理性を食い尽くそうと暴れ回る。



「……………くっ……」



 だめだ、止めなきゃ。

 しかし押し退けて拒絶するのも、それはそれで失礼な気がするし……

 くそっ、女の子に迫られたことなんてないから、正しい対応の仕方がわからねぇ! つーか目のやり場に困るんだよ、もう!!


 冷や汗をダラダラ流しながら、堪らず目を伏せようとした……その時。



「…………え……」



 俺は、シャツのボタンを外してゆくチェルシーさんの細い指先が、微かに震えていることに気がつく。

 その顔を見上げると……



「…………………っ」



 彼女は、下唇を強く噛み締め………

 目に涙を溜めていた。



 瞬間。


 俺はガバッと起き上がり。

 ベッドの端に追いやられていた毛布を、彼女の肩にかけた。

 突然の行動に、驚いた様子で目を見開く彼女。



「さ、咲真、さん……?」

「……やっぱりこんなの、おかしいだろ」



 俺は毛布の上から彼女の肩をそっと掴み、目を真っ直ぐに見つめ、言う。



「国のためとか、魔王を葬るためとか……そんな理由で、君の身体が道具みたいに扱われていいわけがない。本当は嫌なんだろ? だったらこんなこと、するべきじゃない」



 その言葉に、チェルシーさんは目に涙をさらに溜め、



「で、でもっ! 神託は絶対なのです! 十年前のヴィルルガルムの復活も、神託があったからこそ事前に備えることができた……繰り返される破壊の輪廻から、民を救いたいのです! だから……だから……!!」



 ぽろっ。と、その目から涙が零れた……その時!



「そうですぞ! 神託は絶対! さぁ咲真どの、男らしく姫さまをモノにしてくだされ!!」



 などというしわがれた声が、どこからともなく聞こえてくる。



「だ、誰だ……?」



 声の主を探し、部屋の中をキョロキョロ見回すと……



「ここじゃ」

「どわぁあっ!!」



 突如、目の前にシワシワの猿みたいな顔がぬぅっ、と現れた。俺はたまらず仰け反る。

 これ……部屋に置いてあった猿のミイラ? なんでこんなところに……

 目をぱちくりさせていると、横でチェルシーさんが、「ばぁや!」と声を上げる……って、



「ばっ、ばぁや?! コレが?!」

「コレとはなんじゃ、失礼な!」



 コン! と杖のようなもので頭を叩かれる。

 う、動いて喋った……本当に人間なのか……?

 その、小さくて皺くちゃのばーさんは、床に立てた杖に器用に登り俺の顔を覗き込むと、



「この国の命運がかかっておるのじゃ、咲真どの! 姫さまは、王族に生まれた身として神託に従う義務がある! ヤり方がわからないというのであれば、このばぁやめが手取り足取りお手伝いいたしますぞ! ホレホレ!」

「ふざけんな! そして触るな!!」



 服に手をかけてこようとするばーさんの手を払い、俺はベッドから飛び降りる。

 そしてすぐに振り向き、ばーさんの方をキツく睨みつけると、



「神託? 国の命運? 知るかンなモン! そんな不確かなもので、どうして彼女一人だけが嫌な思いしなきゃならねーんだ! 魔王が攻めてくるなら、みんなで戦えばいいだろ?! 永久に滅ぼす方法を、他に模索すればいいだろうが! 何故、彼女一人に背負わせる?! 俺は子作りなんか絶対にしねーぞ!! だいたいなぁ……」



 すぅ……っ、と、静かに息を吸い込み、



「おっせぇえんだよ! なんで今?! 転移させんなら去年来いよ! 魔王討伐でもなんでも請け負ったわ、去年までの俺ならな!! だが、今は違う! 充実した高校生活が始まろうとしてんだよ! 俺が主役の、ドタバタ青春ラブコメディが幕を開けようとしてんだよ!! そんなタイミングで、誰が異世界になんか転移するかぁぁあああっ!!!」



 シャウトした。

 瞬間、ばーさんとチェルシーさんの目が完全にドットと化す。


 言ってやった。陰キャを怒らせると怖いんだからな、よく覚えておけ。

 俺は荒くなった息を暫し整えてから、チェルシーさんの方を向き、



「ということで。帰るから」

「へっ?! 何処に?」

「決まってんだろ。元いた世界にだよ。ほら、魔法陣用意して」

「はっ、はいっ」



 チェルシーさんはそそくさと魔法陣の描かれた絨毯を広げる。なるほど、この上に乗ればいいわけだな。



「い、いけません姫さま! その男を帰しては……!!」



 とかなんとか、ばーさんが慌てて止めようとするが、俺は無視して絨毯の上に飛び乗る。

 すると、魔法陣から先ほどのように眩い光が溢れ出し、視界を徐々に覆ってゆく。

 口をあんぐり開けるばーさんの横で、戸惑うような表情を浮かべているチェルシーさん。



「……悪いな、協力できなくて。チェルシーさんが嫌な思いをしない方法を、ぜひ見つけてくれ。……それじゃあ」



 最後にそう、言い残して。

 俺は、異世界の国・ファミルキーゼを後にした──






 ──真っ白な光が収まり、ゆっくりと瞼を開ける。と……


 そこは、元いた寮の自室だった。

 窓の外はもう、すっかり日が暮れている。

 足元を見るが、そこに魔法陣はなく、冷たいフローリングが広がるばかりだ。


 ……今のは本当に、現実に起きたことだったのか?

 そう思って自分の身体を見回すと。


 三つ目まで開けられたワイシャツのボタン。

 襟にほのかに残る、甘い香り。


 …………どうやら、現実だったらしい。


 そう悟るや否や、強い後悔の念が俺を襲う。

 ああ、なんてもったいないことを! オタクなら誰もが一度は憧れる『異世界転移』というシチュエーションを、カッコつけてフイにしちまった! 『子作り』とかいうパワーワードにビビって、さっさと帰ってきちまった! バカ! 俺のバカ!! もっと魔法の世界を楽しんでくればよかったのに!!


 ………だが。



「…………………」



 あの、可愛らしいエルフのお姫さま……チェルシーさんが流した涙を思い出す。



 これでよかったんだ。

 あの世界にいたら、彼女をもっと悲しませていたかもしれない。あのばーさん、何が何でも俺と彼女をくっつけさせたい雰囲気だったからな。

 無責任かもしれないが、そもそも責任を負う義務もない。

 強大な魔力? そんなモン、俺にあるわけがないだろう。

 案外、美人局つつもたせ的な何かだったかもしれない。やはり断って正解だったな。うん。そう思うことにしよう。



 一人で何度も頷いて、無理矢理納得し、異世界転移への未練を断ち切ろうとする。が……

 ……うう、でもやっぱ、一回くらい魔法ってやつを使ってみたかったかも……


 と、またずるずる後悔に飲み込まれそうになっていると、ベッドの上に置き去りになっていたスマホが鳴った。その画面には、



『こんばんは♪ 芽縷です。さっそくなんだけど、体験入部どうしよっか? 咲真クンはどこか見てみたい部ある?』



 芽縷からのラインヌだ。本当にきた。体験入部の件、社交辞令じゃなかったのか。

 さらに続けて、煉獄寺からのメッセージも届く。



『や。今日はありがとう。またゲーセンでフィギュア乱獲してね』



「乱獲って……」



 独特な言葉選びに苦笑するが……その後送られてきた『魔法少女☆マジキュア』のスタンプに、思わず頬が緩んでしまう。



 そう。

 ここが、俺の生きる世界だ。

 まだ始まったばかりの、新しい世界。



 アニメの主人公みたいにモテモテハーレムを形成できるとは思っていないが……女子とも普通に仲良くできて、それなりに充実した高校生活が送れれば、それでいい。



「……やべ。飯の時間だ」



 スマホに表示された現在時刻に気づき、慌てて部屋を出る。夕飯を食べ損ねる前に、食堂へ行かなくては。

 俺はもう一度だけ、ラインヌの画面を眺めてから。


 さて、二人になんて返信してやろうかと、贅沢な悩みを抱えながら、食堂へ向かった。




 * * * *




 ──そうして、高校生活最初の週末がやってきた。


 さすが都内でも有数の進学校、一週目から宿題がどっさりだ。

 それを少しずつ消化しながら、芽縷や煉獄寺とラインヌのやりとりをする。実に理想的な高校生男子の休日である。


 しかし、ふとした瞬間に……

 ついチェルシーさんのことを思い出してしまう。


 その度に、俺は頭をぶんぶん横に振る。自分から断ったくせに、何を未練がましい。

 でも……やっぱり、少しだけ……



「……心配、だな」



 なんて、今さら心配する資格なんかありはしないのに。

 そんなどこかモヤモヤとした気持ちを抱えながら、特に何もない休日が過ぎていった。




 * * * *




 ……で。

 悶々としすぎて、あまり眠れなかった俺は……



「………寝坊した……」



 月曜日の朝。

 新しい一週間の始まりを、俺は真っ青な顔で迎えた。


 スマホのアラームは鳴っていたはずだが、いつの間にか消していたらしい。

 寮の前で登校の待ち合わせをしている芽縷から何通もラインヌが来ており、『もう、先行っちゃうからね!』という最後のメッセージが十分前に届いていた。


 今から全力で走って向かえば、朝のホームルームに間に合うか。二週目から早速遅刻だなんてごめんだ。

 俺は壁にかけてあるハンガーをひったくり、大急ぎで制服に着替えた。



『ごめん。寝坊した』と、駅までの道を走りながら芽縷に返信をする。

 ゆるいネズミのキャラクターが手を合わせ申し訳なさそうにしているスタンプを送ると、可愛らしいネコが『OK!』と手で丸を作っているスタンプが返ってきた。

 見よ、この見事なラリーを。土日ですっかりスタンプマスターになったぜ。


 なんて言っている場合じゃない。俺は全力で走って電車に飛び乗り、駅から高校までの道のりを再び走り……


 そうしてなんとかチャイムとほぼ同時に、教室へ滑り込むことに成功した。



 荒い息で扉を開けた1―Aの教室は……やけに静かだった。

 今しがたチャイムが鳴ったばかりだというのに、クラスメイトたちは既に全員席に着いていて、黙って黒板の方を見ているのだ。

 つられるように、俺も教室の前方を見遣る……と、その光景に。


 俺は、絶句した。



「おう、落留ー。早く席に着けー。転入生を紹介するから」



 教卓の前に立った担任教師が、俺に向かって言う。

 その横に立っていたのは……



「じゃあ、あらためて。自己紹介をどうぞ」



 という担任の言葉に、その傍に佇む人物が一歩前に出てる。

 そして、




「はじめまして。今日からこの亜明矢学院高校でお世話になります、ルーチェ・ルーシァ・ミストラディウスです。みなさま、どうぞよろしくお願い致します」




 艶やかな金髪。

 宝石のような瞳。

 人間離れした美しい顔。

 そして……長く尖った耳。


 異世界の国・ファミルキーゼの姫君……

 チェルシーさんが、制服を着て、そこに立っていた。



 教室の入り口で固まる俺に気がつくと、彼女は……

 にこっ、と無邪気な笑みを、こちらに向けた。


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