第16話 

 幕の外に目を凝らし、灰色に混じる白い瞬きに確信する。

 ――やはり……、この妖気、金属性を孕んでいる……!

 妖気は属性が塗り潰されるほど穢れ、相克も相生も起こらない。

 だが、ごく稀に属性が残った妖気が存在し、妖気でありながら相克や相生を引き起こす。そして、その妖気を持つ妖獣は、霊獣だった頃から霊格が頭抜けて高い。

 つまり、今回の妖獣は、元々が強力な金属性の霊獣であり、木属性の者に強い相克を引き起こす存在――、風狼斎にとって、とてつもなく相性の悪い相手ということだ。

「ほう、属性が残ってるじゃねェか!」

 弾んだ声に視線を移すと、風狼斎は楽しそうな笑みを浮かべて妖気を眺めていた。

 ――この御方は、状況を理解しておられるのか!?

 まるで、珍しい蝶や小鳥を見かけたような表情に焦りだけが大きくなる。

「この妖気でも潰れねェか……。コイツはいよいよ、ってとこだな……」

「金属性です! ここは自分が……!」

「そんな気負わねェでいい。予想の内だ」

 風狼斎の指先で、木ノ斗の符が碧に瞬いた。

「ご苦労だったな、圭。防御を解除してくれ。少しばかり確かめたいことがある」

「は……、で、では……」

 躊躇いながらも防御幕を解除すると、符から姿を変えた木刀に碧が灯った。

 碧に輝く霊気が周りで揺らめき、飛来した刃が碧の光を突破できずに地面に転がり落ちていく。同じ防御幕のようだが、かなり変則的だ。風狼斎独自の術なのかもしれない。

「動くなよ?」

 木刀から生じた碧の波動が圭吾の脇を抜けて背後の森へと飛び去った。

 風狼斎は続けざまに頭上へ向けて木刀を大きく振るった。

 一筋の碧が波のように広がり、数十の刃を呑み込んだ。碧の波動の中で刃は勢いをなくし、木の枝に変わってパラパラと落ちてくる。

 妖獣が相克の関係の木々を侵食し、刃と化して操っているのはわかったが、それをどうやって解呪したのか――、こんなに近くで見ていても、まるでわからない。

 油断なく木々を見渡していた碧の瞳が、一点で留まった。

「そこか……」

 呟き、繰り出された木刀から碧の光弾が伸びる。

 金属が軋むような音が妖気に沈んだ木々の向こうから届き、葉を揺らした。

「なるほど……、そろそろ本気でかかったほうが良さそうだな……」

 穏やかだった碧の瞳が獰猛な獣のように鋭い光を宿した。霊気が攻撃的に燃え、それまでと別人のような威圧感が吹きつける。

 ――臨戦態勢……!? 今からか!?

 自分が大きな勘違いをしていたことに気づき、戦慄する。

 ここに来るまで、風狼斎は戦闘態勢にすら入っていなかったのだ。

 圭吾の渾身の一撃を止めた時も、宵闇が攻撃してきた時も、風狼斎にとっては平時とさほど変わらない力しか出していなかったということになる。

「班長……、先ほどは、何を……?」

 たったそれだけを問うのにひどく緊張した。

 碧の瞳も、焦げ茶の髪も、黒い装束も、それまでと同じなのに――、全く知らない存在がそこにいるような気がした。

「この妖変の根源に挨拶をな……。だいたいの事情はわかった」

「事情……、ですか?」

「おそらく、例の里に穢れが流れ込んだのは……」

 灰色が急激に濃くなった。

 つむじ風が吹き込んだように周囲で妖気が渦巻き、木々が妖気の海に沈んでいく。

(この妖気量……、尋常ではない……!)

 一体の妖獣からこれほどまでの妖気が放出されるなどと、聞いたことがない。

 ――まさか……、「奴」か……?

 風狼斎が本気になるほどの相手として、まず浮かんだのは、「奴」の存在だった。

 「奴」が力を与えた妖獣ならば、これだけの妖気を持っていても不思議はない。

 だが、本当に「奴」が絡んでいるのならば、風狼斎は真っ先に告げるはず――、

「ここはオレがやる。お前は掩護に徹しろ」

 日頃と変わらない口調で言い、風狼斎は軽く木刀を構えた。

「命令だ。耐えられなくなったら退け。いいな?」

「なっ!? い、いくら御命令といえど、そのような真似、できるはずが……!!」

 とんでもない命令に憤慨すると、碧光が縁取る右手が軽く肩を叩いた。

「じきに意味がわかる……。ひとまず、頷いといてくれればいい」

「は……、こ、心得ました……」

 あまりにもない行動に、反論も霧散して頷いた。

 風狼斎は笑みを浮かべて頷き、森の奥へ向き直った。

 ――班長……?

 妙な胸騒ぎが襲った。

 まるで、別れを告げられたような気がしたが、考える間はなかった。

 ざわざわと音を立て、瞬くうちに木々が妖気に染まっていく。

(何が……、起きている……?)

 灰色に染まった葉がごっそりと抜け、末端の枝が朽ちるように折れていく。小さな骨が砕けるような音がいくつも重なり、静かな森に響いた。

 これまでと異なり、明らかな殺気を感じる。しかし、どこから向けられているのか、見当もつかない。

 地面に落ちることなく宙に浮かんでいた葉と枝が風に煽られたように、ぶわりと舞い上がった。

 ――来る!

 咄嗟に張った防御幕に突き刺さったのは、無数の灰色の薄い刃と大小さまざまの錐だった。

(枯れ木ではなく、を刃化しただと……!?)

 相克の関係の妖気ならば、木霊ごと支配するのも不可能ではないのかもしれない。

 だが、あまりにも規模が大きすぎる。

 妖気に染まった木は一本や二本ではない。

 圭吾の視界にある木が全て灰色に染まり、木の葉や枝が抜けては宙を舞い、刃の雨を降らせているのだ。

(班長! 班長は……!)

 幕の向こうは刃の土砂降りだ。僅か十歩ほどの距離にいるだろう風狼斎の姿さえ見えない。

 足元に妖気を感じた気がした。

 咄嗟に飛び退き、刃を振るう。かわしきれなかったのか、左足に鋭い痛みが走った。

「な……」

 防御幕の及ばない地面から襲ったモノに、目を疑う。

 それは、真っ直ぐに伸びた細長い刃だった。斬り落としたばかりの刃の先端部分が地面に転がり、元の姿に戻っていく。

(根……? 木の根までもを支配下に置いたというのか……?)

 いくら相克とはいえ、一介の妖獣が、これほどまで完全に木々を支配下に置けるはずがない。

 例の銀狐の里の里長や、その一族の者が妖獣化したとでもいうのだろうか――?

 ――いいや、違う……

 妖獣化したところで、霊格はさほど変化しない。妖獣が恐れられるのは、その能力の暴走と猛毒に等しい妖気だ。

 隠れ里の長が妖獣化したところで、これほどまでとんでもない真似をできるはずがない。

(ならば……、いったい……、攻撃されている……!?)

 風狼斎は「本体は別にいる」と言った。

 つまり、この攻撃は妖獣によるもの。それだけ、とんでもない妖獣がこの森の中に潜んでいるということだ。

(そんな化け物……、どこから……)

 足元で妖気が渦巻いた。

 咄嗟に防御幕を解除し、大きく跳ぶ。

 圭吾が立っていた場所に二十を超える刃が突き上げていた。

 僅かでもかわすのが遅れていたら、串刺しだっただろう。

 頭上と背後でざわりと葉が舞う音が聞こえた。地面では、圭吾が動きを止める瞬間を待っているように妖気が流れていく。

 ――どうする!?

 防御幕で頭上を防ぎ、突き上げてくる刃を相手にするか、それとも、このままかわし続けるか――。

 一瞬の迷いを見透かしたように、前後左右で灰色の刃が反転し、地面で妖気が蠢いた。

 勢いよく飛び出した刃が明るい光にへし折られ、視界を橙の光が染める。

(この光は……!?)

 圭吾の周りだけでなく足元までもを包んだ橙の球状の幕に、木の葉や錐がことごとく弾かれた。

「……太常……?」

 唐突に出現した球体の正体とその術者に思い至るなり、頭が真っ白になった。

「は、班長! ご、ご無事ですか!?」

 己の防御に手いっぱいになり、主を守るどころか、その安否すら確認できずにいたなどと――、主君に斬りつけたと同等以上の失態だ。

「ああ、無事だ」

 いくらか離れた場所から静かな声がした。

 無事らしいことに胸を撫で下ろす。

「太常の中から動くな。そのまま待機していろ……、命令だ」

「なっ!? この状況下で……!」

 ありえない戦場での待機命令に、慌てて主の姿を探し――、体が強張った。

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