第28節 -凪の後には嵐が来る-

 9月8日の昼下がり。

 ある建築物から繋がる地下の奥地にある部屋ではアルフレッドとベルンハルトの2人がタールのきつい煙草をくゆらせながら、グラスに注いだそれぞれのお気に入りの酒を傾けて愉しんでいる。

 しかし、その中に1人。事情を知らない傍から見ると、彼らと共にいる状況が場違いだと思われてしまうような人物の姿もそこに混ざっていた。

 彼女はあからさまに不機嫌な顔をして部屋の片隅で不貞腐れながらアイスクリームを食べている。

 桃色ツインテールと世にも珍しい紫色の瞳が特徴的な少女の姿がそこにはある。

 何があったのか、お気に入りと思われるデフォルメされた造形の鶏の鞄にはバツ印の絆創膏のようなものが貼られており、やけにしょんぼりしているようにも見える。


 どれほどの時間が経過しただろうか。途中から意識するのも面倒くさいほどの時間が経過していた。時を遡れば2日ほど前からずっとこの有様である。

 触らぬ何やらに何とやらと思い意識的に留めないようにしていたが、さすがに黙り込まれたままずっと居座られると落ち着かない。何事にも限界があるというものだ。

 忍耐強さには自信があるほうだが、そろそろ音を上げても良い頃合いだろう。

 彼女に対する警戒心のおかげでせっかくの酒と煙草の味もまったく楽しめない。アルフレッドはどうしてこんなことになっているのかよく分からない状況を変える為に渋々彼女に話し掛ける。

「お姫様よぉ、何があったか知らねぇがいつまでそうしてるつもりだ?」

 彼女からは返事は無い。

「6日の朝からずっとその調子じゃねぇか。そろそろ…」

「女の子には1人きりになりたい時があるのよ。」少女はむすっとした顔でようやく返事をする。

「ここに来たら常に3人になるだろうが。1人になりたいなら相応しい場所がどこにでもあるだろうに。」

「うーるーさーいー!何よ何よ、私がここにいたら邪魔っていうわけ?」

 彼女の問いに返事をする代わりにアルフレッドは大溜め息をつく。

「ちょっとぉ!どうして否定しないのよ!大スポンサー様の前でそういう態度をするのは、めっ!なんだからね!」

「はいはい、承知承知。重々承知。わかってるよ。」この状況下でとても旨いとは言えない煙草の煙を吐き出しながらアルフレッドは言った。

「もう!アルフレッドのばーか!っで?くまさんはどう思うのよ。私がここにいたら邪魔?」少女は目の前のソファでくつろぐベルンハルトにしかめっ面を向かって言う。

「姫さんがそこに居たいなら居てもいいんじゃねぇか?」目を合わせないようにベルンハルトは答えた。


 大きくて熊のような見た目をしているからか、彼女からはよく “くまさん” と呼ばれる。名前で呼ばれることもあるが、どちらかというとそう呼ばれる割合の方が高い。

 ちなみに先程目を合わせないようにしたのは、ただ恐怖心があるとか警戒心があるからとかいう問題ではない。それ以上に目の前にいる彼女を直視できない切実な理由がある。

 彼女は自身の目の前にある高めの椅子に足組をして座っているが、履いているスカートが短すぎて正直目のやり場に困るのだ。

 先程から定期的に足を組み替える仕草をするから尚更にそちらを向くことが出来ない。スカートの中を覗いたなどといちゃもんを付けられて殺されるなど恥辱以外の何ものでもない。死んでも死にきれないだろう。

 自分のような人間がこんな細かいことに気を使うなどと、悪党とは一体何なのだろうと心から思う。


「2人ともさぁ、目の前に落ち込んでる絶世の美少女がいるんだからもう少し優しくしてくれてもいいじゃない?励ますとかさ?」

 自分で言うな。それに先程までは一貫して “話し掛けるな” という空気を自ら醸し出していたではないか。アルフレッドは心底そう思ったが顔には出さないようにする。

「今、自分で言うなって思わなかった?」アルフレッドへ視線を戻して少女は言う。そして手近にあったウイスキーのボトルを両手で掴むとグラスに注がずにそのまま口を付け一気飲みをした。

 思うだろう、普通。そう心の中で念じながらも口先では真逆のことを言っておく。

「思わねぇよ。…おい、それを一気飲みしてると焼けるぞ。やめとけ。」

「何よぉ。良いじゃない。ぴえん。今の私を癒してくれるのはこの喉と躰を焼くようなチリチリした痛みだけなのよおぉよよよよ…」

 いつの時代の流行だ。10年前か、20年前か。その単語はネットのとあるサイトで流行していたものだと記憶している。

 真面目なのかふざけているのか分からない。いや、ふざけていると見た方がいいのかもしれない。

 自棄酒…をするにしては相当年齢が足りていないように思えるが、見なかったことにするとしよう。この女が見た目通りの年齢かどうかも知らなければ、飲んだ結果どうなろうと知ったことでは無い。

 いずれにせよ、こんなことを悪人に考えさせるガキもこいつくらいのものだろうと思う。

 …しかし厄介だ。あの少女はこちらが思ったことをいちいち見透かしているような節がある。今しがたのやり取りは見逃された感があるが、それ以上の迂闊なことを考えればそれは即ち “死” に直結する可能性だってある。

 正直な所、彼女がこの場に居て邪魔というわけではない。いつ何をしでかすか分からない恐怖こそあるが、そんなのは二の次だ。

 目下、自分達が企てている明日の計画について知られると面倒くさいから困っているのだ。


 その計画とは “アヤメ・テンドウを殺害すること” である。


 明日はコロニア市内で小規模ではあるが《国際文化交流フェスタ》と呼ばれる催しが開催される。その為アヤメの通う学校は臨時休校となり、さらに朝から彼女が1人で遊びに出掛けるであろうことを知っている。

 奇跡の少女などという立場が立場なので護衛の警察や政府の監視役が付きまとうだろうが、それを嫌う彼女は彼らを撒く為に裏通りを中心に歩くだろう。それを狙って始末しようという魂胆だ。

 今の今まで何も手出しをせずにおいたのも全てはこうした時を想定してのことである。

 監視の目が届かない場所からの狙撃で片を付ける手筈ではあるのだが…

 だが、今目の前にいるこの女がそれを良しとするはずがない。なぜならアヤメと自分達やその周囲を取り巻く組織のやり取りを外側から傍観したり引っ掻き回したりするのが奴の楽しみであるからだ。

 だからこそ奴は、この事件の中心にいるアヤメという少女の退場を望むはずがない。決して勘付かれてはならない。

 計画が露見してしまえば自分かベルンハルト、又は双方に危害が及ぶだろう。良くて手足の1~2本、悪ければ首が飛ぶ未来まで想定できる。

 つい先日の警察官襲撃事件もそうだ。今までじっと息を潜めていた自分達に容疑が向くようなことを唐突にやってのけ、警戒をあげるような真似を平然としてくる。特に意味はない趣味の狩りだなどとほざいていたが、それが真意かどうか怪しいところだ。

 思うことが見透かされることがなんとなく分かった以上、なんとかやり過ごす為にも早々に出て行ってほしかったのだが…これ以上しつこく出て行くように促せばそれはそれで怪しまれるか、機嫌を損ねるに違いない。

 こうなれば適当な話をして放置しておく方が却って安全だ。

 そう考え、あとは特に何も言うことなく気持ちを無にして天井を眺めつつ再び酒を傾けた。



 一方、自棄酒をして不貞腐れる振りをしながら注意深くアルフレッドとベルンハルトの様子を観察したアンジェリカはある考えに至っていた。

 2人は何かを隠している。その確信が掴めたのだ。

 ロザリアやアイリスほど相手の心を読み取る技術に長けているわけではないが、感覚程度なら自分にだって真似事は容易い。

 エニグマ《謎》。その力によって自分にはあの島にルーツを持つ “能力者全員の能力” の一部をある程度コントロールすることが出来るのだ。

 マリアの未来視、ロザリアの記憶読取や人形作成、アイリスの感情共有はもちろん。イベリスの光の祝福とて例外ではない。

 そんな力を応用して彼らから読み取った考え、計画、隠し事とはおそらく “アヤメの殺害”。

 差し詰め奇跡の前にアヤメを亡き者にして、奇跡自体が起こらなくしてしまおうという美学の欠片もない計画を練っているのであろう。

 確か明日は彼女の通う学校は休校日だったはずだ。付近で開催される催し目当てに1人で遊びに出掛けるであろうことも容易に想像できる。

 アヤメは “特別” だ。あれだけの騒ぎを引き起こしている張本人ながら、あの少女は今のところどんな組織からも一定条件の元で自由を確約されている身である。

 警察や政府の護衛がついているとしても単身で催しを楽しみに出掛けることが制限されているわけではない。

 表通りに人が集まり、普段以上に人気が少なくなる裏通りで殺害してしまうことを想定するならまたとないチャンスとなることは明白だ。

 警察や政府の護衛を嫌う彼女が、彼らを撒く為にそこに立ち入ることは自明の理なのだから。


 ウイスキーで酔った振りをしつつアンジェリカはベルンハルトに話しかける。

「ねぇ、くまたん?ぁたし、やっぱりここにいたら邪魔かな?ひぃっく。」

 わざと見せつけるように身体をひねってすり寄り、甘ったるい声で縋るように囁く演技をしてみる。

「だから、居たいなら居ても良いって…言ってるだろうに。」

 ちょろい。自分へ抱いている恐怖心に加えて、目のやり場に困っているところに欲情を煽るような態度を取ればこの通り。人間の男の持つ “本能” に抗うことはよほど難しいものなのだろう。

 こうすることで心のガードは崩れ、随分と本心が汲み取りやすくなる。その手のことに限りなく興味が薄そうなアルフレッド相手ではこうもいかないがベルンハルトが相手なら容易い。

 計画はほぼ間違いない。きっと2人は自分にその計画が知られることを恐れているのだろうが、自分としては咎めたりする考えも無くそれはそれで “面白い” と思っている。

 前哨として警察官2人を襲って彼らに嫌疑が向くような振る舞いをしてみたが、その時の焦りようもなかなかのものだった。

 実際にアヤメが殺害されてしまうのは楽しみが無くなってしまうので御免被りたいが、その計画があらぬ方向へ転がることによって慌てふためく各組織の滑稽な動きを眺めるのは最高に楽しいことだろう。

 どうせ楽しむなら何か… “誰にも予期できないハプニング” があった方が良いに決まっている。

 少しばかり良い案が無いかを考える。



 あった。



 彼だ。

 機構に在籍している例の青年。フロリアンといったか。ハンガリーの地でマリアと随分親しくなっていた彼をアヤメの騎士役にして護衛させよう。それは目の前の2人にとっては予期せぬハプニングでもあるし、元々殺害計画に一切関係のない機構という巨大組織を巻き込むにもうってつけの方法だ。

 それに警察と政府の監視を撒いて行動するはずの彼女を彼に引き合わせるのは大して難しいことでは無い。

 そうすればアヤメの殺害を防げるという “未来が視える” し、何よりマリアをお姉様と慕う彼女に対し、マリアにとっての特別な人であるフロリアンを引き合わせるのはきっと色々な意味で “面白い” に違いない。

 彼女に渡したデータにもそのことはデータとして収録していたのだから、彼女としても意識せざるを得ないだろう。

 さらに、この計画については自ら手を下す側ではないのだから怖い怖いヴァチカンの彼女に先日のような酷い目に遭わされる心配もいらない。

 遠くから眺めているだけで楽しい楽しいショーの開幕だ。

 あとは政府でも警察でもヴァチカンでも機構でも良いからマルティムと互いに抗争でも始めてくれればこのショーはより一層楽しめる寸劇となることだろう。


 最高の計画だ。

 アンジェリカは手に持ったボトルに残るウイスキーを飲み干し、空き瓶をテーブルに置いて立ち上がりながら言った。

「よいしょっと☆落ち着いたからそろそろ出掛けることにするね。」

「落ち着いた?酔っただけじゃないのか?大丈夫かよ?」


 ウイスキーのボトルを僅かな時間でほぼ丸々一本飲み干した少女を見やってベルンハルトが言う。いなくなってほしいとは思うがある意味では心からの心配でもある。

 自分の発した言葉がおかしいということをベルンハルトは知っている。

 “落ち着いた” だって?ボトル一杯に入ったアルコール度数45度の酒を5分足らずで一気飲み…など正気の沙汰ではない。自殺行為に等しい。いや、間違いなく自殺行為だ。

 まともな人間なら今頃は急性アルコール中毒で昏睡状態である。血中アルコール濃度は危険域を軽く突破しているはずで、とても “酔った” などという言葉で済む話ではない。

 この体格の少女がそんな飲み方をすれば今頃は脳全体が麻痺して喋ることはおろか、まともに立ち上がることすら出来るはずがないのだ。

 脳からの信号が途絶えた筋肉はまともに機能せず、体の上からも下からもありとあらゆるものをぶちまけながら静かに死を待つしか無くなる。

 だが彼女にそんな様子は1ミリも無い。目の前に立つ女の異常性を改めて確認して背筋に悪寒が走る。

 正気で立っていられるはずのないはずの少女は先程より明らかに元気を取り戻した様子で言った。


「ありがとう、 “本当は優しい” くまさん☆でも平気平気!気が向いたらまた遊びに来るね~、ばいば~い♡」

 その言葉を言い終わるか否かというタイミングで少女は霧のように紫色の粒子となって散りながら姿を消し去り部屋から出て行った。

 小康状態だった嵐が過ぎ去り、部屋には穏やかな静寂が戻る。

 完全に彼女の気配が消え去ったことを確認したアルフレッドが口を開く。

「あれは一体何なんだ?」

「さぁて、俺には皆目見当もつかねぇ。」

 先程自身が思っていたことと同じことをアルフレッドも感じていたようだ。緊張の糸がほぐれたことからくる溜息と共に返事をする。

「まぁいい。明日の件を奴に連絡しておけ。抜かりなく、な。」

 アルフレッドから指示を受けたベルンハルトはニヤっと笑みを浮かべながらスマートデバイスへ手を伸ばすと、ある人物に向けて電話をかけた。


                 * * *


 警察内部の個人オフィスの中である人物からかかってきた電話を切ったウォルターは、翌日の作戦に向けて部下へと連絡を入れた。

「もしもし、私だ。明日の件についてだが失敗は許されない。良いか、必ず “仕留めろ”。」

 そう言って電話を切ったウォルターは机の上にスマートデバイスを置いた。

 ついにこの時が来る。機会を窺って待ち続けた日々は無駄ではなかった。


 全てはこの国の安寧の為に。この国の未来の為に。やるべきことは定められている。


 早鐘を打つ心臓の鼓動を感じつつ、気分を落ち着かせて努めて冷静に思考する。

 静かに目を閉じてこれまでのことを思い返す。大丈夫だ。準備に抜かりはない。

 後はその時が来るのを待つだけだ。しかし最後の詰めの確認だけは綿密に行っておくべきだろう。それも電話などの通信手段は用いずに直接会って話をするべきだ。

 ウォルターは意を決して外出用のジャケットを手に取り、スマートデバイスをポケットへ仕舞うと今回の計画に携わるある人物と最後の詰めの確認を行う為にオフィスの外へ出た。


 第五の奇跡より前。明日の出来事が今後の明暗を左右することになる。

 廊下の向こう側を真っすぐと見据え、毅然とした態度で歩くウォルターの目に迷いは無かった。



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