第22節 -いつか見た星空-

 目の前に広がる広大な空。どこまでも青く透き通るような深い青色の空が一瞬で暗く変わりゆく。やがてほのかな月明かりが差し込み、満点の星空が浮かび上がった。


 先程上映が始まったプラネタリウムを玲那斗とイベリスは眺めている。少し仰向け気味に着席できる椅子に座りドームの天井に映し出される幻想的な星空を見つめる。

 輝く夜空を際立たせるようにドーム内にはヒーリングミュージックや、星々について解説するアナウンスが流れる。

 もう間もなく、ミクロネシア連邦の船乗りたちに語り継がれるという星座コンパスについての紹介が始まるはずだ。


 宇宙という広大な空間の中に煌めく無数の光。

 地球という大地に立って見つめるそれらの光は人の世界では到底想像もできないような過去に輝いた光である。

 その一つ一つが寄り添い広大な夜空という黒いキャンバスを彩る。

 そうして描き出された星空を眺めながら世界中の人々はいつの時代もそれぞれが抱く思いを馳せてきた。

 数百年前よりずっと昔。千年より以前からずっと。リナリア公国が存在していた当時も含めて。

 浮遊する空間の中で星座を眺めているような錯覚を覚えながら、玲那斗はふと自分の隣に座る彼女へと目を向けた。

 誰よりも星空を愛し、誰よりもその輝きを見つめることを望み、穏やかな世界が永続することを誰よりも願った少女。

 暗いドーム内では時折しか彼女の表情を見ることは出来ない。明るい星の輝きがドーム天井に投影された時にイベリスの様子が一瞬見えたが、それは玲那斗にとっては予想外の光景であった。


 彼女は泣いていた。

 頬を伝う一筋の涙。


 きっと悲しくて泣いているというわけではない。彼女の中にある記憶と目の前の景色が重なって見えているのだろう。

 玲那斗は視線をドームの天井へと戻す。

 投影される幻想的な星空は1年と少し前、彼女と初めてリナリア島で出会った時に夢の世界で見た星空とよく似ていた。

 自分達だけが持つ王家の石を重ね合わせ、千年にも及ぶ長い夢幻を終わらせたあの日。

 夢の世界で彼女と寄り添い、手を繋いで誓った。


 彼女はそのことを思い出しているのだろうか。それとも、千年前に見た現実世界の星空を思い出しているのだろうか。

 楽しい思い出も、嬉しい思い出も、悲しい思い出も、辛い思い出もきっと全てその記憶と共にある。

 彼女にとっての星空というのは自らを形作る世界そのものといっても過言では無いのだろう。


 玲那斗は夢の世界で彼女と共に見た景色と、今目の前に広がるプラネタリウムを重ねながらこれまで彼女と過ごしてきた日々のことを想った。


                 * * *


 大統領執務室でジョージとウィリアムが机を挟んで向き合い座る。

 この数日に起きた出来事や新しく入手した情報をウィリアムからジョージに報告している最中だ。

 薬物使用や売買による新たな逮捕者の件数の報告や新型薬物グレイの被害状況。さらに例の奇跡に関する手掛かりが見つかったかなどについての話をしている。

「ウィリアム。彼らはどうだ?」ジョージが問う。

「機構からの情報ですが、例の奇跡の件についてはアヤメ・テンドウ本人がもたらす影響によるものが全てだという報告が入っています。」ウィリアムが答える。

「具体的には?」

「はい。我々やヴァチカン、テンドウ夫妻との会合による情報収集の翌日から本格的な調査を再開し、ポーンペイ大聖堂跡地とナン・マドール遺跡を重点的に調査したようです。結果、土地そのものに奇跡と密接に関わるような因果は何も見受けられなかったという確定情報が入っています。」

「自然現象では決して有り得ないということが裏付けされたわけだな。」

「その通りです。」

 ウィリアムの報告を聞いたジョージは幾度か頷く。その後に兼ねてから懸念していると公言している話について触れた。

「警察の動きはどうなっている。」

「目立った動きはありません。現状は積極的に動いている様子はなく、どちらかというと機構やヴァチカン、我々の動きを見ながら静かに捜査を進めているように見えます。また、機構のモーガン中尉より警察からは必要な情報の開示がなされていないのではないかという懸念がこちらに伝わってきています。実際、先日の路地裏の事件に関する詳細の開示はされなかったようで、そのことについて警察へ協定を順守するよう求める意見を送ったとのことです。」

「やはりか。先日の件についてはこちらから情報を流して正解だったな。警察については我々政府に対する態度も同様なのだ。意見を伝えたところで効果はないだろう。仮にこちらから働きかけても何が変わるというわけでもあるまい。イサム中佐の気が変わらない限りは。」


 そう言うとジョージはソファから立ち上がり窓際の方へ歩いて行く。ウィリアムも同様に立ち上がり後ろへついて歩いた。

「先日、マークתのメンバーがアヤメ・テンドウに接触した際に我々は警官の護衛を完全に退かせろと警察へ打診した。機構の彼らが何か有益な情報を入手できれば事態が好転する可能性があるからだ。しかし、警察は現地警官を完全に退かせることは無くその後も遠目から “観察” をしろという指示を改めて下していた。政府の意向を無視してだ。結果として彼女の逆鱗に触れることになったようだが…どうにも彼ら警察の思惑というものが私には理解できない。彼らは本当に今回の件について解決する気で動いていると思うかね?君はどう思う。ウィリアム。」ジョージが心の内に思っていることを言葉にして伝える。

「イサム中佐は連邦警察の中でもトップクラスの捜査能力を持つお方です。何か独自のお考えがあっての行動だとは思いますが、正直私にもどういう考えをもっているのかまでは分かりません。彼らは守秘義務という名目を用いて何も答えませんから。」

「ウィリアム、機構へは今後も情報提供を惜しむことなく協力をしてあげたまえ。そして可能な限り “彼らからも情報提供を受けて欲しい”。警察の動きが当てに出来ない以上、我々は我々のやり方で問題解決に向けて動かねばならぬ。」

「そのように致します。」

 二人が話を終えた時、ジョージのスマートデバイスが誰かからの着信を告げ始めた。

 デバイスを手に取り誰からの着信なのかを確認したジョージは大きな溜息をつく。そしてウィリアムへ言った。

「すまない、少し長い電話になりそうだ。話はまた後にしよう。一旦席を外してほしい。」

「承知しました。あまりご無理はなさらぬよう。」

「ありがとう。」ウィリアムの返事を受けてジョージは礼を言う。

 指示を受けたウィリアムは深々と一礼をすると後ろを振り返り扉へと向けて歩いた。

 そして再度一礼をして大統領執務室より退室した。


 執務室から退室したウィリアムは廊下に出た直後に執務室の扉を振り返る。

 ここ最近、大統領は誰かと電話で長話をする機会が多くなったように思う。誰と会話しているのかは分からないが、電話をするたびに疲れたような表情を浮かべているのが妙に気になる。

 元々今回の件について無理をされている身だ。これ以上の心労を抱えてもらいたくはない。

 そう願ってはいるが現実は難しい。

 ウィリアムはただ事件の行く末が良き結末に向かうことだけを願ってその場から立ち去った。


                 * * *


 プラネタリウム観賞を終えた玲那斗とイベリスは入館時に通り抜けた幻想的なゲートを通り抜け、日差しの眩しい外へと出ていた。

 今しがた見た美しいプラネタリウムについて2人で互いに感想を話しつつ、次にどこに向かうかを話し合っているところだ。


 その時、二人の耳に突然よく響く少女の声が飛び込んできた。

「たのもぉー☆私は美味しい美味しいココナッツジュースを一つ所望する!でぇも、可愛いあたしちゃんに免じて二つでも…良いんだゾ?」

 とても鮮やかなプリズムピンクのツインテールに学生服のような姿をしたとてもよく目立つ少女だ。肩に斜め掛けしているデフォルメされた可愛らしい鶏の鞄が印象的である。

「お嬢ちゃん、結構量が多いから飲み切れないよ!」笑いながら店主が答える。

「そうなのー?なら一つで良いよ。よろしくぅ☆」

 彼女は改めてオーダーを入れ、可愛らしい鶏の鞄からいそいそと代金を取り出して支払う。その後も笑顔を絶やすこと無く店主としゃべり続けている。

 そうこうしているうちに少女はお目当てのココナッツジュースを一つ受け取った。


 その様子を見ていた玲那斗が言う。

「イベリス、俺達もココナッツジュースを飲んでみようか。」

「えぇ、どんな味なのかしら?」提案に乗ったイベリスが答えた。

 2人が揃って露店へ向かう途中、店主と話を終えた先程の賑やかな少女とすれ違う。

 イベリスは特に少女に注目していたわけではないが、すぐ傍をすれ違ったその瞬間に何か違和感のようなものを覚えて振り返る。しかし、その違和感が示すものが何なのかまでは分からない。

 柔らかで美しいツインテールを揺らし、嬉しそうにスキップをしながら去っていく少女の後ろ姿を見やりながら、きっとただの気のせいだと思い気に留めないことにする。


 その後、露店でココナッツジュースを購入した二人は早速ストローで飲んでみる。

「思ったより甘くないのね。すっきりした味というのかしら。」イベリスが言う。

「そうだね。少し不思議な味だ。」玲那斗も一口飲んで感想を言う。

 飲んだ瞬間の甘さはほとんどなく、ほのかな味わいが口の中に広がる。


 ココナッツジュースは南国の巷では “飲む点滴” と呼ばれている。少なめの糖質に豊かなミネラルを含み、体の熱を冷ます作用があることから南の国での水分補給にはもってこいの飲み物なのだ。

「ずっと飲んでいるとほのかな甘みを感じるわ。」にこにこしながらイベリスが言う。

 彼女の様子を見て玲那斗は頷く。

 2人は初めてのココナッツジュースを味わいながら次にどこへ向かうかについて話す。

「イベリス、この後カフェで軽くお昼を食べたら砂浜に行ってみないか?リナリアほど広くはないけど、白砂の浜辺があるらしい。」

「本当?空から島を見た時に見えなかったから、てっきり無いと思っていたの。ビーチが見られるのならぜひ行ってみたいわ。」

「決まりだね。きっと綺麗な海も見えるよ。」

「楽しみね。」

 こうして次の目的地を決めた二人は、まずは昼食をとるべく付近のカフェへと立ち寄ることにした。


                 * * *


「そうか。分かった。」

 電話を切ったウォルターはオフィスの椅子に座り深い溜め息をつく。


 “対象に動き有り”


 部下からの直接連絡によってもたらされた情報だ。

 獲物が動き出すのを待ち続けてどれくらいが経っただろうか。静かに息を潜め、相手に動向を悟られないように沈黙を続けてきたが、ようやく動き出すべき時が来た。

 先の部下からの報告によれば9月9日の火曜日が勝負の時となる。

 国際文化交流イベントがコロニア市内で開催されるその日、事態が大きく動くことになるだろう。

 焦ってはならない。焦りは余計な感情を呼び込む。ウォルターは努めて冷静になろうと目を閉じて深呼吸を繰り返す。

 一度きりしかないチャンスとなるかもしれない。必ずここで “仕留める”。


 ウォルターは再び目を開くと手元の警察内部専用のデバイスからプランM始動を告げるメッセージを部下へと一斉に送信した。


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