第16節 -父と母-

「ただいま。」

「おかえりなさい。」

 午後3時半。学校から帰宅したアヤメの挨拶にサユリが応える。

「アヤメ、早く手を洗ってしまいなさい。」

「はーい。」

 何気ない日常。どこにでもある家族のありふれた会話のやり取り。手を洗い終わったアヤメにサユリは言う。

「朝もお話したけど、この後お客さんが来るから二階の部屋で良い子にしてるのよ?良い?」

「わかってる。」

「良い子ね。じゃぁこれを一緒に持って上がりなさい。」

 サユリはアヤメの頭を撫でながらそう言うと目の前にホットケーキを差し出した。とろりとしたバターに甘いメープルシロップがかけられ、ホイップクリームまで添えられたごちそうだ。

「わぁ!凄い!ありがとうお母さん。」

 目を輝かせながらアヤメは言う。

「宿題はきちんとやるのよ?」

「うん!」

 アヤメは元気に返事をするとホットケーキの皿とジュースが注がれたコップを大事そうに持って二階へと上がっていった。


 間もなく世界特殊事象研究機構の調査チームがここに訪れる。

 彼女の姿を見て、一体誰が国を震撼させる事象を起こす奇跡の力を持つ少女だなどと思うだろう。

 どこにでもいる、ごくありふれた普通の女の子。

 元気に学校に通い、将来は多くの人を助けられる仕事がしてみたいという希望に溢れた普通の子供だ。

 この世にたった一人の愛しい我が子だ。

 そんな子が奇跡と呼ばれる事象の中で罪人を裁くと公言しておよそ1か月。多くの人の幸福を望む心優しい少女の口から出た残酷な言葉。

 何かの間違いであってほしい。未だに自分はそれを認められずにいる。


 サユリは小さな溜め息をつきながら落ち着かない様子で周囲を歩き回った。

 すると書斎からダニエルが顔を出す。

「サユリ、大丈夫だ。」

「ダニー。」

 ダニエルはサユリを優しく抱き締める。

「彼らに話そう。思っていることを全て。僕達があの子の為に出来るのはきっと “伝えること” だけだ。どう考えても僕らには解決する為の力が無い。でも彼らは違う。解決する為の力を持っている。」ダニエルはサユリの両肩に手を置き、二階に上がったアヤメに聞こえないように声を潜めながら話す。

「そうね。」サユリは短く返事をする。

「彼らには僕から話をしよう。君に無理はさせられない。」

「そんなことない、私も話すわ。あの子の母親よ?」

 ダニエルは心労を抱えたサユリを気遣ったつもりだったが自分よがりな考えだったと思い改めた。

「すまない。二人で話そう。思っていること全てだ。」

「えぇ。」

 意思を確認し合った二人は再び互いを抱き締め合った。


                 * * *


 午後4時前。テンドウ家の前に1台の車が停車する。

 リアムが運転する車輌からマークתの4人とイベリスが降り立つ。

「話し合いが終わるまで私は車で待機しています。」

「ありがとう。行ってくるよ。」ジョシュアはリアムへと感謝を伝えて家の玄関へと向かう。他の4人もジョシュアの後に続く。


 目の前に建つのは二階建ての立派な邸宅だ。広めの庭には色とりどりの花が植えられ、大きな玄関へと続く通路は綺麗に整えられている。

 一目見ただけで先進諸国でいうところの中流階級の暮らしを送っていることが容易に想像できる佇まいだ。

 一昔前ならいざ知らず、発展途上国から高度経済成長を通じて凄まじい速度で進化を続けるこの国において、近年ではこうした光景も珍しいとは言えなくなってきた。

 むしろ現代において先進諸国と呼ばれる国よりも国民の生活水準は飛躍的に高まりつつある。


 時刻は午後4時丁度。家の玄関に辿り着いた一行はチャイムを鳴らす。

 中から女性の応答する声が聞こえた。母親だろうか。

「世界特殊事象研究機構 調査チームのマークת一同。話し合いの為に参りました。」ジョシュアが言う。

 間もなく玄関ドアのロックが外れる音がする。一人の女性がドアを開き一行を歓迎した。

「お待ちしておりました。私はアヤメの母親のサユリ・テンドウです。まずはどうぞ中にお入りください。」

 サユリに招かれて全員が家の中へと上がる。

 家の中を歩き通されたのは応接室だった。大きめの四角いテーブルの周囲に椅子が並べられている。

 部屋の中では一人の男性が一行を待っていた。立ったまま礼をして挨拶をする。

「アヤメの父親のダニエル・テンドウです。今日はお越しいただきありがとうございます。」

「マークת 隊長を務めますジョシュア・ブライアン大尉です。こちらこそ貴重なお話の場を提供いただき感謝しています。」

 その後は一同が順に挨拶を交わして握手をしていく。

「皆様、どうぞお掛けになってください。」ダニエルが着席を促す。

 机の端からイベリス、玲那斗、ジョシュア、ルーカス、フロリアンの順に並んで座る。

 着席と同時にサユリが1人1人にコーヒーを差し出してくれた。全員が挨拶をしている間に彼女が全員分のコーヒーを用意してくれていたのだ。

「お気遣い感謝します。」「ありがとうございます。」手元に置かれるコーヒーに玲那斗やルーカス達もそれぞれ感謝を伝える。

 配膳し終えたサユリがダニエルの隣に座り、いよいよ話し合いの準備が整ったところでまずはダニエルが口を開く。

「ご存知の通り、今日皆様に私達からお話したいのは娘のアヤメのことについてです。5月13日を端に始まった一連の奇跡と呼ばれる事象に関連して、私達2人が思うこととアヤメの日常のことについてお話しようと思います。」

「あぁ、この話し合いについてですが、お話させて頂いたこととお話し頂いたことを記録として残させてもらっても?」ルーカスが話し合いを本格的に始める前に記録をしても良いかと問う。

「えぇ、構いません。皆さまのお役に立てば良いのですが。」

「ありがとうございます。では、こちらのボイスレコーダーとスマートデバイスで記録を取らせていただきます。」ルーカスはそう言うと録音用の小型レコーダーを机の上にセットし、投影式キーボードを展開した自身のスマートデバイスを用意した。

 準備が終わったのを確認したジョシュアが最初の質問をする。

「まず、一番最初に起きた5月13日の奇跡のことについてお聞かせ願えますか。」

「はい。あの日のアヤメには特に変わったこともなく、いつものように元気に外に遊びに行きました。私達は何も思うこと無くその姿を見送りました。そして夕方になってアヤメは同じように帰ってきて、いつもと変わらず元気に夕食をとり一日を終えました。」

「その日に起きていたことを聞いたのは後日でした。私が近くのショッピングセンターで買い物をしていた時に近くに住む方が声を掛けて下さったのです。」ダニエルに続いてサユリが言う。近所の人からは言われたことは次のような言葉だった。


『サユリさん、うちの子供から聞いたんだけどね。この間、貴女の所のアヤメちゃんがみんなを集めて聖母様の声が聞こえるって言ってたそうだよ。ポーンペイ大聖堂跡地で、毎月13日に奇跡を起こすって。6月13日に同じ場所で奇跡を起こすと言っていたとうちの子は言っていたけど…最近変わったことはない?大丈夫かい?』


「私は何のことか分からず、その方に特に変わったことは無いから大丈夫だと伝えて帰宅しました。そしてその日のうちにアヤメに聞いてみたんです。5月13日に何かあったの?と。」

「アヤメさんは何と?」

「『私にはマリア様の声が聞こえるの。みんなの前でこう言いなさいって。私はそれに従っているだけよ。言うようにしたらみんなが幸せになれるからってマリア様はおっしゃったわ。』とアヤメは言いました。何かの悪戯かと思った私は冗談ならやめなさいと言いましたが、アヤメは『嘘でも冗談でもないわ。この国で困っている人を助けてくれるってマリア様はおっしゃっていたの。』と返事をしたのです。」サユリは数か月前の2人の間での出来事を具体的に話す。

「私が話を聞いたのは彼女とアヤメがそのやり取りをした当日の夜でした。話を聞く限り、私も彼女と同じようにアヤメの悪戯ではないかと思いました。年頃の女の子が思いつく悪ふざけかもしれないと。気にすることは無いと話していたのですが…」その後から今に至るまでのことが脳裏に浮かんだのだろうか。ダニエルは言葉を言い淀んだ。

「その日以降は特に聖母様の話や奇跡の話についてアヤメとやり取りをすることはありませんでした。いつもと変わらない平穏な日常を過ごしました。」ダニエルの代わりにサユリが話した。

「では、次に6月13日のことについて聞かせて頂けますか?」ジョシュアが翌月のことについて聞く。当日の様子をダニエルが話す。

「はい。あの日も何かが違ったということはありません。金曜日で早めに終わった学校から帰ったアヤメはいつもと同じように外に遊びに行きました。私達もいつもと同じように遊びに行くのを見送ったのです。ただ、いつもと違うことが起きたのはその1時間後だったでしょうか。外の様子が急に騒がしくなるような気がしたのです。最初は何が起きているのか見当もつきませんでしたし、まさか我が子がその中心にいるなんて思いもしませんでしたので様子を見ようという軽い気持ちで外に出ました。」

「私も彼と一緒に外に出ました。周囲が騒がしいのは分かりましたが、状況はよく分からずに辺りを見回していたその時、近くに住む方から言われたんです。『大聖堂跡地で大変なことが起きているよ』と。」ダニエルに続きサユリが言う。

「一か月前のことが頭になかったわけではありません。大聖堂跡地という言葉で脳裏にアヤメの言っていたことがよぎりましたが、その時点でもまだ何が起きたのかは理解していませんでした。私も周囲の人々に続くように彼と一緒に大聖堂跡地に向かいました。」

「私達が現地に辿り着いた時に見たのは異常な光景でした。高いところに立つアヤメの背後では空が赤黒く変色していて、太陽がジグザグを描くような動きをしていたのです。さらに苦しそうにもがく男性がアヤメの近くにはいました。アヤメは枯れた泉から水が湧くからそれを飲ませなさいと言い、その後に確かに枯れた泉からは水が湧き出ました。言われた通りに付近の人が苦しむ男性に水を飲ませると、ほどなくして先程まで苦しそうにもがいていたのが嘘のように落ち着き、何事もなかったかのように快方したのです。」

「あまりの出来事に頭が理解を拒みました。常識では考えられないことが次々と起こり、その中心には私達の愛娘が立っている。何かの間違いだろう、これはきっと悪い夢なのだと信じたかった。」交互に語る夫妻はその時の心境を包み隠さず話す。

「その日にアヤメさんは何か言っていましたか?」ジョシュアが問い、サユリが答える。

「私達は当日の夜、家族で夕食をとっているときにアヤメに聞きました。正直、何をどう聞いて良いのか分かりませんでしたが、先月聞いた話を元にこう尋ねたのです。『今日も聖母様の声が聞こえたの?』と。アヤメは “そうだよ” と言いました。聖母マリア様の声が聞こえて、言われた通りに振舞っているのだと。目の前で奇跡のような光景を目の当たりにした以上、もう子供の悪戯や悪ふざけなどとは言えません。信じるほかありませんでした。しかし、私達が何よりも気になったのはアヤメ自身のことです。目に見えていないだけで何か体や心に変わったことが起きているのではないかと心配になったので私達は体調はどうかも尋ねました。」

「彼女は何と?」

「特に変わったことは無いと。事実、あの日から今に至るまで本人に普段と変わった様子はありませんし、体調に影響が出ているようにも見えません。平日は元気に学校に行きますし、元々明るい性格に変化があるわけでもありません。」

「なるほど。ちなみに周囲の状況はどう変化しましたか?」ジョシュアはアヤメ本人ではなく、周囲を取り巻く環境の変化について質問をした。先程に続いてサユリが応える。

「学校でも近所でも以前と何かが大きく変わったということは無いのです。アヤメの友人たちも普通に接してくれているようですし、近所の方も変わりなく私達に接してくれています。唯一違うと言えば、事が事だけに今までのように気軽に外に遊びに行くということはなくなったことでしょうか。それと、アヤメが外を出歩く時は警察の方が周辺を警戒して警護してくださっています。ただ…」

「ただ?」眉をひそめながらジョシュアが繰り返す。少し迷ったようなそぶりを見せつつサユリは答えた。

「私達の思い過ごしでなければ以前は見かけることの無かったような人々が自宅の周りに訪れるようになりました。」


 答えを聞いた玲那斗は言い知れぬ怖さのようなものを感じた。自分だけではない。きっと隊長やルーカス、フロリアンも同じことを考えているはずだ。

 自宅の周りに現れるようになった人々というのはマルティムに関わりのある人間ではないのか。もしそうであれば非常に危険だ。

 そもそも両親は彼女が奇跡の中で言っていた罪人という対象が何を指すのか承知しているのだろうか。気になった玲那斗は尋ねてみた。

「彼女が奇跡の中で言っていた “この国に災いをもたらす元凶” が何を指すのかについてお二人はどこまで御存じなのでしょうか。」

「薬物密売組織のことだと聞きました。」ダニエルが即答する。

 知っているのであれば両親も自分達が感じた可能性にはすぐに行きつくはずだ。だとすれば警察が自宅の周辺警護を固めているのだろうか。

 本人達にどんな危険が迫るのか伝えているのであればそのようにしているのではないか。そう思った玲那斗は分かり切った答えを聞く為に質問をする。

「情報源はどこでしょう?」

 しかし、ダニエルの口から返ってきた答えは予想外のものだった。

「大統領からです。」

「警察ではなく?」想像していた答えとは違う。疑問に思った玲那斗は思わず聞き返した。

「はい。第四の奇跡があって間もなく、私達は大統領とお話する機会を頂けました。その席で大統領は第二の奇跡で男性は何に苦しんでいたのか、アヤメが聖母様の言葉として発している罪人というものが何を指すのかについてなどを詳しく話してくださいました。事態が事態なだけに国家として対応に当たる必要がある、周辺には十分気を付けて欲しいと。」

「自宅周辺は警護は固められているのでしょうか?」

「特例として政府から指令を受けた警察の方が毎日見回りや監視を行ってくださっています。薬物密売組織が関与している場合、警察からの情報漏洩によって被害を受ける一般の方々が外国では存在すると大統領はおっしゃいました。それを恐れて個人が警察に相談が出来ない国が存在すると。そういった可能性が僅かでもあってはならないということで、警察組織だけに警護や監視を任せるのではなく政府が関与し責任を持って対応に当たるということでした。」


 玲那斗は頭の中で情報を整理していた。

 ここまでの話で分かったのは、第一の奇跡から第四の奇跡に至るまでの間にアヤメという少女自身に特別変わった様子はなく、今でも何ら変わりなく日常を過ごしているということ。当の本人は聞こえてくる声に従っているだけだと話していること。

 そしてテンドウ家の生活にも変化があったわけではなく、アヤメ本人や自宅の周辺警護は政府主導の元で警察が行っているということである。

 密売組織が話に関与している割に状況が穏やかに感じられるのは多少引っかかることではあるが、何も起きていないということを良いこととして前向きに捉えても良いのだろう。

 気になることとして残されるのは、アヤメという少女本人に何か特別な力や才能といった類が備わっていないかという点だ。

 マークתの一同にとってはイベリスのこともあり、先程のロザリアの件も含めて超常的な力を持つ存在が現れた所でもはや驚くべきことというわけでもないが、その一点をこの夫婦に尋ねるには少し勇気が必要だろう。

 貴方がたのお子さんは特殊能力者ですかなどと聞くわけにはいかない。さて、どうしたものか…


 玲那斗が思案しているとジョシュアが沈黙を破るように質問した。

「妙なことをお伺いするようになるのですが教えて頂きたい。第二、第三、第四の奇跡においてアヤメさんは我々の目から見てもとても現代の科学では説明のつかない事象を周囲に巻き起こしていました。少し失礼な質問かもしれませんが彼女について、昔から特に他の人とは違う何か特別な才能があると言ったことはありませんか?」

 ジョシュアは自分自身でも戸惑っていた。

 自分で質問したことではあるが、実際の所なんと聞いたら良いのか分からない。特別な力があるかないかなどという質問をして “有ります” などと答える人がいるだろうか。

 他のメンバーも似たようなことは考えているのだろう。特に玲那斗はどう質問しようかと悩んでいる様子を見せていた。

 事前の打ち合わせ通り一度は確認しなければならないことではあるし、彼女が生まれてから毎日すぐ傍で生活を共にする両親にしか聞くことが出来ない質問でもある。

 アヤメという少女がそうというわけではないが、イベリスやロザリアといった人智を越えた力を持つ者はこの世界に存在しているし、広義に言えばテレパシーやエンパシー、サイコメトリーや死者の魂が見えると言った現代を生きる人々だって少数ながら存在する。

 最近になって分かったこととしては玲那斗に至ってもそういう部類の人物だ。

 何か僅かでもそういった変わったことがあれば調査を進める手掛かりになるのだが…


 だが、しばらく返事が無いところを見ると愚問だったのかもしれない。

 ジョシュアがそう思いかけていたその時、ダニエルがおもむろに話し始めた。

「宗教や迷信、非科学的というお話になるので貴方がたのような科学の最先端を行く方々にお話するか迷っていたことがあります。」

「ぜひ聞かせてください。」どんな話が語られるにしても情報は一つでも多い方が良い。とにかく話をしてほしいと思っていたジョシュアは食いつくように言った。

「第四の奇跡で聖母様がお告げになったというナーンシャペという神についてです。実の所、私達は古くからこの島の雷神や精霊を祀り、その魂を守護する役目を受け継ぐ家系の者です。しかし私達の代になるとそのことに実感も湧かないと言いますか…昔からある伝統の引継ぎと言いますか…何といえば良いのか言葉に迷うのですが。」

「私も彼も伝統に倣って儀式や行事などの場に出席することが多いのですが、その際には必ずアヤメも一緒に連れて行きます。そして伝統文化の引継ぎをその場で教えるのですが、アヤメは特殊だと言うのでしょうか…」

「特殊、ですか?」玲那斗が言う。

「はい。儀式で祈祷を捧げる際など、あらゆる場面でアヤメの身の回りでは変わったことが起きるのです。ろうそくの火が全て消え去り、あるはずのない光が輝いて見えたり、照明器具が点いたり消えたりを繰り返したり、スマートデバイスの電波が全て遮断されたり、電源そのものが切られたりといったことが数えきれない程起きました。他に、何もない所に精霊の姿が見えると話したこともあります。」続けてダニエルの話に補足をするようにサユリが言う。

「儀式に参加する人々は口を揃えてアヤメのことを〈精霊の巫女〉という風に呼びます。私達夫婦のような伝統を引き継いでただ行使するだけの者ではなく、本当の意味で神と精霊の加護を宿す者、魂を守る巫女本来の素質を備えた者という意味です。」

「神と精霊の加護を持つ巫女…」

「はい。こうした話を信じて頂けるかどうか…何を言っているのかと思われるかもしれないと思いなかなか申し上げにくいのですが、確かにあの子はそう呼ばれています。」サユリが言う。

 フロリアンはあることが気になり質問をした。

「そのお話はどれくらいの人々が知っていることなのでしょう?」

「儀式に参加するコミュニティの人々だけではないでしょうか。大きな集まりではないので町全体でも20人か30人ほどです。それ以外の場所でどなたが認識されているかとなると正直把握していません。」

「大統領や警察にお話はしましたか?」

「いいえ。特に今回のことに関して必要ではなかったので話していません。」


 フロリアンは直感した。

 この話だ。今回の話し合いにおいて両親が自分達に一番話したかったことはこの話に違いない。

 今しがた “今回のことに関して必要では無かった” と言ったが、第四の奇跡の折に彼女が雷神の名を持ち出したことを考えれば、多少なりとも関りがあるのではないかと思うだろう。

 にも関わらず大統領や警察にはそういった話は伝えていないという。何か理由があるかもしれない。

 より深く情報を聞く為に少し踏み込んだ質問をしてみることにした。

「例えばですが、アヤメさんの周囲で照明やスマートデバイス以外の電化製品に異常が出ることはありますか?」

「滅多に無いことではあるのですが、アヤメの機嫌が悪い時には割と。全てがというわけではないのですが、アヤメが何かに対して怒っている時にはテレビやスマートデバイスといった電波を使う家電が誤作動を起こすことが多いです。」


 異常が感情にリンクしている?

 フロリアンがした質問に対する答えを聞きながらイベリスは心の中に引っかかるものを感じた。

 怒りを強く感じれば感じる程に比例して力が強まっているという意味だろうか。


「ありがとうございます。」聞きたいことをしっかりと聞いたフロリアンは質問を終えた。

 ジョシュアと玲那斗はクエスチョンマークを頭に浮かべている様子だが、隣のルーカスだけはフロリアンが何を聞きたかったのかの真意に思い至った様子であった。

 出来れば今すぐにでも仮説が実証できるのか試してみたいといった表情をしている。

 イベリスは別に感じることがあったのか少し難しい表情をしている。


 部屋の中にはしばらくの沈黙が流れる。ジョシュアは全員の顔を見るが、誰かが追加で質問をする気配は無い。

 そろそろ撤収するべきだと考えつつ、ふと気になったことを両親へ聞いてみた。

「そういえば、今日アヤメさんはどちらに?」

「アヤメなら二階の自室で宿題をしているか遊んでいると思います。」サユリが答える。

「そうですか、ではあまり長居は出来ませんな。見知らぬ私達が長居をすると彼女は窮屈でしょうから。」

 そう言うとジョシュアは目配せで撤収の合図を全員に送る。そして話し合いの締めくくりに両親に向けて言った。

「今回の問題解決に向けて、我々機構は全力を持って調査をしていく所存です。政府や警察とも連携を取って、皆さんにとって良い結果が出るように尽くします。」

 すると堰を切ったようにダニエルが言う。

「よろしくお願いします。あの、機構の皆さんにこんなことを言うのはお門違いなのかもしれませんが、第四の奇跡の折にあの子の口から出た言葉が私達にはどうしても信じられないのです。認めたくない。」

「“神の怒りはお前達の死をもってのみ鎮まる” という言葉ですね。」

「相手がどんな極悪人であっても大罪人であっても、私達は “アヤメに” そんなことをしてほしくない。あの子が誰かを殺すだなんて考えたくもありません。例えそれがどんなに高潔な意思を持って行うことであっても。精霊の魂を祀り、信仰して守る立場である私達一族の者が言えたことではありませんが、その行いの意思が例え神の御心であったとしても…。ですが、第五、第六の奇跡について止めることは出来ないでしょう。もはや私達個人の手でどうにかできる問題ではありません。皆さんに頼るしか道は無く、その為に私達の知っていることと想いを伝えることしか出来ませんが。」

「お気持ちは伝わりました。まずは目前に迫った第五の奇跡に対して対策をしなければなりません。お二人はアヤメさんの傍にいてあげてください。後は我々の仕事です。」

「宜しくお願いします。」ダニエルとサユリは立ち上がり深々と礼をする。

 機構の面々は椅子から立ち上がり、同じように礼をする。

 そして帰りの途につくために玄関へ全員で向かった。


 揃って廊下を歩いて行く最中、ふとイベリスは誰かの視線を感じ階段の方へ振り返る。

 アッシュグレージュのストレートミディアムショートヘアにガーターブルーのメッシュが入った特徴的な髪色の幼い少女。二階の壁際にはアヤメと思われる少女が立っており、一瞬だけイベリスと視線を合わせるとすぐに隠れるように去った。

 イベリスはとっさに手を伸ばし掛けたが、少女の姿が見えなくなるとすぐに振り向き静かに皆の後に続いて玄関へと向かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る