第6節 -18番目の悪魔-

 ある区域に存在する地下の一室。

 暗闇が続く廊下を抜けた先に存在する薄暗い小部屋で二人の男が話しをしている。

 椅子に腰掛け、組んだ足を机の上に投げ出しタールのきつい煙草を吸う細身の男は、この世全ての物を見下し嘲笑うかのような目つきで、目の前のソファに座る熊のように大柄な男を一瞥しながら言った。

「警告、ねぇ?」

 ただ一言。 “どうでもいい” と言わんばかりにそう呟いた男は大きな溜息をつく。溜息と共に吐き出された煙草の煙が宙を漂う。

 男が視線を向けるソファに座る男は身長が2メートル近くあるだろうか。全身に筋肉の鎧をまとったかのように大きな身体つきの男は、先程目の前の男が吐き出した煙を払いながら答える。

「けどよぉ、あのガキの言う通り、連中が雷に打たれて全員死んだのは事実じゃねぇか。ただの偶然かどうかはわかんねぇけど、注意を向けるくらいはしといた方がいいんじゃねぇか?」

「相変わらず、でかい図体の割に小せぇ玉してんだな。ブツを運んでる連中が1人死のうが2人死のうが俺達にとってはどうでも良いことだろうが。ブツを残したまま途中で死ぬような間抜けが間引かれるなら、かえって足がつかなくて良いってもんだ。実際そういった間抜けは1人か2人始末してやっただろう?残念なのは大事な “商品” が奴らの手に渡っちまったことだろうよ。」

「そりゃそうだけども。」

「幸いにも、あの日は例のアレが中に混ざって無かった。貴重な代物だ。こんなことで失くしたんじゃ目も当てられねぇ。失くすと “姫様” もうるさいしな。」

「違ぇねぇ。俺らに直接危害を加えると言った以上、あのガキを始末できりゃ手っ取り早ぇのにな。」

 ソファに座る男は呟く。その言葉を聞いたもう一人の男は目を細めながら小さな声で言った。

「例の小娘か。そうだな…こうなってしまったからにはいっそ、それが良いかもしれないな。」

 煙草の火をもみ消し、度数の極端に高い酒を煽りながら手元にある1枚の写真を手に取った。射貫くような視線を写真に向けた後、嘲笑を浮かべ頬を歪ませる。

 その写真に写っているのは奇跡の中心に立つ少女、アヤメ・テンドウであった。


                 * * *


 支部の会議室の中、マークתとイベリスから調査協力の確固たる意志を確認したハワードは、今回の調査における具体的な目標と目的を5人へ伝えようとしていた。

「さて、話も佳境だ。我々の目的は先程言った通り《奇跡を解明しつつ止めること》にある。今からその目的に至る理由と共に具体的に諸君らに与える任務、つまり今回の調査における目標を話そうと思うが…少し話を戻そう。先程、諸君らに見てもらった第四の奇跡の記録映像の中で何か気になるところは無かったかね?」

「誰に向けて言ったのか…でしょうか。」ハワードの問いにすかさずフロリアンが答える。

「さすがに鋭いな。良い答えだ。第四の奇跡には過去の奇跡と比較して決定的に異なる部分がある。ヘンネフェルト一等隊員が言ってくれたように、彼女は一体 “誰に向けて言葉を伝えたのか” という点が重要だ。」

「第一の奇跡から第三の奇跡まではその場に集った人々に対してのみ言葉を告げたのに対して、第四の奇跡はこれまで “災厄” や “悪意を持った者” としか言及していなかった対象に向けて直接語り掛けるように言葉を告げた、ということでしょうか。」フロリアンの意見をルーカスがより明確な言葉にした。

「その通り。」ハワードは深く頷く。

「 “神罰はお前達に注がれ、神の怒りはお前達の死をもってのみ鎮まる” 。今までの話を総括していくと、 “お前達” という言葉が示す対象は薬物密売組織だと仮定でき、彼女の最大の目的が密売組織に関わる者全ての殺害ということになるが。」ジョシュアが言う。

「しかし、彼女の言葉は抽象的です。私も隊長の意見に同感ではありますが、その答えを確固たるものとする為の根拠が不足しているように感じられます。」玲那斗はジョシュアに同感を示しつつも、根拠の不足を指摘した。

 マークתのメンバーが行うやり取りに耳を傾けていたハワードは納得した表情で言った。

「ふむ。やはり良いチームワークだな。誰かの気付きに対して分析を加え、仮定と反証を繰り返して確かな答えを見つけていく。どうやら私の考えに狂いは無かったらしい。それはともかく、諸君らが今話してくれたことが答えとなる。第四の奇跡において、彼女はある対象に向けて明確な敵意を示した。」

 ハワードは両手を口元の前で上下に組みながら言う。

「彼女が矛先を向けた “ある対象” とは、ジョシュアが言ったように薬物密売組織で間違いない。もちろん、姫埜中尉が先程指摘した根拠の不足という指摘も正しい。しかし、それを補うだけの材料が実は既にある。諸君らに再び痛ましい光景を見せることになるが、いくつかの写真を見てほしい。」


 モニターに表示されたのは海上で大破したとみられる船舶の写真であった。


「事故でしょうか?」フロリアンが問う。

「ある意味ではそうとも言える。これは第四の奇跡が観測された後、現地とは全く異なる太平洋上で発見された船舶の様子だ。続いてこちらも見てくれ給え。」

 続けて映し出されたのは船上で横たわる複数の遺体。焼け焦げた服から樹状の痣のようなものが見て取れる。次にその痣を拡大した写真が表示された。

 モニターに映された写真の痛ましさにイベリスは目を逸らした。同じ写真を見てあるものに気付いたルーカスは即座に答える。

「リヒテンベルク図形。」

「さすがだな。アメルハウザー准尉の言う通り、この痣はリヒテンベルク図形というものを示している。高圧の電気が皮膚を伝わり放電されたことで生じた樹状の火傷跡だ。乗船していた船員は全員、同じような火傷跡を体に残して死亡していた。分析の結果、船は “雷の直撃” を受け大破、そして乗員は雷の直撃によるショック死であるという結論が出された。尚、船体に搭載されていた航行記録によりこの船が事故に遭ったと思われる推定時刻は第四の奇跡が起きている最中、レッドスプライトを我々が目撃した時刻とほぼ一致するそうだ。そして…」

 さらにハワードは別の写真をモニターに並べて表示した。映し出されたのは船の内壁に巧妙に隠された大量の薬物であった。

「MDMA、ヘロイン、コカイン、LSD…船には大量の危険ドラッグが積み込まれていた。船の位置や操舵室で示された航路を確認する限り、ミクロネシア連邦へこれらを密輸する最中であったと推定される。事故で死亡した遺体の身元を調査した所、過去にマルティムの売買絡みで検挙された経歴のある人物だということも特定された。そう、彼らはミクロネシア連邦にこれら大量の薬物を密輸し、マルティムへ流そうとしていた協力者達だったというわけだ。さらに…」

 ハワードは海域図をモニターに表示した。ナン・マドール遺跡を中心として3か所ほど×印が示された海域図だ。

「同時刻、同じように雷の直撃を受けたと見られる船舶が他にも2隻存在する。同様に船は大破、乗組員は全員死亡。驚くべきことにこれらの船舶にも最初に示した船と同様に大量の薬物が積み込まれており、乗員は全てマルティムと繋がりのある人物であることも判明している。」

 隣で説明を聞いていたリアムがハワードの話に補足を入れる。

「実は当初、船舶の乗組員の中でただ一人だけ生存していた人物がいました。唯一雷の直撃を回避できた人物です。航行不能となっていた船から救助し、必要な手当てを施した後に警察による取り調べが行われましたが、意味不明な供述を繰り返すばかりで当時の状況や組織に関する情報は何も分からなかったそうです。彼は供述の中で『神が俺達を殺しに来た。俺達はどこにも逃げられない。』と話したと記録されています。」

「先程乗組員は全員死亡と言ったが、その人物はどうなったんだ?」ジョシュアが問う。

「自殺しました。収容所の中で、隠し持っていたプラスチック銃を使い自分の頭を打ち抜いています。」

 リアムが答えると同時に会議室には沈黙が訪れる。

 視線をマークתの面々へと向けながらハワードが口を開く。

「 “ここに神の威光が示される” 。彼女の言う “聖母マリアを通じて与えられた警告” とは言葉だけでは無かった。第四の奇跡において彼女がその言葉を発した時、マルティムと繋がりを持つ彼らは既に太平洋上で雷に焼かれて命を絶たれていたことになる。そして彼女はこうも言った。 “我らの祈りは【結実した】” と。それはつまるところ、その時点において裁かれた人間が存在したことを意味していたのではないだろうか。」

 会議室には沈黙が訪れる。次に発するべき言葉をその場にいる誰もが思考の中で吟味している最中といった様子だ。

 沈黙を破るようにハワードは言う。

「確かに、彼女が自身の意思と自身の手で組織の人間を殺めたという直接証拠はない。自然現象である雷撃を自らの意思で操って目標を攻撃するなど “普通は有り得ない” ことだ。故にどこまで解釈を進めてもただの憶測に過ぎない。無論、常識からかけ離れたこれらの出来事を理由として、彼女の行動に法律が介入することも無い。いや、出来ない。だが、これだけの状況証拠が揃っている以上、彼女が明確な敵意を示す相手がマルティムであるという間接事実だけを認めるには十分ではないだろうかと思う。そう、彼女は…アヤメ・テンドウという少女は今後の奇跡において、薬物密売組織の殲滅と組織の人間に対する神の裁き…端的に言えば殺戮を行うとあの場で死刑宣告したに等しい。その場にいなかったとしても、仲間の死によっていずれ宣言の内容を耳にすることになる組織のリーダーに対し『次はお前だ』という意味も込めて。」

 殺人、殺戮、死刑宣告。一人の可憐な容姿の少女の姿と重ねるにはあまりに残酷な言葉に会議室の空気は凍り付き、かつてない緊張が走る。


「それが真実だとしても、解決しなければならないいくつかの疑問も浮かんでくるな。」重苦しい空気を払うようにジョシュアが言う。

「当然議論の余地は残る。それはいくつか挙げられるが、最大の疑問は彼女がいくら奇跡のような超常現象を我々に現実として示したからといって、太平洋上を航海している船舶数隻に向けて “都合よく雷を落とす” などということまで実際に出来るのかという点だ。せっかくだ。これについてはイベリス、早速貴女の意見を聞きたい。」ハワードはイベリスに意見を求めた。

 話の流れから同様の質問をされることを予め想定していたというようにイベリスは答える。

「少佐がお聞きになりたいのは私に同じことが出来るのか。私が同じようなことをするとしたらどうするのか。そういったことでしょう。であるならば答えは一つ。もし私が考えることが間違いで無ければ【彼女がどういう意識の持ち方をしているか】が重要です。」

「詳しく聞かせて欲しい。」

「はい。前提として、彼女がどういった力を用いているのか分からない以上、私と同様に考えることは出来ません。ただ、 “私が同じことをするとしたら” という仮定に基づいてお話をするのであれば、似たようなことは私にも “出来ます” 。」

 イベリスの答えを聞いた全員の身体が強張る。

 2万人以上もの人々を前に異常気象を再現し、太平洋上を横断する遠方の小さな船舶数隻に向けて敵意ある攻撃を行う。彼女にもまたそれに近いことが出来るという。

「どうかそう身構えないで下さい。物騒な物言いをしてしまいましたが、私にはそういう意志は微塵もありませんから。これは仮のお話です。もし、遠く離れた特定の場所に向けてそれだけの力を行使するのであれば、それに見合うだけの強い意思が必要となります。こういった言葉を口にすることは好みませんが『必ず殺してやる』といったような。その為にはどうしても対象に向けて大きく意識を割かざるを得ない。」

「具体的に言うと?」真剣な表情でハワードは言う。

「どれほど強力な異能を扱えたとしても、遠くにいる小さな対象に向けて力を行使する場合、人の器でいる限りはどうしてもそちらに意識を集中しなければなりません。そうすると他のことに向ける意識はおろそかになる。例えば歩きながら本を読むという単純な行動をするとしましょう。」

 彼女がそう話した直後、ハワードとリアムの背後から唐突にキャンディのような甘い花の香りが漂ってきた。そして2人にとって彼女の次の言葉は全く予想していなかった場所から聞こえてくることになる。

「本を読むことに集中すれば周囲の状況は視界に入りませんし、歩く為に周囲を見ることに集中すれば本は読めない。つまり、彼女が海に浮かぶ小さな船舶を対象として何らかの力を行使するのであれば、それ以外のことに集中をし続けることは困難ではないかというお話です。」

 驚愕の表情を浮かべてハワードとリアムは自らが座る座席から後ろへ振り返る。するとそこにはイベリスの姿があった。

 彼女の美しい灰色の瞳のうち、左目は深みのある青色に輝いている。

 後ろの立つイベリスの姿に視線を釘付けにされていた二人であったが、彼女の次の言葉はまた別の方向から、元々彼女が座っているはずの場所から聞こえてきた。

「人は集中を要する2つの物事を同時に意識することは出来ない。2万人の観衆を前にして気象を歪め、思考をしながら全員にあれだけ高尚な内容を語り掛けるようなことはおそらく出来ないでしょう。」

 慌てて視線を戻すとと、玲那斗の隣にはそれまでと変わることなく座る彼女の姿があった。ハワードは再度後ろを振り返るが、そこには既に彼女の姿は無かった。

 再び視線を戻し、元の席に座っている彼女を見やる。つい今しがた青色に輝いていた左目は元のミスティグレーに戻っていた。

 ハワードは鼓動が早鐘を打っていることを自覚した。気持ちを落ち着かせつつ、イベリスに向けて質問する。

「ではもし、貴女が2万人の人々を前に奇跡を起こしつつ、太平洋を航行する複数の船に対して同じ結末を迎えさせようとすればどのような手段を用いるのかね?」

 その質問に玲那斗の表情が険しくなる。

 先の問い掛けは、イベリスが “殺人を行うとしたらどうするのか” という意味と等しい。自然とハワードへ向ける玲那斗の視線は厳しいものとなる。

 彼の様子に気付いたハワードは目配せをした上で一度だけ頷く。


 分かっているが耐えろ。


 言葉ではなく仕草で訴える。

 イベリスはまるで気にする様子も無く質問に答える。しかし、それはハワードが想像していた答えとは全く異なるものだった。


「その手段とは…少佐自身が良く知る方法です。」


 ハワードは彼女の答えを思考の中で吟味する。自分が良く知っている方法?

「少佐。貴方は先程、 “航行する船舶に向けて都合よく雷を落とすことは出来るのか” とおっしゃいましたが、その表現は適切ではありません。 “落ちる雷に向けて船舶が移動する” のです。」

「どういうことか聞かせて欲しい。」首を何度か横に振りながらハワードは言った。

「あくまで例えではありますが、私であれば遠くに小さく見える、それも継続して移動する相手に対し意識して狙いを定めた上で雷を落とすのではなく、予め雷が落ちると分かっている場所に相手を誘導するというような手段を取るでしょう。そう、例えば艦船の動きを操作してぶつけるのではなく頃合いを見計い艦艇の動きを封じて、あとは海流に乗せられた艦船が自然に衝突するのを待つだけ…というように。」

 彼女の言葉を聞いてハワードは背筋に悪寒が走るのを感じた。リナリア島周辺海域で彼女が何を意図して何を実行したのか、その答えをまさかここで聞くことになろうとは。

 目の前にいる美しい少女に対して底知れない恐怖を感じている自分がいる。人智を超越した神秘。

 やはり “奇跡” などという異常に抗するには、 “奇跡” の存在をぶつけるしかなかったのだろう。自身が遠くない過去に直感した考えが間違いでは無かったことを確信した。

 イベリスは過去の記憶に肩をすくめるハワードに構うこと無く話を続けた。

「誘導すると申し上げましたが、それ以前に最初からその時刻にその場所を通ることが “わかっていたならば”、何も意識する必要すらありません。必ず通ることになる場所に、いわゆる “罠” を仕掛けておくだけで良い。彼女は予め海上に罠を仕掛けて放置することで意識自体は目の前の人々に向けたままにすることが出来た。これが私の思い浮かべた答えです。試しに先程モニターに表示された海域図における事故があったと示された場所を、アヤメという少女がいた場所を中心として距離を測ってみられると良いでしょう。」

 イベリスの言葉を聞いたリアムがすぐにモニター上の海域図に距離データを追加して表示する。

 浮かび上がったのは、第四の奇跡の際に彼女が存在した場所を中心として半径およそ30キロメートル地点でいずれの事故も発生していたという事実だった。

 一見何の法則性も見いだせないような場所で起きた3つの事故も、 “少女を中心とした ある一定の距離” で起きていることが判明した。


「よくわかった。ありがとう。」少しかすれた声でハワードが言った。

「お役に立てたかしら?」

「そうした意見を聞きたいと思っていた。少々怖い記憶を呼び起こしはしたが十二分過ぎる答えだったよ。私達には感覚として絶対に思い浮かばない答えだからね。」ハワードはイベリスに礼を言う。そしてマークתの面々に視線を移す。

 マークתの面々は話の最中に彼女が瞬間的に移動したり二人に分裂したりといった現象が起きたことに対しては動じる様子は全く無く、4人ともが揃って涼しい顔で座っている。

 まるで、“いつものことだ” というように。

 彼らの様子を見たハワードは思わず苦笑した。


「しかし、アヤメという少女が奇跡を起こすにあたって、例の船舶を意識外に置いていたというのなら『明確な殺意』というところに疑問が生じてくるような気がするが。」ルーカスが首を傾げる。

「いいえ、ルーカス。違うわ。もし本当に私の想像通りなら、それこそが明確な殺意と呼べるの。私の予想では彼女は予め決めた場所に通る船が1隻でも2隻でも関係なく、今回の3隻を上回る数でも対応できるようにしていた。」

「そして、その場所を通る船は間違いなくマルティムに関連した船舶、又はそれに準ずるやましい行為を働く船しか有り得ないと知っていた…ということでしょうか?」フロリアンが言う。

「その通りよ。」自身の言おうとした続きを見事言い当てたフロリアンにイベリスは同意した。

「でも、どうやってそれが分かったんだ?」玲那斗がイベリスに問う。

「あの子はとても賢いわ。特徴的だから、みんな第四と呼ばれる奇跡だけに目が行ってしまうけれど…彼女は第三の奇跡の最後で既にマルティムに対する罠を張っていた。 “次の奇跡は指定した日時にナン・マドール遺跡で行う” という。なぜわざわざ場所を変える必要があったのだと思う?」

「そうか、事前にそう宣言することで島中の人々をナン・マドール遺跡に集め、注目させておくことが出来る。人々の注目を別の場所に移動させたかった。それが答えか。」フロリアンが問いの答えを察する。

「そう、つまり政府や警察や海上に対する監視も含めた大多数の視線をそこに釘付けにすることで、その他の場所から人払いをすることが出来る。普段は誰かが見張っているはずの湾港付近が手薄になるという、そんな千載一遇の好機を組織が見逃すはずがない。彼女はきっとそう考えたのね。最近何かの映画で見たのだけれど、大胆な囮作戦というのかしら。私が悪いことをするとしたら、やはり人目が無い時にしたいと思うもの。」

「尚且つ、そのタイミングで付近を通りがかる漁船や一般の船など無いということを事前に調べていたのか。通るとしたらやましい事情を抱えた船、ここではマルティム関連の船しか通らないともいえる。」ルーカスが頷く。

「そう見込んだ上で何もかも仕組んでいたのだとすれば、それは彼らに対して “明確な殺意を持っていた” ということは出来ないかしら?後は予め定めた場所に船が近付けばそれで良い。誰かなど確認する必要もない。何隻近付こうと関係ない。意識する必要すら無い。」

 その場にいた全員が理解した。突拍子もない話ではあるし、 “超常の力がある” という前提を抜きにすれば最初から破たんするような話ではあるが一応の筋は通っている。

 人ならざる力を持つ彼女が言うからこそ説得力があるとも言えるが、この状況を的確に解釈に導く為の説明は他に存在しないだろう。

 あくまで憶測の域を出ることは無いとしても、おそらくはそれが限りなく真実に近い推論なのだ。


「あとは、アヤメという少女が “どんな方法を使ってそれを実践しているのか” だな。」

「人ならざる力を行使しているとしか、今は形容のしようがありません。」ジョシュアの言葉にリアムが答える。

「アヤメ・テンドウがどのような手段を用いて件の奇跡を成し遂げているのかについては一旦置いておこう。いや、現在のところ棚上げせざるを得ない。それを見つけ出すのがこれからの仕事になる。これが諸君らに与えたい任務のひとつでもある。」

 ハワードはそう言うと、モニターに表示していた資料を全て閉じる。

 そして軽く呼吸を整えて目の前に座るマークתの面々、及びイベリスに対して今回の調査における目的を明言した。

「では改めて言おう。今回、この地を訪れる諸君らには “異常気象の調査” という名目で依頼を出したが、厳密に言うと “奇跡の少女が引き起こす超常現象の解明を行いつつ、奇跡の停止、又はこの地で行われようとしている大量殺戮の可能性を排除すること” を目的としてもらいたい。」


 国家を揺るがす薬物問題と密売組織。

 異常現象や治癒といった奇跡を起こす少女の存在。

 聖母のお告げによる薬物組織に対する警告と殺戮宣告。


 最初は繋がりが曖昧だった事象が結びつき、ひとつの線となっていく。


「改めて言葉として言われると重たい任務だな。」

「この国が抱える薬物問題は早急に解決すべき事象である。マルティムという組織に所属する者達には然るべき法の裁きが与えられなければならない。しかし、あの少女のように殺戮を以てことを成し遂げるという方法は阻止すべきだ。唐突に呼びつけておいて言い渡す任務としては過酷なものとなろうが、我々には諸君らの力が必要なのだ。」ジョシュアの素直な感想に対してハワードが言う。さらに補足するようにリアムは言った。

「今や薬物問題の解決はこの国にとっては最重要課題と言うことが出来ます。キリオン大統領は数年に渡り薬物密売組織に対する圧力を強め、その撲滅にも力を注いでいました。密売組織の撲滅は大統領が望む理想であることは確かですが、今回の一連の奇跡における第四の奇跡で殺戮を匂わせる方法で殲滅が宣言されたことについては深く憂慮されています。それが神の名を使い、大衆扇動した上で成し遂げられる大量殺戮を意味することに対して非常に強い懸念を抱いているのです。」

「誰もが善なる存在であると疑わない神の名を用いた大衆扇動か。似たような事例が無いわけでもない。言葉は悪いが、さながら第二次世界大戦におけるナチスのようだ。日本との同盟に関して “神の国が我々に味方した” と演説した記録もあったな。」ジョシュアが小声で言う。

「否定できません。大統領が危惧されている理由には同じ考えが含まれているのではないかと考えています。」

「歴史が歩んだ事実とは異なり、今回は明確に社会的悪と規定される薬物密売組織が対象と言うところで事情が大きく異なりはするが、その感覚は間違いでは無いだろう。危険な思想だという点も含めて。」ジョシュアの感想にリアムとハワードが同意を示す。

「大統領がヴァチカン教皇庁へ秘密裏にこのことを伝達したのも、自分達が信仰する神や主の聖名がそのように使われることに対して憂慮された結果でしょう。今後の奇跡で殺戮が繰り返されたとしたら、場合によっては世界中に存在するキリスト教徒を巻き込む大変な国際問題になりかねません。こうした事情を把握したヴァチカンは即座に先ほどお話した二人をこの島へ派遣しました。」

 リアムはこの問題に対して “この国だけの問題という訳にもいかない” と言った理由を示す。


 キリスト教は西方教会と東方教会を含め、全世界に20億人以上の信者を持つ世界最大の宗教である。

 そのことを考慮しても、例の少女が “神の聖名において” 裁きという奇跡、言い換えれば殺戮をもたらすと宣言したことは大変危険なことであり、それが実行された場合どのような混沌を生み出す結果になるのかも想像に難くない。


「そういえば、そもそも今回の調査を機構へ依頼したのはキリオン大統領だと言ったな。」

「はい。最初の依頼を受けて以後も定期的な情報交換を継続しています。そして第四の奇跡を目の当たりにしたことで事態の収拾は急務となりました。各々が持つ力を結集して早期解決を図るため、今後は我々も政府や警察と緊密な協力関係を築きながらの調査活動となります。」ジョシュアの確認にリアムが返事をした。

「早速だが、キリオン大統領とは明日の午前10時に会合を持つ予定となっている。当然、諸君らにもその場に出席してもらう。イベリス、貴女も一緒に来てもらう。」

 ハワードの言葉にマークתの面々は困惑の表情を浮かべる。

 イベリスの同席?機構外に対しては秘匿情報であるはずの存在を大統領が知っているというのだろうか。誰もがそう思った。

「ハワード。確認をするが、キリオン大統領はイベリスの存在を知っているのか?彼女の存在は機構内においてのみ開示され、対外的には秘匿されている機密事項であるはずだ。」ジョシュアが言う。

「そうだ。大統領は彼女の存在を知っている。知った上で我々に会合を持ち掛けてきたという事実がある。」

「どういうことだ?」

「誤解の無いように先に言うが、我々から彼女の存在を彼らに対して公表したという事実は一切ない。あれは、我々が諸君らに応援要請を出して間もなくのことだ。大統領から私達支部の人間を含め、マークת及びイベリスと会合の場を持ちたいという提案が為されたのだよ。無論、その際にイベリスのことについては一切の回答を差し控えたが、彼は確実に彼女という存在があることを認識している。こちらから尋ねたわけではないが、情報源はヴァチカン教皇庁の使者からだとも言っていた。」

「ヴァチカンが情報を?それも解せない話だな。」

「どういう経緯で彼女達が情報を掴んだのかは分からないが、総大司教ともう一人の修道女。彼女達はどうやらイベリスの存在を知っているらしい。」ジョシュアの追及に対しハワードは包み隠すことなく事実を話した。


 ヴァチカン教皇庁の使者。総大司教 ロザリア・コンセプシオン・ベアトリス。

 玲那斗はジョシュアとハワードの会話を聞きながら、先程まで行われていた説明の場でその名を聞いたイベリスが驚きを見せたことについて一瞬考えたが、その場で言及することは無くすぐに頭の片隅に思考を追いやった。


 二人の話に割って入るようにリアムが言う。

「話の流れとしてこの場でお伝えしておくべきだと思いますので申し上げますが、ヴァチカン教皇庁から派遣されたシスター、イントゥルーザより我々と会合の場を持ちたいとの要請が本日ありました。」

「返答はしたのか?」ジョシュアが問う。

「いいえ、皆様の意思を確認していませんのでもちろん返答は保留しています。」

「この提案について承諾するかどうかは君達の意見に任せよう。現状、ヴァチカンとは何ら協力関係の構築はしていない。しかし、彼女達から接触をしたいと申し出てくるということはそれなりの意味や意図があることは明白だ。話の流れとこのタイミングという点を考えれば、我々支部の人間が目的というわけでは無く、諸君らとイベリスと対話することが目的とみる方が自然だろうな。」ハワードが補足を加えた。それについてフロリアンが意見を述べる。

「彼女達からコンタクトがあったのであれば、先の件に対する疑問を確認するのに絶好の機会かもしれません。それに今回の件についてヴァチカンがどういう考えをもって対処に当たるのかについては直接確認しておきたい事柄だと思います。アヤメという少女の言うことについてどういう立場をとるのか。そこは非常に重要なポイントです。」

「確かにいくら神の名を持ち出そうと、ヴァチカンが正式に奇跡と認めない限り、この一件については過去に起きた事象と同列に語ることは出来ないでしょう。 “聖母マリアのお告げ” であったり “神の聖名において” という唯一にして最大の口上も彼らの公認が無ければ、少なくとも国外のキリスト教徒にとっては十全な効果を発揮しないという訳です。この問題に対する教会の意思を確認した上で協力関係を築けるものなら築いておいた方が解決の糸口を掴むのは簡単になるかもしれない。私はそう思います。」フロリアンの意見に対してルーカスが独自視点も含めて同調した。

「俺も異論はない。それに、政府が彼女達と繋がりを持つ以上は、調査をする上でいずれは話さなければならない相手に違いはないだろうからな。おそらく、それが先になるか後になるかの違いでしかない。あとは玲那斗、そしてイベリス本人の意思次第だ。」ジョシュアも同意しつつ玲那斗とイベリス本人の意見を確認する。

 玲那斗はイベリスへ目配せをする。イベリスは玲那斗の視線から “君の意思に従う” という意思を汲み取った。

「それが相手の希望であるならば私も直接会って話をします。いえ、おそらくしなければならない。何となくですが、そういう予感がします。」

 イベリスの返事を聞き、玲那斗が頷くのを確認したハワードは意見を集約した。

「モーガン中尉。ヴァチカン側へ会合を受ける旨を伝えておいてくれ。日時は君の判断に任せる。」

「承知しました。」ハワードの指示にリアムが返事をした。

 続いて玲那斗が翌日の大統領との会合においての懸念を示した。

「少佐、大統領とイベリスを面会させることについては些か不安があります。」

「同感だ。私も同じ思いを持っている。先方が彼女についてどこまでの事実を知っているかは分からない。ただ機構にそういった名前の少女がいるという認識なのか、それとも我々と同等の情報を持っているのか…そこでだ。イベリスには我々機構の女性隊員としてまずは振舞ってもらおうと考えている。向こうが知っている情報がどこまでのものなのか見極める為に有効だと考えるが、いかがかな。」

 玲那斗の懸念に対してハワードも同様の思いを抱いていることを伝えた上で対応策を提示した。

 すると話を聞いたルーカスがその内容に妥当性を見出し同意する。

「妙案でしょう。明日のことだけではありません。彼女が今回の調査に加わる以上、今後どこを出歩くにしてもドレス姿のまま歩かせるわけにはいきません。大統領府での会合においても、大統領本人はともかく他職員の目に目立つ状態で見える方が問題です。当世風の服を着るにしても、私達の服装とあまりに乖離があれば共に行動する際はかえって目立つ。かといって人目に付くことを避ける為に能力で姿を消したり現したりを迂闊にするわけにもいきません。同じ隊員として振舞うというのは自然で良い考えだと思います。」

「郷に入っては何とやらだ。いかがかな?」ルーカスの意見にハワードは頷いて言う。

「えぇ、その提案であれば喜んで。」イベリスは素直に応じた。少女は久方ぶりに感じられる笑顔を見せる。

「ありがとう。では後で備品課を尋ねてくれたまえ。貴女に合う制服を渡すように話は事前に私から通しておこう。姫埜中尉、付き添いを頼む。」

「承知しました。」


 ハワードは深呼吸をして全員と視線を合わせる。そしてこの会議を締めくくる最後の取りまとめの言葉を言った。

「本会議での話は以上だ。アヤメ・テンドウが次に指定した奇跡の日付は9月13日、つまりおよそ2週間後に予定されている。はっきり言って奇跡を止めるという目的を達する為には対策を講じる時間があまりにも少ない。よってまずは “奇跡の正体” について重点的に調査したいと考えている。これから諸君らには多大な負担をかけることになるが、このまま奇跡が最後まで完遂されれば薬物密売組織に関わる全ての人間に対する殺戮行為が実行される可能性もある。彼らには然るべき法の裁きを受けさせる必要はあるが殺害は絶対に回避すべきだ。故に、最悪の結末を避ける為に異常気象及び超常現象がどのようにして成立しているのかを早急に見極めることが我々にとっての重要な課題となる。現状、政府も警察もこれらの奇跡が引き起こす結末を認識しながらも、法による介入が出来ない為に彼女を止める術を持たない状態にある。それに、これが彼女が想定したものかはさておき、迂闊に彼女本人に手を出せば彼女の奇跡による平和の到来を望む国民が黙ってはいないだろう。常識の範疇を遥かに逸脱した大変な難題ではあるが、第五の奇跡が起きるまでの間に何らかの回避策を見つけられることを切に願う。」


 会議によって明確となった一連の出来事と自分達が成すべき任務を胸にマークתは再び人智を越えた事象の調査へと携わることとなった。


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