第5節 -持つ者と持たざる者-

 マークתの全員とイベリスの視線がハワードへと集まる。

 今回の調査において、管轄区域外となる大西洋方面司令に所属する彼らに対して応援要請を出した理由がいよいよ語られる時が来た。

 少しの間を置いてハワードが口を開く。

「我々が管轄区域外のセントラル1へ応援要請を出し、この地に諸君らを呼び寄せた理由については先にジョシュアが言ったように《異常気象調査は建前で奇跡調査が実情》という言葉で間違いない。だが、それ以上に我々が諸君らの力を必要とした理由については次の記録映像を見てもらえば概ね察することができるだろう。 “第四の奇跡” 。これまでの3つの奇跡とは明らかに異なるその全貌をまずはお見せしよう。第四の奇跡はコロニア市のポーンペイ大聖堂跡地では無く、第三の奇跡の最後に少女が発した通り、テムウェン島のナン・マドール遺跡にて記録された。」


 ナン・マドール遺跡とは西暦500年頃から建設が開始されたオセアニア地域最大の人口島群の総称である。

 当時、ミクロネシア連邦という国家が存在しない時代、シャウテレウル王朝が成立した西暦1000年頃から建設が本格化したと言われ、1500年頃から1600年頃に最盛期を誇ったと言われる。

 玄武岩とサンゴを用いて作られた100を超える人工島群には巨石記念物が立ち並び、数多の人工島群のそれぞれの間は水路で隔てられている。


 ナン・マドールはシャウテレウル王朝終焉の地でもあると言われる。

 伝説上では、かつてこの地に存在したシャウテレウル王朝の王シャウテムォイが島の最高神である雷神ナーンシャペを迫害したとされる。

 それによってナーンシャペは東方の伝説の地である風上のカチャウへと逃れることを余儀なくされ、そこで人間の女性と結婚することになる。

 後に彼女から生まれたナーンシャペの息子イショケレケルは後年ナン・マドールのシャウテレウル王朝へ333人の仲間と共に攻め入り、シャムテムォイ王の治世を終焉させ英雄となったと伝説では語られている。

 ミクロネシアのアンコールワット、太平洋のヴェニスなどの異名で呼ばれるこの人工島遺跡は2016年に開催された第40回世界遺産委員会において世界遺産へと登録され、それと同時に遺跡の損壊状況などから危機遺産リストにも加えられた。

 以後、重要な観光資源として海外の観光客に公開を継続しつつ遺跡の保全活動にも重点が置かれるようになっている。


「この記録はモーガン中尉を含む支部の調査隊と、私の調査隊とが現地に赴きトリニティによって観測したものだ。とにかく見てもらう方が口で説明するよりも早い。百聞は一見に如かず、だろう。」

 ハワードはそう言うと手元の操作パネルからある映像ファイルを呼び出しモニターへ再生する。

 全員がモニターを見つめる。間もなく、8月13日にナン・マドール遺跡にて記録された映像が映し出された。




 記録日:西暦2036年8月13日 水曜日、午後。

 ミクロネシア連邦 ポーンペイ州 テムウェン島 ナン・マドール遺跡にて。


 空に一人の少女が浮かんでいる様子がまず映し出された。

 少女の背後の暗い空には無数の流れ星が輝き消える光景が幾度となく繰り返されている。

 撮影記録時間は午後1時過ぎ。太陽が天高くに昇っているはずの時間であるにも関わらず、背後に映る赤色と藍色が溶け合ったような空の色はまるで夜のように見える。

 おそらくは数万を超えるであろう大観衆が集う中で空に浮かぶ少女が口を開く。その音声は、上空から語り掛けられた人の声というよりも、マイクで収音された音声のように明確に記録されている。


『刻限はここに。聖母マリアによるお告げである。我々を苦しめる厄災は間もなく終わりを迎えます。病に苦しむ者は奇跡の水によって癒され、もはや苦しむことなど何もありません。神罰の刻は近く、それは遠雷の轟をもって貴方達に示されます。それこそが我々に与えられ給う道標の光となりましょう。その後、我らの神は “罪人を裁かれます”。』


 少女の言葉と共に、流星で満ちていた空には雷雲が立ち込め周囲一帯を覆った。


『天を見上げなさい。ここに神の威光が示されます。全ての人々よ、祈りましょう。祈りの継続によってのみこの奇跡は成し遂げられます。偉大なる聖母への祈りは拡大し、天の意思に呼応して大いなる我らの神、雷神ナーンシャペの目覚めの時が今訪れます。』


 直後、強烈な赤雷が海上を埋め尽くすように水面へ突き刺さる光景が映し出され、録音限界を超える音量がノイズとなって会議室へ響き渡る。


『我らの祈りは神話の垣根を越えてここに結実しました。災厄の元凶よ。愚かなる罪人よ。これは天上の意思。聖母マリアを通じて与えられた警告である。なれど、神はお前達に慈悲を与え給う。これより2月ほどの猶予を与えます。それまでの間にこの地を去りなさい。さもなくば、神罰はお前達に注がれ、神の怒りはお前達の死をもってのみ鎮まることになるでしょう。』


 空に浮かぶ少女は両手を広げて語り掛ける。


『全ては人々の祈りによって。天上の意思は我らの願いを聞き届けてくれることでしょう。翌月同日、天よりの御言葉はこの場に届けられます。人々よ、祈りましょう。私達の汚れなき心の祈りがこの地に勝利をもたらします。汚れなき心で奉献することによって、必ずやこの大地に、我ら敬虔なる信徒に平穏がもたらされることでしょう。』


 少女が言葉を言い終えると同時に雷雲は跡形も無く消え去り、太陽の光が海上へと差し込んだ。


 空に浮かんでいた少女はやがて大地へと降り、現地へ訪れ祈りを捧げていた人々と会話を始めていた。

 映像の記録はそこで終了されている。




 あまりに現実離れした映像にマークתの一同は言葉を失う。

「これが第四の奇跡と呼ばれる事象だ。映像に出てきた少女が一連の奇跡を起こしている本人、名をアヤメ・テンドウと言う。コロニア市内に住み、普段は学校に通う普通の12歳の女の子だ。最近は一連の奇跡のこともあって学校へ行くとき以外は外出することも無くなったそうだが、これといって本人にそれまでと変わった様子はないという。」

 記録された映像について思考を巡らせている様子の面々に対してハワードは言う。

「リナリアか。」ジョシュアはそう呟き、なぜこの奇跡の直後に自分達に呼び声が掛かったのかについて全てを悟ったように言う。

「お前さん、この奇跡と呼ばれる光景を現地で見た時、 “リナリアで体験した出来事” を思い浮かべたな。」

「伊達に古くから付き合いがあるわけではないな。お前の言う通りだよ。」ハワードは何度か頷きながら同意を示した。

「正直に言おう。この光景を目にした時点で、支部にいる誰もが、そして応援として駆け付けた我々の誰しもがお手上げだと感じた。こんなことは我々の知る常識からあまりにも逸脱し過ぎている。もはや科学で解明できる自然現象の域ではない。意図的な超常の意思によって引き起こされている “奇跡” の産物だ。」

「そこで俺達に白羽の矢が立ったという訳か。」

「そうだ。この世界中で同じような現象と相対して解決に導くことが出来たチームが他にどこにある?そんな国際機関やチームなど世界のどこを見渡しても存在しない。私達にただ一つ、残された選択肢は目の前で起きた事実を記録し、この問題の根幹を成す事情をまとめあげ、事態を唯一解決できる “力” を持つ者達の手に委ねることだけだった。」

「ハワード、残念ながらあの時とは状況が違う。結果として分かったことではあるが、リナリア島での調査は玲那斗の同行が直接的なきっかけとなり成功した事例だ。協力を求められた以上は全力を尽くすが、今回も同じようにいく保証なんてどこにもない。」

「可能性の話だよ。保証が無いことは重々承知している。それでも、それでもだ。この事象の解明について対応をするにあたって、今回の事象に匹敵する奇跡を潜り抜けて来た諸君らの可能性に賭けようと思うのはある種の自然の成り行きだと思うがね。それと何より重要なのは彼女の存在だ。」

 ハワードは視線をジョシュアから逸らす。そして理知的なライトグリーンの瞳に見据えられたイベリスは思わず言った。

「私でしょうか?」

 彼女の返事にハワードは深く頷いた。

「この地で起きている一連の出来事は、もはや我々の知る現代科学で解決し得る領域から逸脱している。どれだけ進んだ科学の叡智を以てしても、我々の力だけではどうにもならないことはもはや明白だ。逆に、奇跡と呼ばれる事象について現代科学の理論に則ったものでは無いという1点だけは唯一判明していると事実だと言い換えても良い。」

 イベリスはハワードへ視線を向け、話の行く末を静かに聞いた。

「故に、同じような人智を越えた力を持つ存在から見て、この事象がどのように映るのか意見を聞きたかった。君と彼らならば、或いはこの問題に対して有効な解明・解決手段を見出せるのではないかと考えているのだよ。」

「お言葉ですが、少佐。調査実績の高い彼らはともかくとして、私に対する期待は買い被りというものです。お話を聞く限りでは私の力でお役に立てる状況というものに今のところ見当は付きません。むしろ彼らの足手まといになるのではないかと危惧すらしているところです。貴方ほど聡明な方が根拠のない希望的観測に縋るなど、 “らしくない” のではありませんか?」

「これは手厳しい。返す言葉もない。しかし、私が第四の奇跡を目の当たりにした時、思い起こしたのは他でもないリナリア島付近における海域での一件だ。今のところは彼女の “目的” が言葉通りのものだけなのかは分からないし、発する言葉が本当に聖母のお告げによるものなのかも分からないが、少なくとも言葉の節々からこの国を守る為の行いをしているという意図は汲み取ることが出来る。それは貴女があの島を守りたいと思い力を振るっていたことと重ねられる部分もあるだろう。」

「私が行った行為と彼女が行っている行為が似ていると?そういった部分だけを切り取れば確かにそう言えるのかもしれませんが…」イベリスはハワードから視線を逸らす。

「気を悪くしてしまったのであれば謝ろう。だが、物事には適性というものがある。持つ者にしか分からない判断基準というものだ。仮に貴女が彼女と同じ立場に立ったとしたらどのようなことを行うか。それは我々が決して真似することの出来ない力を持つ貴女にしか考え付かない事柄だ。力を持たない我々には決して考え付かないことでも貴女であれば思考によって導き出すことが出来る。それが可能かどうかではなく、 “こういう考え方がある” というものを貴女からは提示して頂きたい。それがマークתの、彼らの調査の道標になると私は確信している。」

 ハワードの言葉に対し、イベリスはしばしの間無言となる。どう返事をするべきか悩んでいるようだ。

 そして思考による沈黙の後、その美しいミスティグレーの瞳をハワードへと向け承諾の意思を示した。

「分かりました。それで皆さんのお役に立てるというのであれば、善処しましょう。」

「ありがとう。感謝する。」イベリスの回答にほっとしたような様子でハワードは言った。

 二人のやりとりを見届けたジョシュアがハワードに尋ねる。

「ハワード。一つ確認するが、我々にとっての “目的” は何だ?奇跡の事象の絡繰りを “解明すること” か、それとも “奇跡自体を止めてしまうこと” か?」

 マークתが調査に加わる上での最終目標となる目的については未だ明確に語られていない。その点についてジョシュアはハワードへ詰め寄った。

「その双方だ。この奇跡がただ人々の苦しみを癒すためだけのものであったなら前者の “解明” を行うだけで良かっただろう。しかし、第四の奇跡によって語られた内容や “起きた事実” からそれだけに焦点を絞るわけにはいかなくなった。それは我々だけでなく政府も警察も、そしてヴァチカンも同じことだ。我々の目的は奇跡の原理を解明しつつ奇跡自体を止めることにある。その真意については後程詳しく説明する。」

「そうか。承知した。だが、先にも言ったように応援要請を受けたからには全力を以て力になることを約束するが、それで事態が必ず解決する保証はできない。そこに異議は無いな?」

「無論だ。重々承知している。最初から答えの分かる未来など存在しない。だが、より良い結末の為にあらゆる事象、可能性を精査し、少しでも良い選択肢を選び取ることは誰にだって出来る。私は指揮官として、この問題を解決に導くことが出来るかもしれない最善の可能性を選んだまで。決断を下したのは私だ。その責任を負うことを決めたのも。諸君らは成否に関する心配や配慮など何も気にすることなく調査に励んでくれれば良い。私はそれを全力でサポートするのみだ。」

 ハワードの言葉にジョシュアだけでなくルーカス、玲那斗、フロリアンも同意を示した。

 全員の意思を確認したハワードは偽りの無い言葉で感謝を述べた。

「改めて、心から礼を言う。」

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