第2節 -希望の光と奇跡の少女-

 潮風が香る海岸線。ポーンペイ国際空港からコロニア市街へと続く一本の直線道路の途中には屋外テーブルとベンチが設置された休息スペースがあり、広大な太平洋を臨むその場所には一人の幼い少女の姿があった。

「来た。」

 ただ一言、少女は呟く。

 艶のあるなめらかな美しいアッシュグレージュ色に特徴的なガーターブルー色のメッシュが入ったストレートなミディアムショートヘアが特徴のその少女は、空を見上げて島へ近付く一機のヘリの姿を視認していた。

「貴女もここに来たのね。イベリス。」

 誰に語り掛けるわけでもない。ただの独り言を虚空へ放つ。

「あの子も、あの女も貴女もこの地に来たというのに、お姉様がいないだなんてとても寂しいわ。」

 少女は小声で呟く。しばらく間を空けて再び口を開く。

「…えぇ。そう。友人というほど親しくもなかったけれど、私の知り合いよ。遠い昔のね。私が心の底からお慕いしている方のお友達なの。」

 そう言った後に再び無言となる。目で追っていたヘリが頭上を通過していき、ある施設へと向けて着陸を始める様子が見て取れた。

 ヘリを目で追いながら少女はまた虚空に向けて話を始めた。

「そうね。イベリスはとても美しくて、可憐で、優しくて、非の打ち所がない理想的な女性よ。彼女はお姉様ともずっと一緒に遊んでいたわ。私はその様子を遠くから眺めていただけ。文字通り、ただ指をくわえて眺めていただけなの。羨ましいと思っても話し掛けることも出来なかった。…彼女は、そんな私のことを覚えているのかしらね?」

 彼女がそう言って微笑んだ時、空模様が急激な変化を始め、先程まで晴れ渡っていたはずの空はあっという間に雲に包まれた。

 間もなく、大粒の雨が降り始める。スコールだ。それは一瞬のうちに激しい雨となり少女の体を打ちつける。

「きっと、彼女と話をする機会はすぐに訪れるわ。さぁ、お家へ戻りましょう。 “貴女の” お父さんとお母さんの元に。」

 そして彼女は鼻唄を歌いながらコロニア市内にある自宅へと向けてゆっくりと歩き出した。


                 * * *


「イベリス、足元に気を付けて。」

「ありがとう、玲那斗。」

 ルーカスとフロリアンがヘリから降りた後、玲那斗が先に降り立ち彼女の手を取って降機をサポートする。二人に続いて最後にジョシュアがヘリから降り立った。

 すると、そこにはミクロネシア連邦支部へ到着したマークת一行を出迎る為に既に1人の若い士官が既に待機してくれていた。

 短く整えられたライトブラウンの髪に加え、健康な肉体を象徴する良い色に日焼けした肌。南国特有の爽やかさをもつ若者の瞳は、この時を待ち侘びていたと言わんばかりに真っすぐに5人へと向けられている。

「お待ちしておりました。マークתの皆様。私は太平洋方面司令 ミクロネシア支部所属、同支部の司令官を務めていますリアム・セス・モーガン中尉であります。」

「大西洋方面司令 セントラル1所属 マークתのジョシュア・ブライアン大尉だ。」リアムとジョシュアは互いに歩み寄り固く握手を交わす。

 出迎えに来てくれた彼の声を聞いてすぐに直感したジョシュアが言う。

「もしや先程の通信管制は。」

「はい。私です。」

「やはりそうか。司令官自らが管制を務めるとは驚いた。先程はありがとう。着陸までのコントロールをそちらがしてくれたおかげで助かった。礼を言う。」

「いえ、貴方がたは今の我々にとって希望の光とも呼べる存在なのです。この程度のことは致します。」

 いくら何でも “希望の光” とは持ち上げ過ぎではないか。彼の大げさな言葉を聞いたマークתの一行は互いに顔を見合わせながら少し気恥ずかしさを覚えた。

「それに、先程は姫埜中尉が素晴らしい機体制御で目標ポイントへ到達してくださったおかげでその後のコントロールは難しくありませんでした。こちらこそ感謝します。」爽やかな笑顔を浮かべたままリアムは言った。

「ですって。良かったわね?玲那斗。」彼の褒め言葉を聞いたイベリスが無邪気な笑顔を玲那斗へと向ける。その様子を見たリアムはイベリスの方へ視線を向けて言う。

「貴女が…リナリアの天使。イベリス様ですね。」

 彼の言葉を聞いたイベリスはきょとんとした表情を浮かべる。

「彼女のことを知っているんですか?」玲那斗が問う。

「それはもう。男女共に、この支部の中でイベリス様のことを知らない隊員は1人もいないでしょう。貴女がそこにいるというだけでセントラル1が羨ましいという者が大勢いるほどです。」


 まるでアイドルか有名人のような扱いだ。

 リアムの答えを聞いた玲那斗は彼女のことが機構のデータベースにしっかりと登録されたということを思い出した。

 リナリア島調査における活動報告は彼女の存在を含めて事件解決後に機構内のデータベースに詳細な記録として保存された為、違う地域の隊員たちが彼女を知っていることについては特に不思議ではない。

 唯一、彼女の持つ特殊な力についてだけは一部機密扱いとしてロックが掛けられている為、特殊な権限を持つ人間にしか閲覧できないようになっているが、隊員1人ずつに与えられている小型情報端末ヘルメスを用いてデータベースへアクセスすれば機密を除いた彼女のことについては簡単に調べることが出来る。

 そんなイベリスの存在はセントラル1では誰もが知る事実だが、しかし他のセントラルや支部において情報が広まっており、ここまで熱狂的に話をされているとは思わなかった。

 やや興奮気味に語るリアムの様子から察するに、どうやら彼女の噂というものは想像以上に機構内で大きく広がっていたらしい。


「そしてもちろん、マークתの皆様のことも深く存じています。リナリアの奇跡を成し遂げた調査チーム。ブライアン大尉、姫埜中尉、アメルハウザー三等准尉、ヘンネフェルト一等隊員。遠方よりようこそおいでくださいました。改めて、心より歓迎いたします。」

 リアムはレッドブラウンの輝かしい瞳をまっすぐ向けたまま、爽やかな表情を崩すこと無く全員と握手を交わしていく。先程から続くあまりの持ち上げように慣れないマークתの全員が苦笑いを浮かべている。

 そんな様子に構うこと無くリアムは話を続ける。

「では、早速ですが会議室へご案内しましょう。今回の件について調査指揮を執っている人物がそこで皆さんを待っています。こちらへどうぞ。」

 言葉を言い切るや否や素早く踵を返し颯爽と歩き出す。

 とにかくまずはついて行って事情を詳しく聞かねばなるまい。5人もリアムの後ろに続いて歩き始めた。


 航空機の格納庫から支部内へ続く通路を通り抜ける間に様々な機材や設備、道具が並んでいるのが見てとれる。

 調査活動に欠かせない『トリニティ』と呼ばれる陸海空対応の全事象統合観測自立式ドローンをはじめ、大小含めて多数の移動式水処理装置『ルルド』も配備されている。

 見たところ、トリニティやルルドも含めてセントラルで採用されているものと遜色ない備品が整っているようだ。

 他のセントラルや支部へ赴く機会は滅多に無いのでなかなかに興味深い光景である。

 格納庫内ではマークת一行が搭乗していた大型ヘリに加え、他にも多数の同型機などが立ち並ぶ。

 少し目を逸らして海上調査艦船用ドックへと移せば、最新鋭イージス艦やヘリ運用の為の航空母艦まで収容されている様子が見える。

 中でもひと際マークת全員の目を引いたのがセントラル2に配備されている最新鋭調査艦艇『メタトロン』であった。

 モーセが書き記したタルムードと呼ばれる文書群にその名が登場する天使メタトロンの名を冠する艦艇には、36対の翼をイメージした特徴的なレーダーアンテナが装備され、その威容がある種の芸術性をも感じさせる。

 公開データ上のスペックで確認出来る限りでは未だかつてない数のソナーや観測システムなど〈無数の目〉と呼べる装備が施されており、別名『天の書記』と呼ばれる天使の名に恥じない性能を備えている。


 リアムの後に続いて歩く5人は支部の様子をじっくりと眺める。普段からとても丁寧に清掃しているのであろう航空機の格納庫やゲートに加え、支部内は各通路に至るまでも綺麗に保たれている。

 これだけの巨大な基地にも関わらず、細部まで徹底的に整理整頓や清掃が行き届いているのは支部の運営が滞りなく円滑にいっている証明ともいえよう。

 その中心を担っているはずのリアムの指揮能力の高さや手腕というものをその一点だけでも窺い知ることが出来る。


 この基地は島の景観を損なわないように外観こそ南国風の装いでデザインされた施設ではあるが、ひとたび中に入ればそこはまさに要塞と呼ぶにふさわしいスケールを持つ。

 そしてミクロネシア連邦という小さな島国にこれだけの規模を持つ支部が配置されているのには当然意味がある。

 ポーンペイ島北部のコロニア市に構えられているこの基地は、広大な太平洋地域におけるオセアニア地区の拠点として、オーストラリアに構えられる拠点と同様に重要な役割を担う。

 例えば、機構が掲げる行動理念に基づく活動内容として、身近なところから言えば付近の島に暮らす人々への給水活動がある。

 ミクロネシア連邦はいくつかの島で構成されているが、それぞれの島における水事情がかなり異なっていることも特徴である。

 ポーンペイ島はある程度の標高を持つ火山がそびえる火山島である為に雨が多く、生活水としての水に困ることはほとんど無いが、サンゴ礁によって出来た付近の礁島はそういうわけにはいかない。

 礁島では蓄えられる水の量に限界がある為、少し長い間雨が降らなければすぐに生活水が枯渇してしまうのだ。

 長い年月をかけて編み出した畜水の知恵をもってしても限界というものはある。

 この問題を解決する為には機構が持つ移動式水処理装置『ルルド』が役に立つ。海水淡水化やあらゆる水を飲用可能レベルにまで浄化できるこの装置を島へ持ち込み使用することで、その島に暮らす人々への生活用水の給水を援助することが可能だ。

 特にこの基地には他の基地と比較して大型のルルドが多数配備されており、いついかなる時でも持ち出せるように徹底した管理がなされている。

 こうした事情を踏まえて、緊急時における各島へのアクセスのしやすさを考慮した時、この位置に支部という拠点を構えることは非常に大きな意味を持つのだ。

 世界規模での地理的な側面において言えば、管轄海洋の母体である太平洋方面司令 セントラル2はミッドウェー島やハワイ諸島にほど近い場所に存在している為、アジア各国やオセアニア地域へ迅速にアクセスする為の拠点としてはこれ以上ない程優れた立地といえよう。

 また、同国内における基地の立地としてもコロニア市内にある日本大使館やアメリカ大使館のちょうど中間地点に存在することで、いくつもの島が集まって形成される国家でありながら各国大使との連携も取りやすく単独でも国際社会における協調が取りやすいというメリットもある。

 これらの特徴は特に災害時などの緊急を要する有事の際に生かされることとなる。


 作戦指令室を目指し歩く一行は、広大な格納庫を抜けて支部内の廊下へと入った。

 白色を基調として仕上げられた建物内の内装は窓が無いにも関わらず解放感が感じられとても明るく、内部は外から見たイメージよりもさらに広い。

 廊下を歩く途中で支部に在籍する隊員と幾度となくすれ違うが、皆マークת一行へと敬礼で挨拶をしてくれた。

 印象的だったのは、遠くから敬礼をしてくれた女性隊員2人組にイベリスが手を振って応えた時、とても嬉しそうな笑顔をして喜んでいたことだ。

 到着した時にリアムが熱っぽく話していた内容はどうやら真実らしい。


 基地内を足早に移動する最中、ジョシュアはヘリの中で自身も含め、ルーカスやフロリアンも気に留めていたことをリアムへ尋ねてみた。

「モーガン中尉。先程から何か時間に追われているように見えるが、件の異常気象問題というのはそれほど深刻な状態なのか?空からの様子を見た限りでは異常もなく、単に美しい南の島というように見えたが。」

「申し訳ありません。ここでお話するには些か話の規模が大き過ぎます。端的に言って、今回の件はこの国だけの問題という訳にもいかなくなる危険性をはらんでいます。会議室で全てを詳しく説明いたしますので今しばらくお待ちください。」

 この国だけの問題ではなくなる危険性?どういうことだ?

 彼の言葉が示す意味をよく理解できないまま5人は歩みを進めた。歩く最中、ジョシュアは個人的に気になったことについても尋ねてみる。

「加えて、作戦の指揮を執る人物が待っていると先程述べたが、君がここの指揮官ではないのかね?」

「はい。今回の件については早期段階から我々の手には余る問題と考え、すぐにセントラル2へ応援を要請しました。応援要請を受けたセントラル2から派遣された調査チームの隊長が今回の作戦司令官となります。指揮を執っているのはセントラル2で調査艦隊を率いるウェイクフィールド少佐です。先程皆さんがご覧になっていた新型の調査艦艇メタトロンの艦長でもあります。」

「ウェイクフィールド?ハワードのことか?」思わぬ言葉にジョシュアは確認の意味を込めて質問した。

「お知り合いですか?」

「旧知の間柄だよ。彼が国際連盟に居た頃から知っている。2年前に国連海軍からセントラル2へ転籍してきたと聞いていたが、まさかこの場で会うことになるとはな。」

「なるほど。少佐が迷うこと無く皆さんに応援要請を出すよう私に命じた理由のひとつが分かりました。リナリアの件以外にもそのような繋がりがあるとは。きっと信頼されているのですね。ますますもって頼もしい。」

 リアムは信頼を寄せる言葉をジョシュアへ伝えた。


 一行が歩き続けていくと目の前にセキュリティで保護された扉が現れた。これより先の区画は一定階級以上の者や資格を持つ者でなければ踏み入ることは出来ないようだ。

 機構内のセキュリティシステムはAI監視による自動生体認証システムとプロヴィデンスと接続された隊員全員が所有する携帯型情報通信端末ヘルメスによる認証システムがメインだが、こうした特別な区画には記憶認証、物理認証、生体認証のセキュリティ3要素を含めた複数段階のセキュリティが設けられている。

 リアムがセキュリティ装置へカードキーを通し暗証番号を押した後、続けて生体認証を行うことでようやく扉が開き奥へ進む通路が姿を見せた。

「どうぞお進みください。皆さんの情報は事前に支部のAIに登録してありますのでこのゲートを通過することでAI監視セキュリティが反応することはありません。もちろんイベリス様も登録されていますのでご安心を。」振り返りながらリアムは言った。

 彼の言葉に促されて全員が扉を通過すると同時に自動で扉は閉まり、再度セキュリティロックがかかる音が聞こえた。

「進みましょう。もうすぐ会議室へ到着します。」

 リアムに従い奥に向けて歩みを進めていくと再び立派な扉が目の前に現れた。

 上部には第一機密会議室と彫られたプレートが掲げられている。

 その扉の前で立ち止まったリアムは即座に電子コールを鳴らし用件を述べた。

「少佐、マークתの皆様をお連れしました。」

「開いている。カードキーを通すだけで大丈夫だ。入りたまえ。」すぐに返事が返される。この扉のセキュリティは既に解除されているようだ。

 リアムは入室用のカードキーを通し扉を開くと5人へ中に入るよう促した。

「さぁ、中へどうぞ。」


 ジョシュアを先頭に5人は揃って部屋の中へと足を踏み入れる。

 扉をくぐった先に広がるのはおよそ100平方メートルはありそうな広い会議室。白色を基本として纏められた内装は近未来的な雰囲気と神秘的な雰囲気が調和されたような印象で、それによって部屋が実際のサイズよりも広く感じられる。

 室内には調査会議に使用する可変式の机や自律設置型の椅子の他、資料を投影する為の巨大モニターが設置されており、壁面にはそれらを操作する為のパネルが設置されている。

 会議をサポートする為の自走式ドローンも数機ほど奥に待機しており、天井を見上げればホログラフィー投影用のデバイスも設置されているのが見て取れる。

 これらの備品全ては、機構の隊員それぞれに与えられている特殊小型通信端末ヘルメスから専用操作アプリを立ち上げることでも操作することが出来る。AIの音声認識によるハンズフリー操作も可能だ。

 各セントラルや支部との通信仕様は同じなので、その場所に合ったコントロール識別番号をヘルメスに設定すればマークתのメンバーもこの会議室の備品を手元でコントロールできるようになる。


 そんな会議室の入り口から少し離れた位置には一人の背の高い男性の姿があり、今しがた入室したばかりの5人へと視線を向けたまま佇んでいる。

 佐官の制服に身を包み、左胸には少佐階級を表すエンブレムが光る。

 全員の入室が完了した後にリアムが部屋のドアを閉じて内側から施錠すると、部屋で待っていた男性が挨拶をしながら近づいて来た。

「マークתの諸君。いまだかつて例を見ない異例の応援要請にも関わらず、遠路はるばるよくぞここまで来てくれた。」

「久しぶりだな、ハワード。まさかこんなところで出会えるとは思わなかった。いや、ここではウェイクフィールド少佐とお呼びした方が宜しいか?」その人物が誰なのかを深く知るジョシュアが彼の胸元に光るエンブレムを見やりながら挨拶に応えた。

「規律というものを鑑みるならばそうだろうが…何、この場における私の階級章は飾りに等しい。機構での経験はお前や君達マークתの面々、そしてモーガン中尉の方が圧倒的に長い。私にとっては皆が先輩だ。他に誰がいるわけでもない。この場においては好きに呼んでくれて構わんよ。」

 久しぶりの友人との再会に少しだけ硬い表情を崩しつつハワードは言った。

「久方振りだな、ジョシュア。お前も元気そうで何よりだ。国際連盟で言葉を交わして以来になるか。」ハワードはそう言った後に他の4人へ視線を向けて話した。

「さて、他のメンバーにもまずは自己紹介をしなければならないな。私はハワード・ウェイクフィールド少佐だ。普段はセントラル2で艦隊指揮を執っているが、モーガン中尉からの応援要請を受け今は彼らと共にこの地で起きている “問題” についての調査指揮を執っている。」

 威厳に満ちた風貌の男性はジョシュアを除く4人に向けて自己紹介をした。

 短めに刈られた豊かなアッシュグレイの髪を七三にまとめ、軍人然りとした雰囲気を身に纏っているが威圧感は無い。ライトグリーンの瞳から窺える理知的で落ち着いた印象はまさに指揮官の立場に立つ者にふさわしいと誰もが感じるであろう佇まいだ。

 彼に続いて玲那斗達が自ら自己紹介をしようとしたところをハワードは手振りで制止した。

「君達マークתのことはよく知っている。姫埜中尉、アメルハウザー准尉、ヘンネフェルト一等隊員。そして…」ハワードはイベリスの方へ体を向ける。

「貴女がイベリス。イベリス・ガルシア・イグレシアス・ヒメノ。リナリアの天使と呼ばれる奇跡の存在だな。千年より昔、かつて大西洋の島に存在したリナリア公国の次期王妃となるはずであった者。」

 彼の言葉に一同は何も発することなく静かに耳を傾ける。イベリスは目を丸くしたままハワードの方に視線を向けていた。

「イベリス。私が貴女に会うのは実の所これで2回目だ。貴女が私のことを認識していたかどうかは別として、私は2年以上前に君の姿をリナリア島付近の海上で目撃している。」

 ハワードが言い放った言葉にその場にいた誰もが驚きの表情を浮かべた。周囲に構うこと無くハワードは話を続けた。

「ここにいる者は皆私の名前に聞き覚えがあるだろう?当時、世界中のメディアがこぞってニュースで取り上げ、連日いやという程喧伝されたからな。かつて、国連海軍の大佐として国際連盟に所属していた私は西暦2034年5月、各国の精鋭により編成された艦隊を率いてリナリア島上陸調査に出向いた。だが、皆も知っての通り未知の怪奇現象により調査は失敗。何も成すこと無く、島へ近付くことすら出来ずにその場から逃げるように立ち去ることしか出来なかった男だ。」

 一呼吸おいて体の向きをイベリスへ向けながらハワードは言った。

「あの時、突如として我々の視界を完全に遮った霧が晴れていくその瞬間、私達は貴女の姿を視認した。」

「なるほどな。国連主導の調査艦隊。その指揮をお前さんが執っていたことは知っているが、例の資料にあった “少女の姿” の目撃者の一人でもあったわけか。」ジョシュアが言う。

 その言葉にハワードが反応を示そうとしたその時、イベリスがやや俯き加減に謝罪の言葉を述べた。

「ごめんなさい。貴方の姿は見ていませんが、その日の出来事は確かに私の記憶に残っています。信じてもらえないかもしれませんが、私は貴方がたを傷付ける目的であのようなことをしたわけではありません。ただ、島に近付いてほしくなかった。」

「承知しているとも。だが、君の謝罪について私が当時担っていた立場としては “気にするな” などと言うことは出来ない。実際問題、国連海軍はあの事件によって協力国家の艦艇を2隻も失うという大損害を受けたのだから。」

 全員が静まる。この状況では誰も何も言うことが出来ない。次に発する言葉を見つけることが出来ないままイベリスはただ俯いている。

 そんな中、静寂を破ったのはハワード自身だった。

「しかしだ。しかし、立場を抜きにした私個人の意見としては別の考えを持っている。あれだけの被害を出したにも関わらず、死傷者がただの一人も出なかった事実。私はあの事件以後に貴女という存在を知って以来、あるひとつの考えを抱き続けているのだよ。丁度良い機会だ。当事者としてこの考えを本人に問うてみるのも悪くないだろう。イベリス、貴女はあの時、あの瞬間、自らの意思で “人的被害が出ないように” 取り計らってくれた。違うかね?」

「それは…」ハワードの問いにイベリスはそれ以上答えない。

 黙り込んでしまったイベリスに対してハワードは穏やかな口調で諭すように言う。

「うむ。誤解しないでほしいが、私は君を責めるつもりで今この話をしているのではない。むしろ死傷者が出なかったという事実に対して感謝を伝えようと思っているのだよ。」

「感謝を…?」きょとんとした表情でイベリスはハワードへ視線を向けた。

「あの状況下において、何人も島へ近付けたくないという自らの意思を貫きつつ、誰も傷つけたくないという理念を持つ貴女は、それら二つの一見相反する思いを現実の結果として導いた。私は貴女のその強い意思と優しさに対して敬意を持っている。私も含めて当時は皆が貴女という人智を超える存在に恐怖したが、結果として貴女は誰も傷つけることは無かった。加えて言えば、私達以前にも歴史上記録にある限りではあの島周辺での死傷者はただの1人も “存在しない”。故に私は貴女に対して礼を言おう。当時私に付き従ってくれた部下達を傷付けないでくれてありがとうと。あくまで、 “私という個人の立場で” という条件付きの話ではあるが。」

「とてもお優しいのはきっと貴方ね。そう言う風に言ってくださるとは思っていなかったわ。ありがとう。」イベリスはようやく微笑みを見せてハワードに礼を言った。

 少し間を置き、傍で話を聞いていたジョシュアがハワードへとある質問を投げかけた。

「ハワード。確か例の事件の後、お前さんは国際連盟から顕彰を受けたはずだったな。そんな人物がどうして機構へ?」

「今回の事件には直接関係のない話だ。故に今この場においてはただ一つ、私は国際連盟という組織そのものに対して大いなる疑念を抱いているとだけ言っておこう。それだけだ。国連から退いた私を快く受け入れてくださったヴァレンティーノ総監には深く感謝をしているよ。」

「そうか。」答えを聞いたジョシュアは短く返事をした。

「さて、少し個人的な話が長くなってしまったな。諸君、これからしばらくの期間、改めて宜しく頼む。」

 そう言うとハワードはジョシュア、玲那斗、ルーカス、フロリアンと握手を交わしていく。そして最後にイベリスとしっかり視線を合わせて固く握手を交わした。

「では諸君らに協力を仰ぎたい今回の調査任務について詳しく順を追って説明していこう。長旅で疲れている直後で誠に申し訳ないが、正直この話はとても長いものとなる。5年前から振り返ることになるからな。とにかくまずは席を用意しよう。」

「なら座り心地の良い椅子を頼む。少々腰が痛くてね。」話が長くなると聞いたジョシュアは腰に手を当てつつ個人的な要望を言う。

「歳ではないのか?しばらく会わない内に随分老け込んだな。だが案ずることは無い。ここにある椅子はヘリのものより格段に座り心地も良いだろう。」

「そうか。それは助かる。」返事を聞いたジョシュアは微妙な顔付きのまま、しかし旧友の冗談に笑顔で返事を返す。

 その後、ハワードも固い表情を幾分か崩しながら改めてリアムへ会議用レイアウトの変更を指示した。

「ではモーガン中尉。レイアウト3で設営を頼む。」

「承知しました。」


 リアムが手元のヘルメスからレイアウト変更の指示を出すと、室内に存在する可変式の机や自律移動式の椅子が可動を始めた。

 議題を話しやすいように机は長方形へと形を変え、自律式の椅子がそれぞれの座る位置に向けて整列していく。部屋に備え付けられたモニターは全員の位置から目視しやすい位置に移動を開始していた。

 会議に必要な座席の用意が完了するのを見届けたハワードは全員へ着席するように促す。そして全員が腰を下ろしたのを確認してから自らも腰を下ろし、本題について話し始めた。

「さて、冒頭からこのような話をするのも些か奇妙に感じられると思うが、ひとつ断っておく。今から諸君らに話す内容に嘘は含まれていない。全て真実だということを最初に伝えておきたい。我々は今この地で巻き起こる問題の解決の為に君達マークתと、それからイベリス、貴女の力を必要としている。お世辞などではなく、事態を収拾する為に何としても君達の助力が必要なのだ。」


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