#2

「なぁ、もし『生物をデザイン』するならさ、お前ならどう考える?」

「……は?」


 数学の授業のさなかに、前の席のこずえが急にこちらを振り向いて、小声でそんなことを言い出した。


「……いや、前向けよ」

「おう。で、どうよ」


 話を聞いていない。

 体を横にスライドしてこずえの机を覗くと、彼はすでに演習問題を解き終わっているようだった。こちとら彼ほど数学の得意なわけでもなく、まだ計算に忙しんでいる真っ最中だ。だというのにこいつは……。


「急になんなんだよ……、文脈がわからんが……」


 「や、まぁ。なんていうの」こずえは腕を組んで背もたれに肘を掛け――本格的に長話の体勢だ――言葉を続けた。「よくあるじゃん、ほら。SFとかでさ、空想上の生物って出てくるじゃん。あれ、結構、今の地球に存在してる生物をベースにしちゃってる気がする……いや、知らんけど、まぁ、なんか納得いかなくね?」


「はぁ……?」よくわからない。僕のそのまま、よくわからない、といった風に漏れてしまった相槌に、こずえは視線を中空に漂わせ、言葉を探し始める。


「例えばさ、どんな映画見ても大体、空想上の生物って言っても、頭はあるし、目はあるし、手足があって、口があり、内臓がある。頭を銃で撃てば大体死ぬ。つまり脳があるんだよな」

「あぁ……」ものすごく偏見ではないだろうか。例えば普通に、頭を銃で撃っても死なない怪物が出てくるような映画って山のようにある気がする……山のようにはないか。


 生返事をしながら教室の前方に視線を向けると、先生――須賀先生といい、イケメンのため女子から人気がある――はといえば、今は教壇の隅の教師用椅子に座り、こちらにちょうど背を向けて、手元に表示したディスプレイに目を落としている。次の単元の確認をしているのだろうか。そんな先生と、先生の様子を伺う僕とを完全に無視し、なおもこずえは続ける。


「でもちょっと待て、って思うんだよな。生物って、そもそもどうして頭があって、目があって、手足があって、口があって、内臓があるんだ? 頭に中枢があって、それが体の全体を制御してて、統制してる、って機構、今地球にいるおおむねの生物がそれに踏襲してるが、それってつまりそれがベストな構造だからなのか? 自然淘汰にせよ、インテリジェントデザインにせよ、そこに行きついて現行それに則ってるってことは、まあ実績はある仕組みだってことではあるが、もっと別の仕組みって考えられねーだろうか? 俺は考えてみたい」


 知らんが……。興味を惹かれる話ではあるが、今はそんな話をするための時間でもない。僕の右手はずいぶんと動くのをやめてしまっている。須賀先生が手元のディスプレイから視線を上げた。今にもこちらを向きそうだ。


「生物に必要な要素を抽出して、一つ一つ検討していけば、既存のデザインに踏襲しない全く新しい生物をトップダウン的にデザインできないだろうか? どう思う?」

「うーん……。そうかもね……要素って例えば?」

「例えば」こずえは考え込む。「例えば、最低限、『時間』と『因果』があるこの世界に存在する以上、まずは『始まり』、つまり『誕生』があるというのは最低条件じゃん。でさ、始まって、それが生物として何らかの『活動』をしているなら、『自分自身』と、その『活動』とを維持しなきゃいけないわけじゃん?」


 「……そうかも」興味を惹かれてしまうので脳の半分で話を聞きながら、もう半分で演習問題を……無理だ。くそ。「ハァ……」演習問題は諦めてしまうことにし、溜息をついて顔を上げる。

 と、須賀先生がついにこちらを向いた。先生は後ろ向きに座るこずえと、須賀先生を見ている僕(ばっちり目が合ってしまっている)とを交互に何度か見やり、――再び背を向けて手元に視線を落とした。良いのかそれで……。


「生物として始まったそれには、『自分自身』と『活動』とがあって、『自分自身』と『活動』とを維持するためには、『自分以外』を『自分自身』あるいは『エネルギー』となす必要があるよな。そうすると、『自分以外』を取り込むための取り込み口が要るのと、取り込んだものをそれに変換するための機構がいる。つまり『口かそれに相当するもの』と、『消化器官かそれに相当するもの』は、生物には必須ってわけだよな……」


 まぁそうかもしれない。そうかもしれないのだが、……。


「……あのさ、今言ってる『生物』、ってさ、そもそもどういう定義なわけ」


 こずえは視線を落とし、うーん、と唸った。


「知らねぇ……。とりあえず自分で動いて自分で殖えて自分で自分を維持してるもの、ってぐらいのイメージで言ってる……」

「そっか……」


 しばらくこずえは沈黙し、それから前に向き直った。そののち少し考えてから、ちらりとこちらを振り返る。「後で演習写す?」「別にいいよ」「そっか……」こずえが再び前を向くと、須賀先生が演習時間終了の声を上げた。


 次の単元が始まり、教室じゅう、皆前方に注視し、僕も授業を進める須賀先生を見ていた。相変わらずイケメンなので目の保養になるなあと思いながら、こずえの話に相対するモードに頭が切り替わったせいか、肝心の授業の内容がまるで頭に入ってこなくなってしまった。


 『生物をデザイン』するならどうするか?


 全くの無から、この世界に『生物』という作品を作り出すとき、僕ならどのような要件を挙げるだろうか。


 まず、『誕生』。次に『口かそれに相当するもの』、それから『消化器官かそれに相当するもの』。これは確かに必要かもしれない(『誕生』というのもなかなか抽象的だが……)。


 それから、そうだ、生物『それ自体』というものがあるのであれば、『それ自体』という実体を何らかの形で『制御するための仕組み』が必要になるはずだ。例えば、人間で言うならば、神経と、神経を伝わる電気信号、だろうか? あとは、そう、そもそも『それ自体』があるなら、『それ自体』と『それ自体でないもの』――『他者』とを隔てるもの、つまり『皮膚かそれに相当する自と他を隔てる何らか』も必要になりそうだ。それに、そうだ、『他者』を認識するための何らかの器官――目とか、耳とか、鼻とか、舌とか、触覚とか――といったものも必要なのではないか? 『感覚器官かそれに相当するもの』とでもいえるだろうか。


 手元に表示したノートアプリに、思いつくままにアイデアを書き連ねていく。こずえはといえば、すでに授業の板書に戻っていた。いや、彼のことだから、板書しながら片や脳内では今の話についてまだまだ考えているかもしれない。どうだろうな……。


 僕はぼんやりと窓の外を見た。それから艶がかって照明の光を映す窓ガラスを見、ケイ素生物、という単語をどこかで耳にしたことがあるのを思い出した。曰く、四つの共有結合が可能な炭素、それによる化合物である有機物によって構成された生命が我々なのならば、同じく四つの共有結合が可能なケイ素による高分子の化合物により構成された生物もあり得るのではないか? そんな話だったように思う。


 たぶん、ケイ素生物にしても、おそらく、そう、口はあるんだろうな。それから消化器官と、何らかの感覚器官も備えていて、何らかの仕組みでそれ自体と活動とを制御統制されているはずだ。きっと神経か、それに類するような何かを媒体として、何らかの情報が全身に送られていて――。


 そこで、ふと思いつく。


 情報、というそれ自体も、もしかすると生物の体躯たり得るのではないか。生物を構成する媒体は、何も物理的に存在する何物かである必要は、別にないのではないか?


 そんなSF小説を、どこかで読んだことがあるような、そんな覚えもあるような気がしてくる。――いや、きっとどこかにそんなフィクションもすでに存在するのだろう。僕程度が思いつくようなくらいのこと、どこぞの先人がきっとすでに考え尽くしたことなのだろう、それくらいは僕でもわかる。けれど、この考えは何か、更に深く考え探ってみても良いような、ワクワクするような深遠さというか、興味深さを感じた。情報によって構成された世界の中でこそ生まれ得る、情報によって構成された生命体?


 それには、例えば口はあるのだろうか?


 消化器官はあるのだろうか?


 何によって体躯の統制を取り、どのような生命活動をし、そしてどのように周囲を認識するのだろうか?


 それ(さしあたって情報生命とでも呼ぼうか……)は、それが備える感覚器官によって、周囲を、例えば今僕が『目』で知覚しているような肌感で、色味で、質感で、情報によって構成された世界を知覚することができるのだろうか?


 情報、更にもう一段具体的にしてみても良いかもしれない。


 例えば、コンピュータの上で動作するプログラムとして、電子的な情報によって構成される生命というのはどうだろう。そういうものが存在し得る、というのも、正直なところかなり現実的な気がする。例えば、今こうしていろいろと考え巡らしている僕でさえ、脳内のシナプス同士が連結したネットワークの上をやり取りされる電気信号の総体としてこうして思案しているわけで、もしこの営みそれ自体を機械の上で再現すれば、それはまた僕とは別の、新しく生命と呼べるものになるのかもしれない。


 ここまでくると、むしろ生命としての要件以前に、前提条件として『何を媒体とするか』の検討が必要になってくる気がしてきた。いや、むしろもはや媒体どころか、『何を世界とするか』ないし『世界それ自体がどう在るか』というところにまで行きつくのだろうか。要は、それが決まらなければ、自と自の活動を維持するために、口や消化器官が必要になるのかどうか、更に言えば自と他を隔てる必要があるのかどうかも議論の余地が出てくるのではないか。ええと、要するに、世界とその生命とが一体となっているものとしての在りようも考え得るわけで……。


 つまりその……。


 ……そもそも生命とは? 生きるってなんだ?


 やはり結局そこに行きついてしまうのか?


 頭の中が混迷を極めてきてしまい、ぼんやりと前方に視線を漂わせる。板書もせずにずいぶんと時間が経ってしまい、これは本格的に、後でこずえに板書を見せてもらう必要がありそうだ……。


 こずえの後頭部を睨みつけてみる。おい、生きる、って何なんだよ。心の中で問いを投げかけてみるが、当然返事はない。後で問いただしてやろうか、……いや、やめよう。ただの痛いやつになってしまう。今も相当痛い奴ではある。痛い奴であることを甘受して、あと少しだけ考えを続けてみることにする。この世界に生きている生命は、一体何のために生きているのか。


 そこで、ふと思い至る。


 いわば『存在意義』――生命がそこに在る意味付け、ということも前提条件として考える必要があるかもしれない。そしてそれは、そもそも何のためでもないかもしれないが、一方もしかすると、神とか、何か上位の存在に鑑賞されるために生きているというのもあり得るよなぁ。あるいは、外界を認識すること、それ自体が存在意義なのだろうか。


 例えばもし、生きる目的に、『外界を認識する主体』という意味合いがあるのだとしたら、その場合に必要になる要件は何だろうか?


 大概汚くなってしまったメモアプリの末尾に、僕は最後に一言だけ書き留めた。


 つまり、外界を認識するために必要になる生命の要件。


 今僕らが生きているこの世界において、その要件の実装に当たるもの。


 その呼び名を貰うとすれば、それこそがきっと『魂か、意識か、それに相当する何か』ということになるのだろうか。

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