鈍色

古根

#1

「おはー」

「おー、おはよー」

「二人は?」


 まだだよ、とこずえ。机に頬杖を突きながら虚空を見つめている。おおかた動画でも見ているのだろう。僕が鞄を机の横に提げ、ブレザーを脱いで椅子に掛け、腰を下ろしたタイミングに、それまでぼーっと中空に合わさっていた彼の視線がスッとこちらを向いた。「あのさ」と声が上がる。


「ちょっとこれ、見てみてくれない?」


 こずえの手元の空間に立体映像ホログラムが浮かび上がる。半透明の立方体。向こう側の景色が透けて見えるうちの真ん中のあたりに、ぼうっと淡く色染みが浮かんでいる。


「えー……」


 僕は中空に手をかざしてアプリ一覧を呼び出し、カラーセルを読み込むためのアプリをタップする。「サンドボックスでね」「えぇ……」アプリを閉じ、言われるがままサンドボックスを作り、その仮想環境の中でアプリを立ち上げ、カラーセルの情報を読み込んだ。ファイルビューアにずらりと数十個のアイコン――画像ファイルが立ち並ぶ。


「写真?」

「うん。画面共有して」

「うー……ん」


 こずえの方をチラリと伺うと――あぁ……また悪い顔をしている。仮想環境のビューアをこずえに向けて可視化すると、「昨日さ、行ってみたんだよね」すかさずこずえがこちらに身を乗り出し、口を開く。


「みづきが言ってたじゃん? 旧市街……」

「……マジ?」

「うん。へへ……で、写真撮ってきたぜ」


 なるほど、と得心がいく。


 だからカラーセル・コードとサンドボックスなのだ。おそらくこれらの写真は署名されていない。じっとりとこずえに視線を送ると、彼はこちらの顰蹙などどこ吹く風で画面に視線を這わせ、やがてそのうちの一つを指差した。


「これっ! 開いて……」

「うん……」


 十時五十分。ファイル名には、時刻と昨晩の日付がアンダーバーで連結されてついていた。タップすると、仮想環境のビューア内部で新たにビューアが立ち上がり、一枚の写真が表示される。


 真っ暗だ。殆ど暗くて何も見えない。


 目を凝らしてみる。画面上部にひときわ大きく映っている濃紺の領域は――夜空。明度もほぼ近くて判然としないが、巨大なビル群のシルエットが黒々とあって、下の方まで視線を滑らせていけば、次第に地面のタイルが判別できるようになってくる。たぶん高架街道だ。両脇には街灯が立ち並んでいるが、今灯りは点っていない。


 ビル街。高架街道。


 道は真っ直ぐに続いている。


 奥に何かがある。写真のコントラストを上げてみる。


 巨大な建物。その正面に、開け放たれた自動ドアが黒々と口を開けている。


「スキャンのタイミングが悪くて昨日はここまでしか行けなかった。へへ……もっと先がある」


 こずえの笑みが深くなる。――ヤバい。


「僕はやだよ?」先手を打ってみるものの、どうやら狙いを外したようで、「や、一緒に行こうって話じゃねーから大丈夫」フーンと鼻から息をつきながら、彼は椅子に横座りのまま壁に深く凭れかかる。


「俺がさ、前にお前がなったように――」

「もっとダメだ」


 ケチ、と呟きながらわざとらしく唇を尖らせるこずえに、この話は終わりだと態度で告げると、今度は彼から恨みがましい視線が向けられ、その後盛大な溜息があり「過保護かよ~」とのぼやき。


 しばらく無視していると、いつしか、こずえからなぜか優しい目線が向けられていた。「な、何……? 気持ち悪……」「ん? なんも? まぁ……うん、や、行かねえから安心しろ?」答えるこずえの口元が、先ほどの悪い笑みとは打って変わって優しく綻んでいるので、釈然としない思いを抱えつつも、まぁ、一人で勝手に突っ走らない言質を得られたのだからとひとまず安心することにする。

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