ギアはひとつじゃ回らない

燈 歩(alum)

1.

「げ……。最悪……」


 鏡にはボロボロの肌が映っていた。もう若くないって言われているみたいで、朝からだいぶ気持ちが落ち込む。


 マスク社会で良かった。肌が落ち着くまで、簡単なメイクだけで乗り切ろう。


「…で、眉毛書くの忘れたの?」


「だってショックだったんですもん。昨日あんなに頑張ってメイクの勉強したのに、今朝鏡見てガッカリ」


 出勤するなり、冴島さんにトイレに連れて行かれた。本日二度目の鏡の前の自分。そこには、眉なしのマヌケ面があった。なんていうこと。人のそれなら笑い話にできるのに、自分のことだと全く笑えない。


「メイクの勉強? また自分磨き?」


「そうなんですよ。YouTube見ながら、一日書いたり消したり」


「呆れた。そりゃ肌もボロボロになるでしょ」


 冴島さんは、化粧ポーチからアイブロウを取り出してこちらへくれた。


「ありがとうございます。恩に着マス」


「そんな大袈裟な」


「あ、そうだ。今日空いてますか? このご恩はご飯で返します!」


「いいけど居酒屋はなしね」


「ふふふ。私は最近、料理教室に通い始めたのです。そこで培った腕を披露しますよ」


 鏡越しに目が合った。冴島さんはいつ見てもバッチリ決まっている。短めのショートカットが良く似合っていて、カッコイイ大人の女性って感じ。仕事もバリバリできるし、とても一つ上とは思えない。そのキリッとした顔が、複雑そうな顔に歪んでいる。


「いいけど。練習台ってこと?」


「ちがっ…! そういうわけじゃ」


 あわあわと弁明するものの、上手い言葉が出てこない。そんな慌てふためく私の様子を見て、ふっと柔らかい表情になる冴島さん。


「冗談だよ。柴田のことだもん、そんなことないよね」


「よかったー」


「それより、大変じゃない? 仕事終わってから料理するの」


「あ、それは大丈夫です。この前の休日出勤分、今日の午後に振り替えてあるんですよ。だから買い出しも仕込みもバッチリです!」


 そっか、と言ってちょっとホッとしたような顔の冴島さん。気遣ってくれたことが分かって嬉しくなる。


「じゃあ、適当にお酒買っていくよ。柴田は甘い系のお酒が好きだったよね?」


「そこまで気を遣わなくていいですよ。こっちがお礼したいんですし」


「それだと私が落ち着かないの」


「んー、じゃ、お言葉に甘えて」


「うん」


 しっかりと眉毛があることを確認して、アイブロウを返した。


「このまま仕事してたら、みんなの笑い者になるところでした。ありがとうございます」


「その方が面白かったけどね」


 そう言って笑う顔は本当に楽しそうで、ちょっと悔しい。


「今日も一日、がんばりますか!」


 悔しい気持ちを振り切って、トイレを後にした。

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