第5話 後部ライト

 川崎市には、全国でも有名な歓楽街がある。銀子の友達二人の職場は、その中にあった。町内に圧倒的な人脈を持つ範子さんは、ずいぶん前からこのことを知っていたそうだ。でも、あえて黙っていた。

 銀子の友達一人目は、通称「アメリカン(僕たちがつけたあだ名だ)」。見事な金髪だった上に、明らかに顔立ちがハーフだった。鼻は高く、彫りは深く、日本人離れしていた。おまけに彼女はとてもスマートで、僕たちの間でも人気だった。

 もう一人は、通称ブル(ブルドックのことだ)。彼女はずんぐりむっくりな体系で、熊みたいな顔をしていた。髪はピンクで、いつも派手なお化粧していた。典型的な、「アメリカン」の引き立て役だった。または、漫才のボケ担当だった。

 僕と範子さん、郁美さんは、最寄りの駅に16時に待ち合わせた。昨日は雑木林で、今日は色と欲の世界だ。残念ながら、温子さんは17時から店でバイトだった。

 学生服の僕、女子大生二人。歓楽街がまったく似合わないグループだ。そう思ったら、ホストクラブの前に、100インチ近いモニターがあった。

「僕は、翼と申します。貴女の夢を、必ず叶えてみせます」と、ジャニーズ顔の男がモニターの中で熱く語っていた。バカバカしいなと思ったら、女性陣はモニターに釘付けだった。

「翼くん、癒されるわー」範子さんも郁美さんも、しばらく目が❤️マークだった。なるほど。女性も、ここに来ておかしくないんだ。

「お兄さん、お風呂どう?」

 学生服で女性連れの僕に。客引きが声をかけてきた。まったく、本気なのか、ふざけているのか。

「これこれ。このお店。この名前で間違いない」範子さんが立ち止まって言った。

 目の前に、八階建のビルがあった。巨大な看板が道にせりだし、スナックと思われる店名がビッシリと書かれていた。でも、範子さんが指差した看板は、一風変わっていた。なぜなら、「オカマ・バー」と書かれていたからだ。

「えっ!?」僕は思わず固まった。

「銀子の友達はね、二人とも男なの。私と郁美は知ってたけど、男の人はアメリカンが綺麗だとか言ってるから、ずっと黙ってたの」

 僕は、確かに驚いた。驚いたけれど、僕はもともと他人の噂話を楽しむ方ではない。銀子の友達が男だろうが、女だろうが、話ができればいいのだ。

「じゃ、行ってきて」と、範子さんが言った。

「えっ?」僕は驚いた。

「私と郁美は、ここで待ってるから」

「ええっ!?」

「この通り怖いからさ、早く帰ってきてね」範子さんはテンポよくそう言った。

「・・・」僕はてっきり、年上の範子さんがお店に入ると思っていた。まさか学生服の自分に、出番が来るとは思わなかった。

「大丈夫?」と、範子さんがちょっと不安そうに聞いた。郁美さんは、緊張で顔が強張っていた。

「まあ、なんとか・・・」僕は、肩を落として歩き出した

 店は2階にあった。外の階段を上がり、入り口のドアの前に立った。店名は、オネスティーだった。

「失礼しまーす」ドアを二階ノックし、ドアを開けた。店名は広かったが、人でごった返していた。いかにも、開店準備の最中だった。

「このくそガキ!何しにきたあ!」

 黒いスーツを着た、いかにもボーイさんという方が怒鳴った。僕は当然、震え上がった。しかし、収穫なしでは帰れない。

「すみません。あのー、や、山根樹里さん(銀子の本名)の件で、お話を、・・・」

「何ブツブツ言ってんだ。今すぐ消えろ!消えねえと、血い見るぞ」ボーイさんの怒りは収まらなかった。彼は、のっしのっしと僕に向かって歩いてきた。僕は全てを諦めて、目を閉じた。

「坊やー!?」そう言いながら、店の奥から二人が現れた。アメリカンさんとブルさんだった。二人はお化粧の途中だったので、まだ完全な男だった。

「ごめん。許してー。行きつけの店のウェイターなの」アメリカンさんが、ボーイに謝った。

「ね、許して。ちょっと、話させて」と、ブルさんも言った。ボーイは意外なほど、あっさりと引き下がった。二人の方が、強いのかもしれない。

「まだ開店まで、時間あるから。客席に座って」アメリカンさんがそう言って、席を進めた。ブルが、三人分のコーラを運んできた。

「ごめんね。樹里のことで、お店に迷惑かけて」席につくと、まずアメリカンさんがそう言った。

「いいえ、大丈夫です」と僕は答えた。

「樹里のことで、売上ガタ落ちなんだってね。ホントごめん」と、ブルさんも言った。

「いえいえ」

「樹里の霊が出るって、噂になってるでしょ」と、アメリカンさんが言った。

「えっ?本当ですか?」

「知らないの?みんな怖がって、あなたの店はまもなく潰れるって評判だよ」

「そう、なんですか・・・」とんでもないことに、なってきた。

「わざわざ、来てくれてありがとう。あれ以来お店行けなくてさ、今日は坊やに会えて嬉しーよ」ブルさんは、心からそう言ってくれた。僕は、正直困った。

「どうしたの、わざわざ」と、アメリカンさんは僕の目を覗きこんだ。

「実は、樹里さんの事件を調べてるんです」と、僕は言った。「店の仲間も、協力してくれてます」

「ホントにー?!」

「すごーい」こんな話し方をすると、二人はまるっきり女性だった。

「そこで、あの事件の時のことを、もう一度話してくれませんか?」

「うん」

「あの、樹里さんがさらわれたときのことです」

「その話なら、散々警察にしたよ」と、ブルさんがすねたように言った。長時間、取り調べを受けたせいかもしれない。

「それは、そうなんですけど」と僕は慌てて宥めるように言った。「警察は所詮、普段の樹里さんを知らない。普段のお二人のことも知らない」

「ふうむ」アメリカンさんが、鼻を鳴らした。

「あの店のことも知らない。店を知ってるのは、僕たちです」と、僕は言った。

「坊や。あなた、宗教の勧誘員みたいだよ」と、ブルさんが少し呆れて言った。

「そうかもしれません」と、僕は言った。「ただ僕は、店の常連客だった樹里さんに、親近感を持ってます。とても強く。恋してるわけじゃないですが、こんなことになって他人事とは思えないんです。これは、店の他のメンバーも同じです」

「そんなに・・・」アメリカンさんが、ちょっと驚いていた。

「そこで、ちょっとずつ確認していきたいんです」

「そこまで、言うなら・・・」とブルさんが言った。

「わかった。いいよ」アメリカンが言った。

「まず、あの夜店を出るときなんですが」

「うん。なあに?」アメリカンさんは、そう言って身を乗り出した。

「まず、樹里さんが先に店を出た。お二人は、期限切れのクーポンが使えないかレジで聞きましたね」

「そうそう」と、ブルさん。

「ダメもとでね」と、アメリカンさん。

「一方樹里さんは、店を出て駐車場にいた。樹里さんは、お二人を待つつもりだったんですか?それとも、帰る予定でしたか?」

「樹里は、すぐ帰るはずだったの」と、ブルさんが言った。

「あのね、お父さんの弟さんがいてね」と、アメリカンさんが話し始めた。「その弟さん、樹里から見たらおじさんね、樹里が学校行ってないことを怒ってて」新事実だった。

「そのおじさんは、樹里が私たちと付き合ってるのも怒ってるって」と、ブルさんが言った。

「樹里のお父さんもお母さんも、樹里のこと放っておいてくれてるのに、そのおじさんだけうるさいんだって。だから、しばらく早く帰るって話だったの」と、アメリカンさんが言った。

「でも、店を出たのは2時でしたよね?」と、僕は聞いた。

「やっぱりさ。そうは言っても、帰りたくないじゃん。つい、遅くなったの」と、ブルさんが言い訳っぽく言った。

「だからね。坊やの質問に答えると、樹里はさっさと帰るはずだったの」と、アメリカンさん。

「でも私たちが店を出たら、樹里が車に連れ込まれるところだった」と言って、ブルさんがため息をついた。

「私たちはね、『おじさんが来たか』って思ったわけ。樹里がここに毎晩いることは、家族も知ってたから。おじさんが、迎えに来てもおかしくなかった。だから私たち、思い込んじゃったんだよね」と、アメリカンさんは説明した。

「犯人の顔は、見てないんですか?」

「全然!」

「まったく!」と、二人は力を込めて言った。

「私たちが見たのは、黒い車に吸い込まれる樹里の姿だけ!車に乗ってた人は見てない」

「うーん。そうですか・・・」僕は思わず下を向いた。これでは、突破口が何もない。

「ごめんね。役に立たなくて」と、アメリカンさんが心からすまなそうに言った。

「でもね。私たちにとっても、一瞬だったの」と、ブルさんが付け加えた。

「あのー、車のことで、何か覚えてませんか?」ほんの思いつきで、僕はそう聞いてみた。

「ごめん。私、車もわかんないの」と、アメリカンさんが言った。

「私も。全然興味ない。どの会社のなんて車か、まったくわかんない」と、ブルも言った。

「・・・そうですか・・・」僕は、ほぼ諦めかけた。

「強いてあげれば・・・」と、アメリカンさんが言った。「坊や。ペンとノートある」

「はい?」

 僕はカバンから、ノートとシャープペンを出した。両方を、アメリカンさんに渡した。続いて、消しゴムも彼女に差し出した。

「うーん」うなりながら、アメリカンさんはノートに何か書いた。

「ああ」とブルさんが応じた。「それ、ライトだね」

「そう」

 数分かけて、アメリカンさんは1ページいっぱいに絵を描いた。その絵は、平べったい「目」の字の中に、Sが斜め横になったような図だった。

「これが、犯人の車のライト」と、アメリカンさんが言った。「反対側は、こう」反対は、Sが逆に倒れていた。

「確かに、こんな感じだった」と、ブルさんも言った。

「このライトのことは、警察は知ってます?」

「話してないよ」と、アメリカンさん。「今、思い出したから」

「ありがとうございます」と僕は、二人にお礼を言った。


「店長、この店潰れちゃうよ。銀子のお化けに祟られるって、噂になってるって!」

 店に戻るなり、範子さんが店長にそう訴えた。案の定、お客さんはゼロだった。店長と斉藤さん、片野さん、温子さんが、四人で油を売っていた。

「その噂、俺も聞いたよ」と、斉藤さんが言った。

「実は、私も」と、温子さんが言った。

「えー!?本当に???」店長は都内から、この店に通っていた。だから、近所の噂話に疎かった。

「もはや、店存続の危機なの!」と、範子さんは迫るような言い方をした。「さあ、会議、会議!作戦会議!」範子さんはそう言って、パンパン手を叩いた。彼女の横でニコニコしている、郁美さんと対照的だった。

 ほどなくして、大竹さんと下田さんも店に到着した。範子さんが呼んだのだ。これで主要メンバーは勢ぞろいした。

「よし!」と、気合十分の範子さんが言った。「じゃあ、始めるよ!さあ進、仕切って!」

「ええっ!?」僕は、びっくりした。僕は店の中で、最年少なのに。「僕、ですか?・・・」

「いいの、いいの。昨日みたいに、議事進行役を務めて」と、範子さんが言った。

 僕たちは、いつもの冷凍庫と冷蔵庫のある通路に集まった。椅子を出して、座った。数が足りないので、範子さんと郁美さんは椅子を半分ずつ分け合った。店長は落ち着かないのか、立ったままだった。もうみんな、店内はほったらかしだった。でもお客さんは、一人も来なかった。

「今日、アメリカンさんとブルさんに会って来ました。***通りの、オカマ・バーです。二人は実は、男だったんです」

「ギョエー!!!」男性陣から、ものすごい反響があった。

「ホントに?ホントに?」

「信じられん・・・」

「俺、アメリカン好きだったんだよなー」

「それは本筋じゃないの。話は、これから」と、範子さんがみんなを制した。

「やはりアメリカンさんとブルさんは、犯人の顔を見てないそうです。車に連れ込まれる、銀子だけを見たそうです。でも、不審に思わなかったそうです」

「なんで?」と、下田さんが言った。

「車に連れ込むなんて、普通じゃないだろ」と、大竹さんも言った。

「実は銀子のおじさんが、彼女の不登校や夜遊びを怒っていたそうです。だからアメリカンさんとブルさんは、怒ったおじさんが店に来て、銀子を連れ帰ったと思い込んだそうです」

「なるほどね」と、片野さんが言った。

「すり込みだな」と、下田さんが言った。

「なあに、それ?」と、温子さんが聞いた。

「事前に情報を与えられていると、見間違いや判断間違いが起こるってことさ。たとえば森の中で「熊に注意!」って看板を見たら、狸や猪まで熊に見えちゃう」

「あ・・・」と、郁美さんが言った。すかさず範子さんが、小声で彼女の話を聞いた。

「下田さんの言う通り、アメリカンとブルは銀子の家族が迎えに来たと決め込んだ。だから誘拐の現場を、注意深くみてないの。でもね、進が今日二人から重要な情報をもらってきた」と、範子さんが郁美さん代弁した。

 僕はカバンからノートを出した。アメリカンさんの絵のページを開き、胸の前に掲げてみんなに見せた。

「犯人の車の、後部ライトです」と、僕は言った。

「えええ〜!!?」とくに男性陣から、疑問のどよめきが起こった。

「何、これ?」

「こんな、ライトねえよ」

 大竹さんと斉藤さんの車好きは有名だった。

「よく見せて」と、斉藤さんはノートを受け取った。そこへ大竹さんも駆け寄った。そして二人して、「うーん」とうなって動かなくなった。

「ダメだ、降参」と、大竹さんが言った。

「俺もギブ。こんなセンスないライト、見たことない」と、斉藤さんも言った。

「ねえ、わかんないの?」範子さんが、ちょっと悲しそうな声で聞いた。

「このさ、Sが左右に寝転んだようなライト。これは、もしあったら有名になってるな」下田さんはノートを受け取り、しげしげと眺めて言った。場がさあーっと、暗いムードになるのを感じた。

「ここでちょっと、立ち止まってみましょう」と、僕はみんなに言った。

「何だ、いったい」と、斉藤さんが不審そうに言った。

「何々?」範子さんは、一縷の望みを求めていた。

「僕らは犯人の車が、大型車だと思ってる。銀子の友達が、そう証言したからです。でも僕は、それは間違いだったんじゃないか?と考えているんです」

「どうして?」今度は、片野さん。

「というのは、この漫画チックなライトを見て、大型の高級車にはあり得ない気がしてきたんです」

「まあ、この『ヘタクソな絵』通りなら、そうかもな」大竹さんはそう言ってくれたが、半信半疑な表情だった。

「つまり、銀子を乗せた『黒い大きな車』は、実は大きくなかったんじゃないか?」

「あっ!」と、斉藤さんが短く叫んだ。ギョッとして、みんな彼を見た。「軽の、ワゴンか・・・」

「はい」と、僕は静かに答えた。「銀子の友達は、車に詳しくありません。しかも遠目でした。さらに、夜中に黒い車を見て、大きく見えたのかもしれません」

「うわあっ!」今度は店長が叫んだ。隣の大竹さんが、びっくりした。「店長〜。勘弁してくださいよ。心臓に、ワルイっすよ」

「ス◯キの、エデンだ!」店長は、さらに大声で叫んだ。

「えー、これだけでわかるの?」温子さんが、信じられないという顔をした。

「線だよ、線!」と、興奮した店長は騒ぎ続けた。

「これだけど」

 下田さんが、iPadでもう検索していた。みんなが画面を覗き込んだ。それから、iPadを回覧した。画面はス◯キのサイトで、エデンなる車を紹介していた。画像はもちろん、バックから撮影したものだ。問題のライトには、左右とも中央にギザギザの稲妻のような模様が入っていた。左右いっぺんに見ると、トナカイの角みたいだった。

「これえ?」と、ちょっと不満げな範子さん。「Sの絵と、だいぶ違うよ」

 郁美さんも、首を小さく振った。

「ちょっと、ねえ・・・」と温子さん。

「・・・そうかあ?」女性陣にそろって否定されて、店長はすっかり気落ちした様子だった。

「では銀子の友達に、送ってみます」

 僕はさっき教えてもらったアメリカンさんの携帯に、エデンのバックの画像を送った。一分とせずに、アメリカンさんとブルさんから返信が返ってきた。

「これだ、そうです」と僕は、ゆっくりとみんなに伝えた。「ほおおおおおお」という、小さな歓声が起こった。

「な、謎が解けたじゃん」下田さんが、驚いた様子で言った。

「店長の、おかげです」僕がそう言うと、店長は今度は子供みたいに笑った。自然にみんなが拍手を始めた。しばらく鳴り止まなかった。

「どうして、わかったんですか?」真っ先に、斉藤さんが質問した。

「単純だよ。これ、買おうとしてたから。だから、わかったんだ」得意そうに店長は話した。

「ええっ、これ若者が乗る車ですよ!?」片野さんが、呆れた調子で聞いた。

「おい。俺まだ、30だぞ!」

「ひえー、すいませーん」片野さんは、慌てて謝った。

「まあ、とにかく」と僕は言った。「犯人は、若者の確率が高い。二十歳前から、店長までです」

「そうなるな。店長までだ」と、大竹さんがニヤニヤしながら答えた。みんなも笑顔だった。

「では、もう少し付き合ってください」

「今度は何?」範子さんが言った。彼女の目は、期待に満ちていた。

「犯人は、銀子を狙ってた」僕は、そう言った。

「なぜ、そう言い切れる?」と、斉藤さんがすぐ異論を挟んだ。「うちの駐車場で、適当に女を襲ったのかもしれないじゃん」

「それは、その通りです。でも、犯行時間は2時です」

「女の子が、ファミレスにいる時間じゃないね」と、温子さんが指摘した。「うちだと、銀子と友達ぐらいだよね?」

「そうだねー」範子さんは、あいづちを打った。

「たしかに、夜中の二時に女は釣れないな」大竹さんは、自分のナンパと比較して言った。

「深夜二時のファミレスに、女の子は少ない。でも、目立たずに襲うことができる。だから、その時間を選んだ。その時間に、襲える女の子を選んだ。それが、銀子だった」と僕は、自分の考えを披露した。

「ふうむ、なるほどね」と、店長が同意してくれた。

「では」と、僕を続けた。「僕たちは、銀子を狙う若い男を見かけたでしょうか?」

「店長までの、年代だな」と、大竹さんがまたニヤニヤした。

「お前、そのたとえやめろよ」ムッとする店長。

「うーん」と、範子さんがうなった。「銀子をジロジロ見ていた、若い男かあ」

 郁美さんも、頭を抱えていた。

「あのさ、23時頃に現れるサラリーマン。ずっとブツブツひとり事言って、ビールガバガバ飲むやつ」と、温子さんが候補を挙げた。

「あいつ、変だけど、銀子のことは気にしてないよ」と範子さん。

「それにあいつ、車はマーチだよ」と、片野さん。

「ホントか?」と下田さん。

「休日に、家族で来てました」

「あっ、そう」と、斉藤さん。

「うーん、挙動不審や客は多いけど、若い人はいないなー。それに、銀子をジロジロ見てた人もいないと思う」片野さん。

「あ・・・」と言って、郁美さんが手を上げた。

 混み入った話らしく、範子さんと郁美さんは手話で話し合った。猛スピードで、二人の両手が動いた。

「ねえ、店内に限定するのやめない?」と、範子さんが提案した。「と、郁美が言ってる」

「どゆこと?」と、店長が聞いた。

「そもそもさ、私たちに顔知られてたらヤバイじゃん。だから、見られないところにいたんじゃない。ほら」

 そう言って範子さんと郁美さんは、店の外を指差した。この店の道を挟んだ向かい側には、コンビニがある。広い駐車場があり、いつも繁盛していた。

「コンビニから覗けば、うちの店丸見えじゃないの?」

「片野!」突然、斉藤さんが叫んだ。彼は片野さんの首ねっこをつかんで、引きずりながら出て行った。片野さんは高校で、斉藤さんの後輩だった。

「なあに、どうしたの?」範子さんが驚いて聞いた。

「向かいのコンビニに、行ったんだよ」と、大竹さんが答えた。

「いい判断だよ。二人で話を聞けば情報を補い合えるし、個人の思い込みを訂正できる」と下田さんが言った。

  10分くらいして、二人は帰ってきた。

「郁美さん、あたりだ」帰るなり、斉藤さんはそう言って郁美さんに向けてOKサインを出した。

「この二か月、深夜になるとエデンが駐車場に停まってたそうです」と、片野さんが言った。

「道路の方、つまりうちの店を向いてね」と、斉藤さん。

「ほぼ、毎日停まってたから、コンビニのバイトたちはみんな知っているそうです」

と、興奮気味の片野さん。

「それ、警察に話したって?」店長が聞いた。

「いいえ。してないそうです。そもそも、そのエデンと銀子の事件を結びつけたことはないそうです」

「また、エデンか」と、下田さんは腕を組んで目を閉じた。「しかしな、いいか。俺たちがしてるのは仮定の話に過ぎない。犯人のエデンと、コンビニに停まってたエデンが同じ車だという証拠もない」

「その通りです」と、僕は言った。「僕たちは、仮定の話をしてるだけです。犯人の捜査は、警察がすればいい。

 でも、ついでにもう一つ仮定の話をしませんか?」

「何だよ、もう一つって?」真っ先に、店長がたずねた。

「僕たちはみんな、銀子が死んだと思ってます」

 さーっと、冷たい風が吹いたような雰囲気になった。誰もが自然にうつむいた。

「銀子はもう、死んだかもしれない。でももし、銀子がまだ生きていたら?その可能性を、考えてみませんか?」と僕は言った。

「銀子が、生きてる?」と、片野さんが繰り返した。

「銀子が生きてるって、犯人に囚われてるってこと?」範子さんが、大きな声を出した。

「犯人に捕まったままなら」と、斉藤さんが言った。「そりゃもう、やりたい放題だろう」

「バカッ!」範子さんが、斉藤さんに蹴りを入れた。

「もしそうなら、自分の部屋に閉じ込めてるんじゃないか?」と、大竹さん。

「すると犯人は、一人暮らしだな」と、下田さんが言った。

「家族がいても、女の子を監禁してた事件があったよ」と、郁美さんが主張した。

「親は、子供に甘いからな」と店長。

「老いた親だからじゃ、ないですか?もう力で、子供に敵わないから」と、温子さん。

「なるほどね」と、片野さん。

「でも、兄弟と暮らしてたら、監禁はできないだろう」と、斉藤さん。

「そりゃそうだ。妹にみつかったら、俺殺される」と、大竹さんが言った。みんな、ドッと笑った。

 際限なく意見が出た。全員が議論に参加していたし、お互いのアイデアを尊重し合った。とてもいいことだと思う。

 僕は目を閉じ、この世界のどこかにいる銀子を思った。彼女の鼓動、息づかいに耳を澄ませた。それは、もちろん聞こえなかった。でも、感じ取れた。銀子は生きている。そんな気がしてならないんだ。

「親が金持ちで、マンション持ってる。その部屋を、息子に与えてる」これは、斉藤さんの意見。

「もしそうなら、車はエデンごときじゃなくて、BMとかじゃないすか」と、片野さんが返す。

「エデンごときとは、何だ!」エデン購入を検討している、店長が怒り出した。

「ひー、すいませーん」片野さんは、また店長に謝った。

「ちょっと待て、待て」と下田さんが仲裁した。「ここまでの、意見をまとめよう」

「はーい」みんな、行儀よく返事をした。

「犯人の年齢は、18〜30まで。独身。一人暮らしか、老いた親と同居。兄弟はいない。夜中に自由な時間があり、この店を二か月観察して銀子に目をつけた。彼は銀子を、自分の部屋か家の離れに監禁している。こんなところかな?」

「異議なーし」みんなが、声をそろえた。

「進、まとまったぞ」と、下田さんが僕に声をかけた。

「ありがとうございます」

「で?こっから、どうするんだ?」と、下田さんは聞いた。

「日本に存在する、全てのエデンの走行データが欲しいです」

「何?」

「過去一か月。そうすれば、犯人が犯行準備から実行、そして現在どこにいるかわかる」

「ええ〜、そんなデータあるの?」範子さんが驚いて聞いた。

「ナビのデータです。ナビは常に、衛星と通信しています。ナビのデータは、通常渋滞情報なんかに使われています。でも実際のデータはもっと細かい。どの車輌が、どこを何キロで走って、どこでブレーキを踏んだかもわかる」と、僕は言った。

「そんなにわかるの?」と、温子さんが聞いた。

「わかるよ」と、下田さんが答えた。彼は少し緊張した面持ちだった。「そのデータは、自動車メーカーに届くんだ。プローブ情報って言うんだ。エデンなら、ス◯キさ。メーカーは公共機関にデータを提供するとともに、自社の開発やマーケティングに役立ててる」

「ヘェ〜」みんな感心してうなった。

「断っとくが、車輌と持ち主は照合されていない。されていたら、個人を監視できちゃうからね」

「そりゃそうだ」と、店長が言った。

「で、進。そのデータが欲しいんだな」と、下田さんが僕を見て言った。

「はい」

「そのデータを見りゃ、どれが犯人の車かわかるんだな」

「はい」と僕は、はっきりと返事をした。正直、ハッタリだった。

「くー。しょうがねえなあ」

 下田さんは、カバンからノートPCを引っ張り出した。それを、店内唯一の机の上に置いた。ケーブルも取り出し、店のモニターとノートPCを繋いだ。これでみんなで、画面が見えるようになった。画面には、下田さんの会社名が書かれた、ログイン画面が表示されていた。

「ヘェ〜」

「なんか、すごい・・・」温子さんが、ため息混じりに言った。

「正確にはね、俺はログインIDを持ってないんだ」と、下田さんはいたずらを白状するように言った。下田さんは、次々に現れるログイン画面をIDとパスワードを入力して突破した。スマホも、チラチラと見た。ワンタイム・パスワードを使っているようだ。

「俺が使ってるのは、先輩のID。後で『真夜中にログインした』って、始末書書かされるよ」下田さんは、今度は泣きそうな声を出した。「先輩にも、迷惑をかけちゃう」

「こらっ!男が、小さいことを気にするな!」すかさず、範子さんが怒鳴った。「人の命が、かかってるんだよ?」

「事件解決のためだって、堂々としてればいいじゃない!」珍しく温子さんまで、少し怒っていた。

「ヒエー(涙)」下田さんは、首をかけて協力してくれた。

「しかし、進」と、斉藤さんは冷静に言った。「データから車輌がエデンと特定できても、所詮データ自体は基本的に座標と時間を表した『点』だ。そんなものを、一か月分も集めてどうするつもりだ」

「データが膨大過ぎて、素人じゃ集計できないですね」と、片野さんが続いた。

「・・・そうなの・・・?」範子さんが言った。彼女はすぐ手話で郁美さんに伝えた。すると郁美さんも、明らかに落胆した顔になった。他のみんなも、同じ気持ちだ。

「できるよ」と、あっさり下田さんが言った。「うちの会社のシステムを使えば、ある車輌の行動を視覚化できる」

「すごい!」と、温子さんが手を叩いて歓声を上げた。

「でも、こんな時間にアクセスして、不審なログインとシステムに判断されるかも・・・」下田さんさんは、まだグズっていた。

「人命第一!根性入れてよ!」と、怒鳴る範子さん。

 郁美さんが、PCを操作する下田さんを見つめた。そして彼の肩に、そっと優しく手を置いた。下田さんは、たまらず苦笑した。女の武器である。

「過去一か月に、この川崎市を走ったエデンは57台だ」そう、下田さんが宣言した。

「意外に、少ないっすね」片野さんが、斉藤さんに顔を向けて言った。

「エデンは、あくまでファミリー・カーだからな」斉藤さんが言った。

「というより、若者のデート用の車だ」と、大竹さんが付け足した。

「そうですね、内装もお洒落ですし」と、片野さんが返した。

「そうだろ。若いだろ」店長はまだ、自分の若さにこだわっていた。

「ねえ。結局、何がわかったの?」範子さんが、少しイライラして聞いた。

「犯人は、毎晩のようにこの前のコンビニに来ていた。その車の候補が、たった57台しかないんです」と、久しぶりに僕は口を挟んだ。

「そういうことだよ」と、下田さんが言った。「57台なら、あっという間に終わる」

 モニターに、神奈川県地図が映し出された。次に、車の走行データと思われる線が、虹色表示された。

「暖色が、今日から31日前。だんだん寒色に移って、昨日が黒で表示している。モニターに移っているのは、57台中の最初の一台だ」

「わかりやすいー」女性陣が、歓声を上げた。

「実はこの地図、google map を、そのまま使ってるんだ。うちの会社が google 社と提携しててね」

「ヘェ〜」感心するみんな。

「普段は一度に、 10万台、100万台くらいの走行データを分析してる。ビッグ・データだね。だから、一台ずつなんて初めてだよ」と、下田さんは続けた。

 記念すべき最初の一台は、川崎市内の狭い地域しか移動していなかった。また、この店にも、向かいのコンビニにも来ていなかった。

「こうやって、一台ずつ確認すればいいのね」と、温子さんが言った。

「そうだ。とにかく、やってみようぜ」と、下田さんが言った。

 下田さんがPCを操作し、モニターに一台ずつ走行データを映してくれた。

「チェック・ポイントを、確認しておきましょう」と、僕はみんなに言った。「ポイントの第一は、何か不自然というか不思議な走行データであることです。もし不審な点があったら、走行データがこの店の付近を通っていないか、確認しましょう」

「まず、この辺に来てるかチェックしたら?」と、斉藤さんが提案した。

「それでいいと、思うけど」と、店長が言った。「毎日この店か、向かいのコンビニに寄ってるだけかもしれない」

「銀子と友達がエデンに乗ってたら、引っかかるな」と、大竹さんが言った。

「向かいの店は、いつも繁盛してます。それでは、候補者が多くなります。何か、目立つ様子を見つけたい・・・」と、僕は言った。

「犯人の車にはそれがある。と、言いたいんだろ?」下田さんは苦笑いしながら、僕を見た。

「はい、次」

「次」

「その、次」

 下田さんは、モニターに次々と走行データを映してくれた。でもどの車も不審な点はなく、この付近も通っていなかった。

 十台、二十台、三十台、・・・。

「これ、以外と疲れるな」と、店長が泣き言を始めた。

「店存続の危機なんだよ!ほら、がんばって!」範子さんはみんなを叱り、それから励ました。

「ああっ!」三十数台目で、片野さんが大声を出した。みんなも、「おっ!」とか、「うっ!」とか、短く叫んだ。というのはその車が、県外を超えて大きく走り回っていたからだ。

「いや、これは釣り好きだよ」と、下田さんが言った。

 彼が画像をクローズ・アップすると、三浦半島、伊豆半島、房総半島の海辺近くになった。さらに拡大すると、海辺の駐車場が現れた、

「3月◯日。停車時間は、朝5時から11時。間違いない。釣りだよ」

「ねえ。なんで、わかるの?」と、温子さんが聞いた。

「魚が一番釣れるのは、早朝と夕方なんだ。だからこいつも、朝5時に現地に到着してるんだ」と、下田さんが説明した。

「うわー、こえー」と、大竹さんが悲鳴を上げた。「こんなの全部わかったら、俺何もできないじゃん」大竹さんには、可愛い彼女がいた。でも彼のナンパ好きは、有名だった。

「ちょっと!やましいこと、してるからでしょ」範子が軽く一蹴した。

 毎週日曜日に箱根に行き、毎回ほぼ同じコースを通っているデータがあった。

「これ、何してるんだろ?」と、店長が聞いた。

「毎週違う女を、箱根に連れて行ってるんですよ」と、斉藤さんが答えた。「車から綺麗な景色を見せて、気の利いた喫茶店でお茶。お洒落なお店で食事して、粋な土産物屋に寄る。それを、繰り返してるんでしょ」

「そんなもんですか」と、片野さんが気のない返事をした。

「いや、そんなもんだよ。俺も、変わらないよ」と、大竹さんが答えた。

 少しずつ、みんなに疲労が見えてきた。57台のチェックは、なかなか骨の折れる仕事だった。しかも四十台を超えても、何の手がかりもなかった。

「もし全台とも、この付近に来ていなかったらどうする?」と。下田さんが僕に聞いた。

「仮説を、練り直します」と僕は答えた。「まず、エデンの前モデルの可能性がある」

「なるほど」と言って、下田さんは吹き出した。「こりゃ、徹夜だよ」

「徹夜だっていいじゃん!」と、範子さんが言った。「ねえ、たった今もお客さんゼロだよ。この調子じゃ、来月には閉店だよ」

「その通りだ」

 そう、店長が答えたところだった。

「あああああああーーーー!!!?」

 範子さん、郁美さん、温子さんが同時に叫んだ。モニターには、神奈川県を超えて山梨へ何本も走行データが伸びていた。いや、長野県まで届いていた。

「今度のやつは、スキー?」と、斉藤さんが聞いた。

 女性陣は、三人で輪になった。郁美さんと範子さんは、手話はで激しく会話した。温子さんの言葉を、範子さんが郁美さんに伝えた。小声で二分ほど話し合って、結論が出た。

「この車、怪しい」三人を代表して、範子さんが言った。

「どうして?」と、片野さんがすぐ聞いた。

「この車は、長野県の八ヶ岳まで行ってる。あそこは山の中腹に、広い別荘地帯があるの。でも今はブームが去って、閑散としてるの」

「だから?」

「人気がないから、銀子を隠すにはもってこいの場所でしょ?」

「あああー」

「げええー」みんな、びっくりだった。僕も驚いた。

「範子の言う通りだぞ」と、下田さんが行った。「この車は、銀子がいなくなった日以降、蓼○に通ってる。きっかり、毎土日に。」

「それで、まさか・・・」と、店長がおそるおそる言った。

「目の前のコンビニにも来てます。一ヶ月前から、銀子がいなくなった日まで。それ以降、来てないですね」と、下田さんは言った。

「ホントすか・・・」と、片野さんが言った。口をあんぐりと開けて、たまげていた。

「前のコンビニに来た時は、だいたい22時から3時くらいまでいる。コンビニ店員の証言とも一致する」と、下田さん。

「ねえ、どうする?」と、焦ったように範子さんが言った。

「僕たちの目的は、犯人を捕まえることじゃないです。銀子を助けることです。だから、蓼○に行きましょう。今すぐにでも」と、僕は言った。

「よしっ。行こう。明日。蓼○に行こう!」と、範子さんが言った。

「明日ー?」大竹さんと斉藤さんが、同時に声を上げた。

「銀子が待ってる。行かなきゃ」温子さんが、噛み締めるように言った。

「ちょっと、待てよ」と、店長が言った。「下田、この車は土日しか蓼◯に行ってないんだろ?」

「そうですね」と、下田さんは答えた。

「月曜から金曜までの、銀子の食事はどうするんだ。猫じゃないんだから、キャット・フードを皿に山盛りでは済まないぜ」と、店長は言った。

「それは、確かに・・・」と、斉藤さんがうなった。

「あ・・・」郁美さんが、また発言を求めた。範子さんから、店長の考えを聞いたのだ。

「郁美ちゃん。なんだい?」と、大竹さんが優しく聞いた。

「郁美が、蓼◯に共犯がいるって。犯人の、協力者がいるんだって」範子さんが、郁美さんの考えを披露した。

「なるほどー」と、片野さんが言った。

「それなら、つじつまが合うね」と、温子さんも言った。

「だが、証拠はない」と、下田さんが言った。

「だが、有力な仮説じゃないか?」と、店長が言った。みんな、何も言わずにうなずいた。

「ねえ。明日、蓼◯に行こう。銀子を探そう。それから、わからないことを突き止めよう!」温子さんが、珍しく興奮して言った。

「頼む。この店の、存続のためにも」と、店長が続いた。

「決まりだね」と範子さんが言って笑った。


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