第六章 くゆる戦火に青光は落ちて 2

 葛良と共に山中を調査してから一週間が経った。神域への道が破られないよう、あのあと三匹の神獣たちは守護を強め、山中のいくつかにおなじような隠し場所を作っていた。偽の入り口に案内をするのは市伊の役目だ。力の流れが峠と似ている場所がある、と葛良の一行を連れ出し、調査をさせる。隠蔽の方法を見破られ、その解除方法で峠の守護も破られる可能性も有ったが、まずまずは時間稼ぎとして功を奏していた。


 この方法を取った理由は、市伊が葛良から調査の刻限を聞き出せたことにある。彼女がこの村に滞在できるのは一ヶ月。それを過ぎれば、自動的に任務は失敗したものとみなす。そう言われているので私には時間がないのです、と葛良は市伊に語った。そのことを柚良と神獣たちに報告すると、ならば下手に行動するより時間を引き延ばそう、という意見で一致した。


 これから我々の調査隊に融さんも加わります。そう告げられ、不機嫌そうな男と久しぶりに顔を合わせたのは、葛良が村へやってきて二週間が経った頃だった。神域への守護を解除する調査も進まず、仕掛けた罠にも神獣がかかることはなく、彼女は行き詰まりと焦りを見せ始めていた。融の方から協力を願い出たのか、彼女が依頼したのかはわからない。だが更に身動きが取りづらくなりそうだ、とにこやかな笑顔を貼り付けた顔の下で市伊は嘆息した。


「お久しぶりですね、融さん」

「俺はお前に会いたくなかったがな。後継問題といい、葛良の任務といい、邪魔ばかりしやがって」

「後継問題は全く興味ありませんと何度もお断りしました。葛良さんの任務も協力こそすれ、邪魔などしていませんよ」

「さあ、どうだか。ともかく水城神社次期神主として、俺も任務に協力をする。お前の好きなようにはさせないからな」


 分かりやすい宣戦布告だ。融は市伊が自分の地位を未だに狙っていると言ってはばからない。だからこの男と顔を合わせるのは嫌だったのに、と暗い顔になると、融もわざとらしく大きなため息をついて見せた。


「あのっ、でも融さん、市伊どのはとても調査に協力をしてくれていますよ……? おかげで山の地理にも詳しくなったし、邪悪な妖の居場所の糸口もいくつか掴めたし……」


 険悪な雰囲気を和らげようとして市伊を取りなした葛良の言葉は、最も現時点において悪手といえるものだった。ただでさえ、今まで散々渡に市伊と比べられてきた彼である。案の定、顔に血を上らせた男は市伊にくってかかった。


「お前、ちょっとぐらい山に詳しいからっていい気になるんじゃねえぞ? 俺だってずっと山で修行してるんだ。お前が知っていることぐらい、俺だって教えてやれるんだからな」

「ええ、そうですね。俺もそう思います」

「だいたい、お前が何でそんな怪しい場所をいくつも知ってるんだよ? 実は裏でじじや邪悪な妖とやらと繋がってるんじゃねえのか」


 その言葉を聞いて、ああこの男はこれを言いに来たのか、と市伊は納得した。ようするに、葛良がほいほい市伊を信用するのが気にくわないのだ。恋人だからと言うこともあるし、渡に目をかけられていた邪魔者でもある。葛良がお前を信用していようと、俺は一切お前を信用しない。そういう意思表示をしに、融は現れたのだ。


「仮に俺がその邪悪な妖とやらと繋がっていたとして、わざわざ葛良さんに手の内を明かす利点がありますか? ないでしょう。俺はただ、昔のよしみで彼女に協力しているのに過ぎませんよ」

「ふん、せいぜい首を突っ込みすぎないようにするんだな。お前も、妹は可愛いだろう?」


 にやり、と笑って吐き捨てられた言葉。瞬時に思考が焼ききれる。挑発に乗ってはいけない、とわかっていても駄目だった。


「──あいつに手出しをしやがったら、ただじゃすまさねえぞ」


 すばやく間合いを詰めて、手刀を突きつける。右手に全ての力を集め、神経を研ぎ澄ませた。常人には見えないものも、きっと融には見えているはずだ。市伊の手に集中した霊力が刃物のように自分の首に突きつけられているのを。


「──市伊さん!」

「来るな! これは俺と融の間の話だ」


 顔を真っ青にして駆け寄ろうとする葛良を、市伊は一喝した。恐怖に引きつった顔でぴたりとその場で動かなくなった少女を確認してから、融へと向き直る。


「誓え。あいつに手出しはしない、と」

「わかったわかった、そんな恐ろしい事しねえよ。俺の首が飛んじまう」

「手出しをすれば、その命はないものと思え」


 最後にもう一度念押しをし、融がこくりと頷いたのを確認してから、市伊はようやく手刀を収めた。凍り付いた場の空気が少しだけほどける。ぺたん、と緊張の糸が切れたように座り込んだのは葛良だ。少し脅かしすぎたかもしれない。


「……はっ、大人しい顔して本性はあれだもんな。とんだ狐野郎だぜ」


 降参降参、と諸手を挙げた男は薄ら笑いを浮かべたまま、部屋を退出していく。その後ろ姿を一瞥して、市伊は葛良へ侘びの意味も込めて頭を下げた。


「手荒なところをお見せして申し訳ありません」

「いえ、融さんが物騒なことを言ったのが悪いのです……あなたの妹さんを、などと……」


 ふるふる、と首を振る葛良の顔は、まだ少しだけこわばりが残っている。その言葉に、市伊は少しだけ意外そうに目を見開いた。てっきり、恋人の融をかばうような言葉を言うかと思ったのに。


「おや、私が融さんをかばわないのがそんなに不思議ですか?」


 その表情をめざとく見つけた葛良がくすりと笑う。そんなに顔に出ていたのか、と市伊が気まずそうに取り繕うと、少女はふわりと微笑んだ。


「確かに彼とは恋人同士ですが、物事を正しい目で見られるように努力はしているつもりですよ。何かに偏っていては、目が曇ってしまうので」


 ならばその曇りなき眼できちんと大城山の事もみてくれまいか、とはどうしても言い出せないまま。市伊は葛良にもう一度、深く頭を下げたのだった。





「兄さん、最近忙しそうね。何か大事でもあった?」


 そんな質問を瑞季がしてきたのは、葛良が村へ来て三週間が経った頃だった。あと一週間耐えれば彼女の任務は失敗に終わる。だが焦る葛良はそろそろ手段を選ばなくなってくるかも知れない、と警戒を強め、神経をすり減らしている最中の問いかけだった。


「ああ……少しばかりじじに頼まれごとをされてて、その手伝いをしているんだ。ほら、都からお偉いさんが来てるだろ」

「ああ、村の調査に来たって言う方でしょう? 私の居る機織り所にも最近来られていたわ。私とそう変わらない年の女の子でびっくりしちゃった」

「葛良が機織り所に……?」


 可愛らしい方よね、と嬉しそうに話す瑞季に、市伊は怪訝そうな顔をした。なぜ彼女はそんなところへ足を運んだのだろう。瑞季がときおり小銭稼ぎのために行っている機織り所には、用事などないはずだ。ひやり、と嫌な汗が伝う。融と口論になったとき、葛良は市伊の肩を持つようなことを言ってみせていたが、真意は果たしてどうだったのだろうか。


「そのとき……何か声をかけられたりはしなかったか」

「いいえ、特には何も。作っている布をいくつか見たあと、すぐどこかへ行ってしまわれたわ」

「そうか……」


 ざわめく心を必死で落ち着けて、市伊は平静を装った。瑞季に悟られてはいけない。人質に取られてしまう可能性がある、などと言うことは。


 思考の海に沈む意識を現実に引き戻したのは、瑞季が小さく咳き込む音だった。お気に入りの青色の着物の袖を口に当ててけほけほと咳を繰り返す彼女に、市伊は真っ蒼になる。体調が悪いのかという問いかけに、瑞季は何でもないと首を振る。すこぶる元気だと言い張る妹に渋い顔をしながら、市伊は念のため一週間ほどは出歩かないようにと告げた。


「兄さん! あんまりだわ。もう大丈夫なのに」

「お願いだから……お願いだから、言うことを聞いてくれ、瑞季。お前までいなくなったら、俺は父さんと母さんに顔向けできない」

「大げさよ、兄さん……私だってもう、大人よ。自分のことぐらい、自分で決められるわ」


 兄さんは過保護すぎなのよ、と頬を膨らませて怒る妹に、市伊はそれ以上何も言えなくなってしまった。自分はそんなに妹の自由を奪ってしまっているのだろうか。ただ、彼女が健やかにいて欲しいと思う一心で、口添えをしているつもりだったのに。しょんぼりと肩を落とす市伊を見て少しばかり気の毒になったのか、瑞季は慰めるようにぽんぽんと肩を叩く。


「兄さんが心配してくれるのは、とても嬉しいのよ。でもね、もう少し私を信用してちょうだい。ちゃんと無理はしないように気をつけるから」

「……わかった。本当に、無理はしないんだぞ。あと、知らない人にほいほいついて行かないようにしろよ。今知らない人間がたくさん村に出入りしている時期だから」

「なあに、それ。ちっちゃい子じゃないから大丈夫よ、私」


 くすくすと笑って腕を絡める妹を、市伊は愛おしそうに撫でた。たった一人の肉親。何があっても彼女を守るのだと、父母が居なくなった日に誓った。今のところ葛良にその兆候は見られないが、念のため渡に見張りを増やしてもらえるように頼んでおこう、と固く心に決める。打てる手は何でも打っておきたかった。


「そういえば、筑芭兄さんが来週末に帰ってくるんですって。今度は何をお土産に持ってきてくれるかなあ」

「あいつは今回どこに出かけてたんだっけ?」

「西の方の都まで行っていたのよ。たくさん品物が売れたから、お土産は期待してろって手紙が来ていたわ」

「そうか。それは楽しみだな」


 張りつめていたものが、少しだけほぐれてゆく。瑞季と過ごす夜は、体の奥底に溜まった澱のようなものが洗い流されるような、そんなひとときだった。いつか瑞季が筑芭に嫁入りしたときは、こんなひと時もほとんどなくなってしまうのだろうか。そんな未来はまだ考えたくない。己の想像を消すように首を振りながら、市伊は瑞季との夕食の時間を楽しんだのだった。

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