あのねこのはなし

多田七究

そう言って、彼女は消えた

「あのねこのはなし」

 そこまで言った彼女は、とつぜん姿を消した。

 煙のように。

 オレがなにかをする間もなく、一瞬のうちに見えなくなってしまった。

 朝のもやが立ち込めて見えなくなったわけでは断じてない。

 まばたきをすれば、長い髪を揺らす笑顔がまぶたの裏に残っているに違いない。

 辺りに満ちるのは、さっきまでと同じく喧騒けんそう。いまではやかましく感じる。色付いた葉の落ちる音もかき消されてしまう。

「……」

 あまりのことに、声を上げることもできない。なにがなんだか分からない。

 音が消えてしまったかのような孤独が襲ってきた。

 紅葉こうように満ちた公園で、立ち尽くすことしかできなかった。

 目を見開いたまま。


 オレは、猫をかたっぱしから探し始めた。

 といっても、簡単に見つかるはずもない。まず、姿が見えない。

 動物は、殺気立っている人間にはそもそも近寄らないということを、このときのオレは考える余裕がなかった。

「どこだ」

 がむしゃらに探していたオレは、あるきっかけで冷静になった。

 犬だ。

 散歩中の飼い主と一緒に、のんきに余生を謳歌おうかしている。ひもにつながれ、人のうしろを歩く犬。電信柱を通りすぎた。

 柱のてっぺんにはカラスが止まっている。カアカアと鳴き声を上げて、飛び去っていった。

 オレは、それに目を奪われてはいない。

「人、か」

 そう。飼われている動物は人と一緒にいるものだ。

 彼女と一緒に見た、あの猫。野良ではないはず。きれいすぎた。

 場所を思いださなくては。

 と、唐突にお腹が鳴った。気づけば、いつの間にか昼前じゃないか。

 猫探しをいったん置いておいて、オレは食事へと向かった。

 とあるレストランで注文。

 あやうく二人分を頼みそうになる。むなしい。

 オレにとって、彼女はそんなに大きな存在だったのか。あらためて思い知ることになった。ろくに味わうことができないことで。

 会計の前に、トイレで歯を磨いた。


 お腹もふくれ、心機一転。

 場所の特定を急ぐオレ。

 まずは、彼女の家の近くへ行ってみる。

 交通費が残っていないため、徒歩。しばらく歩いて、足が痛くなってきた。しかし、ここで止まるわけにはいかない。

 二人で歩いた道だ。なんの変哲へんてつもない、ただの住宅街じゅうたくがい街路樹がいろじゅの葉が落ちていない。

「とげとげしてるでしょ? 針みたいに」

 彼女の言葉を思い出した。針葉樹しんようじゅというやつらしい。

 だが、いない。

 この辺りに猫を飼っている人はいないのだろうか?

 思い切って移動することに決めた。

 オレの家に近づいてきた。

 そう。彼女の家とあまり離れていない。二人のすみかは、徒歩で移動できる距離にある。

 このへんで猫を見たことがあっただろうか。

 オレは、だんだん自分の記憶に自信がなくなってきた。

 どこかの公園だったような気もする。

 仕方ない。

 ふたたび、オレは公園を目指した。

 疲れた身体からだ鞭打むちうって、赤い公園を目指す。

 それは偶然だった。

 今日、行ったときとは違う道を通ったのだ。

 かよいなれていない道。

 何度通ったのか片手で数えられそうなほど、見慣れない場所だった。

 自然と歩みが遅くなる。人影はまばらで、街路樹がいろじゅは赤や黄色。落葉樹らくようじゅだ。

 わざわざ遠いところへ出かけなくても、ここで紅葉狩もみじがりができるのに。

 そんなとき、目の前に白い何かが見えた。

 いた。前に彼女と一緒に見た猫だ。

「ほら、こうすると寄ってくるんだよ」

 思いだされる声を頼りに、街の片隅かたすみで座りこんでみた。

 しめしめ。向こうから近づいてきたぞ。

 子供たちの姿が見える。不穏ふおんだ。しかし、幸運なことに邪魔者はいない。

 ビジネスマンが寄ってくることもなく、猫と対峙する。

 何度見ても白い。やはり、誰かの飼い猫らしい。餌付けをされて連れ去られたらどうするつもりなのか。放し飼いにするやつの気持ちは分からない。

「エイコのところに連れて行ってくれ」

 だが、何も起こらない。

 白猫は、静かにたたずんでいるだけ。

 つめたい風が吹き抜ける中、傾いた日が長い影をのばす。

「この猫じゃないのか」

 仕方ない。ほかを当たろう。

 やみくもに歩いても仕方ない。まずは、彼女と歩いた道のりを思い出すんだ。

 自分に言い聞かせ、ひたすら辺りを眺めながら進む。

 途中、散歩中の犬とふたたび出会う。

 やはり、飼い主よりもうしろを歩いている。

「よくしつけができている犬は、うしろを歩くんだって」

 彼女の言葉を思い出す。そういうものなのか。オレにはよく分からない。

 ん? 道のかたわらに、何かある。いや、これは。

 いた。

 茶色い猫だ。といっても、初めて見る。

 いやいや。じつは彼女は見ていたのかもしれない。可能性は捨ててはならない。

 しゃがみこんで、猫は向かってこなかった。

「おい、待て!」

 逃げる猫が捕まらないまま、一日が終わった。


 翌日。

 ついに、彼女のいない一日が始まってしまった。

 朝食の味もよく分からない。いけない。歯磨きは忘れないように。

「ふぅ」

 ため息をついても仕方がない。行くところがある。荷物をかつぐ。

 人ごみにまぎれ、列車に乗った。

 改札口を出て、すこし歩く。短いはずの道のりが、とても長く感じられた。緑ではない色をした街路樹がいろじゅが葉を散らしているのも気にせず、歩みを進める。

 休み時間。中庭で、女子が話をしている。いつものことだ。

「でさ、消えちゃったんだって」

「えー? ウソだー」

 普段なら聞き流していた会話。しかし、今のオレにとっては違った。

「いまの話、詳しく聞かせてくれ!」

「えっ。なんなんですか?」

「頼むよ。大事なことなんだ」

 食い下がるオレ。顔を見合わせる二人が、ぽつりぽつりと言葉をもらす。学校で、彼女のほかにも消えている人がいるという情報をつかんだ。

 ふしぎなことに、それは全員が女子らしい。

 猫のことを聞いても、知らないという。

「ほんとうに、知らないってば」

「分かったよ」

 まずい。休憩時間が終わってしまう。

 足早に教室へと向かう生徒たち。いつもの光景が、いつもとは違って見える。

 何かがおかしい。


 放課後。

 オレは、別の人たちからも情報を集めることにした。あちこちの教室を回る。

「猫?」

「ああ」

 やはり、猫に対しての反応はない。黒猫なのだろうか?

 ボブカットの女子が、話に入ってきた。

「なんの話?」

 面倒だが仕方ない。もう一度いちから情報を整理しよう。

 突然、人が消える。

 どうやら猫が関係しているらしい。

 彼女だけではなく、何人も消えている。女子ばかり。

 それ以上のことは分からない。

「心当たりはないか?」

 もはや、オレにできることは聞き込みしかない。なんでもいいから手がかりがほしい。

 よほど必死な顔をしていたようだ。効果があった。

 ためらいがちに、事情を聴いていた人物が口を開く。

「あのねこのはなし」

 オレは、目を見開いているに違いない。

 まただ。

 前と同じ言葉を聞いた。彼女が最後に発したのと同じ。偶然か? それとも。

 目を閉じ、また開いたとき、それを発した人物の姿はなかった。

「消えた」

「見た?」

「ダメだよ。この話、しないほうがいいよ。怖いよ」

 話を聞いていた女子たちは、そそくさと去っていく。

 女子たちを追いかけて廊下に飛び出したオレ。

 狙いはたったひとつ。

「どうした? カオル」

 ぐうぜん出会った部活の先輩のほうを見ずに、オレは固まっていた。ある考えがまとまり始めていたのだ。

 猫ではない。

 気づいたオレは、彼女と同じ言葉を口にしていた。

「あのね、この話――」

 それ以上は言うことができなかった。先輩は面食らったに違いない。

 驚いた表情を見ることはできなかった。

 そして、オレも消えた。

 煙のように。

 謎は解けた。

 特定の感情を抱き、“あのね”から始まるとある言葉を言ってはいけないということだったのだ。

 この話をしてはいけない。

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あのねこのはなし 多田七究 @tada79

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