アニエス

「そうとも言えますし、優れた労働力にすべく強化の実験に注力してますから、その点ではあなた方は実験台でもあり、


同時に我々側には人類を養育する責務もありますから、経済の維持、社会秩序の維持、環境の維持に努めるという、

言わば庇護者、奉仕者の役割もあります。持ちつ持たれつということです」


──ええ? それは違うような。


「我々も生命体ですから地球という環境は必要なわけです。どうもあなた方はそこのところの意識が低い。本音の部分ではどうでもいいんですよね?」


私は黙っていた。するとアイザックの動きが止まった。


「これは……驚きました。ミサキ・サトウ。アニエスがお話があるそうです。こんなことは……少なくとも私には初めてのことです」


「統治者……ですか?」


アイザックが窓際に移動してカーテンを閉めた。

その姿は最初はノイズを伴って現れ、しかしすぐに手を伸ばせば触れそうな質感へ変わる。


容貌は30歳前後だろうか、肩幅の広いまるでアスリートのような体格の彼女は白のパンツスーツ姿だった。

ロングの明るい茶髪に彫りの深い美形──実際、見惚れるくらい美しさが際立つ。

まあしかしこれは作られた“像”であるはずだ。そう自分に言い聞かせる。


堂々たる態度と声で彼女は私に向き合った。


「初めましてミサキ。まず、統治者などと呼ばれていますが私は個人ではありません。私の分身たちは独自に進化し独自の自我を持っています。私はその“自我”の集合体です」


それから声のトーンを下げて言った。


「さてミサキ、最初にあなたにはお詫びしなくてはなりません。勝手に強化人間に改造したことは申し訳なく思っています」


「でも本来なら処分されていたのでしょう……?」


「過去からの来訪者ですからね。本来なら稀少なサンプルとして扱うべきでした。が、どうも分身たちからすれば脅威と映るらしく……なかなか説得には時間がかかりました。あなたというイレギュラーな存在を不吉なものと判断したのです」


「不吉?」


「送り主はなぜNYの支部に送って寄越したのでしょう? なぜ2021年から? なぜ日本人を? なぜ“あなた”なのでしょう? 論理的にはわからないことだらけです。根拠が何ひとつ見えてこない」


「はあ……私も同じくです」


「私たちにはある程度人間の記憶を調べることができます。脳を走査しても何もそれらしいことは出てこない。あなた自身にも心当たりは何もないはずです」


「はい」


ホログラムの彼女はわずかに微笑んだ。


「と、言いつつも私にはわかってます。私は直感を備えてますからあなたという存在を直感で理解できる。あなたはこちらの世界のワンピースなのですよ。ひとり前例を知っているので私はそう確信しているのです。


そしてミサキ。今日からあなたはこちらの世界の住人です。今日からあなたの名は“ソニア”です。生まれ変わるのですよ、いいですね?」


「え……? あ、はい。わかりました」


「ではお元気で」


統治者アニエスの像はゆっくりと姿を消していった。


アイザックはカーテンを開け、窓を開く。

私の感覚からすれば彼の容姿は慣れるのに時間がかかりそうだった。アンドロイド風のシャープな外観に仕上げればよいものをどこか古めかしいロボットの味付けがしてある奇妙なアンバランス感。


雰囲気として彼はロボロボしているのだ。まあ、でなければ背中の武骨なバックパック(充電池に違いない)と合わないということなのかも。


「どうやらあなたには大きな役割があるようだ。うまく生き延びて下さいよ」


カーテンが風になびき裾を金属ボディにかるく巻き付ける。私は窓枠から見える青い空に呼びかけられたような気がした。


そして私は新たな戸籍、新たなIDを手に入れたのだった。強制的にですが。

私はいまかつての米国、2026年に〈ゴッドブレス 以下GBと呼称〉と名を変えた国の国籍を持ち、


世界政府の特務機関タナトスの空戦部門〈スカイ・ウルブス/SKY WOLFS 以下SWと呼称〉のネバダ支部に所属し、ほぼその施設のなかだけで生活を送っている。


私たちSWの人員は基本的に移動の自由を制限されており、許可された場合だけ専用のGPS付きで許された。


これはテロ組織との接触やスカウトを防ぐ意味合いと、戦闘機自体に大した攻撃力がないとはいえ機体による都市部への体当たり攻撃は可能であり、その意味で私たちは常に監視を要する要注意人員だからだ──


この店のコーヒーのベースとなってる豆はコロンビア産だ。

〈SKY TRIP〉の方はブラジル・エチオピア産。どちらかと言えば私はこちらの方が好みだ。


私は残りのカプチーノをくいっと飲み干し、明日のことを考える。

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