(8)

 まだ就職戦線が好転していない時分に卒業した千秋は、自分の好みや適性を優先して仕事を選べないことは悟っていた。だからこそ最初の職場……携帯ショップには初めから大きな期待をしていなかったそうだ。


「面接担当の人がツッコミ一つ入れてこないの。それって、おかしいじゃん」

「じゃあ、なんでそこに決めたんだ?」

「接客だけは最初にがっちり教えてくれるから」

「なるほど。マナー講習の代わりか」

「そ」


 千秋の予想通り、勤務環境としては下の下だったらしい。契約ノルマはきついし、休みは思うように取れない。給料だってそれほどいいわけじゃない。その上、同期で入社した子も派遣で入って来る子もあっという間に辞めてしまい、スタッフが目まぐるしく入れ替わる。

 バイトや契約社員を差別せず誰でも平等に扱います……それはタテマエで、実際は「誰でも平等にこき使います」だったわけだ。職員の駒としての扱いがあまりに露骨で、打ち込んで働くというイメージに全く合わなかったらしい。


 携帯ショップを辞めたあと、次を見つけるまでコンビニバイトでしのごうとしていたら、大学の時に同じサークルにいた子から声をかけられたんだそうな。新しくオープンするリサイクルショップがあるから、そこで一緒に働かないか、と。

 給料は決して良くなかったが、仕入れ、リペア、清掃、展示、宣伝、販売と仕事内容が多彩だった。いろいろな品物を扱うから、業務を通して物を見る目、客を見る目、時代を見る目が鍛えられる。その経験が先々活かせるだろうと考えた千秋は、ショップの仕事にいれ込んだ。俺が何度連絡してもけんもほろろだったのは、そういう背景があったということだな。美春と同じで、仕事に惚れきっていたわけだ。


 ところが。店と千秋との蜜月は長く続かなかった。店長は海千山千の猛者で、客や店員の扱いに長けていた。おだてたり、叱ったり、そそのかしたり、あえて塩対応をしたり。言葉と態度を縦横に駆使して人を丸め込むのが、ものすごくうまかったらしい。

 もしリサイクル品の扱いが真っ当だったならば、千秋は店長の姿勢に何も言わなかっただろう。だが、店長の頭の中には儲けのことしか入っていなかった。完品を「キズモノだから値が付かない」と貶めて買い叩き、逆にキズモノを「これは滅多に出ない逸品だ」と吹聴して高値で売りつける。リペアも清掃もおざなりで、商品をさっさと回転させることだけに血道を上げていた。


 リサイクルショップなんか大手から個人営業の泡沫まで掃いて捨てるくらいあるわけで、きれいごとを言っていたら生き残れない。店長の言動や行為を、えげつないと一方的に責めるわけにはいかないんだ。リサイクル品を売る方も買う方も、えげつないのは同じだからな。千秋も、それは現実の苦味として受け入れていたと思う。

 ただ……店長が利益を生む駒としてしか考えていないリサイクル品の中に、千秋自身も入っていたこと。その虚しさに、とうとう耐えられなくなった。やりがいがあると思って根を詰めたけど、結局実態は最初の携帯ショップと何も変わらなかったな。そう言って、千秋は肩を落とした。


「おまえの気持ちはよくわかる。店を辞めた判断も、俺は正しいと思うよ。若いやつはすぐ辞める、堪え性がないなんて偉そうにほざくやつは、そいつがくそったれだ」


 俺がほうった焼き鳥の串が、ちりっと小さな音を立てて皿の上で跳ねた。


「じゃあ、パパは、なんであんなに我慢したわけ?」


 千秋の追求の矛先は、俺にも容赦無く向けられる。それを、あえて正面から受け止める。


「我慢なんざしてないよ。俺にとって、あの社で働くこと自体が目的であり、使命であり、俺の全てだった」


 テーブルの上に指で字を書いてみせる。


「奉職っていう言葉がある。公務に就くという意味なんだが、俺は違った捉え方をしてるんだ。職という入れ物に全てを奉ずる。奉じて自分を余さない。俺は、まさに奉職してたんだよ」

「それって、社畜とは違うの?」

「違う。社に飼われるのが社畜だ。家畜は俺たちに何かしようなんていう意識を持ってないよ。生きるために、仕方なく飼われているだけさ」

「あ、そうか……」

「奉職は違う。奉職している間は我慢なんていう概念がないんだ」

「ふうん」

「俺のその発想は、今でも変わっていないかもしれない」


 千秋がぎょっとしたようにのけぞった。


「仕事の中身を他の言葉に置き換えれば。その中身が、自分以外のものに入れ込むという意味なら。俺のコアは変わってないかな」

「中身、かあ」

「そう。仕事ってのはあくまでも概念さ。それ自体には、決まった中身がないんだ」

「あ、確かにそうかも」

「だろ? 俺に足りなかったのは、その概念をもっと大括りにざっくり考える力だったんだ」

「ええと。どういうこと?」


 さっき皿に放り出した竹串を拾って、目の前にかざす。


「これが俺だとする」

「うん」

「鶏肉を通して炙るまでは、こいつは役に立っている。だが、焼き鳥が食われたあとの串は役に立たん。あとは捨てられる」

「……」

「もし俺が串でなければ、世の中そんなもんだと思うだけさ。だが、自分が串だったとしたら……」

「うう、それはきつい」

「だろ? 用済みが嫌なら発想を変えないとならないんだ。今の俺にどういう用途があるのか。自分をどう使えばいいのかってね」

「なあるほどなあ」


 ぐいっと腕を組んだ千秋が、厳しい表情のまま俺を見据えた。


「パパがそう考えられるようになったのは、立ち止まったからというわけね」

「そう。で、おまえもだろ?」

「……」


 返事はすぐに返ってこなかった。


 何も報われていないのに頑なに社にしがみつき、仕事仕事で家庭を顧みない。そんなしょうもない父親と同じ轍は絶対に踏みたくない。千秋はそう考えていたはずだ。

 だが蓋を開けて見れば、結局自分も熱意が仕事に全く届いていない。自分で職を選ぶというより、職から自分が選ばれてしまっている。自分が取るに足らないちっぽけな存在に思えてしまうんだろう。


 むすっと黙り込んでしまった千秋をやんわり諭す。


「足を止めたら、見る時間ができるというだけさ。立ち止まったからと言って、見なければならないものが勝手に見つかるわけじゃないよ」

「うん」

「まあ、焦るな。チャンスは必ずあるし、おまえなら必ずものにできるだろ」

「ねえ、パパ」


 千秋がぐんと身を乗り出した。


「パパは、どうやってきっかけをゲットしたわけ?」

「うーん、そうだな」


 家の窓辺に置いてあるポインセチア。それを思い出して、にやっと笑った。


「一鉢のポインセチアが、きっかけだったかな」

「なにそれ」


 目を白黒させている千秋に、生花コーナーの話を振る。


「さっき店に来た時、花売り場を見ていただろ?」

「うん。あんなちっちゃなコーナーじゃ、まるっきり意味ないじゃんと思ったんだけど」

「やっぱりそう思うよな」

「うん。違うの?」

「それはおまえが客だからさ」

「……」

「同じものを見ても、印象は立場によってがらっと変わる。俺はそんな当たり前のことすらわかっていなかった。気づかせてくれたのがポインセチアだったんだよ」

「へえー」


 ああ、そうだ。


「なあ、千秋」

「なに?」

「仕事辞めて、今は身体空いてるんだろ?」

「うん」

「うちの惣菜で、バイトを探してる。年明けまでの短期だ。バイト代は安いが、現場を見られる。どうだ?」

「惣菜、かあ」


 あまり乗り気ではなさそうだが、これまでバイトも含めてずっと店員しかやったことがなかったんだ。少し違った視野から商売を見るのもいい経験だと思うぞ。


「わたしが料理を作るの?」

「調理はさせてくれない。下拵えだけだよ」

「どして?」

「そりゃそうさ。惣菜は高村さんというおばちゃんが持ってる。その名前しか表に出せないんだ。バイトがしくじりましたっていう言い訳なんか一切できない」


 俺は、さっき放った竹串を指差した。


「これには名前が入っていない。誰が作ったかわからんから、どんな言い訳もできる。でも名前がついたが最後、もう逃げられないんだ」


 千秋の顔がこわばる。自分の名前が表に出る恐ろしさを想像できたんだろう。


「そうか……そうだよね」

「だろ? 安っぽいプラパックに入っている惣菜ですら、人の熱意と執念の塊から生まれるんだよ。俺は、それを毎日これでもかと思い知らされてる」


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