ch.5 決戦の海へ

 翌朝は、昨夜の嵐が嘘だったかのように、からりと晴れ上がっていた。

 ――と、アルマナイマ星でない場合は言うべきなのだろう。

 ここではもちろん昨夜の嵐は嘘だ。

 飛龍が呼んだ雲の中で展開された嵐は自然現象とは言えず、故に「嘘のようにからりと」晴れることとの因果関係を言語として紐づけることは正しくない。そもそも晴れ上がっているが自然な雲が空の一点に毛玉を作っている場合は、「からりと」の語感では相応しくなさそうである。

 アムはそういうことを考えて、不安を紛らわせようと試みていた。

 トゥトゥが駆る龍骨カヌー<稲妻号>の船尾側に座って、大人しく口をつぐみながら。

 <稲妻号>はラグーンの浅瀬で進むでもなくただ浮いている。

 じりじりした。

 無口でいるということは、アルマナイマ星でセムタムとして活動している最中のアムにとっては拷問に等しい。

 言語学者がフィールドワーク中に無口になったら?

 ホームシックか、食あたりか、死期が近いかのいずれかである。アムはそのどれにも当てはまらないので、ともかく喋りたい。

 昨日の飛龍雲と赤い爪の破片が意味するものは何なのか、トゥトゥに尋ねてしまいたかった。

 パチャラたちが闘う予定の龍にアクシデントが起こっているんじゃないの?

 それなのに儀式は普通に進んでいくわけ?

 だが、何も聞くなとトゥトゥの背中は語っている。ならばアムは黙るしかない。

 白砂の浜でギュギが貝笛を吹き鳴らしている。満天下に出航、決闘の始まりを告げる音だ。

 これより<龍挑みの儀>の最も重要なパートが幕を上げる。

 龍とセムタムの真っ向きっての勝負。

 明らかに龍とセムタムでは個の能力に差があるので、龍は己の肉体によるもの以外の力を振るってはならず、セムタムの銛が届かない領域に位置どってはならない。

 対してセムタムは十隻までのカヌーを用意することが認められる。

 今回の五人五隻の布陣はギュギの自信の表れと捉えられよう。

 そして、儀式に際してはアルマナイマにまします龍神たちの承諾が必要だった。彼らは何処からか、儀式に不正がないか見ているという。だから龍もセムタムもルールを明確に守るのである。

 どちらかが降参するか、命を落とすまでは終わらない流血試合<龍挑みの儀>。

 その多くの決着は後者の手法で着く。

 セムタムは龍の骨や鱗を求めて闘いを挑むので、止めをささなければ目的を達成することは出来ない。

 しかしアムに不可解なのは、龍の側の事情である。

 カヌーの船体になる頑丈な骨や、素晴らしい撥水性能を持つ翼幕、無比の硬さを誇る鱗が欲しい、というセムタムの欲求はよくわかる。

 対する龍の側は、アムが表面的に理解する限り、ルールを遵守するメリットが何も無い。というより<龍挑みの儀>で得られるメリットが無いように思えるのだ。

 セムタムの頑健さは、便利さに慣れた汎銀河系の我らとは雲泥の差があろう。彼らは自分の肉体によってカヌーを操り、銛を撃ち、もろもろの海上放浪生活を成り立たせている。

 しかしそれでも龍の爪牙に真っ向からかかればトゥトゥの言う通り「すぐ死ぬ」のであって、そういった、いわば弱者を相手にする意味が龍の方にあるとは信じがたい。

 自らを不利な状況に追い込んで何かを得ようとしているのか。それとも、神話的な絆を盲目的なまでに信じれば、弟妹たるセムタム諸氏の前に身を捧げることもいとわないというのだろうか。

 この質問を、アムは何人かのセムタムに投げかけてみたことがある。回答は判で押したように「疑ったことも無い」だった。

 ならば龍本人に聞くのが一番よいのだろうが、そんな機会はなかなか訪れない。

 言語と神話を共有する隣人として捉えられてはいても、龍とセムタムという知性体二種の間に確たる線引きがあることは確かなのだ。

 セムタムの市場に出かけていって世間話をするような気楽さで接するわけにはいかない。

 貝笛の音が尾を引いて海面を過ぎゆき、そして止んだ。

 じゃぶじゃぶと浅瀬を歩いてくる音がする。

 アムはこの星に来てから随分と海の音に慣れた。おかげで、何人が歩いているのかを耳で把握することが出来る。帰りも同じだけの足音がしてほしいと祈った。

「トゥトゥさん、ドクターさん。よろしくお願いします」

 ギュギが言って<稲妻号>に這い上がる。

 水も滴るいい男と表したいところだが、アムは心中穏やかではなかった。

 それを見透かすようにギュギは目を細めて、

「昨日は失礼しました。これから見直してもらいますよ」

 とにっこりと笑う。

「舐めた口きいてると俺がぶっ殺すぞ」

 トゥトゥが振り返りもせずに言うので、ギュギはアムに向かって舌を出す。そこに環状模様の刺青が入っているのが見えた。

 ギュギの首座舟――<龍挑みの儀>において旗艦となるカヌーは、珊瑚礁から外海へ張り出した短い桟橋に停泊している。

 桟橋は儀式のために特別に設えられたものだ。そこまでは<稲妻号>に乗って行く。

 首座舟には龍に致命傷を与えるための太い銛が積まれていて、さらに銛に括り付けられた重りを海中で引きながら進んでいくことになる。

 重りは丸太に岩などプラスアルファの重量物を吊り下げて構成される仕掛けだ。

 カヌーで運搬する際は丸太が浮力を補う。

 一見して頼りない装備に思えるのだが、飛龍を相手取るときは銛と重りという構成が最適なのだとセムタムは分析していた。

 銛先は龍の鱗である。龍の鱗同士の激突であるので、適切な角度と速度で突けばセムタムの膂力でも龍の肉体に刺すことが叶う。

 重りが真価を発揮するのはそこからだ。

 銛を撃ちこまれた龍は当然それを抜こうと暴れる。暴れると、龍の腱からなる頑丈な糸にぶら下げられた丸太と重りが振り回されて龍にまとわりつく。重りが絡めば、バランスを崩して落ちることもあるという。

 骨から見ると飛龍の体は生物として極限まで無駄を削ぎ落して軽くできている。急な重量変化は苦手なようだ。

 落ちるところまで行かなかったとしても、銛を抜かせないように追い立てれば飛龍は消耗するだろう。そうすればセムタムの勝利が見えてくる。

 首座銛撃ちは、その重要な重り付きの銛の撃ち込みを一任される役回りだ。

 龍の方としても首座舟を当然のように集中攻撃する。

 しかし、首座舟は小回りが利かない。

 格好の獲物になる首座銛打ちから龍の攻撃を遠ざけるのがパチャラたち補佐舟だ。首座舟に先立って銛(首座舟のそれと比べれば軽量だが、刃はやはり龍鱗製である)を撃ち込み龍を挑発したり、鼻先に刺激の強い粉を投げつけてひるませたりする。いかに補佐舟が龍の体勢を崩せるかが勝負を分けると言っても過言ではないかもしれない。

 怖いだろうな、と話を聞くだにアムは震えてしまう。

 本当のセムタムであれば怖がらないものだと言うが、それでもやはり、心の底では怖かったりするんじゃないか、と思ってしまうのである。

 そう考えながら横を見れば、ギュギは口の端に笑みを浮かべて風に体を撫でさせているばかりなのだった。

 帆を上げた<稲妻号>はほんの一呼吸のうちに急加速し、勢いに乗って珊瑚礁を乗り越える。

 ギュギが小さく口笛を吹いた。

「やあ、やっぱり速いんだなあ」

「当たり前だ」

 間髪入れずにトゥトゥが返す。

 回頭して桟橋に横付けした<稲妻号>から首座舟へギュギが乗り換えるころに、他の四隻も揃った。

 補佐舟の四人からはひりつく緊張感が漂ってくる。

 これが正しいんじゃないかしらね、とアムは思った。

「さて、行けるか?」

 ギュギが補佐四人に聞いた。

 四人が四人とも頷き返すのを見てギュギも頷き、

「じゃあ」

 櫂で桟橋を押して首座舟が動き始める。

「行くぞ、みんな!」

 補佐舟の四人が唱和する勇壮な龍撃ちの歌に包まれて、ギュギのカヌーは少しづつ勢いを増し、やがて矢じり型に編隊を組んで若き勇者たちは真っすぐに真っすぐに決戦海域へと突き進んでいった。

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