幕間

幕間 怨念の律動

 暗く、暗く、深く。白い表面のカードが何枚も溶液に浸された水槽が並ぶ部屋の中、『怨念の女』はそこにいた。

 何本も何本も何本も、水槽から伸びたケーブルが彼女の座る椅子へとつながっており、カードがひたされた水槽から何かを抽出して彼女に流し込んでいることが分かった。それはカードに閉じ込められた人やモンスターの英気。


 女はゆったりと柔らかい椅子に座りながらも首を下に向けており、身動き一つしない。ドクン、ドクンという部屋中に響く命の音が響いてなければ、生きているのか死んでいるかもわからなかっただろう。

 一切の生気を外部に見せなくても、彼女は生きているのだ。間違いなく。部屋中一面の水槽に入ったカードからエネルギーを吸い上げて。


「ギギャギャギャギャ……相変わらず細かいところがよくわからない人だ。なぜ直接食わない? 食べない? 吸収しない? そちらの方が効率がいいというのに」


 音を鳴らしながら少々さびが入った金属製の扉を開け、これまた不気味な女が青髪の男を連れて部屋に入り込む。

 ウィンノルン・ペケノットとマシアス・ミストランド。カードへ生命を閉じ込める魂縛こんばくの術式を操る二人が、新たに水槽へ放り込む量を蓄えてやってきたのだ。


「それは我の目的に反する。時間はあるのだからゆっくりと力を付ければよい。……して、付けられてはいないだろうな?」


 ウィンノルン達が入ってくるまで何も動きを見せなかった女が顔を上げ、顔にかかる黒髪をゆっくりとかき上げた。

 現れた顔は、傷やしみの一つない美しく整った顔。しかし、彼女の内側に潜む怨みと怒りが隠しきれずに表面へ噴出しているかのようだ。美しさに気を取られて顔を伺えば、本当の意味で射抜き殺されそうな印象を受ける。


「それは勿論、ぬかりないよ」


 マシアスが女の質問に答えた。彼らしい飄々ひょうひょうとした言い方ではなく、いつにもまして真面目な話し方だ。顔に仮面のような笑顔は張り付いていない。

 その返答で、椅子に座っている黒長髪の女は満足げに息を吐く。灰色の瞳がマシアスとウィンノルンを映した後、もう一度女はゆったりと座りなおした。


 室内を薄暗く照らす光の明かりを、横へ螺旋らせん状に伸びた角と、額の上で悪魔をイメージさせるように生えた2本の角がてらりと反射する。

 計四本の重たい角が存在し、彼女の背中側に存在する悪魔のような翼と合わせて、高位の悪魔か竜族であるということが見た目からわかった。王は不敵に構えているのが仕事とは言うが、彼女はまさにそれを体現したような存在感を放っていた。


「ではウィンノルン、マシアス。供物を我に捧げよ。まだ足りぬのだ、まだ、まだ、もっと……」


「はいよはいよ。まったく人使いが荒い人だ。取ってこい取ってこい取ってこいの次は、入れろ入れろまた取りに行けだ。しかも物探しまで付け加えてさぁ。まっ、私は楽しいからいいんだけどね」


「あなたという人はどれだけ吸えば気が済むんだい?」


 ウィンノルンとマシアスはそれぞれ椅子に座っている女の後ろにある水槽に近づき、ポシェットや懐から白紙のカードを取り出して何枚も何枚も投入していく。ウィンノルンは言葉に割には楽しそうに。マシアスは無表情で淡々と。

 投入されると共に、無機物であるはずのカードが脈打つ。数十もの命を抱えて一つの生命体の如き存在となって、溶液を通して椅子に座る怨念の女にその気力を流す。


「ふむ……やはり新鮮な獲物からだと効率がいい。……次にウィンノルン。ネヘルテバッシュの所在はわかったか?」


「あーあー、あのバァカと言われる奴ですかい? まだ投獄されている場所はわかりません、わかってませんよ。判明したらすぐにでも戦力として取り入れたいんですがねぇ。主に私がつまらない奴を相手にしなくていい分だけ楽できるからですけど。」


「そうか」


 本当に戦力として取り入れたいのか、あるいはネヘルテバッシュという者の力を己に取り入れたいのか。女の真意はまだ読み取ることはできない。ただ次の力がまだ手に入らないことに落胆するように女は目を閉じた。

 そして瞳に闇を映したまま次の言葉を告げた。


「それにしてもマシアス。ここのところ貴様は物忘れが激しいな? まだ入れ忘れているカードがあるだろう」


「……いけないね。忘れていたよ」


 ポケットから取り出され、水槽に投げ入れられるカード。

 この場所に来て、初めてマシアスが笑みを浮かべたのかもしれない。それは忘却していた自分のおかしさか、それとも別の感情を隠すための仮面か。

 

「思い出せて、最後に力が我が元に来るのならよい。行け」


 その言葉を受け、マシアスは振り返ることなくこの暗い部屋を後にした。勝負時はいつも笑顔を張り付けるマシアスの淡々とした態度に、ウィンノルンはこれは怪しいと彼の後姿を睨んだままだった。


「マシアスめ。あいつ何か企んでいるようですよ? このまま放っておいて、放任しておいて、勝手にさせておいていいんですかい?」


「良い」


 ただ一言で女は返す。極めて大きな自信から来る一言であった。

 今の自分は何をされてもどんな手を使われても揺らぐことがない。そんな絶対的な自信をもって女は答えてみせたのだ。


「一応仕事はできている身だ。このまま使っておいてやる。我に再び・・刃を向けたその日には……」


 目が開かれ、全てを噛み砕いてしまうかと思えるほどの笑みが女の顔に現れた。


「握りつぶす」


 その笑みを見て、ウィンノルンの体を恐怖が走り抜ける。

 一歩後ろに下がれば奈落の底へ、一歩踏み出せば巨竜のあぎとへ。ただ硬直するしかないような恐怖を前に、しかしウィンノルンは冷や汗をぶわりと出しながら笑い声をあげた。


「ギッ、ギギャギャギャギャ! 面白い! やはり面白いですよ貴方は! あぁ、貴方についてきてよかった! これは面白おかしく楽しくなりそうだ! 不肖このウィンノルン、誠心誠意次の力を集めさせていただきましょう! ああ、次また会う時を楽しみにしていてください――」


 がくがくと震える手を自身の胸の前に持ってくるウィンノルン。忠誠の言葉を一通り話し終わった後、最後に彼女は巨大なる悪意を持つ女の名を口にした。


怨念グラッジ様」

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