四十一話 慢心

 カイトは顔の半分を紅く染めたクリスを見て、憤りを感じた。

 支援者が恩師に怪我を負わせた。その事実だけで十分だった。所長と支援者のどちらが、立場が上なのかは馬鹿でも分かる事だ。しかし、それはただの所員である自分にとって、そんなものは関係ない。どの関係者よりも、恩師であるクリスの方が大切だ。

 目の前に居るニールなど、ただの貧相な男だ。

『クリスさんっ! お怪我は大丈夫ですかっ!?』

「あぁミリちゃん……大丈夫大丈夫」

 クリスは笑顔で手を振ってくるが、その笑顔にいつもの元気が感じられなかった。それもそうだ。その出血量ならば。

「まさか……戻せるとは思わなかったよ。その調子じゃ、父親も殺せていないようだね」

『そのような事はもう必要ありませんっ!!』

 ミリは胸に手を当て、叫ぶ。

『私はこれからを生きていきます。今度は還し屋として、自分に誇りを持って』

「君が還し屋? 教養の無い奴がなれるとでも? 大人しく、花でも売っていればいいさ」

 ミリを貶す言葉にふつふつと怒りが込み上げてくる。彼女の何を知ってそんな事を口走れる。彼女が還し屋に向いていた。この世に彷徨うミストに、次の人生を願える優しい少女だ。

 父親のせいで学校に通えなかったかもしれない。だが、そんなものは関係ない。自分も勉学らしい勉学を学んできた訳ではない。なりたいかどうかで、道はいくらでも切り開ける。

「還し屋になる根性のねぇ奴に、ミリを馬鹿にする権利なんてねぇよ。ミリの方がよっぽど立派だぞ、お坊ちゃん」

「カイト君、君の事は好きでもなかったし、嫌いでもなかった。けど、今回で心底嫌いになったよ。良い弟だと思ったのに、本当に残念だ」

「そうかよ。俺はお前の事は嫌いだったぜ。ストーカーみたいでよ」

 カイトは黒い靄から人の形に変わるミストに目を向け、身構える。

 その瞬間、傍に居たミリがそのミストに向けて勢いよく飛び出し、走るよりも速く、ミストに対峙し、取っ組み合いを始めた。ミリは相手の両手を掴み、行く手を阻んでくれている。

 黒い靄がミリを覆うとするが、ミリから放たれる淡い光に阻まれる。

 人の姿をしたミスト同士が触れ合う現象が目の前で行われている。これは史上初めての現象と言ってもいいだろう。生身である自分達では触れる事は出来ず、同じ存在のみがそれが許されるという事だ。

『カイトさんっ! 今の内にっ』

 今、異様な雰囲気を醸し出すミストは一人。

 足止めしてくれているので、障害物はない。生身同士のニールまで一直線だ。

「ありがとよっ」

 ミリに礼を言い、ニールに向けて駆け出す。

 拳を作り、ニールに向けて放とうと振りかぶる。華奢な体をしている彼を叩きのめすのは容易だ。いつもの半分の力でも十分に可能だろう。

「あ――待って、カイトっ!!」

 クリスがニールを見るなり、叫ぶ。それに気づくのには一瞬遅く、ニールの口の端が僅かに上げられているのが分かった。

 パキッと何かが欠ける音が聞こえる。

 それと同時に、目の前が黒く覆われ、そこに血走った眼が二つ現れた。

「く――っ」

 全身に悪寒が走る。

 ミストの距離はほんの数メートル。自分が行う還す動作では、終える前に触れられてしまう。早くするか、違う動作をするしか方法がない。

 間に合わない、失敗すれば何もかも終わりだ。下手をすれば、死んでしまう。

 目の前の馬鹿を叩きのめすまで、倒れる訳にはいかない。

 自分が知っている限り、一番早い還す方法。

 カイトは片手を前に突き出し、中指と親指の腹を合わせた。

「それは……クリスの――っ!!」

 ニールが目を見開き、慌てて距離を取り始める。

 短い時間で還す方法は一つ。クリスの還す業だ。

 カイトは意識を集中し、腕を振り上げると同時に指を鳴らす。すると、目の前のミストが身近な悲鳴と一緒に消え失せた。

 成功した事が気に食わなかったのか、ニールが言葉にならない怒号を上げる。余裕が無くなっているのが一目瞭然で、その姿が滑稽に見えた。

「終わりだ、坊ちゃ――」

 そこで、自分の意思とは裏腹に全身の力が抜けてしまい、その場に片膝を着いてしまった。

 突然の事に困惑していると、ミリと組み合っていたミストが纏う靄が体に触れていることに気付いた。ミスト自身に触れるのではなく、靄に触れられても体の自由を奪われてしまう事に苛立ちを覚える。

『カ、カイトさんっ!!』

 ミリは悲鳴を上げ、目の前のミストを睨みつける。

『貴方は……亡くなる前はとても良い方だったでしょう。貴方に触れていると伝わってきます。そんな方が悪い人に利用されてはいけませんっ。私はあの人を許すことは出来ません。貴方も……そうでしょう? 私やカイトさんではなく、もっと怒りをぶつけるべき人が居ます!』

 正気を失っているミストを説得するのに意味があるのだろうか、と思った。

 すると、相手の周囲に漂う黒い靄が薄くなっていくのが気付いた。実力行使でしか終わらせる事は出来ていなかった。それを彼女は言葉でどうにかしようとして、それに応えてくれたのだろうか。

 ミリが頑張っているのに、ここで跪いている場合ではない。

 カイトは震える体に鞭を打ち、一歩踏み込む。

 危機感を覚えたニールが自分との距離を取っており、たった数メートルだろうがその距離がとても遠く感じた。

「子供みたいに逃げるじゃねぇか……坊ちゃん」

「武闘派じゃないからね、僕は。君とまともに喧嘩すれば負けるに決まってる」

 そう言い、ニールは懐から三つの捕縛箱を取り出した。

「てめぇ……どんだけ持ってんだよ」

「ふ、ふふ……さぁ、ね――」

 彼が捕縛箱を開けようと手を動かそうとしたが、再び驚愕に目を見開かせる。

『そうはさせませんっ!』

 ミリがニールに触れようと手を伸ばす。それを見たニールは彼女から離れようと後ろに跳ぼうとした。だが、咄嗟の事で足が縺れ、手から捕縛箱が離れてしまった。

 ミリは負の感情が纏わりついていないため、他のミストとは違って、触れた相手の体力を根こそぎ奪うような事はない。しかし、ニールにはその先入観が植え付けられてしまっているのだろう。

 三つの捕縛箱が地面に落ちる。老朽化しているからなのか、その衝撃に全ての捕縛箱が壊れ、黒い靄が現れた。それぞれ、人の姿へと変化していき、ミリの前に立ちはだかる。

「僕の勝ちだ。君達二人でこいつらをどうにかなんて出来ない」

「この子達だけじゃない……私もセレカも居る」

 クリスは片目を押さえ、顔を歪ませながら言い放つ。

「勝っているのは私達よ……。バカ野郎」

「もう見えないんじゃないのかい? 他所を向いているけど」

 その言葉に、彼女は舌打ちする。

 クリスが押さえる目が片目とは別の方向を向いているのが見えた。それが普通の目ではなく、義眼であるのが一目で分かる。何故、義眼なのかは疑問に思うが、今はそれどころではない。

「いくら優秀な君でも、視えなければただの怪我人だ」

「他の還し屋が来れば、そんなの関係ない」

「その前に、全部終わらせる」

 ニールは片手を上げ、笑みを浮かべさせる。

 そして、振り下ろす。

 それがミストを動かす合図。

 カイト、クリス、セレカティアは揃って還す動作に入る。

 少しでも早く。思うように体が動かなくても。還すべき者が視えなくても。還す意志だけはなくしてはならない。

 目の前の死者を好き勝手に扱い、傷付け、愚弄する人間を許してはならない。どんなに体の自由を奪われても、還し屋として救う事を考えていかなければならない。

「……なに?」

 動かない。

 三人のミストは俯いたままピクリとも動かない。まるで電池の切れた玩具ように。

「どうして、どうして……僕の指示に従わないんだっ」

 動揺と怒りに体を震わせるニールはあるものに気付き、それも止まる。

 彼の視線は自分達よりも後方。セレカティアの方へ向けられていた。何故、目の前の自分達よりも負傷しているセレカティアに意識を向ける必要があるのだろうか。

 そういえば、ミリと組み合っていたミストはどうした。セレカティアが還していたとしても、いつもの断末魔が耳に届いていない。

 カイトは首だけ動かし、後ろを確認する。

 そこには、虚ろな目でじっとニールを眺めているミストの姿があった。

 そのミストは僅かに目を動かし、同類三人を見る。それが彼らの中での合図だったのか、一斉にニールを睨みつける。

「な……っ」

 人に対して怒りや憎悪を向けている姿を何度も見てきた。だが、彼らの向ける感情はそれすらも超えてしまっている。

 禍々しい殺意。

 ミストを視えていないクリスでも、カイトの顔を見て状況を把握したのか、数歩後ろに下がる。だが、それだけではまだ近い距離だ。

「クリス、もっと離れろ。巻き込まれるぞ……」

「……無茶言うわね」

 クリスは弱々しく言い、さらに数歩後ろに下がる。

 ニールは恐怖に息を乱れさせ、たじろぐ。四人のミストを視界に捉える為に動く目が小刻み揺れる。

 彼にはもう、逃げ場はない。どこに逃げようとも、彼らはニールを逃がさないだろう。視えるだけで、還す術のないのだ。

 一見、簡単そうに見えても、確実にミストを還すのにはそれなりの技術がなければならない。だからこそ、還す方法が人によってそれぞれ違う。

「く、来るな……僕じゃない。こいつらだ! こいつらを――」

 ニールが全てを言い終える前に、一人のミストが彼の頬に触れる。

 その瞬間、彼は膝から崩れ落ち、尻餅を着いてしまう。

 他人が倒れる姿を見ていても、自分がなるとは思っていなかっただろう。自分の意思に反し、動かない体に顔を歪ませてしまう。

「う……た、助けて……」

 消え入りそうな声に、カイトは鼻を鳴らす。

「自分が蒔いた種だ。責任取んのが筋ってもんだろ」

 三人のミストの手がゆっくりとニールへ伸びる。

 彼らの手が触れた時、彼の命が終わり迎えてしまうだろう。計四回だ。その回数を触れられれば、大抵の人は命を落とす。それを、身を以て知った。

 だが、人の命が失われるのをそう易々と見過ごせない。

 それはミリも同じだった。

 彼女はニールと三人の間に立ちはだかり、彼らの手を重ねるようにして、両手で包み込む。

『我儘言ってすみません……皆さんがその手を汚させる訳にはいきません。矛盾してしまいますが、どうか……』

 その言葉に、三人の顔が一度は険しくなるが、すぐに元に戻る。

 そして、ミリはこちらを向き、

『カイトさん、お願いします』

 そう言った。

「……あぁ」

 カイトは三人を見て、頷くとニールの下に歩み寄る。

 動けなくなっている彼を見下ろし、告げた。

「ミリに感謝しろよ。死ななくて済むんだ」

「……そ、そうみたい……だね……」

「けどよ、俺は許すつもりはねぇからな」

「えっ……」

 拳を作り、ニールの呆けた顔面に全力で叩き込む。

 自身の拳と彼の頬の骨が軋むのが伝わる中、彼は石の道路に容赦なくたたきつけられ、白目を剥いたまま動かなくなってしまった。

「刑務所で反省してろ」

 痛む手を振り、舌打ちする。

 短時間で二人を殴り倒すと、流石に手が痛む。私生活の中で、喧嘩を何度かしてきた事はあったが、これほどまでに力を込めて相手を殴った事が無かったので、二発で限界に近い痛みが押し寄せてきた。

 とにかく、これでミリが関連する事件は終わりを迎えてくれた。

「一件落着だな」

『はいっ』

 ミリは笑みを浮かべ、頷いた。その横で、三人のミストがこちらを向き、虚ろな目ではあったが、僅かに生気を取り戻した表情で小さく呟いた。

 ありがとう、と。


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