三十三話 死んだ技術

 事務所に戻った三人は、ソファに座り、テーブルに置かれた先程の捕縛箱を前に、話を始める。

「で、捕縛箱ってのはなんだ?」

 カイトは単刀直入に質問を投げかけた。

 それに対し、クリスはコーヒーを一口飲んだ後、一つため息を吐いてから口を開く。

「さっきも言ったけど、史上最低最悪の失敗作」

 失敗作とは言っていたが、そこまでは言っていない。

「ミストが人であるっていうのは、ここ数十年で分かった最近な事なのは言ったわよね?」

「あぁ」

 還し屋自体は百年以上前からある職業だ。その間の数十年間、ミストが人の姿をしたことが一度もなかったのか疑問ではあるが、彼女が言っているのだから本当の事なのだろう。或いは、敢えて伏せられていたのか。

「ミストの研究ってのはどうやってしていたと思う?」

「ん、そりゃあミストの前で――」

「四六時中? 四季折々? 現実的じゃないよね?」

「じゃあ、どうやってすんだよ?」

「捕まえるのよ、それで」

 クリスはテーブルに置かれている箱を顎で指す。

「それ、ミストを中に入れる事が出来るの」

『えっ!?』

 驚きの声を上げ、思わずといった様子で立ち上がったミリが、捕縛箱を指差した後に口を押さえる。

『こ、これがですか!? ……窮屈そうです』

「感想はそこなんだ……」

 苦笑いするクリスは話を戻す為に咳払いすると、捕縛箱を手に取り、指先で器用に回す。

「これのおかげでミストの研究が進んで、めでたく正体を掴む事が出来ましたっていうぼろくずよ」

 そこまで聞いて、それが失敗作のようには思えなかった。

 周囲の物を劣化させたり、人の体調を崩させたりとマイナス面に働く存在を一時的に捕縛箱に入れておき、適切な場所で還せる便利な道具だと思える。何故、クリスがそこまで過小評価しているのか分からない。

「便利なもんじゃねぇか。なぁ、ミリ」

『はい、とても』

 現在ミストであるミリも賛同する。

 二人の反応に、クリスは仕方ないとばかりに二度目のため息を吐く。

「最初は皆そう思ってたよ。私自身、思ってたし」

 けど、と続ける。

「これが還し屋の資料に載らなくなっているのか、問題」

「……なんでだ?」

「少しは考えな。ミリちゃんは?」

 次にミリに投げかける。

『えっと……お金が掛かるから、でしょうか? そんなに便利な物を一杯作るのって大変そうですし』

「んー、まぁえげつない金額になってたとは聞いた事あるけど、それも違う。正解は、作れなくなったのと……ミストに悪影響だから」

『作れなくなった、ですか?』

「正確には、全員死んだのよ」

『えっ』

 数十年前のものなら、製作の関係者が亡くなっていてもおかしくない。だが、製作工程が確立していれば、次の世代に受け継がれていくものだ。年月を重ね、改良されて現在も使われていてもおかしくない。受け継がせなかったため、失われた代物と化したかもしれない。

「けちくせぇ奴らだったのか? 俺達の技術は俺達だけのものだぁってか?」

「そんなしょうもない理由だったら逆に面白いわね。けど、それも違う」

「じゃあなんだよ」

「理由は貴方達も見たものよ」

「見たもの?」

 自分達が視たものは、狂気じみたミストの二人。内の一人の側にあった捕縛箱。

「まさか――」

「ミストが研究者と製作者全員を殺したのよ」

 それは確かに史上最低最悪の代物だ。

「捕縛箱に閉じ込められたミストは悪い方の感情に引っ張られていく傾向にあったの。最悪の状況になるのはまちまちで、どれくらいの期間閉じ込めたとかの限界が無かったのが理由。一ヶ月以上もあれば、数秒だったりね。で、全員死んだのがその数秒。持ち帰って開けた瞬間、全員死んだみたいよ」

「全員……」

「殺したミストはもちろん還されたけど、それが原因で製造方法とか何もかも処分されたって話。だから、これがここにあるのがおかしいの」

 確かにそうだ。数十年前に失われた物が現在に存在している筈がないのだ。誰かが隠し持っていた、という可能性はなくはないだろうが何故、今になって現れた。或いは誰かが製造方法を知りえたのか。後者なら、今後が危ない。あのようなミストが街中に出現すれば他の還し屋の身に危険が及ぶ。ミストを視認出来ない一般人なら尚更だ。

『誰かがそれを今も持っているのなんて……怖いですね』

「そうね。これをそこらへんに転がせていたって事はいくつか持っている証拠にもなるし。早いところ、犯人を捕まえないとだし、ミリちゃんを元に戻さないとそいつに狙われる可能性だってある。ミリちゃんの体は見つけたんでしょう?」

「あぁ、けど――」

 ミリを一瞥し、

「もう少し様子見てからでいいか? まだ、勇気が必要みたいだ」

 と告げた。

 クリスはミリを見た後、頷いた。

「……分かった。けど、ミリちゃんから目を離したら駄目よ。他の還し屋の管轄内に入れるのも駄目。目立つからすぐに還し屋内で噂が立つからね」

「あぁ」

「よし、話はこれで終わり。私もお風呂に入って寝るぅ」

 そう言い、彼女は浴室に引っ込んでしまった。

 重要な事をさらっと終わらせてしまっており、もやもやを拭えないのは非常に落ち着かない。掘り下げて追及したいものだが、ああ言ってしまったクリスに何を言っても聞かない。明日に話を持ち越すしか外ない。

「……仕方ねぇ。ミリ、帰るぞ」

『はい。……カイトさん、私……明日にでも自分の体に戻ろうかと思います』

「どうしたんだ、急に?」

『いえ、私がこのままいるのは良くないのか思って……』

「自分で暫く時間を置きたいって言ったんだろ? そりゃあ、体の事を考えたら、一日でも早くリハビリを始めた方がいい。理由は何だ?」

 ミリはこちらに視線を合わせず、泳がせる。手も重ねて動かし、落ち着かない様子だ。

『私もあの人達みたいに誰かを襲ってしまうのではないかと自分が怖くなって……』

 その言葉を聞き、あの光景を思い出す。

 彼女自身、記憶にはない。だが、あのような状態に二度とならないとは限らない。彼女の言う通り、元の体に戻った方が周囲に被害が及ばなくなる。

 だが、口ではそう言っていても、思いあぐねている様だった。それもそうだ。あの体に戻るには躊躇してしまう。今は健康状態にあるかもしれないが、戻った途端、体調が最低に落ち込んでしまっている。今後の生活などを考えると不安が募る筈だ。

「遅かれ早かれ戻るんだ。けどよ、自分が心置きなく戻れねぇんじゃ意味ねぇだろ。体の事は心配だが、一日置いてからでも遅くないと思うし、気持ちを落ち着かせろ。話はそれからだ」

『ですが……』

「何かあっても俺達が護ってやる。お前は自分の事だけ考えてりゃいいんだ」

『……はい』

「じゃ、帰ろうぜ。俺も眠てぇ……」

 眠気が徐々に瞼を重くしてくる。あの男のせいで体力を根こそぎ奪われてしまったためだ。クリスの話を聞かなければ、さっさと自宅のベッドに倒れこみたいくらいだ。

『……少し、考えたいので、先に帰ってもらってよろしいでしょうか?』

「分かった。遅くなるなよ?」

『はい。なるべく、早く戻ります』

 ミリは小さく頷くとドアをすり抜けていった。

 残されたカイトは静まり返った事務所を見回し、深く息を吐く。

 ミリと出会って数週間程度だが、濃い日々を過ごした。一八年生きてきて、一番長い数週間。悪い経験もあれば、良い経験もあった。どちらにしろ、この数週間であった出来事は還し屋としてとても有意義な日々になったと思う。ミリという辛い過去を背負った少女と出会い、自分だけの力だけではないが、還し屋の道を広げられた。

 彼女を幸せにしてやりたいと思えた。

 それだけでも、意味がある日々だ。

「忙しくなるな。良い先輩ならねぇと、セレカに馬鹿にされちまう」

 そう呟き、小さく笑った。


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