第3話

「おや、久しぶりだねえ。」


「……そうでしたか?」


 研究が一段落着いた後に贔屓にしているパン屋に顔を出すとまず言われる言葉である。今回はあまり籠っていた覚えが無かったのだがそうでもなかったのだろう。


「まあ、一週間で顔を出した分いつもよりはマシだろうけどね。」


「……ご主人は奥に?」


「三日前からね、店に出す分を焼いた後はずっとあの調子だよ。まったく、あの人もあんなに窯と向き合って何が楽しいんだか。」


 そう言いつつも笑っているのは夫婦仲が円満なことの表れだろう。いくらか雑談をしつつ、いつも買っているものと気になった新商品を購入する。


「ああ、あとは息子のほうにも顔を見せてやってくれないかい?」


「ええ、そのつもりです。」


―*―*―*―


 パン屋の夫婦には一人息子がいる。発明家志望で日夜勉強に励んでおり、それを応援している母親から『よければ時折アドバイスなんかをしてあげて欲しい』と頼まれてからはちょくちょく顔を出していた。


「……あ、先生。こんにちは。」


「こんにちは。勉強の調子はどうだ?」


「それなんですけど……、……これ、見てもらえませんか?」


 そう言って一枚の紙を渡された。

 ふむ、これは……


「パン焼き窯の改良案か。」


「はい、少しだけかもしれないけど、こうすれば燃料の効率も良くなるかと思って。」


 そこには、既存の形からいくつかの改良を施した窯の設計図が描いてあった。


「……なかなか悪くない。これをブラッシュアップしていけば良いものができそうだ。」


「本当ですか!」


 緊張した面持ちで私の反応を待っていたパン屋の息子は、その言葉に顔をほころばせる。


「ああ、ただしこういうものは使い手の利便性にも気を付けるといい。君なら父親に聞くのが手っ取り早いだろう。」


「…………そう、ですね。」


 だが、続けられた言葉にその顔を曇らせてしまった。


「……まだ仲直りしてなかったのか。」


「どうにもタイミングを掴めなくて……。」


 彼と父親はその将来のことで大喧嘩をしている。発明家を志した息子と、その将来を案じた父親、二人の関係は二年前からずっとギクシャクしたままだ。


「……店を継ぎたいんだろう?」


「……はい。」


「なら、まずはそのことを話してみたらどうだ?」


「そう、ですね。ちょっと頑張ってみます。」


 その後はいくらか勉強を教え、外が暗くなり始める頃に帰ることとした。


 ―――ああ、そうだ。聞き忘れるところだった。


「『電灯』の使い心地はどうだ?」


「すごく良いです。パン焼き窯の設計を書いてるときも手元が明るく照らせて書きやすかったです。

 ……まあ、母には少し夜ふかしした事を怒られてしまいましたが……。」


 少し前までは私が教えるばかりの関係だった、だが今はこうして開発した物たちのテスターをしてもらうこともあり、ここに顔を出す理由の一つになっていた。

 指摘も的確だしかなり助かっているが……、


「……あまり根を詰め過ぎないようにな。」


 一応、釘は刺しておこう。


―*―*―*―


 部屋を出て階段を降りると父親がいた。待っていたのだろうか……。


「……あいつは頑張っているのか?」


「……ええ、今日はパン焼き窯の改良案を見て欲しいと。」


「―――! そうか、あいつが……」


「……早めに仲直りしてあげてください。」


「ぐっ、それは……」


 タイミングがな、とボソリと続くのを聞いて「やはり親子なのだな」と妙に感心する。


 しかしどうしたものか……、この調子だと仲直りがいつになるか分かったものではない。


「―――夜も頑張ってるんでしょ? 差し入れでも持っていってあげたら?」


「……神出鬼没だな。」


「失敬な! この店にはしょっちゅう来てるよ!」


「あ、ああ、確かによく来てくれるな。」


 誰かと思えばいつもの悪魔である。人の少女に化けているが。


「しかしそうか、差し入れか……。ありがとう。試してみよう。」


「いえいえ、仲直り出来たら教えてくださいね。―――じゃ、行こっか。」


 そういうや否や腕に抱き着かれ引っ張られていく。後ろから奥さんの「あらあら」という声が聞こえたが訂正する間もなかった。

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