第28話 彼女が望んだ結末・2

 セシルは二人の顔を見比べ、内心で焦った。

 一体どうしたのだろうか、シガは。さっきからずっと、ユーサーに対して言葉がきつい気がする。彼とは対立する立場にあることを差し引いても、敵意を見せすぎではないだろうか。もっと言葉を選び、頭を下げて頼めばいいものを。

 あの血の海から鍵石を拾った者として、ここは自分が収めるしかない。セシルはシガをまっすぐに見据えた。


「……シガ。仮にこの石を叡洛に返したとして、悪用されない保証はあるのか?」

「……ないとは、残念ながら言いきれないね。たとえば異界の獣を捕らえて軍事目的に利用するのは、今の皇帝陛下がお望みではないからありえないけど、軍事目的以外の目的だとね……資源利用の名目で異界へ侵攻するくらいは、上層部の連中ならやりかねないよ。ろくでなしがわんさかいるからね。彼らを皇帝陛下が抑え込めればいいんだけど……」


 俺はしがない間者の一人だから。シガはそう首をすくめてみせた。


 つまり、鍵石をシガとユーサーどちらに渡そうと、彼らの背後にいる者たちの好奇心や欲望、思惑が鍵石にまとわりつくのだ。八年前、傭兵隊の隊長がセシルからこの宝石を奪って逃げたように。――――――――――最悪の場合、また争いが起きる。

 ――――――――あの血の海が、異界かこの世界のあちこちに広がるのだ。


 セシルは目に意志を込めた。


「…………ラディスタや叡洛の偉い奴らがこの石を悪いことに使う可能性があるっていうなら、あたしはこれをあんたにも渡せない」


 そう言うや、セシルは顔色を変え腰を浮かせるシガを尻目に、鍵石を胸に抱き、大きな扉を心に強く思い描いた。


 途端、セシルの視界は暗転し大きな扉が見えた。開け放たれたその向こうには、異界の洞窟が覗いている。

 その扉が閉じられ、闇の中に溶けていくさまをセシルが想像するのに合わせ、鍵石に宿っていた術は急速に効力を失っていく。術式の一つ一つが消え、ありようを忘れて崩壊する。

 セシルが胸から鍵石を離したときにはもう、鍵石は鍵石でなくなっていた。なんの術もかけられていない、ただの黒い宝石だ。


「セシル、君……!」


 シガが悲鳴のような声をあげた。セシルがそれを無視して再びテーブルに鍵石だった宝石を置くと、心得たとばかり、黒龍は己の身のような色をした宝石を見つめる。

 異界の獣の力が、宝石に向けられた。


「ちょ、黒龍……!」


 魔力を有しているシガはユーサーより先に状況を理解したのか、焦った声をあげる。しかし、もう遅い。

 一拍後。叡洛の技術の粋を集めて造られたという鍵石は、異界の幻獣の力を一身に受け、あっけなく砕けた。高く澄んだ音をたて、いくつもの破片となってテーブルの上に散らばる。


 見ているしかなかったシガとユーサーは、唖然とした。嘘だろとかまさかとか、そういう言葉が表情にはっきりと書かれているような幻覚が見えさえする表情である。

 シガは眉を吊り上げ、黒龍に食ってかかった。


「セシル、黒龍! なんで壊すんだい! これは叡洛の技術の結晶なんだよ!」

「何が技術の結晶だ。術を固着させただけの石であろうが。それに、セシルがその術を消しただけでは、叡洛の上層部は術を消した者を見つけようとするはずだからの。だから、この私が直々に壊してやったのだ。感謝するがいい」

「だからってねえ……!」

「うるさいぞ、小僧。これはセシルの意向だ」


 黒龍は面倒そうに発案者を明かす。と、シガはぴたりと口を閉ざした。その代わり、セシルに恨めしそうな目を向ける。


「セシル、君……なんてことを考えついてくれたんだよ…………」

「だ、だってこれが一番手っ取り早いだろ! そもそもこれがなきゃ、渡す渡さないの話にならないんだし」

「……」

「その偽物の石をデュジャルダン氏や叡洛の偉い奴らに渡したって、偽物だってばれたら、じゃあこの偽物を造ったのは誰だって話になるしさ。また探されることになったら意味ないだろ。シガやユーサーさんや……シガの部下の人たちが処罰されるかもしれないし」

「……」

「後であたしがどこかに穴を開ければ、黒龍さんを異界へ帰してあげられるみたいだし。だから、二人ともこれの欠片を探してる人のところに持っていって、見つけたけど砕けちゃってましたーって上の人に報告したら、なんとかなるんじゃないかなって……」


 シガの視線に気圧されたじたじになりながら、セシルはそう意図を明かした。

 隠れ家で鍵石をシガに渡されてから昨日の夜まで、セシルはあの真っ暗な空間――世界の狭間で、何度も黒龍と話をした。養父母のこと、過ごした日々のこと、今していること、シガのこと。互いに知っていることを話し、時にはこっそり鞄の中に彼を忍ばせて、シエラ劇場へ連れて行ったりもした。そして、これからどうするかも話しあった。


 鍵石を有用な術具として見る者の手に渡せば、いつか悪用され、異界の平穏を乱される可能性は残り続ける。セシルも、異界への扉に干渉する異能を有する者であることを知られれば、自分だけではなく周囲の人々の生活までも脅かされることになるだろう。

 ならば、鍵石を二度と誰の手にも渡さないようにすれば――――使えないようにすればいいのだ。そしてセシルの存在が知られないようにすればいい。セシルは単純にそう考え、鍵石の破壊という結論に達したのだった。


 シガは、がっくりと肩を落とした。


「それはそうだけどさ……俺は、君がこの石を欲しがってるなら君にあげて、上層部には壊した模造品のほうを渡してごまかすつもりだったんだけどね…………そのために、集めた術具を総動員して部下もこき使って自分も徹夜して、この短期間で模造品を造ったわけだし…………」

「う……仕方ないじゃないか! 他にいい手が思い浮かばなかったんだから!」


 額に手を当て、頭が痛いと言わんばかりのシガにセシルは反論した。


 これでも、どうすれば黒龍や鍵石が東西の国々の思惑に利用されず、シガとユーサーも上司に睨まれずに済むのか、せいいっぱい考えたつもりなのだ。なのにここまで呆れられると、むっとするし、恥ずかしくなってくる。

 こんな反応をユーサーにもされていたら、さすがにへこむ。そんな不安を抱きながらちらりとユーサーを見ようとしたセシルは、それよりも早く、ユーサーが鍵石に手を伸ばしたのを見て目を丸くした。


「ユーサーさん……?」

「……後日、‘幽霊区’を改めて捜索してみると、要請されていた術具を発見することはできた。だがすでに砕かれ、欠片の残りも見当たらなかった……そう報告すれば、貴女や黒龍殿にラディスタの魔術師たちの目が向けられることはないだろう」

「……!」


 呟くようなユーサーの決意表明に、セシルは目を大きく見開いた。

 ユーサーの言葉は、セシルが出した結論に従うということに他ならない。――――セシルの共犯者になってくれると。


「私は詳しくは知らないが、東大陸の方術は優れていて、西大陸の魔術師にとっては学ぶものが多いのだという。西大陸諸国の魔術師が東大陸の文物から多くを学び、それを活かそうとするのは当然のことだ」

「……」

「だがその知識と技術は、このような戦乱の道具たりえるものから得るものではない。ましてや、貴女や異界のものたちが巻き込まれていい理由にはならない」


 セシルに顔を向け、ユーサーははっきりと、けれどどこか柔らかく言う。


「貴女はリヴィイールの女優、この国の民だ。ならば私は、貴女を守ろう」


 セシルは思わず息を飲み、顔を紅潮させた。熱い思いが胸から喉へと駆け上がっていく。涙腺が緩くなってしまう。


 どうしてユーサーはこんなに騎士らしいのだろう。セシルはユーサーに対して何度も嘘をつき、黙っていたりした。隠れ家では口裏を合わせるのを手伝わせたし、彼が他の選択肢を選べないようこうして黒龍に鍵石を破壊してもらいもした。マクシミリアンのこともある。はっきり言って、この件で一番の被害者はユーサーだ。

 それなのに、ユーサーは恨み言一つ言わず、セシルを守ると言ってくれるのだ。心が震えないわけがない。


『必ず貴女を守ろう』


 実家でのことがセシルの脳裏によみがえる。あのときは別の意味だったけれど――――ユーサーはやはり、生粋の騎士だ。


「……ありがとうございます」


 感謝の気持ちを他に表しようがなくて、セシルはただ深く頭を下げた。

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