第40話 悪人は正義を騙る

 到着した直後から、僕は三人に殴られ続けていた。

 倒れこむと蹴りが入り、無理やり立たされて、さらに殴られた。

 僕は、耐え続けるしかなかった。

 それらの暴力が過ぎ去ると、外貝が鼻で笑いながら、僕に言う。


「てめぇ、優子の事、どっかに閉じ込めてるだろ? 手も出したよな?」

「何、を」

「ヤッたのかって言ってんだよ!」


 再び顔を殴られて、僕は自分の口から液体が零れる音を聞いた。

 血なのか、唾液なのか、それらは粘度を持ってだらりと地面に落ちた。

 続いてよろめいた僕の腹に、隣にいた男の蹴りが入る。


「うっ、ぐ」


 それらは重く、鋭い。

 もはや耐えられそうになかった。

 体を折りたたんでうずくまった僕の頭上から、外貝の声が落ちてくる。


「優子が行方不明になってるって連絡くれた武雅がよ。お前にも手伝ってもらって探すって言ってたから、待ち伏せてたんだ。八束駅の近くって、場所も教えてくれたからな。お前、武雅にも手出してんのか? 女を上手く騙して、良いように踊らせて、楽しいか?」


 僕は何も言い返せない。

 何か言い返す前に、必ず暴力が僕の発言を打ち消すのだ。

 外貝に頭を踏まれて、僕は地面に顔を打ち付けていた。


「でも、俺らは騙されねぇからな。お前、どうせまだ優子とヤり足りないって理由で、家に監禁してんだろ? 人の彼女に手を出しやがって。この、クソ野郎がよ!」


 意識は朦朧としていたが、この時に至って、状況が読めて来た。

 外貝は、内野之がいなくなったのが僕のせいだと思い込んで、喧嘩の強い知り合いを引き連れて僕を探していたのだ。


 諦めずに反論しようとした僕だったが、地面に接している僕の口はまともな言葉を発することが出来ない。

 聞き取ることのできない呻き声となって、それを聞いた外貝は笑うばかりだった。


「知ってんだぞ、宝田。お前、優子に惚れてたんだろ。それで我慢できなくなって拉致監禁ってか? 人の彼女に何してくれてんだよ、なぁ!」


 外貝が怒鳴る。


「立て!」


 僕の服を掴み、力任せに立ち上がらせると、耳元で囁くようにして言った。


「なぁ、俺から逃げようとしてる優子、かくまってんだろ? あの女、孤立させといたからよ。お前くらいしか頼れる奴いないんだからな」


 この声は他の男たちには聞こえていないようだ。

 橋の上を走る車や、川の流れ、雨の気配、風の音、全てが邪魔をして、僕の耳以外に言葉を届けていない。


「すっとボケてんじゃねぇぞ。クラスの奴とも誰とも喋るの禁止にしといたのに、お前には声かけに行ってただろ? 伊藤巻が殺された後、お前が俺を殴った時の事だよ。今回だって、お前のところに行ったに決まってんだ」


 それは、の話に聞こえた。

 そんな事を内野之がされていたのも初耳だったし、内野之が孤立していたと言うのも、間違いないように聞こえる。

 ただ、内容は全体的に間違っていた。

 真実とは程遠い。

 僕は内野之に恋愛なんて求めていなかったし、内野之は僕に助け何て求めていなかった。

 ……いや、求めていたのかもしれない。

 僕が、助けることが出来なかったと言う、それだけなのかもしれない。


「で、お前も優子に惚れてたんだろ? そう言う事なんだろ? 頼られて、かくまって、好きな女とベッドインってか? ヤれて良かったな。でもな、宝田」


 外貝は声を殺して笑う。


「優子の処女は俺がもらってやったからな。滅茶苦茶めんどくさかったぜ。あいつ、声デカいだろ? 痛がって、叫んでうるさくてよ。めちゃくちゃ泣いてたし」


 僕は、何かを言おうとしたが、咳き込んでしまって言えなかった。

 外貝はニヤニヤと笑い、僕の首を掴む。


「悔しいだろうが、あいつは俺の女なんだよ。調教、楽しかったぜ? 今じゃ悦んで自分から腰振る淫乱女だ。俺の言う事なら何でも聞くし、嫌だって言っても、ちょっと殴ってやれば、何でも俺の言いなりになるんだ」


 頭の中が真っ白になる。

 外貝は、言葉を失っている僕の頬をペチペチと叩き、なおも楽しそうに囁いた。


「ショックか? でもな、お前には関係ねぇんだ。恋人ならセックスしたいと思うのも普通だし、同意の上なら、何しても良いんだ。なぁ、俺は間違ったことは一切言ってない。そうだろ?」


 黙れ、と思う。

 確かに外貝がいくら酷い男でも、ある意味では第三者の僕が恋人同士の話に首を突っ込むのは違うのかもしれない。だけど、僕は事情を知っているのだ。

 内野之の弱みに付け込んでやりたい放題している外貝が正しいはずがない。

 こいつは悪人であり、正しさなんて一つも持っていない。

 そして、それを証明するかのように、外貝は次の言葉を囁き続けた。


「なぁ、宝田。金払えば優子とヤらせてやるよ」

「な、に?」


 思わず声が出た。

 それを聞いた外貝は邪悪に笑う。


「一回5千円で良いぞ? 50万用意したら、お前にそのままくれてやっても良い。まぁ、他の奴にもけっこうヤらせたからな。結構稼がせてもらったぜ。なに、経験人数はまだ二桁になったくらいだよ。本当は30万で買いたいって奴がいたから、そいつにくれてやろうかと思ったけど、昨日ドタキャンされたせいで買い手が怒っちまってな。だから、お前で良いよ。とりあえず、俺に優子を引き渡せ。全部チャラにしてやるし、合法的にヤらせてやるからさ。楽しくヤろうぜ?」


 僕は外貝の胸ぐらをつかみ返すと、こぶしを握り締めて、手を振りかぶった。

 あの日、治水緑地で内野之が落とした袋の中身――袋の中にあった避妊具の種類や数が多すぎると思っていたが、つまりはこう言う事だったのだ。


「くそ、やろう」


 言いながら、こぶしを振るう。

 だが、外貝には届かない。

 いや、拳は振るうことも出来なかった。

 男の一人が走って来て、勢いをつけて蹴りを入れて来たのだ。


「いきなり殴ろうとしてんじゃねぇ」


 声は聞こえたが、反論なんてできない。呻くことも出来ず、僕は倒れた。

 しかし、ここで倒れたままではいられない。

 僕はフラつく足に力を入れて、なんとか立ち上がった。

 そして外貝は、周囲の男たちにパフォーマンスでもしているような口ぶりで、僕に言う。


「話で解決しようと思ったが、結局手を出す奴なんだな。そう言うつもりなら良いぜ、宝田。正義の力を見せてやる。卑怯者のお前は、二度と立てないくらいボコボコにしてやるからな。言いたいことがあるなら、喋れなくなる前に言えよ」


 何が正義か。

 言いたい事はもちろん、ある。

 あり過ぎる。

 だが、僕が何かを言う前に外貝は僕の顔を殴りつけた。

 再び口から液体が零れて地面に落ちたが、ギリギリ持ちこたえて、体のバランスを保つ。


「ちなみに、今すぐ優子の居場所を言えば止めてやっても良いぜ。どこにいる? お前の家か?」


 知ってたって言うつもりはない。が、喋る事がほとんど出来なかった僕は、無言のまま外貝に腹を殴られた。

 僕は地面に膝をつき、外貝の尋問は続く。


「もう一回聞くぞ? 優子の居場所は?」


 僕は喋らない。

 外貝は無言の僕に舌打ちすると、僕の前髪を掴んで数回ビンタすると、今度は仲間に聞こえるような声で言った。


「守ってくれる女がいねぇと何も出来ねぇ情けない奴だよ、お前は。ここには石母棚もいねぇし、あの最近つるんでるた美人の先輩も死んじまっていねぇんだぞ? ほら、名前何て言ったっけ? 新郷禄?」

「何で、お前が先輩の事」


 かすれた声で言ったが、外貝は水を得た魚の様に嬉々として、僕に言う。


「知ってちゃ悪いか? あんな美人の先輩、知らない方がおかしいぜ。なぁ、お前、新郷禄って女の先輩ともヤったんだろ? ずいぶん仲良さげだったもんな? この、女の敵がよ!」


 酷く下品な話に聞こえて、不快感がこみ上げて来た。


「俺と先輩は、そう言う関係じゃ」

「先輩の方はけっこう尻軽だったって聞いてるぜ。しかも、俺はお前が名前で呼ばれてたのも知ってんだぞ? 健太郎って、呼び捨てでな。女だったら誰でも良いんだな! 女を性の捌け口扱いしやがって! このクソ野郎が!」


 そう言った外貝が、再び僕の耳元に顔を寄せ、囁く。

 またもや、男たちには聞こえないような声で。


「まぁ、薬師谷先輩の話じゃ、ここ最近は誰にもヤらせてないって話だったらしいじゃん。信じといてやるよ。お前にはあんな美人に抱かせてくれだなんて言う度胸もないだろうからな」


 侮辱されたと感じるよりも、外貝から意外な人物の名前が出たので驚いていた。

 薬師谷先輩――殺人事件の、最初の犠牲者だ。


「何で、お前が薬師谷先輩の事を? 知り合いだったのか?」

「そんなに頻繁に話とかする仲じゃなかったけどな。一昨年くらいかな。気に入らない女教師を襲うって言う話に参加させてもらった時に、ちょっとな。俺も今じゃ、ヤンキーの先輩たちとの連絡役よ。で、今年はその新郷禄って先輩を襲うって話だったから楽しみにしてたのに」


 意外な接点だった。

 最初に殺人事件で殺された薬師谷先輩。そして、脅されて暴行された末に自殺したと言う草蒲南高校に勤めていた女教師。これらの事柄に外貝が関わっている。

 同時に、同い年である外貝がここまで邪悪な人間だったと言う事実に、僕は改めて驚いていた。

 が、考えている余裕は無かった。


「まぁ、その新郷禄って女の先輩も死んじまったんだけどさ。どうせ死ぬなら俺にもヤらせてから死ねよな。尻軽のクソ女がよ」


 雨の中に在った寂しげな笑顔が脳裏に甦り、僕の心は、再び怒りの色に染まる。

 一方で外貝は、得意げに囁き続けていた。


「死んだと言えばお前、笹山村ともヤってたんだろ? 優子みたいに押せば俺もヤれるかと思ったのに、お前にべったりで、かなりムカついたぜ。って言うか、どうせ死ぬんだったら、どっかに連れ込んで無理やり押し倒してれば良かったなぁ」


 僕は全身の痛みに耐えながら、歯を食いしばって外貝の胸ぐらをつかんだ。

 腹の底から怒りが沸いて、殴りかかりたかった。

 だが、足にまともな力が入らない。


「く、そ」


 僕は外貝に振り払われ、強く突き飛ばされる。

 情けない事に、それだけで、全く抵抗できなくなっていた。

 僕はその場に倒れこみ、外貝のわざとらしい糾弾の声を聞いた。


「話で済むんならよぉ。それで済まそうってこっちは思ってんのに、優子の事はどうしても言いたくねぇって言うのか、この卑怯者が! こうなったら優子の場所を吐くまで徹底的にやってやるからな! みんな! こんな女の敵、生かしておけねぇよな! やっちまおうぜ!」


 男たちは無理やり僕を立たせると、外貝が僕の腹を殴った。

 ほとんど気を失いかけたが、その瞬間、遠くから良く知る声が聞こえて来た。


「あんた達! 何してるの!」


 僕はふらりと視線を動かす。

 そこには、憤怒の顔をした夢川田葵がいた。

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