第27話 似ている僕らはそれでも違う

 話の続きを聞こう。

 僕が新郷禄先輩の顔を見つめると、先輩は静かに語り始めた。


「昨日会った、宮井山みやいやまとおると言う人間を覚えている?」

「はい。確か、従兄さんですよね」


 眼鏡のハンサムだ。


「ええ。そう。彼とは、私が中学二年生の時から去年まで、3年と少し付き合っていたわ」

「付き合っていた?」

「恋人同士だったってことよ」


 やはり、と僕は思う。

 親しくしていたと思っていた。


『昔みたいに僕を透と下の名前で呼んでくれても構わないのだけど、君は僕を名字で呼ぶ。そうなれば嫉妬もするさ』


 あの言葉は今思うと、二人の昔の関係を示唆していたのだ。

 あのハンサム眼鏡の鼻で笑う癖を思い出し、同時に、新郷禄先輩も同じように鼻で笑う時があったと思い出す。

 主に、昨日のガラの悪い男たちのような奴らと対峙した時だけれど。


「今思うと、何であんな奴とって思うのだけれど。年齢もすごく離れていたし」

「でも、好きだったんでしょう?」

「別に、好きじゃなかった。ちょっと憧れていただけ」


 新郷禄先輩はため息をつく。

 それがすごく綺麗で、思わず見とれてしまった。

 いや、見とれている場合ではない。


「それで、その、宮井山さんがどうしたんですか?」

「彼は、私たちに男の斡旋をする役目を受け持ってくれていた。絶対にバレない様な形で出来るように、彼の冴えない同級生なんかを中心に秘密の顧客グループを作ってくれたの。もちろん、仲介料としてお金は取られたけど、女の子は私を通さないと男とは会えないし、男は宮井山の紹介なしには私たちと会えない。だから、完全に閉じた輪だった。怖い大人もいない、安心して使えていたお小遣い稼ぎだったわ。私たちはお金をもらって、彼らと食事をしたり、ホテルに行ったり」


 新郷禄先輩は自虐するように、小声で言う。


「私も見知らぬ男とセックスした。何人も。お金なんていらなかったけど」


 息が詰まる。

 こんなにも綺麗な先輩が、どうしてそんなことをとも思ったし、実際に声に出していた。


「何で、そんなことを?」

「世界が滅亡すると思っていたの」


 新郷禄先輩は、変わらずに自虐的な雰囲気を崩さずに続ける。


「貴方も知っているでしょう? 1999年、7月。空から恐怖の大王が落ちて来て、世界が滅びる。ノストラダムスよ。私は真に受けて、すっかり信じてしまっていた。1999年の7月に世界が滅びて、みんな死んでしまうって。でもね。世界が滅びるって信じていたら、自分が分からなくなったの」


 ため息が一つ、先輩の口から漏れた。


「世界が滅びるなら、私が生きている意味は何なの? 私はどうしてこんなにも寂しくて苦しさを感じながら生きているの? そう考えたら、全てがどうでも良くなったの。ただ、私は世界が滅びる前に、思い知らせたかった」

「思い知らせる? それは」


 何を? 誰に?

 僕の疑問を新郷禄先輩は読み取ったのか、聞きたいことをズバリ言ってくれる。


「私の家族に。私を縛り付けていた全ての物に」


 先輩は続けた。


「昨日、少し言ったでしょ? 私の家はちょっと有名な家だって。大した家柄ではないけれど、小金持ちで。だからじゃないけれど、私は昔から雁字搦がんじがらめにされて生きて来た。習い事、塾、遊ぶ時間なんてほとんどない。テレビも禁止されてろくに見れなかったし、友達を作ることも出来なかった。それなのに、私の話は何一つ聞いてくれない。ずっと、ずっと。ずっとそうだった」


 既視感を感じた。

 僕とは真逆だと思うと同時に、僕と似ていると思ったのだ。

 僕の場合は、両親からほどほど放置されて生きている。

 小さなころからノートで両親とやり取りし、何をするのも自由だった。

 塾も習い事も言ったことが無い。もちろん、ノートに書けば、手続きはしてもらえたと思うけれど、そんな気は少しも起きなかった。

 朝起きて、学校に行き、勉強をして、そんなに仲良しになれない友達と、形ばかりの会話をする。

 でも、心から笑えたことなんてほとんど無い。

 いつも寂しかった。

 強引に連れ回して、ズカズカ入り込んでくるガオちゃんだけが、僕の本当の友達だった。


「私には自由なんて無かったの。だから、宮井山が私と付き合おうと言って来た時に、二つ返事で了承したわ。歳も一回り以上離れている彼からは、色々なことを教えてもらった。変態みたいなこともされたけれど、それも私が望んだの。いっそ、汚れきってしまえば良いって。でも、満たされることは無かった。だから、作ったの。唯一、私の寂しさを分かってくれた薬師谷を誘って。いっそのこと、取り返しのつかないことをしてやろうと思って」


 新郷禄先輩はそこまで言うと、僕の目をじっとのぞき込んできた。


「ねぇ、健太郎。貴方は私と同類よね。貴方にも、分かるでしょう?」

「どうして、そんなこと言えるんですか?」

「たまに、とても寂しい目をしている」


 僕は頷く。

 頷くしかなかった。

 僕には分かってしまうし、分かってしまう事実をどこか遠くで見つめている自分に気づいていた。

 僕らは似ている。

 そして、厳しい教育に縛られて育った新郷禄先輩は僕を見るだけで、僕の心の底冷えを分かってくれているし、ノートでしか両親と会話が出来ない僕には、新郷禄先輩の寂しさが分かってしまうのだ。


「私は両親に、思い知らせたかった。あなた達が束縛し、計画性を持った教育方針とやらで自由を与えなかった娘は、こんなにも悪い人間になったのだと。世界が終わる前に、絶望させて、失望させたかった」


 やはり、同じなのだ。と、僕は思った。

 新郷禄先輩は、僕だ。

 僕が女で、去年まであった世紀末の――世界の滅亡を強く信じていたら、似たようなことをしていたかもしれない。

 いや、男であったとしても、どこか間違えば、両親に思い知らせてやろうなんてことを考えていたかもしれない。


 ただ、僕にはそこまでする気力もなかった。

 力もなかった。

 ただ、ガオちゃんがいた。


 今思うと、ガオちゃんの言動が滅茶苦茶すぎて、僕はガオちゃんみたいな人間にだけはならないぞと言う反面教師的な気持ちも抱いていたのだ。

 さらに言うと、ガオちゃんは僕の寂しさを埋めてくれていた。

 ガオちゃんが引っ越してからも、ガオちゃんの思い出は、ずっと僕の胸の中で生きていたのだ。


「先輩。俺、わかります。俺も先輩と一緒なんです。俺も、ずっと寂しく過ごしていました。一歩間違えれば先輩みたいに悪いことをしてやろうなんて考えていました。でも、俺の場合は、運が良かった」


 先輩は「そう」と一言だけ告げる。


「私ももう、悪い事は止めた。世界が滅びなかった後、形だけグループに残ることにして薬師谷に権限を移したわ。それで、私は卒業するまでは良い子にしてようと思ったの」

「……でも、先輩は、そこで終わらせるつもりはないんでしょう?」


 僕にはわかる。

 一度染まってしまった悪徳。

 毒を食らわば皿まで。

 思い知らせてやる。思い知らせてやるぞと、心に膿みたいな物が溜まっていて、それは決して捨てることが出来ないのだ。


「……ええ。そうよ。やっぱり分かるのね、健太郎には」


 僕の質問に、新郷禄先輩は静かに頷いた。

 小声で、コソコソと僕に告げる。


「卒業と同時に、全てバラすわ。それで家を出ていくの。やっと自由が手に入る。今から楽しみで仕方がないわ。あの二人がどういう顔をするのだろうって。きっと慌てるでしょうね。でも、私はしっかりと事実を突きつけてやるの。私がどういうことをして来たのか。どれだけ子供の時から、ふしだらで、淫らな事をしていたかを。初めて宮井山に抱かれた時、私は13歳だったの。塾と習い事の合間に、彼の車で。避妊もしなかった」


 これ以上、話を聞きたくないと思った。

 共感する部分はありつつも、やはり新郷禄先輩は違うのだ。

 一歩間違えば一緒だったとはいえ、今の僕とはあまりにも違う。


 と、ちょうどその時、サンドイッチとナポリタンが運ばれてきた。

 アイスコーヒーも置かれ、僕らは話を止める。


「食べましょう、健太郎。ここはスパゲティも美味しいのよ?」

「はい」


 僕はフォークを絡めて、ナポリタンを食べる。

 ケチャップと、太いスパゲティ。薄く輪切りにされているピーマン。


「どう? 美味しいでしょ」


 新郷禄先輩はそう言ったが、味を感じれるような心の余裕は、ほとんど無かった。

 先輩はサンドイッチを上品に食べる。

 僕の食は進まず、それでも先輩が食べ終わった時に残しているのが嫌で、急いで口に詰め込んだ。


「男らしい食べ方するのね、健太郎」


 先輩がクスクスと笑う。

 本当に楽しそうに。


「夢だったの。一つ、叶っちゃったな」

「何がです?」


 アイスコーヒーを飲みながら返事を聞く。


「同世代の男の子と、デートする事よ」


 思わずコーヒーを吐き出すところだった。


「デート、ですか? 先輩が、僕と?」

「ごめんね。だって、そう見えるじゃない。私たち」


 先輩は今まで見たことのない声で笑った。

 僕は笑えない。

 笹山村さんが殺されて、悲しい気持ちがまだ残っているのだ。

 本当なら、僕は笹山村さんと喫茶店で一緒にご飯を食べたりしたかった。


 だから、笑えない。楽しくなってはいけない。

 そんな僕の心を読み取ったのか、先輩は静かに頭を下げて謝った。


「ごめんなさい。貴方の気持ちを考えてなかったわ」

「い、いえ。僕が悪いんです。空気を悪くしてすみません」


 僕も謝ったが、先輩は少し悲しそうにしながらほほ笑む。


「でもね。本当なの。私ね、こんな気持ちになるのは初めてかもしれない」

「初めて? 気持ちって、何がですか?」

「好きよ、健太郎」


 新郷禄先輩は、実にあっさりと、何でもない口調で、とても重大なことを言ってのけた。

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