第3話 僕は友達が出来ない

 その長身女子を見て、考える。


 着ている制服が草蒲くさかば南高校という事は、同じ学校の生徒だろう。

 首元にあるリボンの色が青と言うことは、僕や田中々のように一年生――今年入学した新入生に違いない。

 だと言うのに、身長は160センチちょいの僕よりずっと高いのが不可解だった。

 三年生でも、ここまで背の高い先輩がいるかどうか。

 目算で170センチ後半……いや、もしかすると180センチを超えているかもしれない。

 それでいて肩幅も広く、まくっている長袖ワイシャツの袖からは、屈強な筋肉が露出していた。


 髪の毛は背中へと伸びたロングヘアーで、顔は……睨まれているので怖いとしか言いようがないけれど、見覚えは無い。

 いや、僕の記憶力はあまりにも頼り無いのだけれど。


 とにかく、この場を何とかしなければと思った。

 僕が宝田健太郎なのかと言う彼女の質問に答えるのは、正直怖い。

 名前を問いただしているその言葉に、怒りが込められている気がするのだ。

 とりあえず、気さくな挨拶から行こうと思う。

 うまく彼女から目的を聞き出せれば、今後の作戦も変わってくると言うものだ。


「えっと、おはようございます。今日は良い天気ですね」

「あ? くだらねぇこと言ってないで、さっさと答えろ。こっちはお前が宝田健太郎なのか聞いてんだぞ?」


 ……怖い。

 まくられている腕を、さらにまくり上げようとする彼女の動作に、耐えられないほどの恐怖を感じた。

 恐ろしい暴力の気配だ。

 もしかすると、この人は殺し屋なのかもしれない。


 と、その時。

 廊下側を向いている僕の後ろ、入り口側で上履きを履き終えたらしい田中々の足音が聞こえた。

 まさに救いの女神である。

 こんなにも良いタイミングで助けが来るとは、やはり、僕は特別な存在なのだと感じた。

 だが、田中々は言うのだ。


「どうかしましたか? 君」

「な、なんだって!」


 泣きたくなって、叫んだ。

 何故、田中々は今に限ってフルネームで僕の名前を呼ぶのか。

 目の前に、宝田健太郎を探している、殺し屋かもしれない人間がいるんだぞ?

 僕の言いたいことが分からないのか、涼しい顔で明後日の方を向く田中々。

 そして殺気を感じて振り返った僕。視線の先には、長身女子が顔を怒りで歪ませている。


「……聞いたぞ。やっぱり健太郎じゃねぇか! 何、隠そうとしてんだよ、てめぇ!」

「ひぃ! どうしてバラしたんだよ、田中々さん!」


 田中々は首を少し傾けると、右手でピースサインを作って顔の横に掲げる。


「つい、うっかり。てへぺろ」


 てへぺろ?

 ……なんだその言葉使いとポージングは。

 誰かの物真似かとも思ったが、そんなの見たことない。

 って言うか、うっかり?

 絶対わざとだろ、田中々。


 抗議を続けようとしたものの、嫌な気配を感じて向き直れば、さらに怒りを燃やし始めたらしい長身女子の顔があった。


「ひぃ!」

「嘘をついた上に、女連れで登校とは良い身分だな? そいつ、お前の彼女か?」


 間髪入れずに「違います」と否定する田中々。


「私は同じクラスの田中々です。健太郎君とは駐輪場で会ったのです」


 冷静かつ的確。

 田中々の全く動じていない受け答えに感動すら覚えたが、田中々はいったいどう言うつもりなのか。

 いや、今は田中々に構っている暇はない。


「た、確かに、俺は宝田健太郎です!」

「……まぁ、良い。なら健太郎よぉ」


 今や彼女の声はハスキーを通り越してシベリアンハスキー。唸る犬のように低かった。

 地獄に住んでいる鬼がいたとしたら、こんな声で喋るのではないだろうか。多分。


「助けてください! 命だけは!」


 命乞いをするので精いっぱいだった。

 しかし、僕の必死な思いとは裏腹に、長身の彼女のその表情は、さらに恐ろし気になっていく。


 何でだ?


「やっぱり、忘れてるのか? 健太郎」

「な、何をですか」

「お前、オレの名前を言ってみろ」


 それは昔の少年漫画で見た悪役のセリフに聞こえたし、意味も分からなかった。


「分からないのか?」


 思考回路がぐるぐると回転しだす。

 まさか、彼女は僕の知り合いなのか?

 僕が知っているはずの誰かなのか?

 考えている内にも、長身女子の怒りは頂点に達しようとしている。


「分からないのか? 本当に、オレが分からないのか?」


 と、その時、田中々が再び言葉を投げかけて来た。


「健太郎君。彼女も同じクラスですよ? そうですよね。女子の出席番号1番、石母棚いしもだな 薫子かおるこさん」

「……薫子かおるこ?」


 その名前を聞いた瞬間、脳裏に嫌な記憶が甦ってきた。

 石母棚いしもだなと言う名字に聞き覚えは無いが、薫子かおること言う名前には聞き覚えがある。

 5年ほど前、近所に住んでいた女の子で、小学4年生の終わりに転校した僕の幼馴染だ。

 あだ名はガオちゃん。

 最初はカオちゃんだったが、途中からガオちゃんに変わった。

 幼少期から良く食べ、たっぷり眠っていたカオちゃんは怪獣のような凶悪な生き物へと成長し、そのあまりの暴れっぷりからガオちゃんと恐れられるようになったのだ。


 そのガオちゃんと、目の前の長身女子がスッと重なる。


「もしかして、ガオちゃん?」


 とたんに、ニコッと顔をほころばせて笑う、長身女子。

 どうやら正解だったらしい。


「なんだよ! 覚えてんじゃんか! まったく、お前は! オレだよ、オレ! 久しぶりだな!」


 ガオちゃんはケラケラ笑いながら近寄り、僕の肩を叩く。が、その強さが半端じゃなかった。

 肩の骨が砕けるかと思った。


「お前、この! 運よく同じクラスになれたから、男のお前から声かけてくれるの待ってたんだぞ! 早く声かけろよ!」

「ちょ、痛いって、ガオちゃん、やめ……ぐえ!」


 気が付くと、頭をわきに抱え込まれて、ギリギリと締め上げられていた。

 俗に言う頭がい骨固め――ヘッドロックである。


 信じられなかった。

 5年も経ったのに、ガオちゃんは全く変わっていない。

 相変わらず暴力的で、喜ぶ時だって口より先に手が出るのだ。

 むしろ体がデカくなってる分、破壊力が増している。


「痛いっ! 許して!」


 しかし、次のガオちゃんの言葉で、僕はとても申し訳ない気分になった。


「許すか! 入学からこの一週間、俺がどんな気持ちでいたと思ってるんだ! 声かけて忘れられてたらって思ったら、こっちから声もかけられなかったんだぞ!」


 5年前、お見送りで見た引っ越しの車に乗ったガオちゃんを思い出した。

 よくよく思い出せば、あの日のガオちゃんは泣いていたのだ。


『健太郎! 健太郎――!』


 ガオちゃんは、夕日を背にした車の後部座席から僕の名前を叫び、見えなくなるまでこっちを見ていた。


 きっと、ガオちゃんは僕との再会を楽しみにしていたのだろう。


「ごめん! だって、髪の毛長くなってたし!」


 その言葉でガオちゃんは僕を開放した。


「フン! 無視してたことはこれで許してやるよ。よろしくな、健太郎」


 声の調子とは裏腹に、ガオちゃんはとても楽しそうだった。

 が、しかし。

 ガオちゃんとの再会は副次的に、僕の友達100人計画の失敗を意味していた。


「そう言えば、健太郎! 昨日の『学校に行こう』見たかよ!」


 田中々と僕、ガオちゃんの三人で教室に着くなり、ゲラゲラと笑いながら僕の前の席にドカッ座るガオちゃん。


「おい、何ぼさっと立ってんだよ、さっさと座れよ、健太郎」

「あ、うん」


 やがて時間は朝のホームルームに近づいたが、誰も僕らのそばに近寄って来ない。

 ガオちゃんは、照れ隠しのつもりなのか嬉しい時にも暴力で表現してくる奴なので、僕を笑いながらバンバンと過激に叩き、それを見たみんなは怖がっているのだ。


 ガオちゃんが座っている机の主、外貝君も、会話の節々に叩かれている僕を見て、怖がって自分の席に来ない。


 もちろん、そんなガオちゃんと親し気にしている僕を見る目も、おかしな物を見るような視線に変わりつつあった。


「何で、こんなことになっちまったんだ」

「何か言ったか? 健太郎」

「い、いえ、別に」


 僕は、友達が出来そうにない。


――――――――――


 ――


 ――後になって、この再会を考える。

 そして、考えれば考えるほど、おかしいことだったと思わずにはいられないのだ。


 この時のガオちゃんの行動に、では無い。

 彼女が待ち伏せ作戦に出たのは、あまりにも僕が接触して来ないので、直接話をつけようと待ち伏せしていたからなのだと思う。

 不器用なガオちゃんの事だから、『下駄箱で偶然会った』という形ならば自然に会話できると踏んだのだろう。

 僕が何時に来るか分から無かったので、朝早く来てしまい、ずっと待っていた。

 考えるより先に体が動き、内心に臆病さを隠し持つガオちゃんの性格ならば、そう言う説明もつく。


 ただ。何故、あの時間、学校の駐輪場に田中々がいたのか。

 ここでガオちゃん――石母棚薫子と僕の再会の時に、田中々が取った行動に意味があったのか。


 いや、考えるまでもない。

 もちろん、意味はあった。

 田中々がいなければ、僕がガオちゃんと石母棚薫子を同一人物だと気づくことはなかったし、そうなれば再会も酷いものとなっていただろう。


 もし、僕がガオちゃんと笑って再会出来ていなければ、一か月半後から始まった連続殺人事件に僕が対峙した時、僕の周囲にあったあらゆる人間関係が狂ってしまっていた。

 それを考えれば、僕がガオちゃんとこう言った形で再会出来た事は、とても重要な事だったのだ。

 特に、その日の帰りのホームルームに起きた一件で、僕がガオちゃんを思い出せずにいたのならば、もっと、ずっと悲惨なことが起きていたのは目に見えている。


 その一件とは、僕らのクラス、1年2組の担任教師が起こした騒動。

 まさに『見本にしたくない大人の見本』である人間が起こした、癇癪かんしゃくの話である。

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