番外編・第9話

「これ以上、国王陛下が民を苦しめる姿など見たくありません。ですから私はあの方を王位から引きずり下ろします」


 臣下が王を廃する。

 言葉にすればそれだけだが、それは並大抵の覚悟では無かった筈だ。ましてやトイは長年国王の側近くで仕えてきたのである。敬う気持ちも、慕う気持ちも、他の臣下達より強い。


「駄目!駄目よ、そんなの!」


 蒼白になりながらも声を上げるのは、勿論リズだ。

 しかしそれはトイを苛立たせるだけだった。


「駄目?何が駄目だと言うのですか?あぁ、そうですね。御父上が国王でなくなれば、さすがにお住まいは変えて頂きますので、今迄のように贅沢三昧な暮らしが出来なくなりますからね」

「ち、ちがっ───」

「ご心配なく。多少質素な暮らしにはなるでしょうが、ご不便はそう感じないように配慮はさせて頂きますよ。元々王宮の奥でお暮しになってらっしゃったのですから、大した違いは無いでしょう?」

「そうじゃ───」

「御父上にも定期的にお会い出来るように致します。他にもご要望がございましたら出来る限りお伺い───」

「違うって言ってるでしょう⁉ちょっと位話を聞きなさいよね⁉馬鹿じゃないの⁉」


 渾身の叫びだった。

 それはリズの言葉を悉く無視しようとしていたトイも、思わず口を噤んでしまう程の。

 

「そりゃ出来ればお父様には会いたいし、今市井に放り出されたって生きていける自信なんてないけど……そんな事じゃなくて!」


 自国の民が父親を、ひいては娘である自分の事を憎んでいる。その事実は確かにリズの心に不安を呼び起こす。

 これから自分達はどうなるのか。考えない訳が無い。それでも。


「トイはどうなるの⁉」

「……は?」

「は?じゃないわよ!どんな理由があったってトイがやろうとしてる事は王位簒奪にあたるでしょう⁉そんな事をしたら無事じゃ済まないわ!」


 いくら内乱が起きているとは言え、国中すべての人が国王を憎んでいるわけでは無い。圧政に苦しんでいても、改善を願っているだけで国王がいなくなる事を願っている訳では無いのだ。

 国王───王族は国の象徴である。恐れ敬う存在であり、そう簡単に挿げ替えられるものでは無い。

 圧政から解放されて喜んでも、それが王族を排除する事で成しえた事なら、それはまた新たな火種となる。


「───それは、貴女に関係ございますか?」

「っ!」


 ひやりとする声音だった。


「私がどうなろうと貴女にはどうでも良い事です。これまでと何一つ変わりません。少し現実を見たからと言って、貴女に出来る事など何一つ無い。精々、王が無駄に命を落とさないよう大人しく人質になって命乞いでもしていて下さい」


 氷のように冷たい声音に、蔑みを浮かべる瞳。

 彼はリズが己の敬愛する主の娘だから大切にしていたのであって、彼女自身を認めているわけでは無い。それはそうだ。何も出来ない、何もしない、何も知ろうとしない、ただのわがまま王女。


 ───あたしの言葉に、何の力がある?


 トイの言う通り、ほんの少し現実を見ただけで、何を偉そうな事を言っているのだろうか。

 わかった風な口をきいても、それで何が出来る訳でもない。

 自分の無力さにポロリと涙が零れ落ちた。

 

「何を迷ってるの!」


 ビクッとリズが顔を上げる。

 涙で歪んだ視界に、立ち上がるライラの姿。

 まるでリズの不安がわかったように、ライラはリズを叱りつける。


「何も出来ないのは当たり前。あなたは何も知らない子供だもの。だけど一人じゃないでしょう?後ろを護ってくれる仲間が出来たじゃない!わからなくなったら休憩していいのよ。自分に出来ることを精一杯やりなさい。自分に今何が出来るのか、あなたは知っているでしょう?」


 リズの不安げに揺れる瞳が、ライラの言葉を受けて自然に捉えるもの。それは、マッティニア王国の兵士達の姿。

 兵士達はしっかりとリズの瞳を見つめた。曇りのない瞳を見て、リズはだんだんと力がわいてくるのを感じていた。


「トイ、確かに貴方にとっても国民にとっても私の存在なんて取るに足りない物だと思う。ううん、それどころか害にしかならないのかも知れない。けど、一つだけ出来る事がある」


 言うが早いか、リズは正座をしていた。

 今まで、リズは地べたに座ったことはない。ふかふかの椅子にしか座った事の無いお尻は痛みしか感じないし、足もすぐに痺れてくる。


「……なんのつもりだ」


 トイの顔に初めて侮蔑以外の色が浮かんだ。それはただの戸惑いでしかないのだろうけれど、初めてリズをリズとして見ている事は確かだった。

 せわしなく動くトイの瞳を覗いてから、リズは頭を下げた。額を床に押し付ける様にして。


「お父様の代わりにあたしが謝ります。謝ったからと言って何が変わるわけでもないけど、今の私にはこれしかできない」


 リズにはもう不安はない。

 後ろを護ってくれる仲間がいる。リズを信じてくれた仲間がいるのだ。

 

「そんな事をされたからって俺が喜ぶとでも思うのか。それに何もかももう手遅れだ。これ以上ソージャ国王をその座に置いていられない」

「だからってその咎をトイが受けるのは間違ってる!貴方はただ国を想ってくれただけ。お父様を想ってくれていただけなんだから!」

「違う!俺はソージャ国王を見限っただけだ!憎んでいるだけだ!」

「なら何故リズを使わないの?」


 組んだ足に頬杖を突くようにして言ったのは、ライラだ。


「カルスも言ってたけど、リズを人質にすれば優位に事は運ぶわ。なのに何故あなたはそれをしないの?それこそあなたが国王を今でも大事に思っている証なんじゃないの」

「なっ⁉人質にしてるさ!さっきも言っただろう!人質になって大人しく命乞いでもしていろと!」

「それのどこが人質?」

「は⁉」

「“多少質素だけど不便を感じないような生活”に“定期的に父親にも会えるようにする”し、“王が無駄に命を落とさない為に大人しくしている”だけのどこが人質かって聞いているの」

「どこをどう聞いても国王の為に穏やかな隠居生活を準備しているだけだな」

「な⁉」


 ライラと同じように頬杖を突いたカルスが告げると、トイは二の句を告げないようだった。

 

「……どういう事?」


 意味が良くわからなかったのか、リズが不思議そうに首を傾げる。


「そうねぇ、穏便に王位を交代する方法って何かわかるかしら?」

「……王太子、もしくは王太女が王位を継ぐ事?」

「正解。なら、トイ達内乱軍が国王から王位を奪い、尚且つ簒奪者の汚名を着ずに国を掌握する方法はわかるかしら?」

「……そんな方法あるの?」


 そんな方法があるならやれば良い。リズの表情はそう語っている。


「簡単だ。リズ王女、貴女と結婚すれば良いだけだ。少なくともその名分があれば良い。子供でもできれば更に盤石だな」

「……は?」

「あなた達反応そっくりね。やっぱり子供の頃から近くにいると似てくるのかしら?」

「いやいや、そうじゃないわよ!何!結婚ってどういう事⁉こ、子供って⁉」

「だから言ったでしょう?人質だ、って」

「愛があろうとなかろうと、その事実があれば国民は納得するだろうさ。例え反抗しても、体調不良で代わりに伴侶が国政を担うという体裁さえ整えれば、監禁していたとしても早々バレないだろうしな」


 今回のように政に無縁なリズ王女が相手なら、伴侶が代わりに国政を担うという状況も簡単に受け入れられるだろう。

 しかし、トイはそれをしなかった。


「俺は……私は王になりたい訳ではありません」


 その方法を思い付かなかったわけでは無い。けれど実行する気は全く起きなかった。

 リズをそういう対象として見られるかどうかという問題では無く、ただ単純に、彼の中で王はただ一人だったのだ。自分が王になる気なんて全く無かったし、ソージャ国王を王位から退けた後は正直どうでも良かった。

 死んでも良いと、死んだ後の事など自分には関係無いと思っていたのだから。


「有難う、トイ」

「貴女に礼を言われる覚えはありません」

「うん、それでも。お父様を想ってくれて、有難う」

 

 トイは涙を流した。

 怒りでもない。悲しみでもない。それは不思議な涙だった。

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帝国愛歌−龍の目醒める時− 乙矢 環 @o-tamaki

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