第11話

 例えば誰かが死んで。どうしてもその人に生き返って欲しくて。自分の命を与えたいとどんなに願っても、それだけは叶わない。

 それが龍にとっては魔力なのだ。

 命尽きれば人は死ぬ。そして、魔力が尽きれば龍は死ぬ。

 龍は人間にとても好意的な生物とされている。人を愛し、人と共にある事を望む生物だと。

 そんな龍が、人の願いを叶えてやりたいと思わなかっただろうか。いや、思ったに違いない。心優しい龍達は、きっとどうにかして人間に魔法を伝えようとしただろう。

 けれどそれは叶わぬままに、龍は突然姿を消した。


「矛盾していると思うだろう?」


 今の説明からいくと、黒魔法は実現不可能だ。けれど黒魔法は実現している。紫杏しあんは人間なのに、確かに魔法を使っていた。これ程矛盾した事はない。


「確かに今の説明では黒魔法は存在しない事になる。けれど一つだけ。一つだけ龍から魔力を得る方法があったんだ」


 その方法とは。


「龍を殺す事」


 室内が静まり返る。冷たい汗が背中を流れ落ちるのを感じた。

 ライラが後を継ぐ。


「魔力は龍の命の源。ならば、龍の心臓にはきっと魔力が宿っているだろう」


 しんと静まり返ったホールに、朗々と響くライラの声。


「魔法を使いたかった人間達は、何の躊躇いもなく龍を殺した。そしてその心臓を抉り出したのよ」


 既に言葉は無かった。あまりの事実に皆が血の気を失っている。


「抉り出された心臓は、人間の予想通り魔力を宿していた。それから人間達は『力ある言葉』を研究し始めたの。つまり魔法を発動させる『呪文』ね」


 龍の声には力が宿っていた。例え意味のない言葉だったとしても、龍が力を込めた声だったのなら、魔法は発動する。

 ただし人間は違った。

 正しい言葉で、正しい発音で。人間の使う魔法は、そんな厳しい律の中に存在する。少しでも間違えば、魔法は発動しない。


「でも、どうして龍は心臓を奪われたの?そんな力を持っているのなら、どんなに大勢の人間に攻撃されようと、逆にその人間達を殺してでも逃げられるじゃない」


 キュアリスの言葉は最もだった。

 確かに龍はそれが可能だ。人間など簡単に殺してしまえる力を持っている。


「龍はとても優しいからよ」

「え?」


 何故か泣きそうな顔でライラはキュアリスを見た。


「龍は人間が大好きだから、たとえ自分の命が奪われようと、人間を殺す事だけは出来なかった」


 たくさんの人間達に襲われた時、龍は何の抵抗もしなかった。それどころか、己の持つその鋭い爪で人を殺してしまわないように、自らの牙でその総てを折ったのである。

 生きながらにしてその心臓を抉り出されるのは、それこそ死よりも苦しい。想像を絶する痛みの中で、それでも龍は叫びを上げなかった。ひたすら声を出すまいと、口を開くまいと歯を食いしばっていたのだ。

 人間の為に。

 叫びをあげる為に顎を開けば、その鋭い牙で殺してしまうだろうから。


「そんな……そこまで人を愛してくれる龍を殺すなんて……」


 真っ青になりながらキュアリスは叫んでいた。


「黒魔法なんか最低よっ!」


 挙げ句の果てには涙までこぼれてくる。

 そんなキュアリスの肩を掴んで、カルスは諭すように言った。


「キューア、すべての黒魔法が悪いんじゃないよ」


 涙の止まらぬ瞳で、カルスのエメラルドの瞳を見つめる。


「深く深く龍と信頼しあった人間は、龍の死後、その龍自身の心臓に守られる。殺して奪った心臓よりも格段に力は劣るけれど、それも黒魔法なんだ」


 龍の寿命はとても長いけれど、いずれは尽きてしまう。その死した後の心臓は、最も大好きだった人間と、その家族、子孫を守ると言われている。

 カルスは服の内から、首にぶら下がったペンダントを引っぱり出した。


「これも、その一つだ」


 丸い水晶のペンダント。ロケットのように左右に開き、内側には薄い銀盤が張られている。左側には彼の名前。そして右側にはギルアの紋章。

 真っ赤な宝玉を前足で抱え、悠然と佇む龍の姿。その龍の抱えている宝玉こそ。


「初代のギルア皇帝と深い関係を持っていた龍の心臓。これはギルア皇帝だという証であると共に、俺の守護石だ。生命石と呼ばれている」


 これは最低ではないだろう?とカルスは笑い掛ける。


「はい」


 ごしごしと涙を拭き、キュアリスは頷いた。

 そしてふと。


「それは、皇妃の紋章も同じと言う事ですよね?という事はもしかしてあれは」

「違う!」


 思わずカルスは叫んだ。ビクッと怯えたようにキュアリスが後ずさったのを見て、ハッと我に返る。


「あ、あぁ、すまない。でも、あれは……あれは違う。あんなに力のある生命石は」


 色だけとはいえ、二人の人間の姿を変えているのだ。カルスやライラの紋章に埋め込まれている生命石には、そんな力は残っていない。

 あれは紛れもなく。


「殺して奪った心臓だ」

「そうよ」


 ライラはあっさりと認めた。握りしめていた手の平を開いて、赤い石が見えるように傾ける。まるで脈打つように光を放つそれは、何故か美しかった。


「紋章の生命石には力がない。こんなに近くで力を放っているのに、まるで反応していないでしょう?」


 力のある生命石なら、近くで魔法が使われると呼応して輝くのだという。


「それに、私の持っていた紋章はカルスに返したわ。抜き取ってもいない」


 最後に放って渡したのは、皇妃の紋章。大事な龍の生命石を、投げ捨てた。


「ライラ」


 深い哀しみを秘めた瞳で、カルスは問い掛ける。


「本当にお前はギルアが───『龍の帝国』が嫌いになったのか?」

「そうよ」


 何の躊躇いもなく頷ける。


「でなきゃ、黒魔法使いなんかと一緒にいるはずないじゃない」


 二人は静かに見つめ合う。けれどそこには、まるで分厚い壁が立ち塞がっているようだ。

 暫くの間無言で睨み合っていた二人だったが、ライラが僅かに浮かべた笑みでそれは変わった。


「ヴァイネル陛下、どうかしました?すごく不思議そうなお顔をしていますよ?」


 突然声を掛けられたヴァイネルは思わず緊張したように体を強張らせた。

 口調が違う。纏う雰囲気が違う。その様子は確かにギルア帝国皇妃だった。


「えっ⁉」


 クスクス笑って、ライラはいつものような軽口の口調で付け加えた。


「何か聞きたい事があるんでしょう?遠慮はいらないわよ。こっちだってンなもの気にしちゃいられないもの」


 確かに訊きたい事はある。けれど。

 ちらりとカルスを見ると、彼は苦笑して頷いてきた。だから思い切って尋ねてみる。


「どうしてお二人はそんな事を御存知なのですか?他の者は誰も、知らないというのに」


 そんな事とはもちろん龍や魔法に関する事である。


「ギルアが何故『龍の帝国』と呼ばれるのか、それは御存知ですよね?」


 逆に問い返され、戸惑いながらもヴァイネルは頷いた。

 ギルア帝国が『龍の帝国』と呼ばれるのは、かつて龍が存在していた時代、彼らの住処がギルア帝国だったからだ。

 龍を守護神として奉り、国の紋章としてその姿を象る事を許されたのは、龍自身がギルア帝国を愛していたから。たとえどこへ行こうと、眠り、疲れを癒す為に帰るのはギルア帝国だったからである。

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