心が見えるんだけど、大概はハート形をしているんだ

山本清流

 心が見えるんだけど、大概はハート形をしているんだ

 突然だけど、僕は、人の心を見ることができる。大概の心は、ハート形をしているんだ。クローズアップすると歪な線を帯びてはいるけれど、全体としてはフタコブラクダの背中と緩やかな円錐形が組み合わさって成り立っている。


 ときどき、異常な心の人がいるけれど、彼らの心はハート形にトッピングがなされている状態なんだ。釘が刺さっていたり、カビが生えていたり。きっと、僕と同じ目を持ってしまったら、誰でも、異常者に同情が禁じ得ないだろうね。


 面白いことに、心が綺麗な人は、ハート形が歪んでボールに近い形をしている。彼らの心はよく転がるからね、異物をトッピングされる心配もないってわけさ。ときどき、転がり過ぎて他人の心を無神経に潰してしまうときがあるけれど、それが世に言う有難迷惑ってやつ。綺麗すぎてボール形に近い人ほど、有難迷惑度は高いって話だ。


 そして、皆が気になっているだろう繊細な人の心には、棘が生えているんだ。その棘はある種のセンサーになっていて、遠くの気配まで敏感に察知してしまうんだよ。彼らは生きにくいだろうね。たとえ努力して他人の心に近づいても、棘のせいで相手を傷つけてしまうし、棘は感覚器官でもあるから、自分も傷ついてしまうんだ。異物をまとった異常者を察知する能力には長けていても、諸刃の剣なわけ。


 あまりこういう言い方はしたくないけれど、ちょっと頭の悪い人の心は、大きさが小さい。ハート型ではあるのだけど、アベレージの三分の一くらいであることが多いね。そして、彼らは大概、すこぶる快活である場合が多いんだ。哀愁を帯びた道化師のように見られることがあるけれど、単に疲れているだけの場合が多いから勘違いしないようにしておこう。


 逆に、頭のいい人の心は、アベレージの二倍くらい大きいんだ。彼らは往々にして頭の悪い人を潰してしまうけれど、それは、大きさの問題でもあったわけだ。


 と言いつつも、人の心の形は千差万別だから、分類するのも本当はよくない。微々たる形の違いでも、がらりと人格が違うことだってザラにあるのだからね。でも、僕には、どうしても分類したいと思い続けている一つの心がある。その心の持ち主はいたって平凡な少女なのだから、今でも、どうしてそんな心を持っているのか理解できないんだ。


 彼女の心は、平均の二倍の大きさがあって、ハート形を縦に半分に切断した形をしているんだ。下方からぐんと尖った棘が生えていて、上方に幾千もの釘が刺さっている。それでいて、少し丸みを帯びている。僕の中では、生物学者がハシビロコウを見て混乱を極めたのと同じように、分類不能なその心にエラー音が鳴り響ていた。


 彼女は、四角い教室の隅っこで、四角いロッカーにもたれて、友人と四角を囲うように向き合って話し込むことが多かった。話題は大概、イケメン俳優にキュンキュンした話と、校内テストや校外模試で死んだという話だ。僕が知る限りでは、彼女は四度ほど死んでいるはずだ。死に物狂いのようには見えないのだけれど。


 クラスで浮いてしまった僕に近づくのは、ボール形の心の人が多かった。ミステリアスな心を持っている彼女が僕にどう反応するかというのは、この長方体の校舎に初めて入ったときからの関心事だったんだ。


 だけど、意気地の枯葉てた僕にとって、自ら声をかけるのは至難の業だった。とてつもなく分かりやすく言うと、大好きな恋人に対して「消えろ」と暴言を吐くくらい難しいことだったんだ。要するに、勇気と呼ばれる分度器型の武器を僕はほとんど持っていなかった。


 その一方で、彼女に近づきたいという欲求は日に日に増していった。でも、好意を伴ったものじゃないんだ。天文学者が巨大ガス惑星である木星に惹かれるのと同じで、スケールの大きなミステリーを持った存在への知的好奇心だった。僕にとって、彼女はUFOやUMAとさして違わなかったということになるんだろうね。


 初めて彼女と会話を交わしたのは、一年間という一リットルの容器に三百ミリリットルまで水が入ったころのこと。休み時間に、教室を引き戸から出たところで、彼女の肩とぶつかってしまった。僕は彼女だと認知するより先に頭を下げたのだけど、彼女の方は不思議な言葉を口にしたんだ。


「お疲れー」

「うん。……お疲れ」


 僕は、なにがお疲れなのか見当がつかなかった。肩がぶつかってしまうと、疲労が溜まるとでも思ったのだろうか、よく分からない。意味があったのか、なかったのか。「お!」などの感動詞として「お疲れー」と言ったのか。もしくは、「おつかれえ」が「お疲れー」ではなかったのか。どうあれ、彼女のミステリアスな心がよりミステリアスになったということに異論はなかったんだ。


 あまりよろしくないとは分かりながらも、僕は、彼女の言葉を盗み聞くようになったし、尾行して彼女の行動を把握するようになった。そうすると、それなりに彼女が異様なことが分かってきた。


 彼女は、休み時間は、仲良しの三人といるか、一人でいるかのどちらかだった。一人でいるときは、地球での生活が飽きたと言わんばかりに退屈な顔をして机上でぼーとしていることが大半だったんだ。そんな退屈そうな彼女に、僕はついに、勇気を振り絞って声をかけた。


「お疲れー」

「ん? なにが?」


 寝ぼけた声で、一蹴された。なにがと言いたいのは僕の方だったはずだが、分度器型の武器を使い果たしてしまったために、僕は、自分がなにを言いたいのかを測れずに頭が真っ白になっていた。かしこまって頭を下げると、そのまま彼女の前から退避したんだ。


 その二度、彼女と会話を交わした経験を何度振り返ろうとも、彼女の本質は見えてこなかった。というか、その二度の内に、彼女はすでに矛盾しているんだ。「お疲れー」という本人も理解していない言葉を、当たり前のように使っていたのだからね。


 長方体の校舎が雪を被って丸みを帯びた季節、僕は、半ば開き直るような精神状態で、屋上に彼女を呼びだした。マフラーで首を消滅させた彼女は、雪の積もった屋上に来るなり、「お、お疲れー」と言った。


「僕が、なにに疲れたと思っているの?」


 ついに、真正面から聞いてみた。すると、彼女は、弾力のありそうな赤い頬をマフラーに埋めながら、上目遣いで言ったんだ。


「人生にお疲れー」


 僕は、けっこう傷ついていた。


「僕の人生は、そんなに辛そうなの?」

「わたしの目が腐ってるんじゃなければ、『お疲れー』に値する人生だよ」

「なにが、『お疲れー』に値しないの?」

「ほとんどの人の人生。皆、それほどお疲れじゃないもん。でも、君はお疲れだよ」

「ねえ、いくつか、質問してもいい?」

「いいよ」

「僕は、人の心が見えるんだけど、君の心は、今までに見たことがない形をしている。すんごい歪で、痛々しい感じなんだ。どう分類すればいいかまったく分からない。君と直接関わってみても、いっこうに見えてこないんだ。君のその心は、どういう心なの?」

「わたしの心は、さあ。でも、すんごい運命!」


 彼女は、マフラーから、きゅっと尖がった顎を出した。


「実は、わたしも、心を見ることができる特別な人間なんだ」

「本当!」


 僕は、赤子だったころ以来の人生の中で一番大きな声を上げた。


「じゃあ、A子さんの心は?」

「台形みたいな下地から、二つの膨らみがある形だよ。じゃあ、K君の心は?」

「驚くほど小さいんでしょう?」

「そう!」

「そう!」


 僕らは、盛りあがった。


「ねえ、じゃあ、心はどこにあるの?」

「胸の中にあるんだよ。それが透けて見えるのよ」

「じゃあ、胸はどこにあるの?」


 僕は、ちょっとジョークな質問をしてみた。そこで、怪しい空気が流れたんだ。


「胸はここだよ」 


 言いながら、彼女は、頭を指さしたんだった。


「ちょっと、待って。そこは、頭だよ!」

「違う。頭はここだよ」


 彼女は、張り合うように胸を指さした。ふざけているようじゃなかったんだ。


「え……。じゃあ、脚はどこにあるの?」

「脚はここだよ」


 彼女は、自分の腕を抱いてみせた。


「……じゃあ、腕は?」

「腕は、ここだよ」


 彼女は、脚をぽんぽんと叩いた。


「ちょっと、待って。じゃあ、形。この校舎は、どういう形をしているの?」

「そんなの、ドーム型に決まってるじゃない。なんか、おかしいよ、君」

「違うって。おかしいのは、そっちだよ。じゃあ、人間は? 人間は、オレンジ色をしてるよね? 胴体に腕と脚が生えていて、頭が一番上にあるんだ。紫の髪の毛があって、顔のど真ん中に大きく耳があるんだよ」


 彼女は、うっとうしそうに首を振った。


「やめてよ、つまらない冗談。それは、ナメクジの特徴でしょう? 人間は真っ赤で、八本の脚と七本の腕があるんだよ。頭と心臓は同じ位置にあるの。っていうか、耳ってなに? 今だって、超音波で会話してるんだよ?」

「ちょっとじゃない、かなり、おかしいよ」


 僕は、自分の身体を見回してから、彼女の身体も見回した。いつも見ている通りの人間だったんだ。


「やめて。わたしの触覚、見ないでよ!」


 彼女が、突然、怒鳴り散らした。


「そんなに触覚をガン見するなんて、エッチ!」

「人間に触覚があるわけないじゃん」

「なにを言うの! 触覚がなかったら、真っ直ぐも歩けないじゃん。すんごいデリケートな部分なんだから」

「なんで、なんで。随分おかしいよ。君が言ってる通りが人間の姿だったなら、じゃあ、僕はなにを見ているっていうの? 僕は、本当の人間の姿を見ていないってことなの?」

「もう、面倒くさい。心まで見通せる人に限って身体が見えないってことはないに決まってるじゃん。君が、嘘をついてるんでしょう?」

「嘘なんか、ついてないよ! じゃあ、釘ってなに? 棘ってなに? ハート形ってなに? 学校ってなに? 意気地ってなに? 勇気ってなに? ……分度器ってなんなの?」

「もう、帰る」


 彼女は、四角形のドアを脚で蹴り倒して校舎に戻っていった。ドアは、彼女がいなくなってからひとりでに起きあがって元に戻った。いつも見ている自動ドア。これも、彼女は違うように見ているのかもしれないね。

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