ゼロの理由

「天気の怪物か。

 こんなずぶ濡れのネズミみたいになって、ひどい敵だったな」

 事情を聞いたアザト族長がそう言い、イェードも、

「自然に目がついたような生き物だったよ。

 白くて毛むくじゃらで、凄い牙だった」

 と軽く返す。

「魔法で風を操って空を飛んでいたようだな。

 一度遠くからなら見ておきたい」

「族長がおとりになってくれるらしいぞ!」

 イェードの軽口に、皆も乗る。「なら次来ても安心だ!」などと声が上がる。

「これでも矢は得意なほうだ。

 まあ、最近はめっぽう狩りになんて行かなくなったが」

 アザトが肩をすくめて見せた。

「族長としてのいろいろに、石版の絵に計算、文字の開発か」

「族長が一番なのはわかるが、いつでも代替わりできるようにはしてあるから、まあそこまで仕事は多くない。

 ひまというわけではないが……」

 イェードの目が鋭くなる。

「いや、暇なんじゃないか?」

「バレたか」

 アザトがそう言う。なんでも効率の良すぎる男だ。暇でないわけがない。

 アザトの意向で、場所を少し変えて二人で焚き火を囲んだ。

 アザトは二本の木の枝に刺した鮮魚を二尾ぶん焼き、イェードに相談を持ちかける。

「最近、アルルの機嫌が悪い」

夫婦喧嘩ふうふげんかでもしたのか?

 謝るなら、贈り物でもしたらどうだろうか」

「そ、そうだな。

 だが、こういうものは何も思いつかないんだ。若い女が喜ぶ物って何だ?」

 意外にも族長は困っているらしい。だいぶかたよった知性に思考をしているからかも知れない。

綺麗きれいなもの、かな」

「数字はどうだろう?

 最近は、」

 イェードは手で静止する。族長にここまでずけずけと意見できる者はイェードくらいだった。

 立場を最大まで利用して、アザトに助けぶねを出す。

「綺麗な貝殻かいがら装飾そうしょくをするのはどうだろう?」

「ああ、それは良い!! 首飾くびかざりにしてみるのも良いかな」

「ああ、作るといいはずだ」

「渦巻き・ボルテクスに、丸い首飾りか……」

「?」

 アザトの独り言のように発した言葉に不思議がるイェードだが、「いや」とアザトは魚を焼き終えてから作業をしに戻っていった。

 おそらくは、すぐに首飾りを作るのだろう。

 その後、マルス副族長が心配そうにイェードの姿を見に来て、アザトの場所を聞きに行った。

 いつもの族長の小屋だ、とイェードは木組みのテントを指した。

「アルル様は妊娠しているらしい、族長の子だ」

 イェードは驚いて、渡されていた魚の刺さった木の串を落としてしまった。


 イェードとマルスはアザトに話をつける。アザトは冷静だった。

「なら、この首飾りをお祝いの品にしよう」

 そう言って、できるまでアルルに待ってもらうように言った。

 アルルとその話をしにマルスが戻り、イェードは首飾りの完成を待ち届ける。

 綺麗な黒髪をすいて伸ばしたアルルが、しびれを切らしてアザトの元へとやってくる。

 イェードはアルルに一礼し、アザトに声をかける。

 普段は集中していると全く返事をしなくなるが、「ああ、ちょうどできたところだ」と来る。

「どうぞ、奥様おくさま

 イェードが族長の小屋の幕を明かす。

 アザトが綺麗な、いくつもの貝殻を重ねてひもを通した首飾りを、大きく丸くアルルに見せる。

 ボルテクスをなんとなく思い出したイェードだったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。

「アルルだけ、意味がわかるだろう。

 私達の子は、『ゼロ』と名付けよう」

 アルルは少し苦い顔をすると、大きな笑顔を見せた。

「まあ、この人ったら。

 まあいいでしょう。ちゃんと産むまで、名前は預けておいてください」

『ゼロ』と名付けられた、アザトとアルルの子ども。

 発音が良いだけで大きな意味はないと言い張り、その意味はほとんど誰にも教えなかったという。

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