第6話

 結局、村では生存者を確認できなかった。 

 家具の影に隠れる事しかできなかったであろう子供達の命さえ、あの亡霊は容赦なく奪い去っていた。

 一切の慈悲を感じさせない所業に、口数も少なくなる。

 晄でさえ言葉を失い、無言のままで村の探索を続けていた。


 しかしそれらが無駄だと分かり、すぐに自分達の馬車へと戻った。

 あの亡霊を完全に仕留め切れていない以上、生きている住人達を危険にさらす訳にはいかない。

 ただ戻った俺達が見た光景は、想像以上に惨憺たる物だった。


「重傷者に優先して治癒魔法を使用してください! 軽傷者には薬品を! 必要以上の魔力の消費は抑え、ひとりでも多く治療するように!」


 ギルドの職員から指令が飛び、魔法が使える冒険者達や教会所属の神官達がせわしなく走り回っている。

 それ以外の冒険者も薬品を片手に負傷者の治療に従事していた。

 治療を終えた者達から馬車で街へと向かっているが、それでも重傷者は未だにこの場所での治療を強いられている。


「野戦病院ね、これじゃあ」


「この地域に逃げてきた住人だけでこの数だ。今後はもっと増えるだろうな」


 密かにリリーナの姿を探していると、ギルドの職員と視線が合う。

 すると職員は隣にいる俺には目もくれず、晄の元へと駆け寄った。

 事実、依頼を受けたのは晄なので無理もない。


「晄さん! 例の魔物はどうなりましたか!?」


「ん? お嬢ちゃん……嵐の角笛のリーダーからなにも聞いていないの?」


「それが、口を閉ざしたまま話そうとしないんです。ですけど、あの様子だと……。」


「そうね。その想像で間違ってないと思うわ」


 努めて軽い口調で話す晄だったが、その効果は見込めない。

 職員は青ざめた顔でゆっくりと帳簿に斜線を引いていく。

 

 リリーナの姿も容易に想像できた。

 仲間を目の前で失った彼女が立ち直るには、相当な時間が必要なはずだ。

 今となってはリリーナも被害者という立場になるのだろう。

 とは言え怪我はしていなかったはずだ。

 すでに街へ戻っているのか、それとも別の場所に移ったのか。

 ギルドの職員が話すのを待つが、彼女の関心は別の所にあった。


「でも晄さんが戻ってきたって事は、魔物は討伐できたんです、よね?」


「いいえ、残念ながら。でも安心して。絶対に私達が魔物を仕留めるから」


「お願いします。この状況で襲われたら、もう……。」


 職員が言わんとすることは理解できた。

 確かに、この状況で亡霊に襲われでもしたらさらに被害が拡大する。

 怪我人を守りながら戦うというのは、想像以上に厄介だ。

 それに加えて最高峰の冒険者パーティだった嵐の角笛を壊滅させた相手だ。

 ほとんどの冒険者が恐れて、十全に戦えるかどうか分からない。


 唯一の頼みはここにいる生きる伝説、緋色の剣聖というわけだ。

 その当の本人である晄は、任せろと言わんばかりに大きく頷く。

 そして――


「えぇ、任されたわ。具体的には、このレイゼルがね」


 そんな事をのたまうのだった。


 ◆


 あの魔物……白い亡霊がどこに姿を現すかは定かではない。

 姿を消したあの場所に再び出現するのか、それとも全く別の場所に出るのか。

 その両方の可能性を加味して、複数の冒険者と共に負傷した住人達を守るよう巡回を始めていた。

 怪我人の多くは治療が終わり、馬車で街へと向かっている。

 少なくとも全滅という最悪の状況は回避できたが、油断はできない。  


 そんな緊迫した状況下で、小さな不満が募っていた。

 それは隣を歩く晄が、事あるごとに俺の名前を出すことについてだ。

 

「どうして俺の名前を出すんだよ」


「なんでって……事実だからじゃない?」


「緋色の剣聖が対処するって言えば、丸く収まっただろ。こんなパーティを追放されたばかりの俺より」


 今でもギルド職員の表情が目に浮かぶ。

 俺は今朝方、公衆の面前で嵐の角笛を追放になった男だ。

 そんな男が嵐の角笛を壊滅させた魔物を討伐など、できるはずがない。

 悲惨な状況を前にして、よくもまぁそんな冗談を飛ばせるものだ。

 そんな哀れみと怒りの混じった視線を受けて、俺は黙り込むことしかできなかった。


 そして客観的に見えればそれは至極当然な意見であり、俺に反論する余地はない。

 下手に波風を立てて場の混乱を招くような事はしたくはなかった。

 だが晄はそれらの事情を察しながらも、あえて俺の名前を出しているようにしか思えなかった。

 

 普段ならば悪ふざけですむが、この状況下で俺の名前を出すのはさすがに度を越えている。

 溜まりに溜まった不満を打ち明けると、晄は立ち止まり、小さなため息をついた。

 その表情には微かな苛立ちが見て取れる。


「そこなんだけどさ、ちょっと納得できてないんだよね。ずっと言おうと思ってたんだけど」


「なに?」


「レイゼルはさ、お師匠……アタシのお父さんが見下されて、馬鹿にされてたらどう思う?」


「こんな時になにを――」


「いいから、答えて」


 有無を言わさない語気の強さで、晄が迫る。

 仕方がなく、素直な考えを口にする。


「そりゃ、馬鹿な奴だと思うよ。本物のお師匠を前にしたら、きっと殺されるだろうな」


「そうだよね。本当の戦場の鬼を目の当りにしたら、見下したり馬鹿にしたりできないからね」


 言うと、晄は俺の肩を掴み、強引に振り向かせる。

 視線の先の晄は、深海のような藍色の瞳の中に怒りを湛えていた。


「だからアタシは、納得できない。ううん、許せないって言った方がいいね。アタシと並び立つはずのレイゼルが、周りから低く見られてる。そして当のレイゼルが、そんな評価に甘んじてる。それがまるで、このアタシが笑われてるみたいに感じて、すごく不愉快だった」


 まっすぐな視線に、俺は視線を逸らすことも、ごまかすことも出来ずにいた。

 それだけ晄が本気で怒っている事を、理解してしまったからだ。


 例えば、晄が俺の目の前で見下され、正当な評価を受けていなかったら、俺はどう思っていただろうか。

 今のような緋色の剣聖とは呼ばれず、その才能を埋もれさせてしまっていたら。

 そして晄自身が、そんな低い評価を受けてなお甘んじていたら。


 緋色の剣聖という呼び名を聞くたびに、心の中で少しだけ誇らしく思っていた。

 あの晄が大勢に認められ、その刀を振るっているのだと思うとうれしくもあった。

 今の状況は、その真逆じゃないか。


「悪かったよ」


 そんな謝罪の言葉を、自分でも驚くほど素直に口にしていた。

 だがそれで晄が納得した様子はなく、視線をそのまま俺の腰へと向けて言った。

 

「悪いと思ってるなら、周りに証明して見せて。この緋色の剣聖と並び立つに相応しい剣士だって、その刀で」


 ◆


 それは、予想通り再び現れた。

 生者ならば誰でも抱く恐怖を掻き立てる咆哮と共に。

 住人達からは悲鳴が上がり、冒険者達も一斉に武器を手にする。

 白き亡霊が現れたのは、村の方角。

 荒野の中で目立つ異質な存在は、徐々にこちらへと向かってきていた。


「来たか」


「後ろは任せて。まぁ、こういう守りの戦いは慣れてないんだけど」


「お前ほど安心して背中を任せられる相手もいないさ」


 言い残して、まっすぐに亡霊へと視線を向ける。

 剣を片手に生者へ視線を彷徨わせるその姿は、もはや魔物のそれだった。

 微かに残る同族への感情を、断ち切る。

 生者を脅かす魔物となり果ててまで戦うことを、彼も望んではいないだろう。


「もう少しだけ、眠っていてくれ。必ず、故郷へ戻るから」


 誓いを再び胸に掲げ、大地を蹴る。

 同族を弔う為に。

 そして同族の蛮行を、止めるために。


 ◆


 冒険者達の間を駆け抜け、亡霊へと肉薄する。

 周囲から声が上がったが、それを聞き取る事はできなかった。

 研ぎ澄まされた感覚が、無駄な音や感触を遮断していく。


 久しい感覚だが、忘れてはいない。

 徐々に世界から色が失われ、余計な情報が排除される。 

  

 間合いまで、あと数歩。


 愛刀に手を掛け、亡霊を見定める。

 彷徨わせていた視線は、今や俺をしっかりと捉えていた。

 亡霊に瞳はなく、ただただ双眸には吸い込まれそうな闇が広がっているのみだ。

 それでも分かる。理解できる。

 亡霊は、確かに俺を捉えていた。


 あと三歩。


 亡霊が俺を殺さんと、刀剣を振り上げる。

 錆び付いた独特な剣は、嫌と言うほど見慣れた形だ。

 分厚く、背中には返しが付いている。

 人間だけではなく、魔物にも有用な武器として設計された剣。

 ハイランダーが使ったとされる剣である。

 細身の刀で打ち合えば、簡単に折られてしまうだろう。

 だからこそ、最初から打ち合う気はない。


 あと二歩。


 急激に気温が下がり、吐く息が白く色付く。

 身を切り裂くような冷気が、まき散らされる。

 周囲を凍り付かせる程の冷気が、刀から放出される。


 それがこの刀の本来の力。

 すべてを凍てつかせる、妖刀の力。

 

 あと一歩。


 お互いの間合いに入り、雌雄を決するその刹那。

 亡霊の剣が振り下ろされる、その瞬間。

 決着がつくであろう、その一瞬。


 

 一閃。

 


 気が付けば、亡霊は遥か後方へと過ぎ去っていた。

 そして、腕に残ったのは、確かな手ごたえ。

 世界が静止したかのような錯覚さえ陥る。

 そんな最中――


「咲け、六華」


 ――その名を呼ぶ。

 半身にして命を預ける、愛刀の名を。

 妖刀、六華の名前を。


 ◆

 

 後の冒険者達は、こう語る。

 亡霊と剣士が交差したその瞬間。

 大地に巨大な白銀の華が咲いたのだと。


 遠く離れた場所にいた者達でさえ、身を裂くような冷気に包まれた。

 その中心にいた二人がどうなったか、最初はわからなかった。

 周囲に煌く、氷片が視界を遮っていたからだ。


 しかしそれらが無くなると、勝敗は一目で分かった。

 亡霊は、白銀の華に呑まれていた。

 そして数舜の後。


 咲き乱れる白銀の華と共に、美しく、そして無慈悲に、砕け散った。


 ゴールド級への昇格を控えた冒険者パーティ、嵐の角笛を壊滅させた亡霊を、一刀の元に葬った剣士。

 その彼は、いつしか人々はこう呼び始めた。


 六華の剣聖と。

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