第50話 だから、別れましょう

「ちょ、何すんですか! セクハラやめて下さいシェルディナード先輩!」

「セクハラじゃねーよ。今から耳治してやっから、じっとしとけ」

「はい!?」

 どう治すと言うのか。そしてそれとこの体勢の何が関係あると言うのか。

 膝の上に座らせられ、いつものようにお腹に腕を回されるのかと思ったら、何故か肩と言うか腕込みで背後から腕回されてホールドされている。何気に胸に腕当たってるんですけど!? と言いたいところだが、人形のドレスでも布が余るほどささやかな訳で。

 そんな事情込みで見ると、あれだ。歯医者などで暴れる子供とかをしっかりイスに固定してる図。

「ミウ、これ噛んどけ」

 そう言って白く清潔なハンカチを渡される。

「え。本当に何されるんですかあたし。怖いんですけど!?」

「治療。傷痕残さずやってやるから、これ噛め。多分若干痛てぇから舌噛むと危ないだろ」

「舌噛む可能性があるって、若干痛いってレベルじゃないですよね!?」

「ミウ」

「何ですか!」

 噛みつかんばかりの勢いでシェルディナードの方を見た。




     ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆




 動けない。


 ――――ひぁ!? ち、近い! 近いです! シェルディナード先輩!!


 見上げたすぐ目と鼻の先に、シェルディナードの顔がある。

 赤い赤い瞳にとらわれて、身動きどころか目を逸らす事も出来ない。


 ―――うぁ、だ、ダメダメダメー!!


 いくら駄目と言っても急激に体温が上がっていくのを止める術はないわけで。たちまち頬も赤くなる。


 ――――あ。先輩、オールバック似合う……じゃなくてっ!!


 いつもと違うきっちりした髪型だとか、そのきっちり整えた髪がちょっと乱れて変に色気があるとか、そんな事はさておいて。

 ついでにミッドナイトブルーのスリーピースは光の加減で微妙に黒に近くなったり紺碧の夜空色になったりと色の変化を見せる。かっちりした礼服だが、少しの遊び心が見えるのがシェルディナードによく似合う、とミウは今さらながら考えて。


 ――――だ、だって、夜会は緊張してそれどころじゃなかったし! ってこれも違うっ!! そうじゃなく!


 甘く香る金晶雪華ルチルフィオナの匂いに、囚われる。

 何も考えられなくなりそうで、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。

「ちゃんと治してやるから」

「っ…………!」

「怖い思いさせて悪かった。少し痛いかも知れねーけど、元通りにしてやるから」

「も、元通り、って……ひゃん!」

 シェルディナードの吐息が、切り取られて短くなった耳に掛かる。

「教えてやるよ。今から」

「シェルディナード、先輩?」

 ふるっと身震いが走って、今すぐ逃げたしたい。

「先、輩……?」

「…………」


 ――――やだ。怖い。


 思わず身を固くする。

「ミウ」

 じわじわと涙が浮かんで、恐る恐るシェルディナードを見ると少しだけ困ったような顔がそこにあった。

「ミウ」

 小さい子供をあやすような声音と顔に、怖いという感情が消えていく。そして顔をもたげるのは、僅かな照れ隠しじみた怒り。

「べ、別に、怖くありません! 子供じゃないんですから!」

「ふーん? そっか?」

 ニィっとシェルディナードが笑う。


 ――――ひぃ!? 早まったかもぉ!!


「や、やっぱり怖いので」

「わかってる。心配すんな。優しく、シテやるから」

「い、いかがわしい言い方やめて下さいぃぃぃぃぃぃ!!」


 ――――シェルディナード先輩のセクハラドS! 変態っ!!


 半ば自棄やけになってミウは渡されたハンカチを噛もうとして、ふと躊躇ためらう。

「あの、ハンカチもですけど……服、汚れちゃうんじゃ」

 膝に座らせられた時点でそれは手遅れ感があるが。

「んなもん気にすることねーよ。服は汚れるもんだし」

「……じゃあ、ハンカチ洗って返しますね。あ、あと」

「ん?」

「さっきお屋敷の中、逃げ回ったんですけど、何処かの部屋にチョーカーがあると思うので、取りに行きたいです」

 汚れたり壊されたくなくて、ミウはシェルディナードから貰ったチョーカーを隠れていたクローゼットに置いてきた。


 ――――シェルディナード先輩から貰ったものだし。


「……そっか。ん。了解」

「ありがとうございます!」


 ――――良かった! えへへ。


「さて……。じゃ、治療すっから」

「はーい」

 今度こそミウは何の憂いもなくハンカチを噛む。

 まるっきり歯医者に来た子供だが、この際気にしない。

 しかし。


 ――――ん? え? シェルディナード先輩?


 切られた耳を空いている方の手に取られた。それはいい。わかる。

 問題はその先。


 ――――ちょっ!! ひぎゃ!?


「うぅ!?」

 パクっと切られた耳の先を軽く噛まれるのは聞いてない。

 もう一方の腕も、今度はミウの腕といつものように胴体抱き締める感じで回されるのも、聞いてない。


 ――――うっぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?


 完全にミウの身体がすっぽりシェルディナードの腕の中。

 歯医者イスへの固定度は最大値になったが、ミウの混乱値も完ストしそうである。

「ふぅ!? ん! ふぅう!」

 ハンカチを噛みながら訴えなのか悲鳴なのか判断が難しい声を上げるミウ。その顔は既に夕日の茜より赤い。


 ――――え、ちょ、無理! 無理無理無理ーっ!! 本気で無理ですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!


 だが一度始まってしまった治療は止まらないらしく、シェルディナードがその腕を緩めることはない。

「んふぅ!?」

 ピリッとした痛みと切られた耳に掛かる吐息。湿ってざらりとした柔らかいものが、その切られた断面を食む。

「ん! んんっ!!」


 ――――みゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!!!!


 ぴちゃ、ちゅっ、と。獣が毛繕けづくろいでもするかのように丹念に。

 混乱が熱に変わり、頭の芯からぼうっとして何も考えられなくなりそうな恐怖に身をよじるが、解放される気配は皆無だ。

「ッ!!」

 ビリっと痺れるような痛みが走り、ミウは身体を硬直させる。

「――――ッ!!!!」

 ハンカチをきつく噛み締める。声を上げることも難しい痛みと、食まれる耳の感じる火傷しそうな熱さにミウはたまらず涙目をつむった。

 ジクジクと蝕むような痛みに耐えていたのはきっと一分もない。

 食まれていた耳が解放されると同時にミウの身体から力が抜け、口からハンカチが落ちた。

「なっ……な……何するんですかーっ!!」

 涙目である。仕方なし。

 ミウは真っ赤な顔でシェルディナードをキッと睨み付けて叫んだ。

「仕方ねーだろ。こうしなきゃ治療できねーんだから」

「うわぁぁぁぁぁんっ! この先輩ヒトナチュラルに何もやましい事ありませんの顔してるぅぅぅぅう!!」

「やましくねーし。マジで治療だから」

「シェルディナード先輩の馬鹿ぁぁぁぁぁぁっ!!」

 唇を奪われたわけでも無いが、何か大切なものを失った気分。


 ――――人の心臓止めに来といてそっちはノーダメージというか意識すらしてくれないってどういうことですかーっ!!!!


 いや治療だし、じゃない!! と荒れるミウの片頬に、シェルディナードは抱き締めていた胸付近の腕を緩めて触れる。

「ふえ?」

「次これな」

「みぎゃあああああああっ!?」

 おとがいと頬をシェルディナードの掌で掴まれ固定されたなと思った瞬間、レロッと頬の切り傷を舐められ、ミウは再び絶叫した。

「動くなって。ほら、終了しゅーりょー

「~~ッ!! しゅーりょー、じゃないです!! 最低です! このっ、変態先輩ー!!!!」

「うわ。ひっでーな」

 酷いと言いつつクスクス笑っているシェルディナードに、ミウはぐったりと崩れる。

「もぉ、どうにでもして下さい……あ! 本当に治ってる!?」

「だから言ったろ? 傷痕一つ残さねぇで治すって」

 切り取られたはずの耳は元通りに。頬の切り傷も跡形もない。

「軽いのは舐めるだけでもいけっけど、再生させんなら噛みつくか、爪食い込ませたりするとか何か『接続コネクト』しねーとなんねぇから。耳は厚みなくて薄いし選択肢それしか無かったんだよ」


 ――――いや、それにしたって事前にっ。こ、心の準備とか色々ですねっ……!


「う……。ありがとう、ございます」

 色々言いたい事はある。が、治して貰ったのは事実。

 ちょっとモヤモヤしつつもミウがそう言うと、シェルディナードがクスッと笑った。

「いや、これは俺らの責任だし良いって。……あ、でもわりとこれ魔力食うから、次の弁当二つにしてくんね? 前みたいに食パン一斤丸々でも構わねえから」

「あ、あれはっ……。ちゃ、ちゃんと作りますよ!」


 ――――この先輩っ、やっぱり根に持ってたー!


 第一回ミレイ襲来の翌日。何となくモヤモヤしていたミウは八つ当たり気味に何も調理していない食パン一斤とジャム一瓶をお弁当として出した事がある。その時は別に何も言わずに食べて完食していたが、まだ覚えているという事はやはり根に持ってたのだろう。

「で、だ」

「?」

「足も治してやるからじっとしとけよ」

 一旦ミウを膝から下ろし、シェルディナードが立ち上がる。


 ――――足、ぐちゃぐちゃだったもんね……助かります……。……。え?


 はた、と。

 ミウは何か嫌な予感に動きを止める。


 ――――再生は、噛んだりして、それよりは簡単な場合…………。


「うっわ。爪、剥がれかけてんじゃん。酷でぇな」

 まあ、剥がれるまでいってねーし大丈夫か。なんてシェルディナードがミウの前にひざまづく。そのまま、片足をそっと持ち上げ、

「ちょ! ちょ! ちょっと待って下さいぃぃぃぃぃぃ!!」

「何だよ? ミウ。この程度なら別に痛くねーって」

「ち、違いますっ! 気にするとこ、そこじゃないですぅぅぅぅぅぅっ!! 手! 手離して下さいっ!!」

「は?」

「も、持ち上げ無いで下さいっ!! 裾がっ!」

 念のためスパッツ穿いているけどそれとコレとは別なのである。


 ――――いや、それよりシェルディナード先輩舐める気だよねっ!?


「け、蹴りますよ!?」

「ふーん?」

 ミウの必死の脅し(抵抗とも言う)に、シェルディナードが何故か企むような笑顔を浮かべた。

「な、なんですか! ほ、本当に蹴りますからね!?」

 にっこりシェルディナードが笑う。

「やってみろよ」

「ドMですか!? 顔蹴りますよ!」

「だから、やってみろって」

 でも、と。

「出来るなら、な?」

「ひぎゃあ!?」

 片方のかかとを捕らえ、やや持ち上げ。もう一方は暴れられないように足の甲から足首を押さえた。


 ――――ひっっっぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!!!


「いっやあぁぁっ! ちょっと、やめて下さいぃぃぃぃぃぃ!!」

「大丈夫だって。後で舐めたとこ、洗って拭いてやるから」

「そこじゃないです! そう言うことじゃないんですよぉぉぉぉぉぉっ!」

「犬に舐められたと思えって」

「先輩それで良いんですか!? あとそれ、犬に噛まれるの方ですよね!?」

「なに。噛んで欲しい?」

「言ってませんーっ!!!! んひゃっ!」

 シェルディナードの舌が足の傷口に這う。

「ひぅっ、んっ!」

 優しく這う感覚に身悶みもだえるように身を捩ろうとするも、しっかり両足を捕まえられて叶わない。

「やっ、ぁっ、う」

 舌の這う箇所が一瞬だけ熱くなり、片方の足が解放されると直ぐにもう片方。そうして両足の治療が終わった頃には、ミウはソファの肘置きに顔を押し付けて撃沈していた。


 ――――シェルディナード先輩の、馬鹿ぁぁぁぁぁぁーっ!!


「ミウ? おーい。平気か?」

「平気なわけないでしょぉ……。シェルディナード先輩の馬鹿! 大っ嫌いです!!」

 本当に何とも思ってなさそうな平常運転の声が憎らしい。

「そっか。じゃ、フレば?」

 そのシェルディナードの言葉に反射的にミウはガバッと顔を上げる。

 肘置きのすぐ向こう。床に座って、シェルディナードが微笑んでいた。

「そ、れは」

「ミウ。もうわかってんだろ? ミウは充分、釣り合ってんよ。今回の夜会でそれは他の奴にもわかったって」

「…………」

「まあ、俺は最初から度胸はむしろ俺より上じゃねーかなと思ってたけど。そもそも、全部釣り合えなんて言ってねーし。一つでも釣り合ってれば良かったんだよ」

 シェルディナードに向けるミウの瞳がうっすらと滲む。

「ミウ。泣くなよ。何でフラれる俺じゃなくミウが泣くんだって」


 ――――…………だって。


 溢れた熱い雫をシェルディナードの指がそっと拭う。

「今ならミウが俺をフッても、誰も何も言わねえよ。ミウは俺とサラをとりこにする魔性の女って学園報タイムズで言われてるし?」

「う、うぅ~…………」

「泣くなって」

 ミウは肘置きに顔を伏せる。その頭を、シェルディナードはゆっくりと撫でて、終わりの時間が来たのだと、ミウはそう悟った。




     ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆




 夕闇学園ナイトアカデミアの校門。校舎からそこに続くレンガの路を、一人の女性徒が目的を持って進んでいる。

 背は決して高くない。けれど、スッと伸ばした背筋がりんとした気高さを漂わせ、見るものに小さいというより華奢きゃしゃでスレンダーな印象を与える。

 落ち着いた色合いのシャツとスカート、黒いニーハイソックスに飴色の革靴ローファー。きつくはないけれど、しっかりと意思を持っていると感じる顔立ちで、愛らしさと大人びた塩梅が絶妙なバランスで成り立っている。

 軽く分けられた濃く艶のある緑の前髪から覗くのは、薄紅色をしたカボションカットの魔石。そして少女の緑の瞳は、目的の人物を見つけ、ゆっくりとそちらに近づく。

 校門に立っているのは、白い髪と褐色の肌にシンプルなモノトーンでまとめた衣服を纏う年上の少年。整った顔立ちで、少女を見つけてその赤い鳩血色ピジョンブラッドの瞳をゆるりと笑みに変える。

 近くに立てば、ふわりとどちらからともなく、甘く少し寂しい香りがした。

「シェルディナード先輩」

「よお。ミウ」

 ミウはややシェルディナードを見上げ、フッと笑う。

「あたし、実は先輩の事、好きじゃないんです」

 その笑顔はまるで男を弄ぶ悪女のように、気が強くも魅力的で。

「だから、別れましょう」

 その笑みと言葉に、シェルディナードが笑う。

「残念。フラれちまったな」

 そう言った。



 そんな事があった翌日。

「何でいるんですか!?」

「何でって。講義取ってるから?」

 昨日とは打って変わった落ち込みようで講堂の後ろから入って席に着いたミウは、隣に腰掛けたシェルディナードとサラに叫び声を上げる。

「いや、だって!」

「別に良いじゃん。ミウは彼女じゃなくなったけど、友人関係までやめてねーし」

「へ?」

 机に頬杖をついて、シェルディナードが笑む。

「あ。それとコレな」

「あ……」

 逃げ回った時に置いてきたシェルディナードの作ったチョーカー。それがミウの手に乗せられる。

 チョーカーとシェルディナードのその笑みを見ていたら、何だかじわじわと込み上げるものがあって。

「あ。それからミレイが約束の引き継ぎで今日来るって言ってたから、そのつもりでな」

「ちょ! 待って下さいぃぃぃぃぃぃ!! あたし彼女やめたんですよ!?」

「だな。でも、賭けはミレイが勝ってた。そっちは解消されてねーよ?」

「そんな!」

 嘘でしょ!? と叫ぶもどうやら本当のようで。

「つーわけで」

「これから、も」

「よろしくな」

 シェルディナードとサラがクスクスと笑う。

「――――~~~~ッ!!」

 どうやら、平穏な日々はまだまだ先で。

 しばらくはこのまま。

 騒がしく愛しい、ミウの絶叫が木霊する日々は続くらしい。




     終

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レプリカ・ハート 琳谷 陸 @tamaki_riku

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