第二十七話 国王との謁見。

 私は騎士に囲まれながら公爵夫人に連れられて、公爵家の控室で侍女に髪や化粧を直してもらっていた。アルテュールと公爵はダグラスの件を調べる為に席を外している。


 窓の外に見える風景は和やかで、先程の恐ろしい戦闘が悪い夢ではなかったのかと思ってしまう。


 他国の王城で貴族が剣を抜くという行為は、戦争に繋がりかねない。ましてや、誰かを傷つけ、王子に剣を向けたという状況を多数の人間に目撃されている。正式に抗議されれば、ダグラスは爵位を失うかもしれない。


 貴族の規範を捨て、国や貴族の称号よりも私を欲したということなのか。そう考えた時、背筋をうすら寒い何かが駆け抜けていく。何故、としか思えない。


 さらに恐ろしいのは、あの闇を含んだ七色の光。結界魔法を斬り、魔法を使うアルテュールと互角の戦いを見せた。一体、ダグラスは何者なのか。


 握りしめた手に輝く指輪は、ほんのりと温かい。ダグラスに触れられたくない一心で、後先考えずに嵌めてしまったという後悔が重い。〝王子妃の指輪〟を奪った愛人と呼ばれ、王子妃の憎悪の対象になる未来が恐ろしい。


 ……恐怖に震えるだけではアルテュールのそばにはいられない。王子の愛人と後ろ指を差される覚悟をしなければと、背筋を伸ばす。


 化粧が終わった所で入って来た従僕が公爵夫人に小さなカードを差し出した。夫人はカードに書かれた何かにさっと目を通して頷く。

「イヴェット様、会って頂きたい方がいらっしゃるの」

 優しく微笑む公爵夫人は、私を別室へと導いた。鮮やかな赤の絨毯が敷かれ、部屋の奥には高い段差があり、精緻な彫刻が施された椅子が二つ置かれている。


「ここは、国王陛下の私的な謁見室なの」

 唐突過ぎて、くらりと世界が回ったような気がした。ここで倒れることはできないと、手を握りしめて足に力を入れる。王子の愛人が国王に謁見する意味を考えても、別れるようにと諭される予感だけが迫ってくる。


 王子の紋章が施されたドレスを着て、〝王子妃の指輪〟を嵌めた身分のない愛人は、国王から見れば王子をたぶらかした悪女でしかない。アルテュールのそばにいたいという個人的な願いは、叶って良いものではなかった。


 国王が入室するという前触れがあり、公爵夫人と私は深く頭を下げて国王が段上の椅子に着席するのを待つ。衣擦れの音は二人。


「その者は、どなただろうか」

 落ち着いた中年男性の声で呼びかけられた。私の祖国での謁見の作法と同じで、私は答えてはいけない。隣の公爵夫人が顔を上げた。

 

「この者は、我がグナイゼナウ公爵家の娘イヴェットでございます」

 私が娘? 公爵夫人の口上に驚くしかなくても、許されるまで顔を上げることはできない。


「そうか。顔を上げるが良い」

 国王の許可の声に応じて、ゆっくりと顔を上げる。国王の顔を直視することはできないから、視線は下げたまま。


 白地に金の装飾が施された服、白い毛皮で縁取られた赤い天鵞絨のマント。煌めく王冠は国王のもの。揃いの意匠で宝冠を着けているのは王妃だった。


「……イヴェット、貴女はアルテュールの顔のアザをご存知?」

 私に問い掛ける王妃の声は優しい。

「はい。存じております」

 

「それが呪いであることも?」

「はい」


「あの呪いは、アルテュールのせいではないの。アルテュールの曾祖父、二代前の国王が魔女を怒らせてしまったからなのよ。……貴女はアルテュールを憐れんでいるの?」


「いいえ。アルテュール様は私を助け、心を支えて下さりました。私も同じように支えることができたらと……いえ、正直に申し上げます。私はアルテュール様を幼少の頃からお慕いしておりました。容姿も呪いも全く気にならないのです」

 本当は理由なんてありはしない。ただ、好きだと思うだけ。隣にいたいと思うだけ。


「そう。それなら良かった」

 王と王妃がほっと安堵の息を吐く。


「そなたを第三王子アルテュールの婚約者と認めよう」

 笑顔で告げられた王の言葉が信じられなかった。作法も忘れて顔を見てしまうとアルテュールと同じ色の青い瞳と目が合った。その瞳は優しく温かく微笑んでいる。


「わ、私は……」

 王子妃になる資格はない。そう続けようとした私を、王は手で制した。


「何事か事情があるようだが、構わぬ。その〝王子妃の指輪〟が答えだ」

「そうよ。貴女は指輪に選ばれたの」

 王も王妃も公爵夫人も微笑んで頷いている。この指輪を嵌めることで無条件で認められるとは知らなかった。


「あ、ありがとうございます!」

 私はアルテュールと、助けてくれたすべての人々に感謝を捧げながら深く頭を下げた。


      ◆


 私的な謁見の後、公爵夫人と私室でお茶を飲んでいた所にアルテュールと公爵が戻って来た。二人の顔色は冴えない。

「どうでしたの? あの無礼者はどうなりました?」

 公爵夫人の問いに、公爵が難しい顔で口を開いた。


「残念だが、逃げられてしまった。協力者はいないようだが、まだ捜索は続いている」

「そう。それは残念ですわね。……あの者は我が国の騎士の姿をしていましたが、何故です?」

 公爵夫人の問いに、アルテュールと公爵が顔を見合わせる。話していいのか迷っているのかもしれない。


「教えて頂けないでしょうか」

 私の問い掛けにアルテュールが口を開いた。

「……彼は、二人の騎士を殺して上着と剣を奪っていた」

 あの服の染みは人の血だったのか。恐ろしさに体が震える。


「一体……」

 ダグラスは何者なのか。続けようとした私の唇をアルテュールがそっと指で押さえた。

「それはまた、後にしよう。……イヴェット、舞踏会に出て欲しいとお願いしてもいいだろうか」

「はい。もちろん」


「そうそう、ご報告が遅れましたわね。イヴェットはグナイゼナウ公爵家の娘となりました。陛下との謁見も済ませて、アルト様の正式な婚約者として認められております」

 誇らしげな公爵夫人の報告に、アルテュールが口を開けて驚く。


「その……父との謁見はこれからで……公爵、貴方は了承されているのか?」

「妻が気に入ったのですから、私に異存はありません。婚礼支度もお任せ下さい」

 一緒に驚いていた公爵が笑って答える。


「……ありがとう。感謝する」

 アルテュールは公爵夫妻にお礼を述べて頭を下げた。


      ◆


 夜になり、舞踏会の始まりを告げる鐘が鳴った。王城は集まった人々の賑やかな声で包まれ、何事もなかったのように明るい空気が流れている。


「イヴェット、仮面は着けなくてもいいのか?」

「はい」

 顔を晒すことの恐怖は拭えてはいない。それでも公爵夫人の勧めに従い、王子の婚約者として堂々と振る舞うことに決めた。


 仮面を着けた正体不明の令嬢よりも、公爵家の娘として顔見せすることで、姫君も納得するだろうと公爵夫人は私の背を押した。


「行こう、イヴェット」

「はい。アルテュール」

 差し出された腕に手を掛けて、私はアルテュールに寄り添った。

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