第二十話 小さな贈り物たち。

 夢の中で女性が織っていた糸は、白い月の隠し扉にあった糸と同じ物だった。一体何の糸だろう。王子が蜘蛛の糸のようだと言っていたけれど、蜘蛛の糸を集めるにはどうしたらいいのか。


 そうだ。三階の他の部屋には蜘蛛の巣が張っていた。そう思いついて、手持ちの魔法灯を持って三階の部屋を覗く。

「あ……新しい物もあるのね……」


 美しく煌めく糸で編まれた網の中央には、手のひら程の大きさの蜘蛛がいる。毛が生えた黒い体に赤い瞳。とても不気味だと思っても、目標の為に怯むことはできないと心を奮い立たせる。


「あの……糸を分けて頂けないかしら? ……と言ってもこれは餌を取る為の罠なのよね……」

 網を解いてしまえば、蜘蛛は食事が出来なくなってしまう。


「ごめんなさい。他をあたります」

 蜘蛛に挨拶をして別の部屋を覗くと、蜘蛛がいない大きな巣があった。


「……ここには誰もいないのよね? もらうにしても、どうやって解けばいいのかしら?」

 細い細い糸で編まれた網は、どこが始まりなのかわからない。指で触れるとぺたりと肌に網が吸い付く。


「繭糸とは違うのね」

 蜘蛛の巣の網は意外と丈夫。指で感じる弾力が楽しい。どこかを切ろうかと考えた時、一本の糸が白く輝いていることに気が付く。


「もしかして……これが糸端?」

 爪を使って慎重に一本を持ち上げて摘まむと、糸が白く輝いて網が解けていく。

「素敵!」

 糸端を糸巻きに結び付け、左手に持つ。持ち手つきの糸巻きは、親指で回すと糸を巻きとってくれる。右手の指で網を解き、糸を巻く。

 

 蜘蛛の糸は細すぎて、なかなか糸巻きがいっぱいにはならない。それでも根気よく網を解き続ける。解けた糸は白く輝き、糸巻きに収まると透明になる。とても綺麗で不思議と飽きない。


 間違いなく、残っていた糸は蜘蛛の糸なのだと思う。この細い糸を紡ぐことがとても楽しみ。夢の中で見た〝時戻りの衣〟を私が織ることができるのか。その前に、月の光――愛を糸に紡ぐことができるのか。


 あの伯爵夫人が竜への愛を糸に紡いだように、私はロブへの愛を糸に紡ぐ。もう会うことのない少年との優しい初恋の記憶を閉じ込めて、手放したい。


 そうすればきっと、王子とロブを重ねることもなくなるだろう。王子との未来はまだ見えなくても、前に進みたいと強く願いながら、私は糸を巻き続けた。


      ◆


 毎日館に返ってくる王子は、私にお土産だけでなく贈り物を渡してくれるようになった。

「イヴェット、この耳飾りはどうだろう? 一目見て似合うと思ったんだ」

 小さな箱の中には、細やかな装飾の金剛石ダイヤモンドが煌めく耳飾り。


「アルテュール、嬉しいのですが、もう沢山頂きすぎています。毎日着けても追いつきません」

 私の耳には小さな可愛らしい真珠が揺れている。耳飾りはこれで四個目。他にも首飾りや髪飾り、様々な装飾品が増えていく。


「毎日取り替えればいいだろう?」

「アルテュール、私はこの真珠の耳飾りがとても気に入っていますから、もう耳飾りは要りません」

「そうか……」

 残念そうな表情で、王子が呟く。このままでは、私の部屋の引き出しがいっぱいになってしまう。


「じゃあ、次は……」

「首飾りも不要です。……もし、贈って頂けるのなら、一輪の花が嬉しいです」

「花?」

「はい。この館の庭には、まだ花がないので」

 王子と一緒に苗木を植えたり種を撒いた庭には、まだ花は咲いていない。


「一輪でいいのか? この部屋を花でいっぱいにしようか?」

「もう! それは枯れた時に掃除が大変です。一緒に掃除して頂きますよ?」

「イヴェットと一緒なら、きっと掃除も楽しいだろうな」 

 王子が自分で掃除をするなんて想像もしていなかったけれど、この館では普通のこと。時には皿洗いまでこなしてしまう。

 

「……本当は、何もいらないのです。毎日帰ってきて下さるだけで嬉しいです」

 顔を見るだけでほっとする。抱きしめられると胸がどきどきする。話を聞いているだけで心が躍る。熱くなる頬に触れられるだけで、ときめく。


「今度、王都に買い物に出ようか。それならイヴェットが好きな物が何でも選べる」

「それは……」

 またダグラスが追いかけてきたらと、身がすくむ。


「大丈夫だ。王都にまでくることはないだろうし、私が必ず護る」

 優しく微笑む王子の言葉が頼もしくて、私は笑顔で頷いた。


      ◆


 三階の主のいない蜘蛛の巣は、ほとんど巻き取ってしまった。またせっせと網を掛けている姿を見て、今日は裏庭の壁の陰や木に張られた蜘蛛の巣を解くことにした。


 外に張られた蜘蛛の巣は汚れや破れがひどい物が多い。主がいなくても乾いた獲物が巻き付いている物もあって、解くのはためらわれる。


 空を見上げた時、木の上に幾つもの蜘蛛の巣が見えた。ちょうど近くの壁には木で出来た梯子が掛けられていて、手を伸ばせばきっと届く距離。


 糸巻きを入れた肩掛け鞄を壁際に置き、エプロンのポケットに糸巻きを一つ入れて、梯子を登っていく。これまでは室内で掃除をする時に三段程度の梯子を登ったことがあるだけ。それでも以外と簡単に登れる。


 梯子から目を右横に向けると、枝に綺麗な蜘蛛の巣がいくつも現れた。見回しても蜘蛛の主はいない。冬に備えて、もっと暖かい場所に移動したのかもしれない。


「どうか、糸を分けて下さい。お願いします」

 幾つもの糸を取るうちに、願いながら指で探ると蜘蛛の巣の端からふわりと一本の糸が浮かび上がることを知った。その理由が全くわからないけれど、女神の導きなのだと思えば恐れはない。手を伸ばして摘まみ取り、エプロンのポケットから出した糸巻きに一回りさせて結ぶ。


 右手の指が糸を摘まみ上げ、左手に持った糸巻きを指で回せば、からからと心地よい音を立てて糸が巻き取られていく。きらきらと輝く細い糸はとても丈夫で、巻いても透明感がある。


 糸巻きの一つがいっぱいになった。次の糸巻きを準備しようと思った所で、梯子の上には一つしか持ってこなかったことを思い出す。肩掛け鞄は壁際に置いたまま。


「一旦、降りないと」

 今頃になって、梯子に登ることは簡単でも降りることは難しいと知った。足元が見えない恐怖が体を硬くしてしまって、一段も降りられない。そもそも、どうやって登ってきたのかもよく覚えていない。登る時には期待が頭にいっぱいで夢中だった。


「ど、どうしたら……」

 下を確認しようにも、怖くて下を向けない。随分高い場所まで登って来た。地上までどのくらいあるのか。


「何とか降りないと」

 糸巻きをエプロンのポケットに入れ、両手でしっかりと梯子を持つ。片足を下へとそろそろと降ろした瞬間、私は脚を踏み外した。


「きゃあ!」

 落ちる。何故か時がゆっくりと進むような気がした。青い空と緑の枝。そして壁から横に倒れていく梯子が目に焼き付く。


 この高さから落ちたら、死んでしまうかもしれない。絶望が私の目を閉じさせた。


「!?」

 地面に落ちたのに衝撃だけで大した痛みはない。それは王子が私の下敷きになってくれているからだと気が付くまで時間がかかった。王子が私を抱きしめながら、地面に倒れている。


「……っ……イヴェット……大丈夫か?」

「は、はい。ありがとうご…………え?」

 自分が目にしている光景が信じられない。驚きで鼓動が早くなる。

 

 私を体で受け止めた王子の顔から、白い仮面が外れていた。

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