第39話 音止めの滝での寸劇






 3月12日巳の刻。

 志乃は土埃が舞う街道をズンズン南下していた。


 つぎなる目的地は駿府である。

 いよいよ本拠地へ乗りこむのだと思うと、いやが上にも気持ちが昂ぶってきて、圧巻の威容を誇る日ノ本一の富士山と対峙しつつ、男のような大股になっていた。


 やがて、音にも聞こえた富士宮の名勝に至った。


 ――音止めの滝。


 いまはむかしとなった建久4年(1193)。

 ときの征夷大将軍・源頼朝が富士の巻狩りを行った。

 それを知った北条時政の家臣の曾我祐成・時致兄弟は、願ってもない機会に、父・河津祐泰の仇とつけ狙っていた工藤祐経(頼朝の寵臣)を討とうと、ひそかに段取りを相談したが、滝の大騒音に邪魔されて、互いの話が少しも聞き取れない。


 そこで兄弟が一心に祈りを捧げると、凄まじい水量で落下していた滝の音がたちどころに止んで無事に本懐を遂げることができた。兄弟が身を潜めていた岩を、


 ――曾我の隠れ岩。


 と呼ぶようになった……。


 古い逸話のとおりの滝飛沫たきしぶきで汗ばんだ身を浄めているときだった。

 しとどに濡れた「曾我の隠れ岩」から、光るものを翳した忍者装束が踊り出た。


 ――キエェーイッ!


 滝音にも勝るような気合いを発し、大上段から斬りかかってくる。

 振り下ろされた刀をとっさに除けた志乃は、落下する滝の裏のわずかな隙き間にまわりこんだ。全身びしょ濡れになりながら、執拗に追いすがる賊を、苦無くないで思うさま掬い上げる。


 ――ガツッ!


 たしかな手応えがあった瞬間、白い滝飛沫が鮮血に染まった。


 ――よしっ!


 志乃が凱歌を挙げると、手負いの賊は横っ跳びに逃げ去った。

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