第18話 死者に鞭打つ謀反容疑






 猫のように丸くなり、頭上をビュービュー吹き荒れる嵐の通過をひたすら待つ。

 そんな康長を震え上がらせたのは、用意万端整った石見守の葬儀に御公儀から、


 ――待った!


 が掛かったとの急報だった。


 大久保長安が関わった前年の岡本大八事件(本多正純の与力でキリシタンの岡本大八が肥前のキリシタン大名・有馬晴信を騙して収賄を行い、大八は火刑、晴信も死罪となった)の裁決を不服とする家康側近の本多正信・正純父子が、すわ報復の時期到来とばかりに打ち揃って大御所に行った讒訴ざんそが功を奏したものらしい。


 ちなみに、関ヶ原合戦の武功で重用された本多正信は、家康が3男・秀忠に将軍職をゆずって自らは大御所を名乗り、駿府と江戸の二元政治をスタートさせると、2代将軍・秀忠附年寄を命じられて江戸詰めとなっていた。その子の正純は、父に代わる大御所の側近として駿府に従い、父子揃って幕閣の中心に入り込んでいた。


 すでに異界に渡っている大久保長安にかけられた疑惑は、主に3点だった。

 

 一、大久保家が蓄えた莫大な蓄財は、公の金銀山統括権を私した証拠である。

 二、仙台藩主・伊達政宗と図り、御公儀からの政権奪還を企んだ形跡が濃厚。

 三、大久保長安の旧主、武田家の再興を、ひそかに画策していた痕跡がある。

 

 初めの疑惑については、事情を知る立場にない部外者には口の挟みようがない。

 

 ふたつ目については、家康の6男・松平忠輝附として信濃川中島城代家老を拝命していた長安が万難を排して守り育てるべき若き主君と、政宗の長女・五郎八姫いろはひめの婚姻を取り持った。5年も前の事実を歪曲して取り沙汰したものらしい。

 

 3つめについては、織田軍に追い詰められた武田勝頼の自刃と同時期に甲斐から脱出した顕了道快(信玄の次男・海野信親の子の信道)、信松尼(信玄の6女・松姫)、仁科盛信(信玄の5男)を、領下の武蔵八王子に匿った……これまた20年以上も前の出来事が、なぜかいまごろになって大きな問題にされているらしい。


 天下のため、地方仕置きのため、さらには旧恩に報いるため積み重ねてきた事績のすべてが、没したとたんに謀反の証左にされるのでは堪ったものではなかろう。


 自身でそのように仕向けておきながら、高まる一方の人望や繁栄ぶりが癪でならなくなった大久保家を潰す機会をうかがっていた家康は、徳のある為政者として、

「かようなときに不謹慎ではないか」と諭して本多父子の讒言を退けるどころか、むしろ、卑劣な口車に積極的に乗ったものと見える。

 

「始まった葬儀を途中で中止させるとは、はなはだ不穏当な……」


 心細げにつぶやきつつ、康長が不安げな目を爺に泳がせると、「まったくもって大御所さまもまあ、なにを考えておいでのことやら。死者に鞭打つなどもろに神罰が当たりましょうに」頼られた渡辺筆頭家老もまた、十分に皺ばんでいる梅干しがさらに強烈な天日にさらされたように窄まった口もとをモグモグさせてみせたが、すがりつかんばかりの若の視線だけは、のらりくらりと巧みに避けているもよう。


 胸を粟立たせた2代目としては、肝心の爺が頼りにならないのであれば、伴三左衛門ら若手の意見も聞いてみたいところであろうが、先日の下剋上内紛の一件で、


 ――シッシッ。あっちへ下がっておれ。


 鶏を追い払うように遠ざけた以上、いまさら呼びつけるわけにもいくまい。

 すぐ先にかような事態が待ち受けているなら、老爺の言に従うのではなかった。

 この期に及んで遅ればせにほぞを噛んでみても、まさにあとの祭りである。


 こたびの思いがけない災禍が、まさか遠く信濃松本まで及ぶのではあるまいな。

 その前に、判断を誤ったばかりに天下の大悪人の嫡男に嫁がせてしまった娘の千都姫、江戸屋敷で御公儀の人質になっている妻の文月の安否が案じられてならぬ。

 

 ――はてさて、どうしたものやら……。

 

 芯の通らない小心者の心は、あれやこれやと千々に乱れているようだった。

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