レディ・リュパンの犯行

印田文明

レディ・リュパンの犯行



 1931年ものこり僅かという頃、世間を騒がせるレディ・リュパンを名乗る者からの犯行予告が届いた。




『  今夜、【ブノワの聖母】を頂戴します。


        レディ・リュパン  』




 世界通算で8件目となる。最初の1件こそ、いたずらだと思っていたという言い訳が通じたが、その後予告状が届くたびに現地の警察は狙われた美術館で厳戒態勢をしき、そしてそれを嘲笑うかのようにレディ・リュパンは目的を遂げていくのだ。

 おかげで警察の威厳は世界規模で失墜し、むしろレディ・リュパンの犯行を心待ちにする民衆が増えたことによって、彼女を英雄視する風潮すら現れた。

とはいえ、これまでの彼女の活動範囲はイギリスやイタリアの美術館が中心であったため、まさかソ連にまで来るとは思っていなかった。もっと言えば、まさかその対レディ・リュパンの警備隊長を任されることになるとは、夢にも思っていなかったのだ。


「フランツ警部、お疲れ様です。出入り口、ダクト、天井に至るまで、200人体制で完璧に封鎖しています。ネズミ1匹、いや、アリ1匹侵入できませんよ!」

 部下のアイザックがしてやったり顔で報告してきた。

「アイザック、私が今まで見た映画だと、そのセリフが吐かれた建物に侵入されなかったことはないよ。アリ1匹入れないからといって油断してはいけない」

 へーい、と気の抜けた返事が返ってきた。まったく最近の若者は上司に対する口の利き方がなっていない。


 犯行声明によると「今夜」としか書かれていないので、極寒の中、夜通しの警備になる。来るならなるべく早く来てほしいものだか、そんな気が使えるなら怪盗なんぞやっていないだろう。


 レディ・リュパンとはその名の通りアルセーヌ・リュパンをモチーフにしているのだろう。ただ、そのありようはかなり異なる。まずレディと名乗るということは恐らく女性であるということだ。もちろんそれが捜査を撹乱させるためのブラフであるという可能性も捨ててはならない。

 もう一つは、レディ・リュパンは絵画しか盗まないということだ。どうせ盗むなら金や宝石の方がいいのではと思うが、そこに何かしらの美学があるのかもしれない。


 美術館の周りを固めて2時間、時刻は夜の9時となった。しかしレディ・リュパンは姿を見せず、ただただ時間が経つのみである。あまりにも手持ち無沙汰なので同じく暇そうにしているアイザックに声をかけた。

「徐々にみんな疲れ始めているな」

「徹夜なんぞ残業で日常茶飯事ですが、何もせず外で突っ立ってるだけってのは意外と疲れるものなんですね。まだまだ夜は長いってのに」

「あえて明確な時間を予告してこなかったのは、きっと我々が疲労するのを待ってから犯行に及ぶつもりだからだろう」

 見渡せばあくびをするもの、ガムを噛んで眠気と戦っているもの、すでに舟を漕いでいるものが見えた。

「じゃあアイザック、1つ謎解きをしてみないか?」

「なぞなぞですか? さすがにそんなもんに興味が湧くような歳じゃないですよ」

「いいや、レディ・リュパンに関する謎だ」

「ほう、まあ暇ですし、付き合いますよ」

 上司からの誘いはもっと嬉しそうに快諾するものだろうが。まぁいい。

「ありがとう。それで肝心の謎なんだが、前々から1つ気になっていたことがあってな」

 アイザックは眠そうな顔をしながら聞いている。

「これまで、レディ・リュパンと思われる人物が2度目撃されていることは君も知っているだろ?」

「もちろん。どちらも身長160cm程度、普通の背格好の女だったそうですね。もっとも髪が長かったというだけで女と決めつけるのも早計すぎると思いますが」

「その通り。そんな人物がどうやって絵画を持ち出したのか、それが気になるんだ」

「これまでの犯行現場では被害にあった絵画の額縁が残されていました。いくら女の細腕でも額縁がなければ絵を運ぶのもそんなに苦ではないでしょう」

 なんだそんなことか、とでも言いたげな口調だが、私が気にしているのはそこではない。

「私が疑問に思っているのは、絵画を持ち運びながらも逃げ果せてしまうということだ。これまで被害にあった絵画はどれもそれなりの大きさがあったし、運んでいればかなり目立つはずだ。警察の厳戒態勢をかいくぐりながら運び出すことなんて可能なんだろうか」

「確かに、それは各社新聞でも議論を呼んでましたね。ついには『レディ・リュパンは魔術師なのだ!』と断言した新聞もありましたし」

「そこで1つ思いついたんだが」

 やっと興味が湧いてきたのか、アイザックが食い入るように耳を傾けている。

「キャンバスの板を外して、絵が描かれた帆布の部分だけを丸めたり畳んだりして運んだんじゃないだろうか」

アイザックは、おお、と感心したような声を出した。

「確かにそれなら可能かもしれませんね。でも」

正直完璧な答えだと思ったんだが、反論があるようだ。

「そんなことをすれば絵は間違いなく傷みます。わざわざ危険を冒して盗みに来たのに、それでは意味が無いんじゃないでしょうか? それに、犯行現場に板が残っていた、なんていう報告は一切ないですし」

完全に論破されてしまった。どうやら私は探偵には向いていないらしい。


 時刻は夜10時を回った。

「気になることといえば、俺も1ついいですか?」

「もちろん、ノってきたじゃないか」

「宝石を盗むってんなら換金も容易ですし気持ちはわかるんですが、絵なんてどこにもっていても盗品であることは明白で換金なんてできないじゃないですか。そんなもんをこんな大袈裟に盗ってどうするつもりなんですかね?」

「別に換金するとは限らないんじゃないか? 単なるコレクターなのかもしれないし、宗教的な理由で絵に執着があるのかもしれない。あるいは目立ちたいだけなのかもしれないだろ」

「なるほど、目立ちたいってだけでこんなことされたらたまったもんじゃないですけどね」

アイザックは乾いた笑いをこぼした。8件目ともなるとそろそろ動機ぐらい教えて欲しいものだ。

 会話はそこで途切れてしまい、また手持ち無沙汰になってしまった。

なぜこんなことをしているのか、どうやって運び出すのか。いくつか推論は浮かべど、レディ・リュパンの情報が少なすぎて『かもしれない』という話の域を出ない。やはり私は探偵にはなれないようだ。


 その時ふと、ある考えが頭をよぎった。そんなことあるわけがないし、あってはならない。しかし、動機まではわからないが、どうやって運び出すのかについては簡単に説明がついてしまうのだ。

 私のこの考えは極めて道理に反するものだ。私の一存だけではどうしようもない。アイザックにもこの考えを聞いてみよう。またさっきのように華麗に論破してくれるはずだ。

「アイザック、私達は大きな勘違いをしていたのかもしれない」

 そう話出そうとしたとき、蔵品が奪われたことを示すサイレンが辺りに鳴り響いた。



   ×××××××××



 私の父は厳格な人だった。

 最年少で軍の階級を駆け上がり、母と結婚し私が生まれてからも、第一線で活躍し続けたので、父は年に1度か2度帰ってくる程度だったが、それでも父の厳格や気品は尊敬に値するものだと幼心に感じていた。


 そして私が9歳になったころ、初めて父が長い休みを取った。理由は「人に戻るため」だったそうだが、まだまだ幼かった私は戦場についてよく分かっておらず、その言葉の意味が理解できていなかったように思う。

 その休みを利用して、私の家族は初めて一家揃ってのお出かけをしたのだ。行き先はルーブル美術館で、いささか子供には退屈な場所に思えたが、父と一緒に出かけられるという喜びが何よりも大きかった。

 彫刻、ステンドグラス、絵画なんかを順繰りに見て回り、その1つ1つに父が歴史的背景や神話についての説明を加える。その説明は当然理解が及ばないものであったが、父の博識な一面を見て、一層尊敬した。

 一定のペースで観覧していたが、ある作品の前で父が急に足を止めた。さっきまでのように説明をしてくれるのを傍で待っていたが、一向に動こうとしない。

 1時間経ってもそこから動かないので、どうしても待ちきれなかった私は父に諫言した。

「お父様、どうしてずっと立ち止まっていらっしゃるのですか」

 そう言って父の顔を見上げたとき、私は戦慄した。



 あれほどの厳格だった父の顔が愉悦に染まり、醜く下卑た笑顔だったからである。

 それだけならまだしも、あろうことか父は小刻みに震え、失禁までしていた。


 

 その絵とは、ダヴィンチの『モナ・リザ』である。



 そのお出かけを境に、父はすっかり壊れてしまった。仕事を辞め、たくさんあったお金も全て絵画を買い集めるのに使う。父に一目置いていた人々はすぐに手のひらを返し、「前々から変な奴だと思っていた」と口々に言った。無論我が家は没落し、父が作った借金を返すだけの日々がはじまったのだ。

 だから私は、絵画を、『モナ・リザ』を許さない。



 犯行自体は簡単だ。いくら警察といえど、長時間外で待たされれば気の緩みがでるし、そもそも絵なんて本気で守ろうなどという警官は一握りしかいないだろう。美術館に忍び込むときにはそういう隙を攻めるので、そんなに苦労はしない。次に『ブノワの聖母』の回りにいる警官たちが気づかないように排気口から催眠ガスをそーっとから充満させる。あとは額からキャンバスを外して、これ見よがしに額を置いておく。これで犯行はほぼ完成。

 きっと無能な警察たちはここからどうやって絵を運び出すのかと考えているのだろう。ふふっ。


 次に私が向かうのはトイレだ。そこでまずキャンバスから板を外す。本来ならここでペンチを取り出し、キャンバスの周りの釘を抜くわけだが、私はそんなことはしない。使うのはカッターだ。


 私は『ブノワの聖母』をにした。


 ミス・リュパンは絵画を盗っている、というのは私の思惑通りの勘違いである。リュパンなんていう大層な先達の名を借りたのも、わざわざ『頂戴します』なんていう予告状を出すのも、民衆や警察に「ミス・リュパンは怪盗である」というイメージを抱かせるためである。

 残念ながら私の目的は「盗る」ことではなく「壊す」こと。

 私はバラバラに切り裂いた『ブノワの聖母』をトイレに流した。

 残った板も可能な限りへし折って木片にする。あとはそれをゴミ箱に入れるなり、植木に投げ込むなりすればいい。それが発見されたとしても、それはもはやただの木片であり、ましてやそれが『ブノワの聖母』であったなどと気付く者などいないのである。


 あとはわざと警報を鳴らしてトンズラする。一歩外に出てしまえば、「犯人は絵を抱えている」という先入観から、まず怪しまれることはない。ああ、今回も完璧だった。


 とはいえここまでは練習、前哨戦なのだ。そろそろ本命の『モナ・リザ』を壊しに行こう。そのときはトイレに流したりしてやらない。バラバラになった『モナ・リザ』を、ルーブル美術館の上から撒いてやるのだ。


 そうして人々に分からせなければならない。「お前たちが感動だなんだとぬかしているそれはただのキャンバスの上のシミである」と。そんなものに感銘を受けたり、ましてや人生を左右されることなどあってはならないのだと。




『モナ・リザ』さえなければ、父は完璧であったのだと。




〈了〉

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