スペードのエース

Rosso

第1話

「転校しなさい、りえ」

「え?」

「お母さんからの命令。お父さんも承諾済み」

「え、え?」

 それはある日突然始まった私の戦争の記録。

「一人暮らしでね。はいこれ小切手」

「ええええええええええええ」

 私の孤独な孤独な、たった一人の戦いの記録。



♠♠♠



「今日から転校してきた天崎りえです。よろしくお願いします」

 彼女の転校に、クラスの全員が湧いて歓迎する。

 血液型は?誕生日は?好きな食べ物は?恋人はいるのか?

 そういった一般的な質問から、結構コアな質問まで……。

「天崎りえ……りえちゃん?」

 そのうち、一人の女生徒が席を立つ。

「覚えてない?!私、しのぶ!佐倉しのぶ!!幼稚園で一緒だった……!!」

「うーん、ごめん、覚えてないわ。でも、幼稚園が一緒だったなら一緒に遊んだことくらいあるわよね」

「勿論!!そっか、覚えてないか……りえがいなくなって寂しかったのにな……」

 しのぶという少女が肩を落とす。

「これから仲良くしてくれると嬉しいわ?よろしく、佐倉しのぶさん」

 だが、りえの言葉に次の瞬間には満面の笑顔になって、彼女を見た。

「うん!ありがとう、りえ!!」

 拍手が上がる。感動の再会だ。

「教室の席はああ、今日はあそこ、四人席の端っこだから、覚えておくように。番号は五十八番な」

「今日?番号?」

 教師の言葉にりえが首を傾げる。

 見れば、確かに教室の席は奇妙に歪んでいた。

 二つの席もあれば、一番後ろの席は、何故か三人用テーブルに四人分椅子が置かれていて共有で使わされている。

 そして机と椅子には番号が振られ、空いている一番後ろの三人用テーブルからはみ出している椅子には“五十八番”と油性インクのマジックでデカデカと書かれていた。

「そう、ここでは席替えが頻繁なんだ。あと自分の椅子が誰かに使われていたら座れないから、失くすなよ」

「……はい」

 りえはただ頷いて三人用席に向かう。

 五十八番、天崎りえは、こうしてこの再果(さいか)高校二年Z組の一員となったのだった。



♠♠♠



【一日目 一限 調理実習】

「今日は、チョコを作りましょう!!」

 高らかに家庭科の先生が歌うような声を張り上げる。

「この暑い時期にチョコなんて溶けるんんじゃないの?」

 季節は夏。じーわじーわと外で蝉の鳴く声を聞きながら小声で呟いたりえの言葉を拾って、一人の女生徒がこそりと教えてくれた。

「ここでは先生の気分で作るものが決まるの。大丈夫、材料費とかは全部学校持ちだから」

「へー……」

「私、佐々木小雪。よろしくね、りえちゃん」

 小柄なショートカットの少女はにこりと笑う。

「私、友達多いほうだから、色々相談してくれていいよ!役に立つと思う」

「あら、そう?じゃあ頼りにしているわ」

「そこ、おしゃべりも程々に手を動かしなさーい!!」

「はーい!!」

 りえの代わりも務めんとばかりに小雪が声を張り上げる。

 くすくすと笑う声が調理実習室に満ちたが嫌な雰囲気ではない。

 どちらかと言うとやり取りを楽しんでいるような、そんなほのぼのとした笑いだった。

「今日のチョコはボンボンを使ってチョコペンで飾り付けをする簡単なものです。皆さんの机にはそれぞれチョコペンと既に完成済みのボンボンが置かれています。それをこんな風に……」

 教師が壇上で見えるように、チョコペンを使って波打ち線を何本も重ねて飾り付けをする。

「このように飾り付けてください」

「いっそボンボンを手作りしろって言わないと調理実習の意味がないと思うんだけど」

「りえちゃん、聞こえるよ」

 りえに小雪が小さくツッコミをいれる。

「それより、早く飾り付けして終わらせちゃお」

「って、四人でこの小さなバットを使うの?」

 りえの前には、どう見ても四人で使うには小さいバットに、大きなボンボンが四つ置かれていた。

 チョコペンも四つ、机も三人用を今回もまた無理やり四人で使っているため狭い。

 だが小雪は何の疑いもなさそうな顔で笑って言った。

「そうだよ、三人用のバットを四人で使うの。教室の席とおんなじだよ」

「……」

「りえちゃん?」

「これじゃあ隣の人とチョコペンの模様が被っちゃうわ」

「そこは上手にしないとね!」

「上手にって……」

 にこにこ。にこにこ。

 小雪は笑っている。他の二人の男子生徒も笑っている。

 可笑しいのはりえの方だと言わんばかりに爽やかににこやかに笑っている。

 ため息をついて、りえはチョコペンを手にとった。

「……始めましょう」



♠♠♠



「案の定、被ったわね。小雪の、綺麗に出来てたのにごめんなさいね」

 授業後、そのチョコは明日も持ってくるようにと何故か言われ、箱に詰めて渡された。

 りえの申し訳無さそうな謝罪に、小雪が口を尖らせ頬を膨らます。

「ホントだよ、りえちゃん下手なんだね」

「……小雪?」

「あーあ、せっかくの綺麗な模様が台無し。点数、貰えるかなあ」

「……」

「りえちゃんのせいだからね。反省してよね」

 きっと睨まれて、その変貌ぶりにりえは内心驚く。

 目を何度か瞬かせて、ようやっと謝罪の言葉を口にした。

「……ええ、ごめんなさい……」

「点数もらえなかったら罰金なんだからね。その時はりえちゃんに借金背負ってもらうから」

「借金?罰金?」

 学校では聞き慣れない言葉にりえが再度瞬く。

「そう、学校も経営苦しいから」

「それなのに学校持ちで授業を受けるの?」

 そう、次の授業は数学なのだが、教室に戻るとりえの持ってきた荷物は財布と外側の鞄だけを残して一切が消えていた。

 すわ盗難かと慌てたときに、小雪が「それ先生の仕業だから安心して」と言ってきたのだ。

 曰く、筆記用具もノートも全て貸し出し制で、授業後は先生にそれを返却するらしい。

 りえの鞄の中身は授業に必要ないものとして没収されただけで、帰りに職員室に取りに行けば戻ってくるよとのこと。

 財布の中身も確認したが、一銭も変わっていなかったため、本当なのだろう。

「そうだよ。それがこの学校のルール」

 りえの困惑をよそに、小雪は当たり前の顔をしている。

「だから次の授業の準備は必要ないの。ねえねえ、りえちゃん、今日帰りにカラオケ寄っていかない?」

「え、ええ、……いいけど」

「やった。じゃあねえ、財布の中身見せて」

「え?」

「だから、財布の中身、見せて」

 小雪はさも当然という風に詰め寄ってくる。

 小雪の手には既に自分の財布が握られており、開封する気満々のようだった。

 渋々、りえも自分の財布を鞄から取り出す。

 そして三人用机の上に二人してお金を並べる事になった。

「えーっと、私は千円札が三枚で……」

「りえちゃん、数え方が違うよー」

「え?」

 小雪がケラケラと笑って自分のお札と小銭を数えだす。

「印刷ミス十円が一個、穴開けズレ五十円が一個、印刷ズレ千円札が二枚、あ、昭和六十一年のギザ十があったんだった、ラッキー!」

「こ、小雪?」

「んー?なあにい?」

「その、数え方って、何……?」

「何って、お金の数え方だよ。希少性のあるものほど価値が高いの。あー一万円は普通のピン札かあ……じゃあこれは価値無しっと」

 新品の一万円札を、つまらなさそうに摘み上げて、さっさと財布に戻す小雪。

 それは本当にゴミを見るような目で……りえは背筋が寒くなるのを感じずには居られなかった。

「……」

「りえちゃんのは……あはっ、全然価値ないじゃん。じゃあ今日はりえちゃんの奢りね。負けたんだから」

「ま、負け……?」

「勝負の世界は厳しいのだよ、りえちゃん」

 無い胸を張って偉そうに言い切る小雪に、りえは反論の声を失くす。

「……わかったわ、今日は私の奢り」

「あはっ、物分りが良くてりえちゃん偉い偉い。これならすぐ、この学校でもやっていけるようになるよ」

「……」

 一生わからなくていいわ、とりえは言いたいのを堪えるのに必死だった。



♠♠♠



【一日目 三限 体育】

「走れー!!!」

 体育教師の怒号が響き渡る運動場で、生徒は何周もトラックを走らされる。

 三限目はマラソンだった。

 暑い中のマラソンは体に堪える。

 途中で水を飲むことは許されているものの、時間をきっちり計られて、時間以内に飲まなくてはいけなかった。

 きつい、とりえは思う。

 だが、この学校は何もかもがおかしい。

 おかしい中で、この普通さは何とも心地よかった。

 今は小雪もいない。小雪は体が小さく、りえよりも随分後ろを走っているからだ。

 ただ一人の時間をりえは満喫していた。 

「りえ」

「……っ」

「私よ、しのぶ。幼稚園のときみたいに一緒に走りましょう?」

 孤独の時間はすぐに終わった。

 いつの間にか追いついてきていたらしいしのぶに腕が捕まり、りえは強制的にスピードを落とさせられる。

「ちょっと……」

「何?いいでしょ、別にタイムを測っているわけじゃないんだもの、ゆっくり行きましょ」

 にこりと無邪気に微笑まれて、りえは軽く下唇を噛んだが、それでもなんとか頷いた。

「本当に覚えてないの?あんなに一緒に遊んだのに」

「ええ……幼稚園の頃のことはあんまり覚えてないの。しのぶのことも……悪いけど」

「まあ小さいときのことだもんね。許してあげる。でもりえは変わってなくてよかった。誕生日を聞いてすぐに分かったわ」

 息を切らし走りながら、しのぶは口元だけで微笑みを浮かべている。

 その横顔に嘘はないように思えた。

「りえに会えて本当に良かった。この学校、変わってるでしょ」

「え、ええ……」

「戸惑うことも多いと思うけど、何でも聞いてね。私はりえの味方だから」

「……ええ」

「信用しきってないって顔ね」

「そんなこと」

「じゃあ、いいことを二つ教えてあげる」

「いいこと?」

 しのぶの言葉を反芻して、りえは走りながらしのぶの様子を伺う。

 汗こそ滝のように流しながら、涼しい顔をするしのぶの横顔を。

「この学校にはいぬとねこがいるの。どっちも階段に棲んでいるから、!“遭って”みるといいわ」

「犬と猫?飼っているの?」

「違うわ、棲んでいるの」

「……」

「その時には、学校をサボろうなんて思っちゃ駄目。いぬは兎も角、ねこはそういうの、敏感だから騙せないわよ」

「……」

「もうすぐゴールね。じゃ、お先」

 ぱっと手を離されて、しのぶは颯爽と前を往く。

 その背を見送りながら、りえは考え事をしていた。



♠♠♠



 昼休み。

 お弁当も没収されていたのでりえは結局学食に行くことになった。

 学食では確かに歪んだ硬貨や印刷ミスのお札、年代によっても価値が違うらしく、細かな金額表が張り出されて目利きのおばちゃんたちが目を光らせていた。

 当然、券売機などはナシ。

 そしてこれも当然、まっとうなお金しか持ってこなかったりえは何一つ買うことが出来ず、学食を後にするしかなかった。

――階段。

 思い出したのは、先程しのぶから聞いた話。

――どこの階段だろう。

 肝心なそこを言うことなく去って言った彼女。

――探してみよう。

 思い立って、時間の出来た穴埋めのように学校中を散策する。

 だが、犬も猫も見当たらない。

 ただ。

「……」

「……」

 無言で二人の少女が見つめ合う。

 一つはりえの視線だ。

 もう一つは、階段に鎖で繋がれた、少女の視線だ。

 りえの視線は上から。鎖の少女の視線は下から。

 階段を挟んで、ぶつかり合う。

「……まさか、貴女が犬?」

「わう」

「……」

 答えるように鳴かれて、りえは戸惑った。

 学校の階段は学舎の両脇と真ん中の三つ。そのうちの、校門に直結する真ん中の階段の一番下に彼女は居た。

「貴女、名前は?」

「いぬ」

「そうじゃなくて、名前……」

「いぬ、と呼ばれている」

 いぬはいぬとしか答えない。

 彼女の名前はどうやらいぬらしい。

 同じ制服を着ていながら、鎖と首輪で階段に繋がれた、少女。いぬ。

「いぬはいぬ以外に名前はない」

「……そう。……じゃあ、猫の居場所を知っているかしら」

「ねこの居場所は分からない。猫の棲家は知っている」

「そう」

「ねこの棲家は屋上へ続く階段の下。ねこは気儘に動く。いぬは黙ってここで番をする」

「番?」

「脱走者が出ないように」

 じゃらりと鎖を鳴らしていぬは歯を剥く。

「お前は脱走者か?」

「……いいえ、違うわ。今日ここに来たばかりの新参者よ」

「……そうか」

 唸るのを止めて、いぬは少しだけほっとしたように息を吐いた。

「よかった。お前はきれいだからあまり傷つけたくない」

「傷つける?」

「……お前、ここのこと何も知らないんだな」

「ええ」

 頷くと、いぬは少し考えるように腕を組んで首を捻っていたが、やがて決心したように一人で頷く。

「お前は正直そうだから教えてやる。ここでは人間を誰も信じるな」

「人間を?」

「そうだ」

「どうして?」

「人間は騙す生き物だからだ」

「……貴女のことも?」

「いぬはいぬだから大丈夫だ」

「その言葉を信用するに足ることが何もないわ」

「うー、いぬはいぬだからいぬの言葉は信用して大丈夫だ」

「……」

「ううー。いぬはいぬだからいぬの言うことは……」

「わかった、わかったわ。もういいから」

 困ったように眉尻を下げて力説する下からの目線に負けたのはりえの方だった。

「貴女のことは、信じるわ」

「ありがとう!いぬは嬉しい!」

「……」

「いぬは鼻も利くし耳もいい。“うんどうのうりょく”だってばつぐんだ。何かあれば役に立つ」

「でもここから動けないのでしょう?」

「ここから動けないんじゃない、動かないんだ。いぬは“ちゅうけん”だからな」

「……」

 たん、たん、たん、と音を響かせてりえは階段を降りる。

 そして、彼女を縛っている鎖の先をそっと調べてみた。

「……簡単に、解けるわね」

 繋がれた鎖はただ階段の手摺に絡みつかせているだけで、強く引っ張れば取れそうなものだった。

「だろう。いぬは“ちゅうけん”だからここにいるんだ」

「忠犬……」

 誇らしげないぬとは対象的に、階段の中ほどで立ち止まったりえは少し顎に手を当てて考える。

 そして、何を思ったか、階段の中途から一気に下に飛び降りた。

「うわっ」

 たんっ!と一際大きな足音を響かせてりえが危なげなくいぬのいる踊り場に着地する。

「危ないな!怪我をしたらどうするつもりなんだ」

「あら、心配はご無用だわ。私、飛べるところしか飛ばないもの」

 にぃっと口端を歪めてりえは笑った。

 その表情を見て、いぬはぽかんと口を開ける。

「お前、結構悪いやつ?」

「さあね。聖人君子ではないわ」

「……いぬの敵?」

「いいえ、いぬ。私は――」

 鎖を引っ張り、りえは階段から鎖を解く。

「私は貴女の主人になるわ」



♠♠♠



「ああお母さん?順調っていうか、凄いところに放り込んでくれたものね。準備は進んでる?」

 その日の帰り道、りえは母親に連絡をとっていた。

「うん……うん、……そう。……じゃ、もういいのね?私が私に戻っても。ええ、いいものも見つけたし。……うん、うん、事が起こったら、行動するから大丈夫。……もう、心配くらいしてよね」

 アパートの前に着き、鍵を開ける。

 中から鍵とチェーンを掛け、靴を脱ぐ。

 部屋は暗いままだが、りえは気にした様子はなかった。

「ああ、でも即刻用意してほしいものがあるの。価値のある硬貨……って言えば伝わるかしら。数千円分でいいから、年代物のギザ十だったり印刷ミスのお札だったり、そういうの集めてくれない?明日朝一番で取りに行くから。それがないと学校で正直やりにくいのよ……」

 ベッドに制服のままダイブして、布団の感触を楽しむ。

「うん、始発で行くから学校には間に合うわ。じゃあね、愛してるわ」

 ピッ。

 電子音が響き、りえはスマホをベッドの充電器に差し込むとそのまま目を閉じた。



♠♠♠



「……五十八番の椅子がない」

 朝一番に教室に着いたりえは、自分が一番最初に座っていた席に、自分の椅子がないことに気がついた。

 全ての椅子を確認しても五十八番の椅子だけがない。

「……さっそく、か」

「おはよう、りえちゃん!朝早いんだねー!!」

「小雪」

 りえの次に教室に入ってきたのは小雪だった。男子生徒を一人連れている。

「早いわね」

「今日日直だから。でも、どうしたの?何か困ってるみたい?」

「ええ、五十八番の椅子がないの」

「ええええええ!!!!それは大変だよ!!!!」

「どう、大変なのかしら」

 小雪と、後ろに控えていた男子生徒の驚きようにりえが首を傾げた。

「罰金だよ罰金。罰金十万円!買い直すのに必要だからね!!」

「椅子一つに十万円?」

「ほら、この学校経営が苦しいから」

「……ふうん」

「……慌てないんだね」

 小雪の声が、少しつまらなさそうに低くなる。

「もっと慌てるかと思ったのに」

「貴女が犯人?」

「違うよ。だって昨日、一緒にカラオケ行ったでしょ。そのときにはまだ椅子はあった」

「そうね」

「だから、私は犯人じゃない」

「そうね」

「わかってくれて嬉しいよー」

 小雪がニッコリと微笑む。

 対するりえは冷えた目でその笑顔を見ていた。

「でも、誰だろうね。椅子を隠したの」

「隠したってどうして分かるのかしら。捨てたのかもしれなくてよ?」

「捨てるにはあの椅子は目立ちすぎるよ」

「……そうね」

「カマかけならもっと上手くしないと、“食われる”よ、りえちゃん」

「……とりあえず、先生に報告するわ。このままじゃ授業も受けられない」

「そうだね、仮の椅子を貸してくれるかもしれないしね。行ってらっしゃい、りえちゃん」

 職員室に向かうために教室を出ようとするりえに、すれ違いざま小雪が笑いかける。

「チョコレート、溶けないといいね」



♠♠♠



【二日目 一限 調理実習】

「昨日のチョコレートは皆持ってきてるわねー?」

 家庭科の先生の声が今日も歌うように響き渡る。

「保冷剤はバッチリ?家でもちゃんと冷やしてた?溶けてたら、わかってるわよねえ?」

 そう言いながら、一人ひとりチェックしていく。

 そしてりえの番で、ぴたりと足を止めた。

「これは何かしら」

「昨日のチョコレートです」

 りえは涼しい顔で答える。

 けれど家庭科の教師は眉間の皺をますます濃くし、目尻を釣り上げた。

「平べったくなっているけれど」

「この暑さで見事に溶けました」

「保冷剤は?」

「今朝、職員室に行ったら冷房がついていなかったのでそこでもう溶けたみたいです」

「……」

「申し訳ありません」

「罰金、十万円」

「はい?」

「罰金十万円を言い渡します。天崎りえ」

 にっこりと微笑んで、家庭科教師が言い放つ。

「椅子を無くした十万円に加え、課題不提出として罰金十万円、合計二十万円の罰金を科します」

「そんな額、払えません」

「親御さんに頼むのですね。では次」

「……」

 にべのない一言で家庭科教師は次の課題を見に行ってしまった。

 隣では小雪がくすくすと笑っている。

 少し離れたところで、しのぶの心配そうな顔が見えた。

 りえは、その二つの顔を見比べながら、一つ息を吐いた。



♠♠♠



「授業は?サボりか」

「いいえ、追い出されたのよ」

 いぬの唸り声に、りえは静かな声で答える。

 階上と、階下。最初に出会ったのと同じ場所で。

「こんにちは、いぬ」

「……いぬにこんにちはなんて言うやつ初めて見た」

「いつもは?」

「無視される」

「まあそうでしょうね」

 いつもここにいるのだ。彼女はこの学校にとって風景の一部にしかなっていないのだろう。

「これから猫のところへ行ってくるわ」

「ねこは寝床にいるとは限らない」

「猫なら校内のどこかにいるでしょう。探してみるわ。幸い、時間はたっぷり貰えたのだし」

「……」

 何か言おうとするようにいぬが口を開き、そして閉じた。

「何?」

「……あんまり、ねこのところはおすすめしない」

 促すようにりえが問いかけると、モゴモゴしながら、手ももじもじしながら、いぬは俯いたまま呟いた。

「ねこは、人間に近いから」

「そうね、猫は人を騙すものね」

「知っているのか」

「本物の猫の方の話よ。猫もきっと人間なのでしょう?」

「ねこはねこだ」

「はいはい」

 りえの予想が正しければ、猫もねこという人間なのだろう。

 首輪と鈴をつけ、多分、犬が門番なら、彼女か彼かはわからないが、ねこは遊撃。

 この学校は、まさしく監獄なのだ。

「ということで、無事を祈ってて頂戴」

「……あの」

「?」

 踵を返したりえに、いぬが顔を上げて呼び止める。

「いぬは、お前のことをなんと呼べばいい……?」

「……そうね」

 りえは手摺を握り、体は既にいぬから背けたまま、顔だけをそちらに向けて笑った。

「御主人様と、呼びなさい」



♠♠♠



 ねこはすぐに見つかった。

「お前が噂の転校生にゃあ?」

 何故なら、寝床で惰眠を貪っていたからだ。

「噂かどうかは知らないわね」

「転校二日目にして二十万の借金を負った転校生が噂にならないわけがないにゃあ」

 制服を大幅に改造した格好で、少女――ねこは笑う。

 短いスカート、左右で色の違うボーダーソックス、棘のたくさんついた首輪に、似付かわしくない可愛らしい鈴の音。

「学校を逃げ出したくなったにゃあ?」

「まさか。逃げ出したら貴女が追いかけて来るんでしょう?」

「気が向いたらにゃあ」

「その気はそらすことも出来るのかしら」

「ツナ缶とマヨネーズで誤魔化すことも出来るかもにゃあ」

「じゃあ買ってくるわ」

「嘘にゃ」

「でしょうね」

「……お前、やりにくいにゃあ」

 ねこが目を細める。

「何か企んでいる者の匂いがするにゃあ」

「鼻が利くのね」

「……この学校をどうする気にゃあ?」

「ぶっ潰すわ」

 さらりとりえは答えた。

「世間的にも、社会的にも、物理的にも、精神的にも、完全に破壊するわ。貴女も」

「……」

「私を御主人様と呼んで懐くなら貴女は助けてあげてもいい」

「御主人様~ごろにゃあん、って?」

「呼ぶ気はなさそうね」

 態とらしい仕草に、りえは肩を竦めてみせる。

「ねこは誰にも仕えないにゃあ。ねこは家に居着くものにゃあ」

「そう」

「家をなくしたら別の家を探すだけにゃ」

「そう」

「……いつにゃ?」

「早ければ今日」

「……ねこは止めるにゃ」

「喜んで」

「いぬも止めるにゃ」

「それはどうかしら」

「……確かににゃあ」

 ねこは考え込むように目を閉じて、ふわあと大きく欠伸をした。

 屋上までの階段下の寝床は、階段をくり抜いて作られており、毛布やら布の切れ端やらゲーム機やらでいぬの剥き出し感に比べると余程居心地良さそうに見える。

 首輪に鎖がついていないからかもしれないが。

「いぬは人につくものにゃ」

「あの子はここには勿体ないわ」

「そんな事を言う人間は後にも先にもお前一人にゃあ」

「そうね」

「自覚があるのがたちが悪いにゃあ……」

「ふふ」

 ねことの会話で、初めてりえが笑った。

 その笑みはある意味歳相応で、ある意味悪戯をする前のような危うさがある。

「……怖いにゃあ。関わりたくないにゃあ」

「じゃあ関わらなきゃいいわ」

「そういうわけにもいかないにゃあ」

「でしょうね」

「本当にたちが悪いにゃあ……」

「じゃあ、私は行くわ。いぬと待ち合わせをしているの」

 ふわぁ、と二度目の欠伸をねこはした。

「好きにするにゃ」

 そして体を丸まらせて、そのまますうすうと寝息を立て始める。

 それを確認してから、りえはその場を立ち去った。



♠♠♠



【二日目 四限 科学】

「お前が噂の問題児転校生か」

「問題児になった覚えはありませんが」

「成程、問題児だな」

 科学教師は眼鏡をくいっと中指で押し上げて笑う。

「反抗的な目をしている」

「従順ですよ、これでも」

「はっ!」

 ぐい、と顎を捕まれりえは無理やり席を立たされる。

 五十八番と書かれた質素な丸椅子がガランと音を立てて倒れた。

「この学校は、金と教師の言葉が全てだ。それを教えてやろうか、ああ?」

「やめてください」

「微塵もそう思ってない声で言われてもな」

「やめてください」

「……ふん、つまらん」

 ぱっと手を離されて、りえはたたらを踏む。

「怯えの一つでもすればいいのに」

「恐ろしくはないですから」

「……本当に可愛くないガキだ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「……授業を始める!全員、前に筆記用具とノートを取りに来るように!!」

 心底つまらなさそうに鼻を鳴らして、科学教師は壇上へと戻っていった。



♠♠♠



「今日はお金、持ってきたんだ」

 小雪が話しかけてきたのは学食だった。

「ええ、学んだから」

「一日で用意できるなんて凄いね」

「実はマニアが知り合いにいて、譲ってもらったの」

「へえ、幾らで?」

「内緒」

「ずるぅい」

 小雪はハンバーグ定食を持ったままくねくねと体を捩らせた。

「教えてくれたっていいじゃん、友達でしょう?」

「友達にだって教えたくないことの一つや二つあって当然だわ」

「色々教えてあげたのにぃ」

「ええ、本当に。おかげで」

 そう言って、りえはいきなり食べかけのナポリタンを小雪の顔にぶちまけた。

「ぎゃあっ!!」

「……私も、裏切る覚悟が出来たわ。熱くはないでしょう?十分に冷ましておいたから」

「お、お前……!!!」

 ケチャップでどろどろになった顔面と、思わず落としてしまったハンバーグ定食で汚れたスカートと足元に小雪は怒りの表情でぶるぶると震えている。

 それを見ながらも涼しい顔で立ち上がったりえの椅子には、三十五番と書かれていた。

「それっ……あたしの席……!!」

「あなたがいつまでもウロウロしているのを見るのは気分が良かったわ。自分の席を移動させられて先に座られてたらわからなくなるものね」

「……っ!!」

「小雪。それから、しのぶ。聞いているんでしょう。出てきなさい」

「あら、バレていたのね」

 ざわついた学食の輪の中から、しのぶが顔を出す。

「幼馴染に何か用かしら」

「私に貴女みたいな幼馴染はいないわ」

 きっぱりとりえが言い放つ。

「だって私、“幼稚園に通ったことがない”んだもの」

「はっ!」

 しのぶが蓮っ葉な口調で吹き出す。

「なら、今までのは全部芝居?」

「そうよ。利用させてもらったわ。それから、椅子を盗んだのも貴女ね」

「どうして?」

「他の子達には私を貶める理由がないからよ、私の味方さん」

「……」

 しのぶはただうっすらと笑みを浮かべたまま黙っていた。

「いい手よね。味方だ味方だとすり寄って、そのくせ裏では情報を探ってどんどん貶めていく。私に手を出すのは随分早かったようだけど、何か理由でもあったのかしら」

「……貴女には危険な匂いがしたの。早々に学校を出ていってもらいたいような」

「そう、安心して。今日限りで出ていくから」

「え」

「宣言してあげる。今日限りで私はこの学校を抜け出す!いぬもねこも関係ない、借金だって関係ない、私は今日、自由になる!!」

 学食の真ん中で、輪の真ん中で、りえは声高らかに宣言をする。

 それはなにかの洗礼のように、しんと水を打ったような静けさの中に響き渡った。

「……っふ、あはは、あははははははははは!!!!!!」

 その静けさを打ち破ったのはしのぶの笑い声だった。

 続くように、学生達、そして教師達が一斉に笑いだす。

「馬鹿なことを。退学届でも出したつもり?そんなの受理されるはずが」

「受理されてもされなくても関係ないのよ」

「何?」

「今日この学校は滅ぶのだから」

「滅ぶ……?」

 しのぶの怪訝そうな声と、小雪のどこか不安そうな声が笑い声を微かに打ち消した。

 その動揺を縫うように、りえは輪の薄いところを狙って走り出す。

 人を押しのけ、掻き分け、そして突き飛ばして。

 りえは、走る。

「ま、待て!!」

 あまりの疾さに反応が追いつけなかったしのぶ達が生徒がまず声を上げて後を追い、続いて教師達も走り出す。

 だがスタートダッシュの差はあまりにも大きかった。

 学食を抜け、廊下を走り、階段を駆け下りる。

 中央階段。

 真っ直ぐに、いぬの待つ階下へと走っていく。

「いぬ!!来たわよ!!」

「止めてみせる!!いぬの使命のために!!」

 最終階段で、いぬが階段をすごいスピードで駆け上がってくる。それを踊り場で息を切らしたりえがじっと見つめ。

「はあっ!!」

 後ろに少し下がり、いぬが踊り場に着いてそのその伸ばしっぱなしで鋭い爪をりえの顔に振り下ろす瞬間、りえは疾走した。

 そして。

「飛んっ……?!」

 いぬが驚愕の声で振り向く。

 りえは、階段の一番上を踏切台に、階下まで一気に飛び降りる。

 ふわりとした浮遊感と、心臓が浮くような不快感、着地に失敗したらという不安感が一斉にりえを襲う。

 それらに打ち勝ち、だんっ!と大きな音を立ててりえは両足で階下に着地した。

「言ったでしょう、いぬ」

 遅れてやってきた生徒達と教師達が辿り着く前に、いぬの鎖を引き解く。

 荒い息と少しの冷や汗をそのままに、ニィっと口を三日月の形にする。

「私は、飛べるところしか飛ばないのよ」

「!!」

「貴女はどうかしら、いぬ。この距離を飛べる?!」

 ぐいっと思い切り、りえはいぬの鎖を引っ張る。

 それは力強い呼び声だった。

「……飛べる!!」

 いぬは不安定な体勢のまま、飛んだ。

 首輪に導かれるまま、飛んだ。

 そして、手を広げたりえの腕の中に飛び込んだ。

「いらっしゃい、いぬ」

「うん、ご主人様!!」

 すり、とりえの顔にいぬは顔を寄せる。

 まるで待ち焦がれた主人を見つけたように、少女は少女に甘えていた。

「いぬ!!そいつを捕まえなさい!!」

「嫌だ!!ご主人様は、いぬと一緒にここを出るって言ってくれた!!」

 追いついたしのぶが叫ぶ。

 いぬが叫び返す。

 その言葉に、しのぶではなく教師達がざわめく。

「いぬはご主人様と一緒に外へ出て、けーきを食べるんだ!!」

「け、ケーキ?」

「ケーキごときに釣られたというのか、駄犬が!!」

「いぬは“ちゅうけん”だ!!ご主人様の、“ちゅうけん”だ”!!」

「そうよ、可愛いいぬ。……出たら、名前もあげましょうね」

 腕の中にすっぽりと収まった少女の頭を撫でて、りえはその額にキスをする。

「うにゃあ。お熱いことにゃあ」

「ねこ!!」

 教師達が再びざわめく。

 今度は、期待に。

 廊下の端からぬっと顔を出して歩み寄ってくるねこにいぬはりえの腕の中から警戒し、唸り声を上げる。

 だがねこは介した様子はない。

 ただふらふらと、ゆらゆらと、りえたちの方へ歩み寄ってくる。

「追え、逃がすな、そいつらを捕らえて嬲り殺せ!!」

「うにゃあん、……ねずみだけならそうしたけどにゃあ」

「ぐるるるる…………」

「……いぬは嫌いにゃ」

 ぴたり、ある程度の距離をおいて、ねこは歩みを止めた。

「役立たずが!!!」

「ねこは私が止めたのですよ」

 教師陣の罵声につーんとすましていたねこが、その声を聞いてたっと走り出す。

「校長?!」

「ほっほっほ、彼女は私の上客でねえ……いぬの買取人としてここに来てくれたのですよ。幸いにして借金もしてくれましたし……彼女自身の身代金も払ってくれるという」

「?!」

 教師達がどよめき、静まり返る。

 生徒達はまだ話についていけていないようで、どういうことだと互いに囁き合う。

 その中で、ねこを足元に従えた小太りの男――校長は、廊下をゆっくりと歩いてりえの元へ近寄った。

「校長、約束の額よ。借金二十万といぬの買取金額八百万、私の金額一千万。切りが悪いから迷惑料として三十万上乗せした小切手を渡しておくわね」

「ご主人様……?」

「ごめんなさいね、いぬ。ちょっとだけ離れてて」

 りえは腕を解いて、犬を解放する。

 そしてその空いた両手でポケットから小切手の束を出し、隠し持っていた制服裏ポケットのペンでサラサラと金額を書き込んで一枚千切り渡した。

 その額面を確認した校長はにんまりと笑みを浮かべてそれを大事そうに抱え込む。

「確かに頂きました」

「早めに換金することね。この学校はもう終わりだから」

「え?」

 再びいぬを抱きしめながら、りえがうっそりと微笑む。

「言ってなかったかしら?私の両親、教育委員会の会長と警視総監なの。この学校の報告はもう済んじゃったから」

「え、ええっ!?き、聞いてない、そんな話は聞いてないぞ……!!」

 小太りの校長はその顎の肉をぶるぶると震わせながら首を横に振った。

「そんな、じゃあ私は……!!」

「破滅する前に豪遊することね。あとは証拠隠しに奔走しなさい」

 がっくりとその場に膝をつく校長を後に、りえはその手にいぬを抱いたまま風を切って校舎を出る。

「待って!!」

 その背に声をかけたのは、小雪だった。

「この学校がなくなったら……私達はどうやって生きていけばいいの?!ここでのやり方しか知らないのに、人を騙すことしか知らないのに……!!」

「詐欺は詐欺の道を歩めばいいんじゃない?」

 足を止め、目線だけ振り返り、りえは言う。

「私が、そうなんだから」



♠♠♠



「ミッション完了ー!!」

「お疲れ様、冴(さえ)」

「ありがとう、ママ」

 とある高級マンションの一部屋。

 そこで、冴は“りえ”という仮面を脱ぎ捨てて浴室へ向かっていた。

 その傍らには、少し怯えた様子のいぬがいる。

「ご主人様、ここは……」

「ここはママの別宅。私が借りてる部屋でもあるわ。いぬ、お風呂一緒に入りましょうね、洗ってあげるから」

「え、あ、はい……?」

「私からも説明するわ」

「ママ」

 バスタオルを持ってきてくれた妙齢の美女をママと呼ぶ冴。

「私は天羽さやか。冴と私に血の繋がりはないの。私は離婚したから名字は違うし、元々冴は養子だし」

「あ、あぅ……?」

「難しいかもしれないけど、私達は詐欺師一家なの。元旦那は警視総監やってるけど、中身は腹の底までまっくろくろすけよ」

「マーマ、言い過ぎー」

 いぬの首輪を外しながら冴が咎める。

 ホホ、とさやかは上品に笑って、それを受け流した。

「詐欺師……」

「そう、あの小切手も詐欺。天崎りえ名義の口座は確かにあるし、お金も額面通り振り込んであるけれど、天崎りえという人間はどこを探したって出てこないわ」

「冴は名字のないスペードのエース。私はハートのクイーン、首を斬るのが仕事。旦那がジョーカー、裏のボス。今回はあの学校から流れてくる不自然な金の流れを掴むのと、あの学校に不条理に囚われている学生を助けるのが冴の任務だった」

「ま、ねこには振られたけどね」

「そうね、ねこちゃんは望んで其処にいるからしょうがないわ」

「でも私にはいぬが来てくれた」

 首輪を外し、鎖がじゃらんと床に落ちる。

 そしてりえはゆっくりといぬの制服のボタンを外していく。

「いぬは私のところに来てくれたから、私のもの」

「ご主人様……!」

 その言葉に半裸になったいぬがひしとりえに抱きつき、すり寄る。

「こらこら、いぬ、服はまだ脱ぎかけよ」

「でも嬉しくて……!!いぬはどこまでもご主人様のものだ!!!」

「そうよ、いぬ。……いつまでもいぬっていうのも嫌ね。あの学校のこと思い出しちゃう」

「そうねえ」

 さやかも同意し、二人してうーんと天井を見上げる。

「……いぬはご主人様がつけてくれる名前なら何でもいい」

「って言うと思ったわ。そうねえ……名前……名前……あ」

「いいの思いついたの?冴」

 色々と視線を巡らせていた冴が、いぬを見据えて微笑む。

「ビアンカ」

「びあんか?」

「どこかの国の言語で白って意味よ」

 服を全部脱がし終わって、その裸体を眺めながら、冴は満足そうに呟く。

「白い肌、白い髪、真っ赤な目。学校という監獄から出られなかったいぬには相応しい名前だと思うの」

 其処にいたのは、病的に白い肌と薄い胸、薄い腹、薄い尻を晒した、短くざっくりとした白い髪と赤い目を持った少女だった。

「ビアンカ……」

「ビアンカ、お風呂から出たらケーキを食べに行きましょう。それから服を買いに行くの。楽しいことがいっぱい待ってるわよ」

 さっさと自分も服を脱ぎながら、冴が笑う。

 その冴に、ビアンカと名付けられたいぬがじゃれ付く。

「ご主人様が一緒ならどこでも楽しい!!」

「仲睦まじくて可愛いこと」

 そう言って、バスルームに消えていく二人を見送ったさやかはベッドサイドに置いていた携帯の着信に気がついた。

「はいもしもし、……ああ、あの学校の件ね。裏は全部真っ黒だから教師陣は全員逮捕でいいんじゃない?生徒達は一時保護、必要ならば保護施設に匿うわ。……やだ、もう貴方と再婚なんかしないわよ。このままの関係でいるのが一番なんだから……うふふ。……ああそう、次の仕事だけどね……」

 既に次の仕事に巻き込まれようとしている冴は今ビアンカと一緒に浴槽の中で戯れている。

「ええ、そう、探偵ごっこでもしてもらおうかしら。うふふ」

 今はまだ、平穏なまま――。



♠♠♠



 これは私の孤独な孤独な、たった一人の戦いの記録。

 そして、可愛い可愛いたった一匹のいぬとの出会いの記録。





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