第13話 幽霊捜し②

「え?」


 一瞬、何を聞かれているのか分からなかった。


「五人か六人か……ううん、もっといるかも」


 そこまで言われて、私はようやく周囲に気を配った。

 いや、校内を回り出してからずっと気を配って注意している。


 でも気づかなかった。

 今の今まで。


「……わたくしは三人確認しました」


 由羅に背を預けて、更に周囲を警戒する。


「……私は八人目」


 周囲に誰かがいるのは間違いない。

 私達を囲むようにして、近づいてきている。


 実際、人影のようなものも私は三人まで、確認できている。

 由羅の言を信じるならば、八人はいるらしいが。


「幽霊……とも思えませんが」


 私にも確認できた時点で、そう思った。

 何よりその人影は、制服を着ていたのだ。

 もちろん、この学校の。


「でも変よ?」

「変……ですわね」


 それは認めざるを得なかった。

 こんな時間に複数の生徒が徘徊しているなど、まずあり得ない。


 もしかすると悪戯好きの生徒が幽霊騒ぎを演出しているのかとも思ったけれど、それも違う。

 相手が普通の人間――それも素人ならば、いくら私でも気づく。


「……どういうことでしょうか」

「わかんないけど……来るよ」


 突然、何かが砕ける音がした。

 ――ガラスだ!


「な――」

「駄目!」


 思わず音の聞こえた上を見上げようとしたところを、由羅に制止された。

 手を思い切り引かれ、たった今まで私がいた所にガラスの破片が降り注ぐ。


 ぞっとした。

 ……まともに見上げていたら、目をやられていたかもしれない。


「あ……だ、大丈夫?」


 肩を押さえる私を見て、由羅は慌てて声をかけてきた。

 咄嗟のことで、手加減無しで私を引っ張ったのだろう。

 ガラスの雨からは逃れられたものの、少々肩を痛めてしまっていた。


「気になさらないで下さい。大したことはありませんから」


 こんな程度、顔を傷つけられるよりずっとマシだ。


「それよりありがとう。おかげで助かりましたわ」

「うん……。でも、まだ安心しないで」


 改めてガラスの降ってきた場所を見る。

 二階の校舎。

 そこの窓ガラスが砕けていた。


「悪趣味ですわね……」


 つぶやいた瞬間、更にガラスが砕け散る。


「!」


 今度は私を狙ったものではなく、そこから飛び出してきた何かのせいで、砕けたのだ。


「な……っ」

 飛び出てきたのは生徒だ。

 先ほどから見え隠れしていた男――いや、女もいる。


 そいつらはあっさりと地面に着地すると、そのままの勢いで私達へと襲い掛かってきた。


 ――速い!


「幽霊って、ずいぶん元気なのね」


 隣で呑気な由羅の声が聞こえたけど、構っている暇は無かった。

 飛び出てきたのは五人。

 内二人が私を狙い、残り三人が由羅へと向かう。


 相手は何も持ってはいない。素手だ。

 一人目の男子生徒に殴りかかられて、それをかわす。


 ギリギリだった。

 とてもじゃないが、素人のスピードではない。


「ぐ……!?」


 驚いたところを、二人目にやられた。

 思い切りおなかを殴られる。


「けほっ……!」


 肺に息が詰まり、一瞬窒息した。


「――要!?」


 三人に絡まれている由羅が、声を上げる。

 こっちに来ようとしたが、三人に邪魔されて近づけない。


「この……!」


 最初の男子生徒がすかさず掴みかかってきたところを、私は低くしゃがみ込み、下段から思い切り蹴りをくれてやった。


 息が詰まっていたせいで力は入らなかったけど、その生徒はもろに一撃を腹に受け、後ろへと吹っ飛ぶ。


 一人やっつけたと思った瞬間に、また二人目にやられた。

 その女子生徒は私へと倒れ込み、地面へと押さえつけると首を締め付けてくる。


「く……ぁ……!」


 とても女の細腕とは思えない力だ。

 振りほどけない……!


「…………!」


 相手の手を解けないのならばと、私は右手を離し、拳を作って殴りつける。


 ぐじ、と嫌な音がしたと思ったら、首への拘束が緩む。

 すかさず両手で振りほどき、膝蹴りを食らわせてからその場から転がって、離脱した。


「はあ――はあ――」


 乱れた息を整えながら相手を見れば、その女子生徒は鼻から大量に出血していた。どうやらさっき殴った際に、鼻を折ってしまったらしい。

 殴った右手も痛かったけど、気にしてなどいられない。


「いったい……いきなり何だっていうんですの……!」


 分かることは、いきなり襲われたということだ。

 しかも殺す気で。


「いい加減に……!」


 苛立った由羅の声がしたと思ったら、生徒が一人でたらめに吹き飛んでいった。


「そっちも!」


 彼女は掴みかかってきた男子生徒の首を掴むと、そのまま力任せに放り投げてしまう。

 その生徒が二十メートルほど宙を飛んでいるうちに、もう一人が蹴り飛ばされて、地面に転がった。


「寝てなさい!」


 私が最初に蹴り飛ばした男子生徒が起き上がったのを見て、由羅はその髪を掴むと、地面へと顔面を叩きつけてしまう。


「うわ……」


 今物凄い音がしたけど……少しも手加減してないんじゃ……?


「――要、大丈夫!?」


 ついでにと、鼻を押さえていた女子生徒を蹴り飛ばしてから、慌てて由羅が近寄ってくる。

 そして心配そうに覗き込んできた。


「ええ……。ですが……その、由羅?」

「え、なに?」


 わたしはちょっとびくびくしながらも、そおっと周囲を見渡した。

 悲鳴や苦悶の声こそ無いものの、周りには由羅にのされた生徒達が地面で蠢いている。


「手加減……しましたか?」

「ちゃんとしたもの」


 少々唇を尖らせて、由羅は言う。


「じゃなきゃみんな、死んじゃうでしょ?」

「そう……ですわね」


 確かに生きてはいるようだけど……例えばその、地面にヒビを作るほど顔面から叩きつけられた生徒って、顔が潰れちゃってるんじゃないのかと、思わず心配してしまう。


「でも要。こういう時って容赦しちゃ駄目だよ」


 困った顔になっている私を見て、由羅はぴしゃりと言う。


「茜も真斗もそう言うよ、きっと。得体の知れないものを相手にした時――それに命を狙われた時は、こっちも殺すつもりでやらないと」

「ええ……わかっていますわ」


 そう――わかってはいるつもりだ。

 私は半ば、そういう世界にいる。由羅の言うように、いつだったか茜にも言われたことがあった。


 今の仕事を続けていれば、必ず命のやり取りをすることになる。

 そうなった時に、相手を殺す覚悟も必要だと。


 その通りだと思う。

 それができないのならば、そもそも関わるべきではない。


 もっとも私の場合、最遠寺の直系ということもあり、関わらずに生きることなど不可能だろう。

 それでも私が実際に異端絡みの仕事に関わったのは、実は京都に来てからが初めてだった。


 だから慣れていないことは認めるしかない。

 何かを傷つけ――もしくは殺すことに。


 一方で由羅が手加減するのは、圧倒的に強いからだ。

 私とは違う。


「殺す――だなんて、本当は良くないことだと思う。だから要にそうしろなんて、言いたくはないの。でも……要に何かあるのはもっと嫌だから」

「いえ……きっとわたくしはまだ、覚悟が足りていないのです。自分でもわかりますから」


 心配してくれてありがとう、と言えば、由羅は珍しく困ったような笑みを浮かべた。


「少なくともあなたのようになれるよう、努力します」

「……私なんかより、茜を目指した方がいいと思うよ」


 そう告げる由羅は、どこか自嘲しているようにも見えた。


「何もなければ、私は簡単に人を殺しちゃうと思う。覚悟も何もないの。私がなるべくそうしないようにしているのは、真斗との約束があるから。それだけだから……」

「由羅……」


 私は知らないが、彼女と真斗の間に因縁があるのは間違いない。

 由羅はそれだけ、と言ったが、そのそれだけというのがどれほど彼女にとって重要なことなのかは、話を聞いているだけでよく分かる。


「それはともかく」


 由羅に背を任せつつ、私は周囲を見渡した。

 気絶していてもおかしくないほどに叩きつけられた生徒達が、のろのろと起き上がってくる。


「……なぜだかとってもしぶといですわね」

「うん」


 由羅も頷く。

 警戒はしているようだったが、緊張はしていないようだった。


「とても一般の生徒――人間とは思えないのですが」

「私もそう思う。……幽霊じゃないの?」

「幽霊って」


 私は思わず由羅を見返した。


「殴ることのできる幽霊など、存在するのですか?」


 相手にはちゃんと物理的な存在があった。

 だいたい窓をぶち破って飛び出してくる幽霊などいるのだろうか。


「でも、普通の人間にしては何だか存在が変」


 言いながら、由羅は私と生徒達を見比べて、こくこくと自分で納得するかのように頷いてみせる。


「だって、明らかに要とは違うもの。すっごく薄いっていうか、弱々しいっていうか……」


 弱い? あれで?


 私は耳を疑ったものの、否定はしなかった。

 彼女がそう言う以上、何かそれなりの原因があるはずだ。


 私自身、それを認識できないのは辛いが――そう思った時だった。


「え……?」


 私は目を見開いてしまった。


「あ……」


 隣で由羅も小さく声を上げる。

 その場に立ち上がった生徒達が一人一人、姿が揺らいだと思った瞬間、そのまま霞のように消えてしまったのだ。


「うそ……?」


 私は何度も瞬きして――引っかかった。これって見覚えがあるような……?


「うわ、エクセリアみたい」


 私が答えに思い当たるよりも早く、由羅が答えを口にしていた。

 そうなのだ。

 今のはまるで、エクセリアのようで。


「では……やはり、幽霊……?」


 別にエクセリアが幽霊というわけではないけれど、印象はそうなってしまう。


「人間じゃないのは確かみたいね」

「そうですけれど……」


 だとすると、この学校の噂は本当ということになってしまう。

 でたらめでも何でもなく、事実であると。


 しかし私は釈然としなかった。

 色々と、おかしい。


「……変ですわ」

「え?」


 由羅がこっちを見る。


「仮に今のを幽霊だと仮定したとしても、おかしいです」

「どうして?」

「校内で幽霊による被害は出ていない――だからこそ教職員も放置しているのが、この学校での幽霊騒ぎの現状です。ですが今夜は」


 私は命を狙われた――のだと思う。

 実際由羅がいなければ、どうなっていたか分からない。


「うーん……それもそうだけど、もしかすると軽い冗談だったとか」


 冗談って。

 そりゃあ由羅からみれば冗談ですむかもしれないけど、私や一般人からみればとても冗談ですまされるレベルじゃない。


「冗談の通じる幽霊ならば、そもそも迷ってこの世に留まったりしないはずですわ。とにかく変です」


 もちろん、あの幽霊もどきが噂の幽霊とは全く違うものという可能性もあるが、だとするとまた複雑なことになってくる。


「……なんだかけっこう大変?」

「そうかもしれませんわね……」


 それでも一応、幽霊らしきものは確認できた。

 一つはっきりとしているのは、それがこの学校の生徒の姿をしているということだ。


 噂を調べた時点ではそんな話は出てこなかったが、もう一度そういう目撃が無かったのか、調べてみる必要はある。


「……どうしよう? もう少し、回ってみる?」


 由羅に聞かれ、私はしばらく考え込んだ。周囲は元の静寂に戻っている。

 生徒達も消え、気配も感じない。


「由羅、例の違和感はどうですか? まだ……?」

「変わってないみたい」


 つまり、まだ感じるというわけだ。


「先ほどの幽霊もどきと、無関係というわけではないのでしょうね……」

「そうだと思うけど――」


 むぅ、と腕を組んで、空を見上げた由羅の表情が変わった。


「なっ……」


 小さな声。驚きと悲鳴が入り混じったもの。


「由羅……!?」

 すぐに私も気づいた。

 いや違う――すぐになんかじゃない。遅すぎる……!


「あ……う」


 誰かがいた。私ではなく、由羅の懐の中に。

 漆黒の髪を半ば闇に溶け込ませて、やはりこの学校の生徒の姿をした――誰かが。


 その誰かが、由羅の脇腹へとナイフを――深々と突き刺していた。


「この……っ!!」


 ほとんど反射的に、由羅が振り払う。

 胸を強打されて、その女子生徒はあっさりと吹き飛ばされて、地面に落ちたところで動かなくなる。


「由羅!」


 迂闊だった。

 さっきの幽霊もどきは霞のように消え失せた。

 それを見てエクセリアのようだと思ったのだから、もっと警戒すべきだったのだ。


 同じように何の脈絡も無く現れる可能性を考えて。


「大丈夫……」


 痛そうに顔をしかめ、由羅は傷口を押さえながら片膝をつく。

 押さえた掌からは、とめどなく出血してた。


「こんなの……すぐ治るから……」


 そうは言うが、私は由羅がこんなに傷を負ったところを見たことがない。

心配で仕方がなかったものの、だからといって警戒を怠るわけにもいかなかった。

 同じように、また現れるかもしれない。


 そこで――気づいた。


「え……?」


 由羅が今、弾き飛ばした女子生徒。

気絶しているのか地面に倒れたままぴくりとも動かないが、無造作に広がった真っ黒な髪には見覚えがあった。

 もちろん、その顔にも。


「まさか――どうして、そんな……?」


 由羅を襲った生徒。

 それは生徒会長である、襟宮鏡佳に他ならなかった。

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