第12話 幽霊捜し①


     /要


 ゆさゆさ。


 誰かが身体を揺さぶっている。

 控え目だけど、確実にこちらに伝わるようにと。


「ん……」


 瞼が重い。

 それを開くのには相当に苦労したものの、ぼんやりと視界は開けていった。


「あ、要」


 視界に映った誰かが、私の名を呼ぶ。


「由羅……?」


 どうやら由羅に起こされたらしい。

 もう朝なのだろうか……?

 まだこんなにも眠いのに……。


「起きて」


 いつもと違う彼女の声音に、急激に思考が戻ってきた。

 色々と、思い出す。


「……もう、時間ですか」


 身を起こすと、私のいたベッドにのしかかっていた由羅は、一歩後ろへと下がった。


「ううん、本当は起こすつもりはなかったの。だって要、とっても気持ち良さそうに眠ってたし……」

「え……?」


 そんな言葉が気になって、私は時計を捜した。

 時刻は零時を少し回ったところだ。

 確か眠る前に、十一時には起こして欲しいと頼んだはず。


「……起こすつもりが無かったのに、どうして一時間遅れで……?」

「変なの」

「変?」

「うん。ちょっと前からなんだけど、急に違和感みたいなのがあって……」


 そう言う由羅の表情は、いつもと違ってとても真剣だ。

 それを見て、私もまだ眠っている思考を蹴っ飛ばして、頭を叩き起こす。


「詳しく、話していただけますか?」

「ん……詳しくっていっても、勘みたいなものだから。とにかくね、ほんのさっき――十分くらい前かな。それくらいから、急に変になったの」


 十分。

 私は時計をもう一度見た。

 零時十三分。


「偶然かどうかはわかりませんが、それは零時になった途端、ということですわね」

「え、そうなの?」


 慌てて時計を捜す由羅。


「それで……具体的にどのように変、なのですか?」

「うー……」


 私の問いに、彼女は困ったように眉間に皺を寄せた。

 それだけで、本人にもはっきりと分かっていないということが知れる。


「何だかね、いつもと違うっていうか……だから気づいたんだけど……」


 なかなか言葉にできないようで、むーむーと苦悩している様子はいつになく真剣ではあるが、何やら可愛げがあった。

 普段とのギャップのせいだろうか。


「いつも、というのは、いったいどういう時のいつも、なんですの?」

「え、あ……うん。私、最近エクセリアと練習してて、その時の……」


 ……練習?


「あ、そっか。うん、そう! 普段私が意識して認識していた『世界』に比べて、何だか存在を感じないっていうか、そういう違和感なの」

「世界って……また大仰ですわね」

「世界っていっても、私の見える範囲での街並み、だけどね」

「はあ」


 何だかよくわからないって、由羅。

 それにしても練習って、この前黎が言っていたやつだろうか。


「とにかく、急に希薄になっちゃったの。何も見えないし、何も聞こえない。薄っぺらくって、嘘みたいに」


 彼女の説明では、私には半分も理解できなかったものの、間違い無いのは何か異変のようなものが起こったということだ。


 私はそれを、由羅の気のせいだとは思わなかった。

 自分自身が、何もそういう違和感を覚えなかったとしても。


「……ごめんね。私自身、よくわかんなくて……。だからつい、要を起こしちゃったの」


 ばつの悪そうな顔になる由羅へと、私はいいえと首を横に振る。


「元々起こして欲しいと頼んだのですから、何も問題はありませんわ。それよりも由羅、校内を見回ってみましょう。何か原因がつかめるかもしれませんし」

「うん。そうだね」


     ◇


 私は軽く顔を洗った後、由羅と一緒に寮から出て、校舎へと向かった。

 夜の校舎は何となく不気味で、あまり気持ちのいいものじゃない。


 だというのに隣を歩く由羅ときたら、真剣な表情なくせに、どこか楽しそうな雰囲気も伝わってきたりする。


「要? どうかした?」


 私の視線に気づいて、由羅がこっちを見る。


「いいえ、何でもありませんわ」

「そう?」


 彼女は特に気にした風も無く、視線を戻してしまう。


「ねえ要」

「何です?」

「私って、こういう学校は初めてなの」

「……? 存じてますけれど」


 いきなり何だろうと思いつつ、隣の由羅をもう一度見る。


「大学っていうのとは、ずいぶん違うんだよね。私、真斗の学校しか知らなくて」

「彼は大学生ですからね。ですが彼も、こういう学校を経験して、今の場所にいるはずです」

「ふうん……じゃあ要も、いつか真斗と同じ学校に行くの?」

「それはわかりませんわね」


 このままならば、恐らく大学に進学することになるだろう。

 しかしどこの大学にかというのは、ちょっと分からない。


「わたくしには実家の事情がありますから。事が解決すれば、実家に戻ることになるかと思いますし、解決しなければ、ここに留まることになるでしょうし……」


 進学する場合、希望の大学というよりは、身辺の事情に左右される可能性は高い。別にここに行きたい、という希望も無かったし、今のところどうでも良いといえば、どうでも良かった。


「そっかあ……。要って、いつか帰っちゃうんだ」

「一応、その予定ではありますけれど」


 そんな物凄く残念そうな顔をされると、はいと答えることに胸がちくりとする。


「茜もそうだったの。本当は帰る予定だったのに、私とイリスが留めているうちに、変なことになっちゃって」

「……二年前のことですか?」

「うん。そう」


 詳しくは知らないが、二年前にちょっとした事件があったらしい。

 私の従姉妹にあたるるい姉上が亡くなったのがその頃で、きっと無関係じゃないのだろうけど、詳しいところは兄も教えてはくれなかった。


「それで、学校がどうかしたのですか?」


 校舎から一旦外に出たところで、私は話を半ば強引に引き戻す。

 二年前の事件については気になるが、口止めされているのか由羅も教えてはくれない。

 だからここで聞くのは無駄だった。


「あ、うん。高校って、ちょっと面白いよね。大学と違ってて、一日ずっと授業だし、みんな同じ服着てるし……」


 言いながら、由羅は自分の服についているリボンを、ちょんと手でつまんだ。


 彼女が普段、着ていることが多い緑色の服――実はこれ、録洋台の制服だったりする。

 私もここに転入するまで知らなかったのだが、由羅が普段好んで着ている服は、紛れも無く制服なのだ。


 もちろん彼女に通学経験は無い。

 なのにどうしてそんな服を持っているのかと、事が発覚した際に皆に問い詰められたことがあった。


『……えっと、真斗に出会う前のことなんだけど。まだ私がおかしくなる前だったと思う……とにかくその時に、その人に会って』


 その人――というのは誰か分からないが、この学校の生徒だったことは間違い無いらしく、一目でその制服を気に入ってしまったらしい。


 で、その子の案内でこの学校に忍び込み、予備として置いてあった制服を何枚か拝借したのだとか。


 立派な泥棒である。

 ともあれ由羅は、その時に忍び込んだ建物が学校であるということも知らず、どういう場所かも分からなかったらしい。


「学校は知識を学ぶところではありますが、同時に集団行動にも馴染むための場所ですからね」

「……集団行動?」

「団体行動、でも構いませんわ。我を殺して我慢して、他者や決まりに合わせるための訓練――といったところでしょうか」

「な、なにか凄いことしてるの……?」


 ちょっと驚いたように聞き返してくる由羅に、私は微笑した。


「あまり大袈裟に考えないで下さいな。訓練、といっても、軍隊でしているようなレベルのものではありませんし。あくまで雰囲気に慣れる程度、ですわ」

「へえ……」


 分かっているかいないのか、由羅は感心したように頷いてみせた。


「ですけれど、これを疎かにしていると、いざ社会に出てから苦労される場合があるようですわね。人は群体でなければ生きていけませんから」

「ふうん……。じゃあ大学ってところは、どうなの?」


 そう聞かれ、私は少し考え込む。

 私は大学生ではないし、実際よく知らない。

 想像はできるものの、あくまで私の考えられる範疇でだ。

 色々考えて、結局やめることにした。


「それは真斗に聞いて下さいな。現役なのですから」

「……それもそうよね。じゃあ――」


 何か言いかけた由羅の言葉が、不意に止まった。

 歩みまで止めてしまい、通り過ぎてしまった私は、慌てて振り返る。


「……由羅?」

「要。幽霊って、いっぱい出るの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る