第8話 早朝の二人
/アルティージェ
「じゃああれからは、まったくの進展無し?」
わたしの問いに返事は無くて、むっつりした雰囲気だけが返ってくる。
分かりやすくて思わず笑ってしまう。
「……なに?」
後ろからは、不機嫌な声。
ますます可愛く思ってしまった。
「べつに、あなたを貶しているわけではないのよ? 世の中、こういうこともなくては面白くないわ」
「…………」
返事は無かったものの、手だけはしっかり動いているようで、この子の律儀な性格をまた可愛く思ってしまう。
早朝。
昨夜は無理にこの子を泊めさせたので、朝も一緒ということになった。
ここは京都市街の郊外に当たる場所で、人気の無い高台に建っている洋館だ。
わたしが日本での住家として使用している場所である。
その一室で、先ほどからわたしの髪をいじっているのは、イリスという名の少女だ。
とても純真でわたしは大好きなのだけど、この子はどうやらわたしのことが苦手――というか、ライバルだと思っているらしい。
その感情は分かり易くて、とても心地良かった。
からかい甲斐もあるし。
「どうして……」
「ん?」
「どうして貴女のところって、変なのばかりなの? もちろん貴女もだけど――アルティージェ」
しっかりわたしの名前を皮肉として付け加えるあたり、成長したというところかしら。
それにしても、変――ね。
わたしを含めるのが気に入らないとはいえ、言いたいことはまあ分かる。
「下僕たちのこと? あなたにとって、良い思い出は無い者たちばかりだものね」
この屋敷には、わたしの下僕が二人ばかり住んでいる。
一人はずっと昔にこの子と殺し合い、片腕をちょん切った快挙を見せてくれた者だ。
もう一人はというと、近年イリスの親友やらにちょっかいを出して、派手に騒ぎを起こした張本人だったりする。
二人ともわたしの所にいるので、イリスは不機嫌な顔になりながらも手を出したりはしない。
もっともあの二人のことだから、例えわたしがいなくたって、どうとでもするでしょうけれどね。
「エルオードはともかく、ドゥークはわたしのお気に入りなんだから、壊しては駄目よ?」
「……そんな気はないもの」
「なら安心ね?」
「…………」
押し黙ってしまうイリス。
本当、分かりやすいわね。
とてもこの子らしい。
「ところでおなかの調子はどう? もう治ったの?」
「……うん」
「そう。確かに見た感じ、一時的に落ちていた存在力も戻ったようね」
全治二ヶ月か、と思う。
はっきり言って、あり得ないことではあった。
イリス・ゼフィリアード。
この子のその名は、かつて死神として異端書に記録されている。
見るからにまだまだ成長途中ではあるが、それでも他の追随を許さないほどに、圧倒的な存在力を誇っている。
死神と呼ばれるだけあって、死を運命付けられているあらゆる存在にとっての天敵だ。
だけど無敵というわけでもなくて。この前のように、大怪我を負ったりもする。
今から約二ヶ月前に、彼女は何者かに強盗にあった。
そう、結果的に見ればそれが正しい。
相手が誰かは知らないが、イリスを襲って大怪我させた挙句、この子の持つ
大怪我といってもおなかにぽっかりと穴が開いた程度で、まっとうな人間じゃないイリスにしてみれば、簡単ではなくても放っておけば治る傷のはずだった。
ところが。
どういうわけか、治らなかったのである。
全く治癒しなかったというわけではないが、この子にしてみれば考えられないほど緩慢とした回復だった。
そこでわたしが治療を手掛けることとなったわけで、思い返してみればなるほどなかなか厄介な傷痕だったと思う。
傷口の再生自体は簡単で、すぐに治すことができた。
ところがどういうわけか、それがなかなか定着しなかったのだ。
事あるごとに傷口だった場所が裂け、崩れようとする。
まるで呪いか何かのように。
イリスはその症状に思い当たることがあったらしく、それをわたしに教え、二人してその治療法を作り出すことに成功した。
わたしやイリスならば、荒療治をすればどうにかできる傷ではあったものの、それでは効率が悪いし、自分達以外には使えない。
「
「……それ、皮肉?」
「自業自得だものね?」
「…………」
むすっとなるイリス。
本当、からかい甲斐があるんだから。
「話には聞いていたけど、
「厄介?」
「そう。それって下手をすれば、この世界を壊しかねない楔になってしまうでしょう?」
「別にあれがなくても、そういうことはできると思う」
わたしは思わず苦笑してしまった。
自信過剰というよりは、単純に素直なだけなのだろう。
イリスの言うあれ、とは、無論
このいかにも死神が持つに相応しい形をした武器は、ただの金属の塊、というわけではない。
この呪いのような効力の発現、そしてその効果の大小は、対象者との存在力の差によって変わってくるらしく、少なくとも同等以下の相手でなければ
つまり、そこらの人間があの鎌でイリスをどれだけ裂こうが、大した意味は無いということだ。
しかしそれが逆の場合、効果は絶大となる。
まあ普通の人間があんな鎌に裂かれたら、それだけで致命傷ではあるが。
具体的な効力はともかく、イリスがそういう武器を作って持っていることは、以前から知ってはいた。
何とも観測者らしい、他者が使うことを全く想定してない代物だという感想を抱く程度には。
「あなたが持たなければ、
「……? それが何?」
「ところがあなたはそれを奪い返されちゃった挙句、
その問いに、彼女は小首を傾げ、しばし考え込んだ。
もっとも答えは出なかったようではあるが。
「わからない……」
「一応考えたようだから、まあいいわ。でも教えてはあげない。わたしもわからないしね」
暇な時にでも考えておきなさい――と言えば、イリスは眉を寄せた。
「変。今の言葉だと、そもそもわたしに教えることができないんじゃないの?」
「ふふ、本当に素直ね。言葉通りにしか受け取らないのだから」
愚直とは言わないでおいてあげる。
だって、その素直なところがこの子の魅力だし。
「意味するところ――それはわたしにもわからない。でも色々と仮説は立てられるわ。あなたを襲った相手がどういう存在なのか、とかね」
分からないのは、その相手の目的だ。
その目的次第では、奪われたものが
まあそれはそれで、楽しいことにもなるかも、ね。
「何も起こらないのならば、それはそれでつまらないけれど……別にどうということはないわ。でもね、イリス。何かがあった時、責任を取らなければならないのはあなたよ? 作って、それを奪われたのは、紛れも無くあなたなのだから」
「責任……そう。そういうことになるの」
イリスがじっと、わたしを見る。
「アルティージェって、時々とても正しいことを言うのね」
時々って。
「失礼ね? わたしはいつも、正しいことしか言わないわ」
「そうは思えないもの」
そう言って、イリスは手を止めた。
「鏡、見る?」
「そうね」
わたしは腰掛けていた椅子から立ち上がると、部屋に据え付けられている立ち鏡の前へと向かう。
「ふうん。うまいものね」
眠る際に解いていた髪を、イリスに結ってまとめてもらったのだ。
普段は自分でやっているが、いつもわたしを見ている記憶だけで、この子がどこまでできるのか試してみたというわけである。
思っていた通り、イリスは相当器用だ。
「侍女に欲しいわ」
「嫌」
思わずぽつりと洩らした言葉に、即座に拒絶が返ってくる。
またわたしは笑った。
「ふふ、冗談よ。あなたを下僕にするつもりなんか、毛頭無いわ。それにそんなことをしたら、レダがヒステリーを起こしてしまうもの」
イリスには、レダという少女が臣下としてついている。
ずっと昔ならば将という立場こそ相応しいが、今やっていることは雑務全般――つまり侍女みたいなものだ。
ちなみにわたしの遠い血縁者だったりする。
「確か、あの二人以外にちゃんとした侍女がいるって言っていなかった?」
「言ったかしら」
「聞いたもの」
「言ったかもね」
イリスの指摘通り、実はそんなのが一人いたりする。置いてきちゃったけれどね。
「いつもはその子にしてもらっていたの?」
ちょん、と垂れた髪を引っ張るイリス。
「ええ。でもあなたのように器用じゃないから、物凄く時間をかけて、ね。でも心はあなたとそっくり。わたしは純粋なものが好きなの」
「純粋……」
反芻しつつ、イリスは何やら考え込む。
「あなたの所にいるエルオードって、とてもそうは見えないよ」
「ひねくれてる?」
「うん」
イリスがそう感じるのも無理はない。
「そうね。目的のためには手段は選ばないし、やり方はひねくれてるかもしれないけど、彼の中でエクセリアを想う気持ちは純粋なものよ? 本当、彼女にはもったいないくらいに」
「……そうなの?」
「そうなのよ」
もしかすると――同じなのかもしれないわね。
イリスを見て、思う。
この子の手先は器用かもしれないが、感情に関しては驚くほど不器用だ。
一方のエルオードは、何事も器用そうにやっているように見えるものの、エクセリアに対するものだけは、実は不器用だったのかもしれない。
それこそ、彼の愚直なまでの忠誠を見れば分かる。
完璧そうに見えて、完璧なものなんて何一つ無い。
これまで色んなひとやものを見てきたけど、それはそう思うに充分な証左だった。
イリスはもちろん、エルオードも、そしてわたしのお父様でさえそうだったのだから。
まあ唯一例外があるとすれば。
それってきっと、わたしなんでしょうね。
「――さあ、次はイリスの番よ?」
「え?」
何のこと、と首を傾げるイリスの顔が、意表をつかれたそのままで面白い。
「せっかく綺麗な髪をしているのだから、少々いじってあげるわ。ほら座って」
「でも……」
「でもじゃないの。今日一日くらい、イメージチェンジした自分を彼に見せてあげたら? もっと好きになってくれるかもしれないわよ」
「む……」
逡巡は一瞬だったようで、結局頷くイリス。
もっともこれから数時間、ああでもないこうでもないと、わたしにいじられ続ける運命になろうとは、さすがに思いもよらなかっただろう。
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