第7話 幽霊雑学②

 真斗がその名を呼んだ瞬間、人影がまるで空間から溶け出すようにして、現れた。

 まるで幽霊か何かのように。


 彼の傍らに実体化したのは、銀髪赤目のエクセリアと呼ばれる少女だった。


 この脈絡の無い現れ方にはいい加減驚かなくなったとはいえ、それでも最初はとてもびっくりした。

 はっきり言って人間技じゃないし。


 それに、白磁のような肌に、銀の髪。

 そして無表情な顔……。


 正直最初は幽霊かと思ったくらいだった。

 皆には、真斗の背後霊だって言われているが、結局何者なのかよく分からない一人である。


 ……本当、この興信所って異端の巣窟だ。


「わたしも拒否したい」


 現れるなり、エクセリアは口を開いた。


「お、さすがだ。俺の心境を汲んでくれたってわけだな」


 偉い偉い、と無造作に頭を撫でられて、ちょっぴり嬉しそうな顔になるエクセリアは、すぐに表情を戻した。


「そういうわけではないが、単純に、別のものを認識することは避けたいと思っている」

「だけど、この面子の中で一番そういうのが見えそうなのはエクセリア――お前だろう?」


 茜に言われて、エクセリアはほんの僅か気まずそうに、視線を逸らした。

 何だか意味ありげである。


「そういやお前って、幽霊見えるのか?」


 真斗に聞かれ、こくり、と頷くエクセリア。


「人の形すら保っていないものも多いし、人ですらないものも多いが、そなた達が幽霊と呼ぶ存在ならば、確かに在る」

「げ……じゃあここにもふわふわ浮かんでいたりするのか?」

「ここには一切いない――が、この事務所を取り囲むようにして、そういったモノが多くいる。ここに入りたいのだろう」


 ここに入りたいって……幽霊が?


 私は思わず周囲を見渡してしまったけど、それは真斗も同じようだった。

 慌てて左右へと首を振って、身震いする。


「……なんで入りたいんだよ?」

「灯りに集まる羽虫のようなものね」


 今まで黙って聞いていた黎が、つぶやくように言った。


「羽虫って?」

「虫は光に引かれるわ。大きくて、強い光ならば尚更に。ここにはエクセリア様やユラといった、とても存在力の大きなものがあって、それはとても目立つのよ。エクセリア様は実体化しない限りそれを洩らしていないけど、ユラは常時溢れさせているから……どうしても寄ってきてしまう。でも、近寄れない。あまりに強すぎて、怖いのでしょうね」

「なるほどな」


 黎の説明に、茜が頷く。


「それに茜、あなたが所長になってからここに張った、防犯用の結界のせいでもあるわ。おかげでどう足掻いても入ってこれないのよ」

「別にそういう意図はなかったんだけど」


 それは茜自身、初めて知ったことらしく、そういう効力もあるのか、などとつぶやいていた。


「……お前って、誘蛾灯だったんだな。この場合、誘霊灯か」

「……? あ、真斗また私のこと馬鹿にしてるでしょ……?」

「してねーよ」

「うそうそ! だって顔が笑ってるもの!」


 真斗が茶化して由羅が怒ってみせるのはいつものことで、相変わらず仲のいい二人だ。

 それにしても、彼女――エクセリアには幽霊が見えるということなのだろうか。


「その――エクセリア」


 私が声をかけると、彼女がこちらを見た。

 無表情に眺められて、うっと怯みたくなるのを必死に堪える。


「あなたは本当に――その、幽霊が見えるのですか?」


 こくりと、真斗に聞かれた時のようにエクセリアは頷く。


「ではどうして……嫌だと?」

「言った通りだ。必要以上に、別のものを認識することは避けたいと思っている。わたしの場合、認識力がありすぎるために、意識してそれを見れば、いらぬ力を与えることになってしまう。ためにわたしは普段、そういったモノは無視している」


 何だかよく分からないが、エクセリアにとっては不都合なことらしい。


「それは表向きの理由だな」


 エクセリアの返事に、茜はどこか苦笑してみせた。


「本音は真斗以外は見たくない――だろう?」


 茜の指摘に。


「そんなことはない」


 そうとだけ答えて、エクセリアは真斗の隣にちゃっかりと座り込んだ。

 どうやらその通りらしい。


 由羅があうー、だの抗議の声を上げていたけど、もちろんエクセリアは無視を決め込んでしまっている。


「しかし、エクセリアが拒否している以上、こちらには有効な人材がいないということになるな。そもそも幽霊など専門外だ」

「そう……ですか」


 茜の言葉に、少しだけ私は肩を落とした。

 最初、私の話を聞いた茜は、できることであるのならば受けてもいいと、意外なほど協力的だった。


「エクセリアはそもそも所員でも無いからな。無理強いはできない。真斗もエクセリアの協力無しでは、意味が無いしな」

「そーゆうこと」


 薄情にも、真斗はこくこくと頷く。


「だけどその筋の知り合いがいないわけでもない。何なら連絡をとってみてもいいが?」

「待て――茜」


 茜の提案を、エクセリアが遮った。


「その必要は無い。由羅が行けばすむことだ」

「え?」


 珍しく、茜が驚いた顔になった。

 真斗も私もそんな感じの顔で、当の本人である由羅は、ぽかんとしてしまっている。

 誰にとっても思わぬ言葉だったのだ。


「本気で言っているのか?」

「偽りは無い。今の由羅ならば、可能だと思うが」


 エクセリアの言葉に、茜も戸惑ったように由羅を見返す。

 皆に見られて、由羅は由羅で戸惑っているようだった。


「――なるほど。確かにそうかもしれないわね」


 ただ一人、黎だけが納得したように頷く。


「どーゆうことだ?」

「どうもこうも。ユラは今、エクセリア様の元で修行中なのでしょう? 認識力――それは単に相手の存在を向上させるだけでなく、そういった存在を『視る』ことができるように、と」

「う、うん……やってるけど」


 もじもじと、由羅は頷く。

 私が学校に行っている間にそんなことをしていたなんて、ちっとも知らなかった。


 でも何でそんなことを……?


「何でまたそんなことを?」


 私が疑問を口にするよりも早く、質問したのは真斗だった。


「馬鹿ね、真斗。楓を捜すため――茜のためにやっているに決まっているでしょ」

「……そーいやそうだったっけか。エクセリアと何かやってたのは知ってたけど、具体的なことは何も聞いてなかったしな」


 少し感心したように、真斗は由羅を見返した。そんな視線に由羅は、身を縮こませてしまっている。


「で、でも――私、何にもできないよ? エクセリアに色々教えてもらってはいるけど、なかなか上達しなくて……。それに幽霊って、とっても存在が小さいんでしょ? そんなの私、わかんない……」

「それは、そなたがそれを見ようとしていないからだ。意識してみれば、通常見えないものだけに、返って目立つこともある。そなたにできぬとは、わたしは思ってはいない」

「だけど……」

「楓の捜索はわたしが引き継ぐ。それで、何の憂いも無いはずだ」

「…………」


 しばらく考え込んでいた由羅は、やがて私へと視線を向けてきた。


「私で……いいの?」

「えっと……それは……」


 私は困ってしまって、視線を彷徨わせた。

 由羅が本当に見えるのならば、それはとてもありがたい。だけど今の話からでは、見えない可能性だって充分にあるのだ。


 依頼として引き受ける以上、分かりませんでした、というのはあまりやりたくない。


「わたしは賛成よ。いい経験になると思うし」


 気軽に黎はそんな風に言う。


「俺としては、逆にトラブルを巻き起こすんじゃないかってちっと心配だけど、まあできるって言うんならできるんだろうさ。いいんじゃねえの?」

「私も反対するつもりはないが」


 黎、真斗、茜と意見が出揃ったところで、私が答える番になった。

 彼女は思慮が深いという性格ではないものの、私にとっては頼れる相手には違いない。


 そして今、手近に彼女以外に頼れる相手がいないのならば、素直に頼るべきだろう。


「では――由羅。よろしくお願いしても、よろしいですか?」


 了承を兼ねた私の確認に、


「うん! 頑張るから!」


 ぱっと表情を明るくさせて、嬉しそうに由羅は頷いてみせた。

 ……こういう表情を見ていると、本当、年上って気がしないなあ。


「まあ由羅も所員じゃないからな。正式に依頼を引き受けた、ということにはならないが、できる限りのことはしよう。問題は、どういう形で調査するか、だな」

「そう……ですわね」


 私は腕を組んで考えてみる。

 私の通う学校は、あれでなかなか校則が厳しい。

 部外者もおいそれと入れるような場所ではない。


 生徒会からの依頼はあくまで彼らが勝手にやっているだけであって、教職員――校長の承認を得ているわけではないのだ。

 だから、あくまで秘密裏にやる必要がある。


 その辺りのことを再度説明すると、名案がある、と言い出したのは黎だった。


 というわけで。

 そういうことになったのである。


 名案かどうかは知らないけど。

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