第3話 柴城興信所
事務所に戻ると、すでに充分暖かかった。
「由羅、お茶」
「あ、うん」
茜に言われて、由羅が奥へと入っていく。
「…………」
まずシャワーを、と思ったのも束の間で、その前に私は手近な椅子へと座り込んでしまった。
やはり疲れが取れていないのか、体調はよろしくない。
少しぼんやりとしながら、私は事務所を見渡した。
だいぶ、見慣れたと思う。
私がこちらにやってきてからほぼ一年間、住んでいるところ。
私の兄、
異端種――
一言で言えば、そういったものに対する事件を専門に扱う。
異端種とは何なのか。
日本においては、
日本なんかでは鬼が有名であるし、他にもっとも高貴な異端として、西洋の魔王の血脈を伝える者達の存在が挙げられるが、これはほとんど死に絶えたと言われていた。
でももちろん例外もいるわけで。
どういうわけか、この事務所にはそういった例外がよく出入りしているのである。
さっきの由羅などは、その典型といっていい。
彼女は千年ドラゴンと呼ばれる怪物もどきで、はっきりいってバケモノだ。
そんなのがこんなところで大人しく茜の仕事を手伝っているんだから、世の中ってよく分からない。
……それになんていうか、彼女はとてもいい人なのだ。
悔しいけれど、この一年で私もそれを認めざるを得なかった。
彼女はここで茜の仕事を手伝ってはいるが、実際に所員というわけではない。
ここでアルバイトをしている
由羅はその桐生真斗とは何か特別な関係のようであるが、二人の詳しい関係についてはよく知らなかった。
ともあれ事務所における所員に、その二人は含まれない。
所員は私――最遠寺要を含め、三人。
そして所長をしている茜を入れて四人が、正規のメンバーだ。
茜は一年半ほど前から、ここの所長を兄の代理という形で務めている。
兄が諸事情で――最遠寺家における後継者問題で、どうしても実家に戻らなければならなくなったからだ。
そして一年ほど前に、私がここにやってきた。
理由はたぶん二つ。
一つは実家の後継者問題に、今はまだ私を遠ざけておこうという、兄の配慮。
もう一つは私自身が望んだこと。
強くなりたい。
そう願っていた私に、ここならなれるかもなと告げた兄に導かれて、今ここにいる。
だから私はここにきて、鍛錬を欠かしたことはなかった。
茜は博識で、仕事の合間に色々なことを教えてくれる。
厳しいけれど、効果的だった。
そして模擬実戦の相手として、主に由羅が付き合ってくれている。
はっきりいって、私が逆立ちしたって敵わない相手だった。
気兼ね無く、本気でやっても問題ないだろう――そう茜が言って、今に至っている。
一方の由羅にも、茜はこんなことを言っていた。
『お前は手加減を覚えろ。地力は馬鹿みたいにあるんだ。あとはそれを制する技術だ。ちょうどいいからお前もそれを磨け』
力馬鹿、と由羅は言われていて、実際そうだった。
彼女はあまり強さには興味は無いようだったけど、それでも根気に私に付き合ってくれた。
昨夜もそうである。
などと考えていたら、茜に急かされてしまった。
「ぼうっとしているな。あまり時間はないぞ。さっさと汚れを落として朝食を取れ」
「……そうですね」
時計を確認し、由羅がいれてくれた湯気の上がる番茶を喉に流し込んでから。
のろのろと、立ち上がった。
◇
シャワーを浴びて、朝食を取った頃には、ずいぶん体調は戻っていた。
由羅に制服のリボンを結んでもらい、鞄を手にして事務所を出る。
出てすぐに、出勤してきた所員と会った。
彼に挨拶をすませ、向かったのはバス停。
柴城興信所は京都市の北区にあるが、私が転入した高校は、中京区にある。
自転車で通えないこともないが、基本はバス通学だった。
秋の空は澄み渡っていて綺麗だ。
排気ガスが少々気になるものの、実家のある関東も、行くところに行けば同じようなもので、そこまで気になるものでもない。
さきほど鴨川の河川敷から戻ってくる時とは段違いに増えた人並みを進み、私は学校へと向かった。
◇
私立
市内では比較的大きな私立校で、レベルは高めの進学校である。
寮も完備されていて、生徒の半数近くは寮生活を送っている。
付属中学もあり、半数はそこから上がってくるので、一種独特な雰囲気も持ち合わせた校風だった。
私はここに四月付けで転入し、現在二年生である。
進学校というせいか、学業において多少ぴりぴりしたものはあるものの、それ以外は比較的おっとりとした感じの生徒が多かった。
私は良家のお嬢様を演じつつ――というか、そのままではあるけど、とにかく転入してから約半年で、だいぶん馴染むことができている。
二時限目の授業がようやく終わり、私は誰にも見られないよう、窓に向かって小さく欠伸をした。
ぽかぽかと陽気になってきて、昨夜の特訓の疲れと相俟って、非常に眠い。
とはいえ授業中に居眠りというわけにもいかないので、必死になって堪えているわけだけど。
でも……眠い……。
「あの、最遠寺さん?」
声をかけられて、慌てて振り返る。
眠そうな顔は、全力で隠して。
「はい?」
振り返った先には、クラスメイトの女子が立っていた。
何度か話したことはあったけど、今のところそんなに親しいクラスメイトでもなかった。
「なんでしょうか?」
「あの……ちょっとお話があるの」
「はい、構いませんわ」
お話って何だろうと思いながらも、とりあえず頷く。
「今だとちょっと時間が無いから、お昼休み、でいいかな?」
長引く話らしい。
そのための予約、ということか。
「わかりました」
別段断る理由も無いので、もう一度頷いておく。
「良かった。それじゃあまた声をかけるから、よろしくね」
「はい」
縁谷さんはそうとだけ言うと、自分の席へと戻っていく。
「何だろう……?」
多少気になったものの、結局深くは考えず、私はもう一度窓を見て小さく欠伸をかみ殺すのだった。
/真斗
「うすー」
いつも通りの仕草で、事務所のドアを開く。
中に入れば、二人の姿があった。
一人はここ――柴城興信所の所長である、九曜茜。
俺の幼馴染といえば、まあそんな感じのやつ。
年下のくせに、あれやこれやと俺を顎で使ってくれやがる。
おかげで柴城さん前の所長の時に比べて、格段に忙しくなってしまった。
一応俺、まだバイトなんだけどな。
「真斗、遅いぞ」
そいつが、当然とばかりにそんなことを言う。
「遅いってなあ」
授業が終わって飯食って、そのまま飛んできてやったのに、その言い草はねえだろと思う。
俺――桐生真斗は、この事務所の近くの大学に通っている、現在四回生である。
下宿先も、この近くに借りてあるワンルームマンションだ。
四回生ということで、俺が京都にやってきてから四年目というわけで。
その間にまあ、色々なことがあった。
茜と再会したのも、その一つか。
「お茶でも飲む?」
「ああ頼む」
茜と何か話していたもう一人の女――最遠寺
俺が知っている女の中では、一番面倒見がいいやつで、色々と気がきく。
茜もかなり面倒見のいいやつなんだけど、短気な点で明らかに黎に負けているよな。
ちなみに最遠寺黎というのは、名字も名前も偽名である。
本名は、ジュリィ・ミルセナルディス。
日本人じゃないが、それっぽい顔をしているので、そのままその偽名が通ってしまっている。
でもってここの事務所の正規の所員などをやっていた。
もっとも所員とはいえ、実際には雑用を主にこなしている。
実力はあるのに、物騒なことには直接関わらせたくない――という義理の妹の要望で、実際に行動しなくてはならない状況では、俺やその妹が動くことが多かった。
ちなみにその義理の妹というのが、ユラスティーグ・レディストアという名前で、ここでは由羅と呼ばれている。
今はいないみたいだけど、普段はけっこう事務所にいることが多い。
「由羅は?」
「エクセリアと出てる」
なるほど。
そういやあいつ、今日は用事があるって言ってたな。
「あー、もしかして」
「知らない」
ぷい、と横を向く茜。
なるほどこりゃ間違い無いか。
しかしということは、茜が頼んだんじゃなくて、由羅達が自発的にやっているということだろう。
ま、あいつらしいな。
「それよりも、そっちはどうだったんだ?」
「進展無し、だよ」
「…………」
いつも通りの答えに、茜は押し黙ってしまう。
俺は小さく吐息を洩らして、椅子に座り込んだ。
ここしばらく――一ヶ月ほど、茜の機嫌がよろしくない。
その理由は明白だった。
今から二ヶ月以上前に、茜の知り合いが大怪我を負った。
それと同じ頃に、茜の姉が消息を断ったのだ。
姉の名前は九曜楓といい、退魔の名家である九曜家の長女である。
次女の茜とは対照的で、いかにもお嬢様然としたひとだ。
だが実力は茜以上で、あいつの弱点の一つでもある。
その楓さんの行方が、ここ二ヶ月ほど分からない。
茜と楓さんはとある事情から距離を置いているので、数週間や一ヶ月ほど顔を合わせなくても、別段不思議じゃない。
だからこちらも気づくのが遅れ、ようやくそれに気づいたのが約一ヶ月前。
そこで改めて調べてみると、楓さんが大体二ヶ月ほど、どこにも顔を出していないことが分かったのだった。
何か理由があって自発的に姿を消したのか、それとも何らかな事件に巻き込まれたのか、今ではそれすら分かってはいない。
茜としては気になって仕方無いのだろう。
でもはっきりとした事件性が無い以上、おおっぴらに調査もできず、悶々としているといった状況だった。
俺達としては、茜が所長なんだし、多少は個人的なことを優先させてもいいとは思うのだが、あいつなりの見栄なのか何なのか、公私混同はやりたくないらしい。
とはいえ見てられなかったので、結局勝手に俺や由羅は動いていたりした。
由羅は時間さえあれば、市内をあちこち飛び回っていて、まあ今日もそうなんだと思う。
最近では一人じゃないみたいだが。
俺も俺なりに調べてはいたが、今のところ何の進展も無いといった状況だった。
なぜか茜の奴、俺にだけは何か進展は無かったかとよく聞いてくる。
素直に調べろ、って言ってくれれば、府警の13係とかにも頼めるんだけどなあ……。
さすがにここまで完璧に雲隠れされると、個人の調査では限界があるし。
「まあ焦っても仕方無いわ。楓はあなたより強いのだし、心配するほどのことでもないのかもしれないしね」
「黎……」
俺が言ったら途端に怒り出すであろう台詞も、黎が言えば、茜はぶすっとして顔をそらすだけだ。
さすが年長者。
「ただわたしとしては、イリス様のことが気がかりね。楓のことと関係あるのかどうかということを含めても」
ぽつり、と黎が言う。
イリス、というのは茜の友人で、二ヶ月前に大怪我を負ったという少女である。
「そっちはそっちで調べてるらしいけどな」
しかし意外だった。
あのイリスを襲うような奴がいて、手傷どころか重傷を負わせるなどとは。
「関係ある、と思うのか?」
さあな、と俺は茜に答える。
「時期は近くだろうけど、はっきりしてるわけでもねえし。ただ、イリスが言ってたんだろ? 自分をやったのは知らない相手だったけど、持っていた武器が楓のとそっくりだったって」
そうなのだ。
楓さんは
それと同じ、もしくはそっくりな武器に自分はやられた、とイリスは証言していた。
そこに何か意味があるのか、それともまったく無関係なのか……。
「とにかく、もうちょっと調べてやるよ。楓さんのことも、イリスのことも」
「別に調べてくれとは言ってない」
「そうかよ。だったら勝手に調べるだけだ」
「……ふん」
そっぽを向く茜。
まったくこういうとこだけは不器用だな。茜にとって、楓さんもイリスも、好きだけど苦手な相手、という微妙な関係だけに、難しいんだろうけどさ。
にしてもなあ……また厄介なことにならなきゃいいんだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます