第2話 虚ろな世界へ


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 深夜の学校。


 日中はあれだけ人気があるというのに、今は誰もいない。

 暗くて、変に静かで、不気味だった。


「まいったなあ……」


 ぼやきながら、廊下を進む。こつこつと自分の足音だけが響く。

 それすら、何やら気持ち悪かった。

 自然に、早歩きになる。


「早く行かないと……」


 そう独り言をつぶやいた瞬間、その女子生徒は我に返った。

 おかしい。

 何か、変だ。


「待って、あたし、なんで……?」


 立ち止まる。

 立ち止まらざるを得なかった。


 なぜならば、行き先が分からない。

 そこに向かっていたはずだというのに。


「え、ちょっとあたし……?」


 どうしてここを歩いているのか、どこに向かおうとしていたのか、わからない。

 少しずつ、動揺していく。


 落ち着け、落ち着けと、少女は頭を振った。

 自分はこの学校の寮生であり、この時間にここにやってくることは、規則上してはいけないことになっているが、不可能ではない。


 何か忘れ物をして、やってきたのだろうか。

 一応この先は……自分の教室である。


 宿題か何かだろうか?

 いや、でも――


 近くの教室を覗き込み、時計を捜す。

 暗かったが、辛うじて月明かりがぼんやりとその針を映し出していた。


 一本だけ見える、分針。

 時針が見当たらないところをみると、今はちょうど零時ということになる。


 いくら何でもこんな時間に……。

 そこで。


「!」


 ひやりとした感触が、背中に走った。

 必要以上に、鼓動が早くなる。

 振り返る。

 そして息を呑んだ。


 何かが階段を上がってくるのが、一瞬だけ視界の端に見えた。

 人影……こんな時間に、誰かいる?


 そう思った瞬間、また悪寒が走った。

 今度は背後に――何かを。


「う……」


 もう振り返れなかった。

 金縛りにでもあったように、身動きできなくなる。

 気配がどんどん近づいてくる。


 一つ?

 違う――もっとたくさん。


 だって足音がする。

 何人もの、足音。


 それが、自分のすぐ背後で止まった。

 ……何もしてこない。

 言ってこない。


 冷や汗が、背中を滑り落ちた。

 寒気がする。


 ここまできて、その女子生徒は他愛無いと思っていた噂話を思い出していた。

 夜になると幽霊が出る。

 それはここ最近、急に広まりだした噂だった。


 この学校には彼女のような寮に入っている者が少なくないため、誰かが面白おかしく始めた、ただの噂だというのが、大体の生徒の見解だっだ。


 しかしそれでも噂は広がり、真実味を帯びてくる。

 そして――今。


「こんばんは?」

「!?」


 不意に、そんな声が響いた。

 悲鳴を上げそうになったのを必死に堪えて、声の主を捜す。捜すまでもなく、目の前にいた。


「え、あ……?」


 少女が一人、立っている。

 制服姿で、リボンの色からすると二年生……だろうか。


「だれ……?」


 恐る恐る聞いてみると、少女はくすりと笑ったようだった。


「誰でもいいでしょ。今夜はあなたの番、というだけだから」

「あたしの番……? なに、どういうこと?」


 わけが分からない。

 それでもはっきりと分かるのは、目の前の生徒が幽霊ではないということだけだ。どう見ても、人間としての存在感がある。


「毎夜一人ずつ、生贄になってもらっているの。あ、でも心配しないで。生贄って言っても、別に死んでもらうわけじゃないから。少々、血を捧げてもらうだけ」

「血……なにそれ」


 嫌な予感がした。この場にいるのはよくないと、何かが告げてくる。

 逃げたい。逃げるべきだと思う。

 だけど――身体が言うことをきかない。動かせない。


「あなたくらいの存在力じゃ、あってないようなものだけど……数というのも揃えば力になるものね。だから」


 おいで、と少女が告げた。


「い……」


 嫌、と言おうとして、言葉に詰まる。

 勝手に身体が動いていたのだ。


 一歩、後ろに引いていた。

 そのせいで、何かにぶつかる。


「ひっ……!」


 無いはずの壁に身体が触れたことで、その女子生徒は振り返ってそのまま尻餅をついた。


「な、な……!」


 背後に人がいた。

 それも一人や二人じゃない。


 廊下の幅を埋め尽くすほどの人が、無言で立ち尽くしていた。

 誰もが――この学校の制服を着ている。


 知らない生徒もいたが、知っている顔の生徒もいた。

 虚ろな視線はどこを見ているか分からなくて、それこそまさに幽霊のようだ。


「なに……何なの……!?」

「見た通り、今日からあなたも彼らの仲間になってもらうだけだから」

「仲間って……!?」

「だからそんなに心配することじゃないわ。あなた自身には、ほとんど危害は加えないし、これまで通りの日常を送ってもらうだけだから」


 何を言っているのか分からない。

 女子生徒は這ったまま逃げようとしたが、結局駄目だった。

 わらわらと、近くにいた生徒達に取り押さえられてしまう。


「な、何……たす――――」


 口を塞がれて、両手両足の自由を奪われて。

 床に押さえつけられたままの彼女の目に入ったのは、月光を照り返す短い銀の刃だった。


 少女がその手に、短剣のようなものを抜き放ち、刃先を向けている。

 青ざめてもがき抵抗しようとしたが、一切が無駄に終わった。


 少女が近づく。

 そして一言、ささやいた。


「では――ようこそ。虚ろな世界へ」


     /要


 ちゅんちゅんと、すずめの鳴く声が聞こえた。

 瞼の向こうが明るくて、むずがゆい。


 朝……なのかな。

 そうぼんやりと思ったところで。


「そうだ。早く起きろ」


 なんて声が聞こえた。

 よく知っている声。

 とすると……。


「う……」


 目が痛かったけど、無理して瞼をあける。

 涼やかな風――というには寒すぎる風が、頬へと触れる。

 途端に寒気がした。


「まったく……」


 私の前に立っていた人影が、呆れたように自分が羽織っていたオーバーコートをかけてくれる。


「あまり夜更かしはするなと言ったはずだ。結局体力を損なう」


 そう言うのは、私よりも二つ年上の少女。

 九曜あかねという。


「わたくし……また」

「疲れて寝てしまったんだろう。お嬢様育ちの割に、簡単に野宿してみせるあたりには感心するがな」

「む……」


 そうは言うけど。

 この九曜茜だって、私に負けず劣らずの良家のお嬢様のはずだ。

 小学生の頃に家出し、そのままこれまで生活してきたところからして、相当な御転婆に違い無い。


 他人のことが言えるかって思う。

 もちろん口にはしない。

 怖いから。


「起きれるか? たぶん、身体は痛むだろうが」

「ん……」


 身を起こそうとして、鈍痛に襲われた。

 ついでに虚脱感。

 身体がとてもだるい。


「しんどい……です」

「当然だ」


 腕を組んで、茜が言う。


「そっちのとは根本的に作りが違うからな。あまり付き合っていると、身体を壊すぞ」


 そっちのって。

 視線を横に向ければ。

 これまたいつもの光景。

 いや……いつもってほどでもないか。

 でもたまにある光景だった。


 私の横では少女が一人、気持ち良さそうに寝息をたてていた。

 今まで私が寝ていた雑草の上には、彼女の金色の髪がこれでもかっていうくらい、無造作に広がっている。

 つい羨ましく思ってしまうほどの、長くて綺麗な髪だった。


 もう十月も終わりだ。

 昼はともかく、夜や朝はかなり寒い。

 現に今だってそうだ。


 こんなところで何の用意も無く眠ってしまえば、間違いなく風邪をひく。

 でも私にそんな様子は無い。

 身体は痛いしだるいが、それは昨夜の特訓のせいであって、風邪とは違う。


「便利な人間ストーブだからな由羅ゆらは」

「……そうですわね」


 私も頷いてみせる。

 茜の言う人間ストーブというのは、あながち間違った表現でもない。


 彼女の溢れんばかりの生命力を熱に転換して、私の周囲の空気を暖めてくれていたのだ。

 もちろんそれは、由羅が意図的にしたことであって、私を気遣ってのことなんだろうけど……。


「素直に運んでくれればよろしいのに」


 由羅にとって、人間一人運ぶことなど造作も無い。

 疲労の極みで寝てしまった私が一番悪いとはいえ、それにしたってとも思う。


「これなりの気遣いだろう? 寝る必要もあまりないし、疲れもしない由羅が、こうして一晩付き合ってくれたのは」


 茜の言う通りなのは、分かる。

 さほど不器用、とうわけでもないんだけど……。


「とにかく、そろそろ戻れ。遅刻するぞ」

「……はい」


 頷くと、茜は由羅の前にしゃがみ込んで髪の毛を引っ張った。


「わ、わわ……!?」


 あっさりと目を覚ます由羅。

 それにしても乱暴な起こし方である。


 私にはとてもできない。

 こっちも怖くて。


「あ、茜……。かなめも……もう起きたの……?」


 ぼんやりとして、由羅は私と茜を交互に見返した。


「……ええ。助かりました」


 私が風邪をひかないようにしてくれていたことに対して、礼を言う。

 もっとも彼女はきょとん、となっただけだった。


「え、なに? どうかしたの?」

「何でもありません。帰りましょう」

「うん」


 私は立ち上がり、由羅も立ち上がって。

 茜の後に続いて、私たちは鴨川かもがわの河川敷を後にした。

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