3

 強制別行動を課され、あっという間に美矢と二人で置いてきぼりにされた俊は、美矢に対する第一声に悩んでいた。悩み続けたが。


「……行こうか」

 結局当たり障りない言葉しか出てこなかった。


 夜ではあるが、イルミネーションの灯りで、十分に明るいため、歩行には困らない。薄暗かったり、混雑がひどければ、はぐれないように手をつなぐんだぞ、と正彦に念押しされていたが、その必要はなさそうだった。ホッとするとともに、少し残念な気持ちもあった。


 いやいや、何を考えているんだ! まだ、付き合っているわけでもないのに。

 いつになく脳内が多弁で、俊の思考はパンク寸前であった。


「先輩、行きたい場所ありますか?」

 頭の中が混乱しすぎて、言葉も出ない俊に気を遣って、美矢が話しかけてくる。

「いや、どこでも……遠野さんが行きたいところでいいよ」

 何とか平静を取り戻し、そう答える。答えてから、正彦から受けた『どうせならリンゴのモニュメントに行け』というアドバイスを思い出した。


「じゃあ、リンゴの……」

「あの、よかったら、リンゴの……」


 声が被さり、二人は言葉を途切れさせる。

「はい、リンゴのモニュメントに行ってみましょう」

 美矢の方が早く回復し、そう提案してくれる。


「……先輩、リンゴのモニュメントのこと、知ってたんですか?」

 歩きながら、そう尋ねてくる美矢に、まさか正彦に言われたからとも言えず、とりあえず地図を思い出しながら「一番遠いとこから回った方がいいよね」と答えた。


「……そうですね」

「……」


 ちょっと外したらしい。美矢の気落ちした声の調子から何となくそう感じて、けれど、うまくフォローできず、俊は黙りこくった。

 普段なら大して気にならない無言の時間が、とても重たく感じる。車内でもうまく話せていなかったが、その時には健太や真実がフォローしてくれていた。

 正直、いきなり二人きりは、ハードルが高すぎる。


「先輩、もしかして、今日は無理させちゃいましたか?」

「え? いや、そんなこと……」

「ゲストハウスに行って、兄さん呼んできましょうか? その方が、先輩も気楽だと思うし」

「……」

 気持ち的には、確かに楽である。けれど、美矢にこんな風に気を遣わせてしまう自分が、正直情けない。


「……ゴメン」

「え?」

 突然の謝罪の言葉に美矢は面食らい、足を止める。

「先輩……?」

「……ずっと、謝らないといけないと、思っていた」


 謝罪の言葉を口にしたことで、俊の心にずっと引っかかっていた出来事が、呼び起された。

「……文化祭前のこと。叩いたりして、ゴメン。一番怖い思いをしていたのは、君だったのに」


「そんな、そんなこと、いいんです。あれは、私がいけなかったんです」

「いつか謝らなければ、って思いながら、遠野さんが変わらず接してくれるから、それに甘えていた。今頃になって……すまない」

「本当に、大丈夫ですから。先輩が、心配してくれていたこと、分かっていますから」

「いや、本当に……」

「もう、やめましょう、先輩。ずっと、この繰り返しになりそうです」

「……そうだね、ゴメ……あ、うん、ゴメ……あ」


 口を開くと謝罪の繰り返しになってしまうので、仕方なく俊は口をつぐんだ。


「……行きましょうか?」

 そう声をかけられて、二人は再び歩き出した。

 白と青の二系統だけで作られた光のアーチや、童話をモチーフにしたオブジェ、周囲のイルミネーションの光を受けて輝くミラーボールなど、色とりどりの光が二人の道行きを照らす。嬉しそうにそれらに見入る美矢の黒目がちな瞳にも、その灯りが映りこみ、その微笑みに俊は魅入られていた。


「先輩、見てください。あの花のオブジェ……あ」

 小さな電飾で作られたコスモスの群生を離れて見ようと後ろに下がった瞬間、美矢がバランスを崩して転びそうになる。思わず背後から手を差し伸べ、俊は美矢の両腕をつかんで、その体を支えた。


「すみません、ありがとうございます……」

「いや、大丈夫だった?」

「はい……」


 美矢は背後の俊を斜め下から見上げて、その目を逸らさぬまま、黙り込む。その顔の近さに、俊の心臓は早鐘を打つ。

 二人はお互いの目を見つめたまま、固まったまま動けず、数秒とも数分とも……無限とも感じる時を過ごした。


「……行こうか」

「はい……」

 そっと、お互いに半歩ずつ離れる。けれど。


「また転ぶと、いけないから……」

 目も合わせないまま、そっぽを向いて、俊はそっと手だけを差し出す。

「……はい」

 美矢がおずおずとその手を握るのを確かめてから、ゆっくり歩き出す。


 その道中を、虹色の灯りが照らし見送る。

 




「……そこは、一気にキスだろう?」

「いや、あれだけでも俊には快挙だって」

 宣言通り、二人の後をしっかりこっそり尾行していた斎と正彦は、きっちり一部始終を見物していた。


「いや、でもちゃんとリンゴ方向に進んでいてくれてよかったよ。おかげで大事な場面を見逃さずに済んだ。写真でも撮っておきたかったな」

「あえて真相を隠して俊にアドバイスしてよかったよ。リンゴのモニュメントが、恋人の永遠の誓いのイベント会場だなんて知っていたら、絶対俊は行かなかっただろうし」


 すでに目の前に見えている真っ赤なリンゴのモニュメントの赤い光に向かって遠ざかる二人の影を見送る。その姿も見えなくなった。


「さて、あとは会場で、別ルートからの二組が、うまく誘導してくれるだろうし、男二人で恋人イベは寒すぎるから、先にゲストハウスに戻ろうかね」

 斎にしては建設的な意見に、正彦も賛同し、道をUターンした。しばらくゆっくり坂を降り、ゲストハウスの灯りが見えてきた、その時。


『斎様』


 突然背後から聞こえてきた低い声に、正彦がぎょっとして振り向くが、そこに人影はない。

 驚いた様子がない斎を見て、空耳かと思ったが。


『監視対象Sの周囲で……負傷者が出ました。重傷。東展望台付近です』

「負傷……? ぬかったな! 関係者以外退避させ、半径五百メートル以内封鎖。目撃者は確実に確保。医療班を手配。レベルEエマージェンシーだ。その他は誰も近づけるな。……巽は?」

  

 囁くような、怒気を孕んだ低い声で、斎は応えた。

『ゲストハウスへ』

「それでいい。護衛対象は遠野家が最優先。僕が現地に向か……」


 展望台の向こう側、今は真っ暗で何も見えない山々を背景に、一条の光が貫いた。


 バキーッ!


 ほとんど時差なく、響きわたる轟音。それらが、季節外れの雷光を示すものだと意識するのに、やや時間が必要だった。


『……緊急事態発生。展望台周囲の樹木に設置された電飾に落雷し、一部がショートした模様です。このままでは火災の危険があります。速やかに避難が必要です』

「斎……」

「聴いてたよね?」


 いつもの、少しからかうような斎の口調。

 けれど、そこに確かな焦りを、正彦は感じた、が。

 その内容は、とても素直に受け入れられるものではなかった。


「正彦は避難しろ、と言っても聞かないだろうな」

「決まってら」

「しかし、そこを曲げて頼む。ゲストハウスに戻ってくれ」

「嫌だ」

 正彦は即答するが。


「頼む。今の僕には、君まで守る余裕はない。俊は必ず守るから。君には和矢を、止めてほしい」

「え?」

「どうせ、こちらに向かおうとしているだろう。本気で、僕には余裕はない。そして、本気の和矢は、巽にも止められない。君しかいないんだ」


 これほど焦った斎の声を、正彦は聞いたことがなかった。

 逃げろ、ではなく、正彦にしかできない、とまで言われてしまえば、引き受けざるを得ない。例え、口実であっても。そして、最悪の場合、自分が足を引っ張り、俊を危険にさらすことになる可能性があるとすれば。正彦は、後方支援も、重要な役割なのだ、と自分を言いきかせる。


「……俊と、和矢の妹も守ってくれよ?」

「当たり前だ」

「頼む」

 正彦は踵を返し、ゲストハウスに向かう。サッカー部で鍛えた俊足で、あっという間にその背は遠ざかる。


「ゲストハウスの警備は引き続き。遠野弓子と和矢様の安全確保を。遠野家の人間には瑕疵かしひとつつけるな」

 返答はなかったが、空気の揺らぎで、すべての指示系統が動き出したことを確認した。


 目的地に向かって走り出した斎の鼻孔に、不快な燻り臭さが届く。そして、木々の隙間を埋めるようにじわじわと広がる赤い光が目に映る。


 これは、薬が効きすぎたか?

 あえて例の監視対象者を俊に遭遇させようと策を弄したつもりが、どこかでボタンを掛け違えたらしい。バスに工作まで仕掛けたのに、それが裏目に出たのかもしれない。念のため俊や美矢には護衛をつけてあるが。


 負傷者の情報がない、ということは護衛対象者以外なのか? それとも、監視対象者本人か?

 だが。


 先ほどの季節外れの落雷は……。


 護衛をつけていない関係者の面々が、斎の頭をかすめる。

 よもや、彼がその人を守らないわけがない、と高をくくっていたのだが。

 嫌な予感に、胸がざわめく。


 あまり、いい気分じゃないな、こういうのは。

 やはり、「好きな人」を増やすのは、良くない。

 そのたびに、こうも嫌な気分になるのなら、やはり「無関心」の方が楽だ。

 こんなに必死になるのは、御免こうむりたい。


 そんな思いと裏腹に。

 斎は全速力で、目的地に向かい、斜面を登り上がっていった。

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