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『お前はエイトのスペアだからな。ちょうどいいよ』

『おいおい、いくら何でもそんな聞き間違えしないだろう? 田舎者じゃあるまいし。ああ、イェットの世話は、田舎者の役目だったか』

『そうさ、生え抜きの我々が手をかけてやるのは、エイトの方で十分さ』


 からかうような、笑い声。


『ナインかテンになるかと思ったら、もうイレブンだぞ。どうせならエイティーンで、また番号そろえるか』

『そこまで行く前に、お払い箱だろう』

まだイェットって呼ばれているうちに、早く力を見せてくれよ』

『エイトがなついているから、もう少しおいてやってもいいだろう』

『その前にエイトがお払い箱かもな』

 揶揄されている内容もよく分からず、ただ嘲る視線や声が不快だった。


『は? 食事がないって? ああ、エイトに出したかもな。お前たちは紛らわしいから』

『一食くらい平気だろう? どうせ大して役に立っていないんだ』

 飢えない程度に、何度か食事を抜かれても、誰も助けてくれなかった。


 名前が紛らわしいからだとエイトのせいにされ、それを聞いたエイトは、いつも泣いていた。

八番エイトなんていらない。もう実験はいやだよ。みんなが、エイトのくせに、何のためのナンバーだって、いじめるんだ』

 泣きながら、毎夜ベッドにもぐりこんでくる気弱な子供。

 自分のパンを分けようとして残しておいたのを、捨てられたと、泣いていたこともあった。

『イェット、いつか一緒に逃げようよ。イエットは足が速いから、おいていかないでね』

 毛布の下で、そんな相談をすることで、心の安定を保っていた、きれいな顔立ちの、幼い男の子。


「エイト……?」


 無機質な白い部屋、電子音を繰り返し続ける複数のディスプレイ、四角い壁に囲まれた狭い空、白衣を着た大人たち、どこからか臭ってくる薬品のにおい……。



「ナンバーが与えられたのに思うような結果を出さない子供と、ナンバーは与えられず、でも可能性が捨てきれない子供、僕たちは、鬱屈のたまったヤツらの、格好の餌食だった。名前が紛らわしいなんて言いがかりをつけて。僕はまだ、言葉だけで済んでいたけれど、お前は、食事を抜かれたり、見えないところをつねられたりしていただろう?」

「……」

「でも、真矢が来てから、少なくとも真矢の前では、そんな嫌がらせはなくなった。こんな日々が続くのなら、実験も頑張ろうって思えたよ。結果を出して、真矢を喜ばそうって。……そう言うと、真矢は困ったように笑っていたけどな」

「……そう、なんだ?」

「薄情なヤツだな。一番真矢にかばわれていたのはお前じゃないか。真矢が、『この子は足が速い。特殊な身体能力があるかもしれない。健康を維持しなければ』って言った後、生活環境が変わったんだよ。そして、真矢がお前を『ムルガン』って呼ぶようになった。僕は慣れなくて、イェット、って呼んだままだったけどな」


 さっきまでとは違う、優しい響きで、エイトは『イェット』と呼んだ。

 ああ、エイトだ。泣き虫で、優しい、エイト。

 

「いつか、一緒に逃げよう、おいていかないで……そう約束したのに」

「……エイト」

「真矢も、約束をしてくれたのに……」

「真矢が?」

「いつか必ず迎えに来る、あきらめないで、と。……だから、待ってしまった。希望を持たなければ、苦しむこともなかったのに」

 悲しげに伏せられた目が開かれ、自嘲の色が浮かぶ。

「いつか真矢が助けてくれる、そう思ってしまったから、待ってしまった」

「真矢は……きっと、約束を守る気でいたと思う。だけど」

「ああ、死んだんだろう?」

 途端、エイトの左目は怒りに染まった。


との約束も果たせずに、自分の子供たちを守ろうとして」


「お前……何を知っている?」

「俺が知っているのは、真矢が子供たちを守ろうとして、死んだこと。その子供たちの中に、イェットはいなかったこと。そして、守ろうとした子供たちは……結局、研究所ラボの手に落ちたこと」

「研究所?」

「まだ思い出さないのか? 俺たちが、無理やり閉じ込められていた、あの忌々しい施設だよ。俺たちを無理やり親から引き離し、研究材料モルモットにして、価値がないと分かっても、飼い殺しにしようとしたイカれた研究者マッドサイエンティストの集まりだよ」

「モルモット……マッドサイエンティスト……」


「お前は悔しくないのか。勝手な事情で、生まれた時から引きずり回されて」


 正直、その研究所とやらの記憶は、あいまいでしかない。ただ、養い親に振り回された、真矢と引き離された記憶が、エイトに同調するのを感じていた。

「だから、アイツからも奪うことにしたんだ」

 目に浮かぶ怒りはそのまま、口の端だけがつり上がった。酷薄な笑み。それは、俊を襲った時の、エイトのものだった。

「アイツ?」

「アイツが、アイツらが切望している存在を。この世界をも変える、あの力を」


 もはや、健太の声掛けに答えることなく、滔々とうとうと語り始めるエイトの声は、狂気を帯び、その瞳に浮かんでいた怒りは、異様な喜色に染め変えられた。

「これは、復讐だよ。自分をこの世に生み出した世界への。愛するものを与えて、奪い去ることを繰り返す運命への」


「エイト……だから、俊を傷つけたのか? お前は、『シバ』と名乗って、俊に何かをしたんだろう?」

「……」


「お前の名乗った、『シバ』という名について聞いた時、俊は真っ青になって震えていた。正直、何があったのか聞くこともできないほどの、恐慌状態に陥っていたんだ。それは、俺たちが出会った、あの時だけのことじゃない。その名前自体に、俊はおびえていた。その名で、俊に何かしたんじゃないのか?」


「……最高神の依代にしては、意外と脆弱もろいんだな。あの程度で、心をやられるなんてな。まあ、あれは失策だったよ。散々痛めつけられてもやり返しもしないし、手間も金もかけた割には、大した成果もなかった」


「エイト……お前は、そんなヤツじゃなかったはずだ。泣き虫だけど、優しくて……」

「そして、真矢の言葉を信じて待っているだけの、愚かな子供だったさ。いつかきっと……そんな希望にすがって、ボロボロになって泣くだけの。……優しいだって?! ただ臆病なだけさ! ……高天俊だってそうだ。あんな臆病な依代じゃ、『シヴァ』の力は使いこなせない。取り込まれるのが落ちだ。だから、俺が奪ってやる。……俺を利用したヤツらに、真矢を殺したヤツらには、渡さない!」


「殺された、だって? ……それは本当なのか?!」


 思わずエイトの肩をつかみ、健太は揺さぶった。その手を、エイトは振り払い、健太を突き飛ばした。


 その拍子に、エイトの右目が露わになり……赤くただれた傷が、目に入った。

 目をそむけたくなるような傷痕の痛々しさに、逆に健太は視線を動かすことができず固まっていた。


 健太の視線に気付いたエイトは、慌てて右手で傷を覆い隠しつつ、顔をそむける。


「イエット、俺の邪魔をするな! 真矢の仇を取りたいならな……」

 そう言い捨てると、脱兎のごとく走り出し、健太の視界から消え去った。


「……でもな、エイト」

 健太は立ち上がり、衣類についた砂を手でパンパンと叩いて振り払う。

 エイトの走り去った方を向き、その残像をみつめ。

「いつか。きっといつか」

  

 その目に浮かぶ、憐憫のまなざしは、エイトに向けたものなのか、それとも。



「きっといつか。そう希望を持てたから、乗り越えられたことも事実なんだよ」

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