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 夏休みが明けて二ヶ月。

 十月初頭に開催された市主催の美術展を最後に、三年生は正式に引退し二年生を中心にした美術部の体制がスタートした。

 もっとも進学校のならいで受験生の部活動自体は大幅に縮小する傾向にあり、夏休み前には三年生二人も作品の管理や搬入を後輩に託し、受験勉強に勤しみ始めたが。

 真島先輩はともかく、山口先輩には、そういう「普通」な受験生の姿を想像できない真実であったが、やるべきことはきちんとやる上で許される傍若無人ぶりであったらしい(あくまでも学業においては、であるが。その他もろもろは、部活関係では主に加奈に丸投げされている事実は周知のことである)。

 それ以上に、気になるのは。


「まあ、部長が加奈さんなのは当然として、斎くんが副部長ってどうなのよ?」

 

 掃除機のコードと格闘しながら(木っ端や石膏の粉を片付けるために数年前に部費で購入したという掃除機は、吸引力は素晴らしいのだが、コードの巻き取り部分がイカれているらしく、収納するのにかなりの運と根気を必要とする)、真実が口をへの字に曲げて言う。

「ぜーったい! 高天くんか、せめて和矢くんの方が向いてるのに」

「ちょっと貸してください、真実センパイ! コツがあるんですよ……ほらできた」

 散々悪戦苦闘していた掃除機のコードを、難なく巻き取ってみせてから、珠美が宥めるように言葉を続けた。

「加奈センパイにサブでくっつけるなら、一見人畜無害のちょっと変人程度の認識しかされていない斎センパイがベストです! 超絶美形の和矢センパイでも、一部M系女子を中心に人気急増中の高天センパイでも、目立ち過ぎです!」

「……知らなかった、人畜無害に見えてたんだ」

 今までの真実の悪口雑言にも無反応だった斎が反応する。

「ですよねえ? どっちかというとSっぽさは、高天センパイより斎センパイの方が上なのに」

「そうだねえ。……って、未来の義兄にヒドクないかい? 珠ちゃん」

「いえいえ、この程度でへこむような、お義兄さまではありませんものぉ」

「さっすが珠ちゃん、未来の義妹よ、良く分かっていらっしゃる」


 うふふ・ははは……と乾いた笑いを交わす珠美と斎。

「……って! やめんか! 未来の義兄妹コントやってる場合ですか! ってか何? 今の? 聞き捨てならないわ!」

 キレて叫ぶ真実を宥めるように、巽が肩をポンポンたたいて、あきらめたように黙ってうなづく。

「大丈夫です、真実センパイ。兄の非道っぷりは、今さら暴露されても痛くも痒くもないですから」

「そりゃそうね……って! 違う! そこじゃない! ……何よ? 『一部M系女子を中心に人気』とか何とか、って?」

「あは、別にMに限ってじゃないんですけど。一年生中心に、そういう傾向の、マニアックな子たちに密かに人気だったんですよね、ストイックな感じでステキ! とか。あの目でにらまれて石化したい! とか。攻略ゲームだったら、寡黙で不器用で周りに誤解されがちな、でも実は男気のある硬派ポジよね、とか。美矢ちゃんと私を助けてくれた話も、水面下でめちゃくちゃ広まってましたし。最初は」

 

 ……当たっているだけに、否定できない。真実も最初に惹かれたのはそこだ。が、さらに気になるワードが飛び出した。

「最初は、って?」

「最近はね、和矢センパイとセット売りで、大ヒット中なんですよ!」

「はあ? 何、セットって……そもそも売出しした憶えもないし」

「売り出さなくたって、価値のあるものは売れちゃうんですよ。大体、一見地味で寡黙な硬派で、意外と端正な顔立ちで、いざとなると守ってくれる系は、恋愛マンガの鉄板ですよぉ? ここに超絶美形の和矢センパイが加わって、アッチ系の子たちも萌えまくりですよぉ」

「……アッチ系って、何? 何がモえるって……?」

「失礼だな! 俊と和矢を餌に、妄想の恋愛遊戯で盛り上がるなど!」

 意味が分かったらしい斎の非難で、それがいわゆる、「男同志の○×△」(つまりBL)に熱狂している女子たちのことだと理解した。

「日々鉄仮面の下の深層心理を観察してきた僕や、あれだけ毎朝痴話げんかしている正彦クンに失礼だろ?」

「……って、そこ? そうじゃないでしょー!」

「そうですよぉ! 現実はどっちでもいいんですよ。高天センパイだけじゃ背景ブリザードだけど、そこに花背負しょった和矢センパイが加わると、豪華絢爛花吹雪ですよぉ! あ、でも、それを影からじっと見つめる斎センパイの役どころもあるんで、心配しないで下さい」

「そうか、なら良かった」

 ……良くないでしょう?

 

 がっくり脱力して、もはや声を挟む余力もない真実だった。


「何? なんか盛り上がってるね? どうしたの?」

 画材を抱えた加奈が、ひょこっと美術室に姿を現した。

 後ろから、同じく大きめの段ボール箱やクラフト紙に包まれたキャンバスを持った俊と和矢もついてくる。

「最近、高天センパイが人気者なんだって話です」

「そうそう、和矢センパイと仲良くなったからだろうって。そしたら兄さんが、ヤキモチ焼いて」

「こらこらバラすなー」


 ……これだけ聞くと、とっても微笑ましいんだけど……けど……。


 にこにこ笑って、見事に真相を隠して、でもまったく嘘はついてない三人に、脱帽、というより、次元の違いを見せつけられて、脱力しまくるしかない真実だった。


「そうよねえ。吉村君とも良く話しているけど、高天君はいつも聞き役に徹していたし。それはそれで楽しそうなんでけど、和矢君は、結構高天君の言葉を引き出すことが上手だから、『あ、高天君もきちんとコミュニケーション取ろうとすれば取れるんだ?』ってクラスの中でも認識されるようになったのよね」

 本人目の前にして、結構な物言いである。

「……前から、必要なことは、話していたけど」

 一応反論を試みる俊。

「でも、ホントに必要最低限の言葉でしか話さなかったじゃない? 今みたいに、反論するのだって、前は省略していることがあったし」

「?」

「そうだよね。俊は感情表現下手だから、特に何の悪感情もないのに、黙っているだけで『何か怒ってる?』って思われて。単に口下手・笑顔下手なだけなのにねえ」

「……」

 辛辣な斎の言葉にも、俊は言葉を詰まらせるが、別に怒っている様子はない。

「まあ、僕と違って、俊は取ろうすればコミュニケーション取る意思はあるんだから、他の人とも話す機会があったら惜しまず話すべきだね」

「って、斎くんは? ……そういえば、クラスではこんなに話さないね……」

 今さらであるが、真実は斎と同じクラスである。

「僕? 僕はコミュニケーション取るつもりないから。さっき珠ちゃんが言ってただろう? 一見人畜無害だって。僕って、基本、他人を傷つける言葉しか口にできないみたいだからさ。そんなつもりはないんだけどね。苦手なんだ。本心隠してしゃべるのって。だったら、いっそ何も話さない方が、穏やかでいいだろう?」

「そんなこと……」

 ない、とは言えないけど。斎の毒舌ぶりには、真実もへこまされることもあるし、けど。


「斎くんと話していると、楽しいよ?」

「ありがとう。それは、君が正直だからだよ。正論言って、きちんと受け止めてくれる人相手なら、僕、案外まともに話せるんだ」

 飄々としているけれど、斎自身、今まで傷ついたことがあったんじゃないだろうか?


 相手に伝わりやすく、相手の心を慮って言葉を選んで話す……それはコミュニケーションの基本だけど。


 一方で、正直に生きなさい、正直な言葉を伝えなさいと、教育されて。

 でも、本当に思うがまま振る舞い、思ったまま言葉を口にしたら?

 それを許してくれるほど、今の子供社会は甘くなくて。

 ちょっと悪目立ちするようなら、すぐに出る杭を打とうとするのは、大人の社会と一緒。

 真実自身は、実はそんなに目端のきく子じゃなかったから、どちらかというと、あまり深く考えず子供時代を過ごしていたけれど。


 

 でも、小学校時代、とても正直な女の子がいて。

 その子は、別に教師やクラスメートに媚を売るとかじゃなく、裏心もなく、真面目に目の前のことに取り組んでいて。

 そんな時、漢字ドリルだったか算数ドリルだったかを、何日かサボっている子たちがいて、先生が叱った時があった。

 叱るだけにしておけばよかったのに、先生は「クラス全体の問題」として、皆で話し合うように命じた。サボった人をどう思うか、正直に答えなさいとも。

 真面目にコツコツ生きていた彼女は、おそらく、何の思惑もなく、正直に、そのまま言ったのだ。

「毎日きちんとやればいいのに、なんでやらないんですか?」


 ……その通りだと、真実も思った。


 ただ、それは、ドリルを一回でもサボったことのある子にとっては、とてもきつい言葉だった。

 卒業まで間がなかったのが幸いして、深刻ないじめには繋がらなかったけれど、それに近い険悪な空気がクラス内に存在していた。

 女子の一部で怪文書が回覧されたり、陰口は横行していた。

 鈍い真実でもわかる程だったので、当の彼女も気付いていたと思う。

 彼女は優秀だったので、みんなとは違う超進学校の付属中学へ進んだ。風の噂で、元気にやっているらしいことは聞いたけど、同級会に来たことはない。


 

 あの時の、居心地の悪い、いらいらする気持ちは、今思い返しても嫌だった。

 真っ正直すぎる彼女の言葉も、それに傷ついたとはいえ、裏でコソコソ画策していたクラスメートにも、何もしなかった、傍観していた自分にも。


 だから。


教室クラスでも、好きに話したら? マズイこと言ったら、私が怒鳴りつけてあげるし」

「えー? じゃあ、僕、教室でも部活でも、森本さんに怒られてばっかりになるよ」

「……そんなに怒ってません!」

 言葉とは裏腹に怒りを露わにする真実から逃げるように、珠美の後ろに隠れる斎を、真実が追いかけ、デコピンを食らわす。

「うう! ひどすぎる! 怒鳴るだけだって言ったのに、シクシク」

 大げさに痛がる斎を見て、巽と珠美がクスクス笑う。

「ホント、仲いいね」

 和矢が微笑ましいとばかりに告げると、俊が頷く。

「ちがいますーぅ! ただのクラスメートですってば!」

「うう! ここまでいたぶられて、『ただの』扱い……」


 真実が大慌てで否定し、斎が絡むと、今度は爆笑の嵐となった。

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